第二章 私の命の速さ#4

窓枠のうす汚れたガラス越しに、細い朝の光が差し込んで、ミレのまつ毛を通り抜け目を刺激しました。

「ん…あ゛ー…」

歳に合わない渋い声を上げながらミレはゆっくりと起き上がります。

「水…朝の水は…?」

自分の家と同じ感覚でサイドテーブルの上へ視線を泳がせて、いつも置かれている飲み水用のガラス瓶が置かれていないので自分の家ではないことを思い出してあわててベッドから跳び落ります。

「もしかして遅刻!?お母さんがいないと誰も起こしてくれないーっ!!」

裸足で誰もいない廊下へ転がり出て、そのまま螺旋階段まで走って三段ずつ跳ばしながら降りて皆の声がする食堂へ飛び込みました。あまりのドタドタした一連の音にみんながミレの方を注目して見て、

「おくれ、ましたー!今日のっ、修業は始まってますか!?」

「ミレ…そんなに急いでこなくていいのに。一度起こしにいったんだけどよく眠っているから、昨日の疲れもあるしもう少し後でもいいかと思って…とりあえず、せめて洋服は着なさい?」

ウィリアンが優しい調子で最初に言います。次いでリルティーヌが、

「ウィリアン様、今日は私がミレの世話をしてもいいですか?衣替えも一人では大変なので手伝ってほしいですし。ね、ミレ?」

「うん、いいよ!」と言うミレの声を遠くに聞きながら「…‥」ウィリアンはリルティーヌを見つめました。リルティーヌもその視線に何の感情も込めない目で返します。

「分かったわ。お願いね」

「リルー!」とミレはリルティーヌに走り寄ります。それをきっかけに他の子ども達もミレの周りに集まります。

″朝ごはんとってるから食べなよ、よく眠れた?、今日は私達は洗濯当番なの、やだなー″

始めて来た日から、二日目の今日ですでに自分の仲間達にすっかり溶け込んでいる黒髪の女の子を横目で一度だけ見てシルバは通り過ぎていきます。

その姿をずっと目で追いかけているのはリルティーヌです。

「‥リル!私の朝ご飯どこにあるの?」

いつの間にかその場にリルティーヌと二人きりになったミレが顔を覗き込みながら言いました。

「ご飯の前にまずは着替えないとね?女性はいつまでも寝まきでうろうろするべきじゃないの。‥‥ミレは服に興味ある?」

リルティーヌは顔を上げて、伏し目がちにミレと視線を合わせました。


食堂から出てすぐ左奥へ延びて行く廊下の途中にある収納部屋。

部屋を埋める勢いで木製の服掛けに吊られた服が並んでいて、二人は真ん中辺りの少し開けた床に立ったり座ったりしています。

「ここにいるヘンリーっていう子が服を作るのが好きなの。いつの間にか作ってここに吊っていて、みんな勝手に持っていくのよ。」

「へえー。ヘンリー?どんな子だっけ?」

「私の部屋の隣の子なの。私とはそこそこ仲が良いのよ。テーブルの席は私の前になるから、ご飯の時もミレは遠くて話せなかったと思うけれど。」

「ふぅーん‥今度話しかけてみるね!」

「ヘンリーは無愛想だから、もしかしたら無視されるかもしれないけど、それでもよければね」

「頑張ってみる」

声が一定の調子でずっと受け答えをするミレをリルティーヌはじっと見つめています。

ミレは手にした服の群を、レースや素材の手触りを確かめています。

「ぬい目とかきれいだねー。デザインもあんまりみたことないかんじで可愛い。」

「着ないの?」

「えっ、いいの?」

「急にやってきたんだから服なんか持ってきてないんでしょう?気に入ったのをいくつか自分の部屋へ持って帰るといいわ。みんなそうしてるしね」

「やったー!ありがと!なにー着よーかなー」

「これはどうかしら?あなたの髪の色に映えるわ」

「へへ、リルもこれ可愛いよ!お姉さんぽくて似合うと思う! !わっ!」

ミレがリルティーヌに渡そうとした服の中からネズミが出てきて、リルティーヌの胸元に跳び付きました。

「わっ」「とおっ!!」

リルティーヌが小さく出した声の三倍は叫んでミレがリルティーヌについたネズミをはたき落とします。ネズミが転がり落ちて、キキッ、と鳴きながら吊られた服の大海へ消えていきました。

「ネズミ…こんなところにまでいるのね。増えないうちに薬をしかけておかないと」

「‥ん?」

ミレが小首を傾げてリルティーヌの胸元をさすります。

「リルっていくつ?」

「十四才よ。」

「十四…リルって胸ないね?私十三で貧乳だけどリルよりあるよ!」

「それは私が男だからよ。まぁ、女だったらミレよりあるかもしれなかったけれど。」

二人のいるあたりの空気の流れがしばらく止まったように感じられました。

「私が気持ち悪い?」

「‥ううん、リルみたいな可愛い子が男の子だなんて信じられない…て、思って。というかなんで女の子の格好してるの?」

ミレがリルティーヌの体を上から下まで確認するように眺めて、

「私、母に女の子として育てられたの。村の人間におかしいって言われるまで自分が男だなんて気付かなかったわ。」

再びその場の空気が止まるような時間が流れる前に、

「リルは女の子になってもきっとリルのままだったよ」

ミレがリルティーヌの瞳をじっと見返して、

「ミレの言葉って分かるようで分からないわね」

薄い笑みを浮かべました。

「リル~これあなたに似合うよ!この濃い紺色のリボンとレースの飾りがリルっぽくて良いと思う!」

「そう?じゃあ、この赤いワンピースはくせがあるデザインだけどミレは着こなせそうね。」

そのあとは二人で年頃の女の子として服選びに没頭していました。

「リルー、ミレー、今からお茶会するよー‥って全然進んでないんじゃないこれ?」

二人を呼びに来たアイヴァンが服の山に囲まれたその有様をみて叫びました。


きつめの赤色が映えるワンピースにさらに映えるように輝く赤の髪飾りを陽の光にさらして、ミレは草の中を踊るように

駆けます。その後ろをリルティーヌがゆっくり歩いて追いかけます。

辿り着いた先はミレがウィリアン達と出会った白い花が揺れる花畑近くの草原。

「実は朝ごはんまだ食べてないんだよねー!お腹減ったー!」

「さっき台所で用意していた時に、まだ朝食が残っていたからそうだろうなとは思った。」

簡易式の広げたピクニックテーブルの上のスコーンやサンドウィッチやジュースの用意をしながらナナヤが言いました。

「えっと、ナナヤ?ありがとう用意してくれて!これはナナヤが作ったの?」

「ええ、こちらこそ。昨日のうちに仕込みは済ませていたから後はスコーンを焼くだけだったわ。あ、実はジャムが足りなくて、みんな少しづつしか塗れないからそれがちょっと残念かも。」

「あれ、ジャムならウィリアン様に―」

「ウィリアン様が?」

「…ううん、別に。」

「ミレも来たばかりで慣れないだろうから、何かあったら言ってね。私はミレを歓迎するわ。」

ナナヤがひとつにまとめた暗めの金茶色のおさげを揺らしながら、不思議そうな顔で微笑んでミレをみつめていました。

その姿はどことなく猫に似ています。

「僕もたよってくれていいよ。ウィリアン様を除けば僕が一番年上だからさ。」

話す二人に縦に長い影がすっと近寄ってきて、視線を向ける前でその人物は止まって言いました。

「ええと、だれ、じゃなくてどちら様でしたっけ?」

その少年と青年のはざまのような男の子は一瞬傷ついたような顔をしましたが、すぐに立て直して、

「紹介してなかったかな。僕はロズンド。さっきも言ったけどウィリアン様を除けば僕が一番年上だよ。僕もここへ来てそれなりにながいんだよ。」

「よろしく!頑張ります!」

ロズンドの細い目もとがゆるんでよろしくと言った後、ナナヤに近付いて、手伝うことあるかい?と話しかけ、ナナヤの

言葉をききながら準備を進めていました。

ミレは何気なくナナヤとロズンドを交互に見ると

「二人って恋人同士?」

と訊きました。

 、一瞬以上時が止まったかと思えるほどのミレに向けられる二人の無言と視線。

そして二人は一瞬だけ目配せをして

「ミレ、そんな訳ないじゃない。私もロズンドもまだ子どもなんだから。」

「ふーん。そっかごめん」

ミレは返事をしているあいだにもロズンドの沈んだような顔をながめていました。

 「ミーレー!やっときたー!」

「どふっ!」

リージャがミレのみぞおちに頭をぶつけて突進しました。すぐに二人は笑いあって手をとってその場でくるくる回ります。

「「私もまぜてー!」」

アイヴァンとルルカが同じように叫びながら二人の輪に突進します。

「お前らー!もう始まるんだからいいかげん座れよ!」

レオルドが大声で言いながら、近くの花畑からゆっくりこっちへ向かってきます。その後ろをウィリアンがクロデアの手

を引きながらついてきました。

やがて散っていた皆がテーブルを中心にして草地へと座り込むと

「お茶会を始めましょうか。と、その前に…クロデア。」

相変わらず恥ずかしそうにウィリアンの後ろに半分隠れたままのクロデアは、それでも震えながら立ち上がります。

「わたし、はクロ、デア…です、え、えっと、わたし達の仲間‥になっ、てくれてありが、とう。…これからも、仲良し…良くして、下さ‥い‥」

ひょこり、ひょこりと小さな歩みでミレに近付くと後ろに隠し持っていた花の冠をミレの頭にそっと乗せました。

白い花が集まった輪っかはミレの頭の形によくなじんでみえます。

「クロデア!ありがとう。あらためて!よろしくおねがいします!」

ミレは勢いよく立ち上がると花の冠を左手でおさえて、右手はひざにおいて礼をしました。

パチパチパチ‥と拍手が鳴ってミレが座った後、ウィリアンが間を空けず「じゃあ、みんな、いただきます。」

いただきまーす、と音程と声量の違う声が重なりあって響きました。

「ミレー!これおいしいよ!お食べっ!」「好き嫌いはだめだぞっ!えいっ!」

相変わらずミレの横に挟んで陣取るルルカとリージャ。

「アイヴァン、お前またサンドイッチに辛子入れてないだろうな?」

「えーっひどーい!今日はサンドイッチには入れてないよ!」

レオがアイヴァンの眼鏡を奪ってアイヴァンがレオの髪を引っ掴んで。

「スコーンは美味しいかしら?」

「はい!美味しいです♪」

スコーンを頬張りながらウィリアンに答えたミレの目にクロデアの姿が留まります。

ちらっ、とミレを何度も見て、目が合うとウィリアンの服の裾を掴んでほぼ後ろに隠れます。

「クロデア!この冠ありがとう!作るのけっこう時間かかったでしょう?」

「あ、の…あ…うん。」

「私こういうの作るの苦手でさー!どうやって作るか教えてよ♪」

「あ…うん。」

ミレは大きな声で、クロデアはなんとか聞こえるのではという小さい声でやりとりをして、次にミレはクロデアのすぐ側

まで行き、草地の上へひざを着きます。

ミレはクロデアへ自分の手を差し出しました。

クロデアは一瞬動きが止まった後、ミレの手のひらへそっと自分の手を乗せます。

「行こー♪!」

二人は手をつないで花畑へ向かっていきます。

その後をルルカとリージャが叫びながら、アイヴァンも大声を出しながら追いかけて、ナナヤはロズンドに目配せして少し歩調をずらして一緒に行きました。

レオルドはサンドイッチを頬張りながらめた目でどこかをみていて、シルバはスコーンに添えられたジャムをじっと見つめた後ウィリアンの顔をみたり、リルティーヌはシルバの顔をみながら隣のヘンリーの足をじゃれながら蹴ったり、ヘンリーは何も気にすることなく自分の手記スケッチブックに服のデザイン画を描いたり、ウィリアンはシルバの顔を見ないようにしながらミレが連れていった遊びの集団を眺めていました。


「出ー来た!ここって奥の方にも違う花咲いてたんだね~白い花のあいだに差し入れると可愛いー」

ミレがすいすいと速い手つきで花の冠を一つ作り終えると、クロデアに向かってひらひら振って見せて、彼女の頭に乗せました。

「ミレ…本当は作り方知ってた…?」

「ちびっこ共も出来たかー?」

「おー!」「できたよー」

「私も出来たー!」

「私はもう少しで…ローズはもう出来たの?」

「ローズっていうな!ちょっとぼろいけど出来たよ」

視線をうろうろさせながら頭の上の花冠を触るクロデア、はやくも喋りながら次の花冠を作っているミレ、

花が途中でぽろぽろこぼれるのも気にせず振り回すルルカ、出来た花冠のすきまに別の花を差し込んでいるリージャ、普通の出来栄えの花冠を作れたアイヴァン、丁寧に隙間を詰めながら花冠を作っているナナヤ、もうこれ以上花冠が痛まないようにそっと地面に置いたロズンド。

「もっとたくさん作って輪なげしよーよ!」

二個めを作り終えたミレがそう言って立ち上がり、他の者達が不思議そうに首を傾げる前で、花畑の奥へ走り出します。

なんだなんだと皆が立ち上がる前でミレは体をひるがえしました。

「はい、みんなはそこらへんでストーップ!んじゃー、ナナヤ!私に向かって!花冠投げてくれない?」

「えっ、投げるの?…はいっ!」

ナナヤがそれなりの遠くへ離れているミレに向かって花冠を投げました。

白い花びらを蹴散らしながら、宙を舞うミレは投げられた花冠をその右腕に通して捕まえました。

「こんな感じで!花輪投げて腕に通して掴まえるんだよ!あっ足でもオッケーだから!」

続けて、ぶんっ、と風を切るように片足を上げて、右腕から抜いた花輪を足首で捕まえました。

「ほらっ、次はーリージャ!こっち来て」

おー、とリージャがミレの側まで行って、ミレがリージャにハイタッチして、リージャの花輪をさりげなく持っていきます。

「リージャ-!いくよー! はいっアイヴァン!どうぞー投げてみて!♪」

皆の元に戻ったミレがアイヴァンに、リージャの花輪と自分が頭に乗せている以外の花輪を渡します。

いきなり花輪を渡されて慌てながらも投げるため構えるアイヴァン。

「私!?リージャー?!いくよー!はい!」

「うわーーーあ!」

リージャが花を何本も押し倒しながら寝転がって、花輪を蹴ってから両手で掴むと、その途端に輪が崩れ花が花粉を撒きながら顔へ降り注ぎます。

「けふっ、とれたよーミレ!」

「崩れてるよー!輪なげなんだから手首か足首に通さなきゃダメー!罰ゲーム開始―!」

ミレがリージャのところへ再び走っていって、リージャをくすぐって、笑いながら転がりあっています。ルルカもそこへ飛び込んで参加。

「… …」

「ねぇ、クロデア!もっと花冠作って私達も輪投げしよー?」

「… …」

ミレが離れてからうつむいたままのクロデアに、アイヴァンが話し掛けますが応えません。アイヴァンがうーん、とうなります。

「クロデアー!花輪投げてー!」

「なげてー!」

「なげてー!」

「…!」

「クロデア、呼ばれてるよー。私も投げたいから一緒に投げよ!」

「クロデア、私とローズは花輪を作るから、楽しんできて。」

「あぁ、もっとこういうの作るの上達したいしね。」

クロデアが初めてアイヴァン、ナナヤ、ロズンドの顔をぐるっと見て、

「ありがとう‥」

クロデアの瞳がキラキラと瞬き、アイヴァンと手をつなぎ三人のもとへ駆けていきました。

「良いねこういうの…私、幸せ。」

「僕もだよ‥‥‥。」

ロズンドの手にナナヤが手を重ねて、静かに精霊への祈りの言葉を呟きました。


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