第2話 二日目
「……馬鹿馬鹿しい」
昨日初めて出会った人に、少し優しくしてもらったぐらいで…………俺は本当に馬鹿じゃないのか?
そして、馬鹿馬鹿しいとわかっていながらもあの公園に向かっている自分がいる。
全く、一体これで何が起こると言うんだ。他人と話して気を紛らす事は出来ても所詮は一時的な解決。根本的な問題が消えない限り、俺はいつかまた昨日のようにこの山を登る。
足掻くだけ無駄なのは、分かってる。
受け入れて、呑まれた方が楽なのは、分かってる。
……それでも、それでも争うのは、まだやれると背伸びしている自分がいるからなのかも知れない。
「お、あった」
そうこう考えてると、昨日と同じ道の分岐に来た。
さっきまで自分から漏れ出ていた黒い何かは素早く胸の奥にしまう。ユカは気にしないかも知れないが、人に会うと思うともはや本能的にやってしまう。何年もやってれば“平気な人”の演技は勝手に身につくもんだ。
それにしても、やはりと言うべきか公園に続く道からは不思議な魔性を感じる。気のせいなんだろうが、あそこから吹く風が心地のいい温もりを帯びているように感じる。
その風を顔に受けながら進んで行き、公園に出る少し手前。ユカの声が聞こえて、思わず足を止めてしまった。
まるで誰かと会話しているような……まさか、他に誰かを呼んだのか?
瞬間、えもいわれぬ不安が俺を襲い、踏み出した足の歩調がだんだんと速くなっていたのを自覚した。
まさか、俺のことを誰かに話した?違うと言いたい。違うと言ってくれ。ユカが許可なく誰かに話したとは信じたくない。それでも、もしユカが話したのなら、俺は、俺は…………ッ!
思考が最悪の結末を迎えようとした、その時。いつの間にか早歩きからダッシュに切り替わっていた俺は森から飛び出した。
眼前に広がったのは拍子抜けするぐらい平凡な公園の光景。そこに居たのは昨日と同じ髪型、同じ服装のユカただ一人だけ。
さっきのは、独り言、だったのか?
さっきまで自分の中で渦巻いていた感情に整理をつける前に、ユカが視線を釣り上げ、そして目があった。
「あ、翔樹!来てくれたんだな!」
「あ、あぁ」
あまりの喜びように戸惑いながらも、ユカのいるベンチに向かう。場所は昨日いたところとは公園の反対側だ。
「いやぁ、昨日、翔樹は“来てくれる”って言ってたんだけど正直半信半疑でね。嬉しいよ」
「あぁ、俺も自分が本当に行くのか半信半疑だったよ」
「そうだったのか……ところで翔樹、なんで息がそんなに荒いんだい?」
瞬間、自分の顔が恥ずかしさで赤くなったのを自覚した。
まさか、誰かに自分のことを話していると一方的に勘違いして、一方的に裏切られたと感じていた、なんて言えるわけもなく。最終的に絞り出した言葉は結局はつまらないものだった。
「ここに来るまで走ったんだ。……待ち合わせに遅れないように」
「あぁ、確かに。ただ“夕暮れ時”は少し曖昧だったかな。それは、悪かった」
知ってか知らずか、俺の苦しい言い訳もスルーしてくれたユカ。俺からも一つ、質問を投げかける。
「あのさ、来る時に話し声が聞こえたんだけど、ここに他に誰かいたのか?」
「話し声?……あぁ、あれか。挨拶していたのだよ、私の大切な人に」
「彼女?」
ユカの目線を追って彼女の正面を見る。そして、ユカの言っていた意味を理解した。
そこに積み上げられていたのは拳より一回り大きい石の数々。石と石のわずかな隙間からは一輪のヴィヴィッドピンクの花が咲いていた。
これは、墓だろう。ユカの大切な人の。
「なんか、すまん」
俺の言葉に目を細め、墓に目を向けたまま言葉を返すユカ。
「なんで君が謝るんだ。私は彼女のことはもう受け入れてるよ。それに……」
「それに?」
「彼女は、自分が死ぬ時は誰にも迷惑かけたくないと言っていたんだ。謝られるのは彼女が望まないさ」
今は亡き彼女を思い出しているのだろうか。あの一輪の花を眺めるユカの眼差しは温かいものだった。
この静けさを乱すのは、余りに無神経だろう。
待つこと数十秒。
「いやー、すまないね。君の悩みを聞くためにここまで呼んだのに、自分のことで一杯になってしまって」
「いいさ。ユカに会えて彼女も嬉しかったんじゃないかと思う」
「そうか。……いや、そうだな」
頭を切り替えるためか、ユカはそこで一旦間をおいた。
「さて、昨日は…………あぁ、町にいると息苦しくなるんだったな」
「あぁ、あの町にいるとどうしても自分が異質だと感じるんだ。自分が型に押し込まれて、窒息しそうな息苦しさ。生きた心地がしない」
思い出すだけで自然と手が喉にいく。そこには存在しない縄を引き
「そうか、そうなのか。しかし、さっきから話してても君からは異質さは感じないが?」
「それは良かったよ。努力が完全には無駄じゃなかったってことだ」
「努力?」
「あぁ、他人と合わせるための演技は結構練習してたんだ。話を合わせるために流行りのメディアは調べ尽くして、普通の“高校生らしさ”を醸し出せるように色々と分析もした。……ま、結局は虚しくなって息苦しさがひどくなったぐらいだ。意識しては出来なくなったけど、それでも数年も続けてたら中々抜けないらしい」
「何を勘違いしているのだ? 演技していることぐらい私でも見破れる。私はそれを含めて異質とは感じないと言ったのだ」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「そこに関して君は決して異常ではない。他人に好かれるため、浮かないための演技は誰だってしている。翔樹が少し演技派なだけだ。確かに、今の君は本当の自分が何なのか分からなくなっているかもしれない。でも、この先は長いんだ。今から探しに行って遅くはないんじゃないか?」
「探しに行く……」
「あぁ。歩むのは人生という名の長く険しい道のり。だが、まっすぐ前を見据え、歩み続ければいつかは必ず探しているものが見つかるはずさ」
必ず見つかる、か。確かにそうだろう。
ただ、俺はそんなことなんて知っている。最初っから知っていたんだ。そして、無視してきた。
「確かに、自分は見つかるかもしれない。でも、俺は
吐き出されていった言葉はまるで
感情の高ぶりとともに口調が加速していく。
「そして踏み出せないまま立ち止まっていると、横をどんどん人が通り過ぎていく。俺は取り残されたんだ。……だから俺はもう遅いんだ。既に持っていたものは朽ち、もう朽ちた物しか手に入らなくなってしまった!……だからもうダメなんだ」
そして、吐ききった。それはこの胸の闇の一端に過ぎなかったのかもしれない。でも、これがその闇を初めて言葉にした時だった。
ユカは何も言わなかった。ただ、らしくもなくうつ伏せて啜り泣きする俺の背中を温かい、温かい手が撫でていた。
◆◇◆◇◆◇
夕日の刻はとうに過ぎ、辺りがよく見えなくなった頃、ユカは数十分ぶりに口を開いた。
「落ち着いたかい?」
「あぁ。……ふぅ、悪い。見苦しいところを見せた」
「いいのさ。私だって高校生の時、泣きたくなる事なんてざらだったよ。あの頃の私には随分頑張ってもらった。彼女みたいな人の話を聞いてあげるのがせめてもの恩返しさだと思っている」
「彼女みたい……俺が若い頃のユカに似てるってことか」
「あぁ、似ているさ、とっても……」
すると遥か遠くを見つめるユカの顔に笑みが映った。月明かりに照らされたそれは、昔を懐かしむようで、脆く、痛みに耐えているような儚い笑み。
俺の名前を聞いた時も、同じ顔だったなだったな。
…………綺麗だ。
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