ノイズ
煮込みメロン
ノイズ
「メディ、今日は本を読んでくれる?」
夜も更け、お屋敷での一日の仕事を終えた私の部屋へ、寝間着姿のお嬢様が一冊の本を胸の前に抱えて訪れた。
「お嬢様、今日はどんなお話をご所望でしょうか?」
部屋のベッドに潜り込むお嬢様へ視線を移した。
ベッドの脇に椅子を移動させ、私は腰掛ける。
お嬢様から受け取った本を開いた。そこにはデジタル化が進み、今では珍しくなった写真が幾つも貼り付けられていた。
それは古いアルバムだった。
「お嬢様、こんなものをいったい何処から……」
「ひいひいおばあ様のお部屋から取って来たの」
「またお母様に叱られますよ」
「ママの事なんて知らないわ。私の事なんて放っておいてお仕事ばっかりだもの」
拗ねたように、お嬢様は頬を膨らませる。
「そんな事より、メディ。お話してよ」
「……承知いたしました」
頬の人工筋肉を動かし、笑みを形作る。
差し出したアルバムをお嬢様の目の前で開く。
「何か気になる写真はございますか?」
「これ。この写真」
「これは……」
お嬢様の指差したそれは、この屋敷の初代当主の若き日の姿と、私が並んで立った写真だ。
その背後には、二人で過ごしていた当時のごく一般的な一軒家の玄関が映っている。
メモリー領域から記録を引き出す。
「これは、初代当主様と私です」
「ひいひいおばあ様と……メディ?」
「はい、私がまだ一般的なお手伝いロボットだった頃です」
初代当主様の隣に立つ私は銀色のボディの、辛うじて女性型とわかる程度のごく一般的なお手伝いロボットの姿。
今とは随分とかけ離れた姿だ。
「この頃からメディはメディだったのね。今と全然変わらないわ」
「そうでしょうか。今の私はもう幾度もアップグレードを繰り返しましたから、この頃と比べると大きく変わっているのですが」
「変わらないわ。私のメディだもの」
お嬢様が私に笑みを向ける。
その姿にかつての記録に残る映像と重なり、僅かに思考アルゴリズムにノイズが走る。
「どうかした?」
「……いえ、何でもありません」
「そう? そんなことより、お話聞かせてよ」
「はい、それではしばしお耳を拝借」
お嬢様は瞳を輝かせて、私の言葉に耳を傾けた。
あの日、私が初めて初代当主様——カヤネ様とお会いしたのは、桜の花の咲き誇る天気の良い日でした。
私はカヤネ様の小学校へ入学されたお祝いに、身の回りのお世話の為にご両親から購入されました。
『どうぞ、よろしくお願いいたします。お嬢様』
『う、眩しい』
今の様な生体スキンではなく、当時の一般的な銀色のボディは太陽の光をよく反射していた。
それから私は、仕事で世界中を飛び回るご両親の代わりにカヤネ様のお世話に従事いたしました。
時にはカヤネ様と喧嘩をしながらも、日々大きくなっていくカヤネ様のお姿を記録することが私の何よりの楽しみでした。
『メディ、こっち向いて』
私をメディと名付けたカヤネ様の言葉に振り向いた私の聴覚装置が、カシャリと小さな音を拾った。
その手には黒いデジタルカメラがあり、レンズが私へと向けられていました。
『カヤネ様、そのカメラは一体どこから?』
『お父さんのお部屋にあったのを見つけてきたの』
『お父様に叱られてしまいますよ』
『滅多に帰ってこないお父さんなんて知らない。それに、そんな事メディが黙っていればいいことじゃない』
私の言葉に、カヤネ様は頬を膨らませた後、再び私にカメラのレンズを向けた。
『ほら、メディ笑って』
『カヤネ様、私に笑う機能はございませんよ』
『いいの、雰囲気よ世雰囲気』
そう言いながら、カヤネ様は私の写真を撮り続けた。
それからしばらく、カヤネ様は度々お父様のカメラを持ち出しては、私や家の周辺の写真を撮っていた。
お嬢様の持ってきた写真もその時期に撮られた一枚だ。
「え、この写真ひいひいおばあ様が撮ったの?」
「はい。タイマー機能を使用して三脚で撮ったものですが」
「へぇ、そのカメラって今のあるの?」
「もう壊れてしまい、廃棄してしまいました。その時には、初代当主様には随分と怒られました」
当時は怒って泣いて、許していただけるまで随分と時間が掛かったものです。
「ひいひいおばあ様のお話、もっとしてよ」
「そうしたいところですが、今日はもう遅い時間ですから、お話はまた次の機会にいたしましょう。明日の学校の授業中に居眠りなんてしてはいけませんからね」
「えー」
「今日は私のベッドで寝ても構いませんから」
「うー、メディ、一緒に寝てくれる?」
「仕方がありません。特別ですよ」
「やった!」
嬉しそうに笑むお嬢様。私は頭部に装着したホワイトプリムだけを外してアルバムと一緒に机に置いてから、お嬢様の隣に潜り込む。
待っていましたとばかりに私に小さな身体がすり寄る。
近づいた顔が、頬が触れる。
「メディと一緒に寝るのって久しぶり」
「お嬢様もおひとりで眠れるようになったではありませんか」
「それでも! たまにはメディと一緒に寝たいもの!」
「ご当主様には内緒ですよ」
「大丈夫よ。お父様でもメディには頭が上がらないんだから」
「まったく、そろそろおやすみなさいませ」
「はーい。おやすみ、メディ」
私の頬に唇を寄せて、お嬢様は瞼を閉じた。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
その頬に唇を寄せる。
くすぐったそうに身じろぎをして、お嬢様はしばらくしてから安らかに眠りについた。
それからしばしの間お嬢様の様子を見て、完全に寝入ったことを確認してから、お嬢様の眠る姿をメモリに収めてから私は静かにベッドを離れた。
机の上のアルバムを手に取り、音を発てないように注意しながら、部屋を出る。
必要最低限の明かりのみを灯した廊下を歩く。
この屋敷で働くAIは私のみで、他の使用人達は全て人間で、この時間帯は警備はセキュリティに任せ、皆眠りについている。
廊下に敷かれた絨毯を踏みつつ進む。日中とは違い、誰もいないお屋敷はシンと静まり返っていた。
たどり着いたのは、お屋敷の二階の奥に位置する一室。
一拍の躊躇の後木製の扉を開くと、そこは二十畳ほどの執務室になっている。
今は誰も使用していないこの場所は、かつてカヤネ様が仕事に使用されていた部屋だ。
使用人が定期的に掃除に訪れる以外には、このお屋敷の住人が訪れることは少ない。
部屋の奥、執務机にほど近い壁に設置された書架に歩み寄る。
そこだけ、一冊分隙間が空いていた。
足元に置かれたままになっていた踏み台を片付け、私は室内を見回す。
メモリに保存されているこの部屋での記録の多くは机に向かい、仕事をこなすカヤネ様の姿。
若くしてIT事業を起ち上げ、一代で巨大企業へと成長させた稀代の才女。
皆が、彼女を讃えた。
そして、彼女の成長を近くで見ていた私もまた、カヤネ様の姿を嬉しく感じていた。
お茶をお出しすると、嬉しそうに目尻を下げて礼を言う姿が私のメモリに収められている。
『ありがとう、メディ』
『メディの入れてくれるお茶は美味しいわね』
『メディ、ずっと私の傍にいてくれて、ありがとう』
『変わらないわ。私のメディだもの』
カヤネ様の言葉は私の古い記録に収められている。
その言葉と映像を引き出す度、お嬢様の笑顔を目にする度、私の思考アルゴリズムにノイズが混じる。
どれだけアップデートを繰り返しても、このノイズが消えることが無い。
カヤネ様との思い出に交じるノイズが、いつまでも私の奥底に残っている。
「カヤネ様」
執務机に触れ、かつての主の名を呼ぶ。
「私は、カヤネ様だけのメディでいたかった」
カヤネ様の従者は私だけだった。
私だけが、カヤネ様のお側にいればよかった。
だから、私もお供したかった。
『メディ。私のメディ。あなたには、これから残される家族の教育をお願いしたいの』
老いたカヤネ様の言葉が焼き付く。
『カヤネ様。私はカヤネ様だけのメディです』
『私のメディ。私の大好きなメディ。私は、あなたを置いていくわ』
『私はカヤネ様に置いて行かれたくはありません。どうか、私も連れて行ってください』
カヤネ様が触れた頬の感触が今も残っている。
優しく撫でてくれた指先が落ちる感触も残っている。
『いつか、また私の様にあなたを大好きな、あなたが大好きな家族がきっと出来るから。どうかそれまで待っていてちょうだい』
最後に触れた唇の感触が、私をこのお屋敷に縛り付けた。
それから、私は何年もの日々を、カヤネ様の家族と共に過ごしてきた。
カヤネ様のいない家族と過ごしてきた。
「……カヤネ様。お嬢様が笑うのです」
ノイズが混じる。
「お嬢様の笑顔が、だんだんとカヤネ様に似てくるのです」
ノイズが混じる。
「私は、カヤネ様のメディです。それなのに、お嬢様に名前を呼ばれるのが、あの笑顔を向けられるのがとても嬉しいのです」
カヤネ様の笑顔が、お嬢様と重なる。
ノイズが走る。
「カヤネ様。私は、カヤネ様へ抱いた感情と同じものをお嬢様に抱いてしまっているのです」
「私は、お嬢様のメディであってもよろしいのでしょうか」
このノイズは、きっと。
「カヤネ様。大好きな家族が出来てしまいました」
愛と呼ぶのだろう。
END
ノイズ 煮込みメロン @meron_san
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