花言葉

ゴジゴジ

第1話 その日

 


 ––––パキッ


 足裏に感じる固い異物の感触と、山の静寂を裂くような乾いた音で一瞬視線が地面に引き寄せられた。そこにあったのは地面と同化してしまいそうな色をしている制服のローファーが一歩を踏み出して、ポッキリと枝を踏み折っただけの光景。


 一歩を踏み出す光景からここに来た目的を連想してし、一瞬足が竦んだが……またすぐに目を引き上げる。


「決めたことだろ……」


 眼前に広がるのは、もう時期沈む太陽にて濃朽葉こいくちばに照らされる森。夏になり緑に生い茂っていたこの森だが、この時間だけは風に吹かれた葉が夕日の金木犀色の光に踊り、美しい紅葉を魅せてくれる。


 まぁ、いかに華麗で優美な光景であっても、こんな田舎に住んでたら山の景色には慣れると言うもの。この山の麓にある町の住人も山景の魔性が疾うに擦り切れているのか、ここを登る物好きは俺ぐらいだろう。


 稀に“プライベートな時間”を求めてリア充がウロついてるぐらいだろうか。…………とにかく、男子高校生が一人で来るようなところではないのは確かだ。


 では何故そんな男子高校生の俺がここにいるのか?


 答えは実に簡単だ。逃げている。


 何から?


 あの町、あの学校、あの人間ども……考えるだけで喉が詰まる気持ちになる情けない自分の人生の全てから、だ。


 まぁ、人生から逃げるなんて早々できないものだってのは重々承知。それでも、今日は逃げ切るつもりだ。


 くねるように山に沿って切り開かれた小道を、やや速足で進みながらこんなことを考えていたら、いつの間にか自分の足が止まっていたことに気づいた。更には、足が止まっていたばかりでなく自然と目線が道の反対側の一点に吸いつけられるような感覚を感じる。


 それは俺が今歩いている整備された山道から枝分かれするように生えている小道だった。


 壁……というほどでもないが、それなりに敷き詰められていた所々花に彩られていた緑にポツンと黒い空間が一つ。


「獣道、か?」


 それにしては些か道が整い過ぎている気がするが、俺以外では定期的にここに来る人なんていないし、人の手が加えられてるようなことはないはずだ。


 ちょくちょくここを散歩している俺が初めて見ると言うのも、考えてみればおかしい。特別気にして歩いているわけでは無いが、人が自然と足を止めるだけの存在感があれば俺だって気づきはする。


 そんな獣道が何故今になって俺を惹きつけているのか?


「……行ってみるか」


 どうせ今日が最後なんだ。寄り道ぐらい許されるだろう。


 森で迷っても……もう別にいいか。


 体が好奇心に突き動かされ、一歩を踏み出す。 


 ギリギリ人一人通れるようなスペースを狭いと思いながらも、四足歩行をする動物が作った獣道にしては広すぎるぐらいだろうと重ねて違和感を抱く。


 制服を出来るだけ汚さないように歩くこと数分。

 突然、獣道が開けた。


「おぉ……」


 目に飛び込んでくるのは公園のような場所の廃墟。色褪せたコンクリートに錆びた遊具、自由に花を咲かせる、元は花壇にあたのだろう花たち。中央には古びた噴水まである。


 しかし、俺が感嘆の声をあげたのは公園に対してではなく、その奥に映る景色に対してだ。


 夕日に照らされた町。まるで世界が咲き誇るマリーゴールドに埋め尽くされたように華やいでいた。その光景には人を魅せるような魔性を持った美しさがある。


 全盛期は疾うの昔、儚くも廃れてしまった公園と、未だ終わりの前兆すら見せない、生き生きと華やぐ山吹色の世界。普段は相入れない世界の両立とそのコントラストに思わず息を飲んでしまった。


 一瞬、一瞬だけだ。


 それでも、俺の中であの町に象徴される暗い感情の全てを、一瞬だけでも忘れさせることができるほどの美しさ。……まともな高校生ならこの絶景を友達と共に眺めて、そして青春の一ページに収めることが出来ただろうな。


 まぁ、俺には叶うわけもなく……


「すぐこういう思考になるから他人とも合わなかったんだろうな」


 自分の基本構造上の欠点を確認したところで、町の光景の魔性も切れてきたようで段々と嫌気が差してきた。これ以上町を眺めるのも何かと癪だし、ここで全てを終わらせるつもりはない。


 ––––瞬間


「いや〜、綺麗だねぇ」


 透き通るような、それでいてどこか気の抜けた声が耳に届く。


 誰だ? ……ここは、無人だったぞ。


 聞き間違えだろうと思いながら声の方向に頭を向ければ、されど確かに彼女がいた。


「やぁ、キミも景色を観に来たのかい?」


 長い黒髪には艶があり、前髪も綺麗に切りそろえられていた。同じく黒い瞳は鋭さを残しながらも温かさが伝わってきて、整った顔と相まって話しやすそうな雰囲気を醸し出している。間違いなくクールビューティーに分類されるだろう人間だ。


 服装は黒ワイシャツ、黒ズボン、黒ブーツ。……とにかく黒い。喪服か厨二病でしか見ないレベルの真っ黒だ。しかし実際は、透明感のある白い肌がコントラストしていて、特別暗いイメージは抱かない。


 公園のベンチに座り足を組んでいる姿からは、どこか“かっこいい大人”のような雰囲気を感じる。


「いえ、たまたまここに出ちゃっただけです。他人がいるなんて、全く気付きませんでした」


 表面上では冷静を装って答えている俺だが、目の前の女の容姿以外は全く脳の処理が追いついていない。


 どこから来た? いつからいた? なんで話しかけてきた? 


 獣道から出たとき、確かに、ここに人は居なかった。夕日の景色を眺めていたときに他人が写り込んでいたら絶対に気づく。


 じゃあ、俺の後に来たのか?


 それも、ありえないはずだ。


 公園を見渡す限り、入口は俺の数メートル背後にある獣道一つだけ。公園の位置する広場の外縁は、長年管理されていないせいか、自由に生い茂る植物に囲まれている。しかし、女の服には汚れどころか、シワひとつ付いていない。険しい森を通ってきたということはないだろう。


 本当に、わからない……


「どうしたんだい? 黙り込んじゃって。…………何か考え事をしているようだが、困っているなら私が話し相手になろうじゃないか。ほれっ、ここに座れ」


 あなたのせいで考え事をしているんですが……


 ツッコミを飲み込んで、拒否の言葉を連ねる。


「あ、自分はもう行くんで、大丈夫です」


 そもそも、目の前の女はフレンドリーすぎるところがあるみたいで勘違いしそうになるが、俺と彼女は立派な赤の他人だ。


 気楽に話しかけてくるかといって、小学生でもわかる「怪しい大人と話さない」というルールを曲げる理由にはならない。


 それにこの人は正直、めちゃくちゃ怪しい。『どこからともなく突然現れた全身黒の女』うん。怪しい。……本だったら、お化けとか幽霊とか疑うわ。


「まぁまぁ、そう言わずに。高校生男子のキミには色々な悩みがあるんだろう?私が聞いてあげるよ。ただ他人に話すだけでも随分と楽になるぞ」


 だから怪しいんだって。なんでそんなに俺を引き止めたいんだ。


「ですから、自分はもう行k––––」


 ––––行くので……


 言い切る前に、言葉が詰まってしまった。


 なぜかはわからない。女の誘いを断り切れない自分でもいたのだろうか。


 彼女の言う通り俺は悩んでいる。そもそも、悩みがあることは何も特別じゃない。


 悩み事は一人で解決できないから悩んでいるわけで、普通の人は家族や友人、頼れる先輩なんかに相談して解決しているんだろうが、上記のカテゴリーで相談できそうな奴が一人もいない俺はずっと悩んだままだと腹をくくっていた。


 話せる相手など、いたこともなければ、今もいないし、これから先現れることがないと覚悟していた。が、目の前の女が、ながらく孤独という暗闇に飲まれていた俺の中に可能性の光が小さく灯した。


 たとえ他人でも、いや、今後二度と会うことがないだろう他人だからこそ、自分の全てを思いのまま吐き出すことができるのかもしれない。


 どうせ今日限りの俺だ。この女が極悪人で今の話が全部嘘だったとしても、失うものは何もない。


 賭けてみようか。


「そうですね。……お言葉に甘えて、そうさせていただきましょうか」

「そうか!君ならきっとそう言ってくれると信じていたよ!さぁ、こっちへおいでくれ」


 俺が答えると、花を咲かせたような満面の笑みで喜んだ女。


 俺は彼女のあまりの喜びように選択を間違えたかと一瞬後悔したが、すぐに思い直し女の隣に座る。


「さて、いきなり自分の悩みを吐けなんて酷なことは言わない。……まずは、そうだな、名前を教えてくれ」

吉田よしだ翔樹しょうきと言います。えっと、よろしくお願いします」

「翔樹か……いい名前だ」


 女は一瞬、感傷にひたるように遠くを眺めていたが、瞬きした頃にはまた口を開いていた。


「……私のことはユカと呼んでくれ。呼び捨てでいいからな。あぁ、それと、私達はこれから腹を割って話す仲だ。敬語は抜いてもらってもいいんだぞ?」


 仲良くなった覚えはないが、確かに俺の敬語はぎこちない。ユカがいいっていうなら、そうさせて貰おう。


「これでいいか?」

「そうだ、それでいい」

「…………」

「…………」


 なんだろう、この空気。


 ユカのコミュ力に引っ張られて今まで会話が成り立っていたが、俺が話す番になった途端、言葉が出てこなくなる。


 そもそもこれは、俺自身、他人と話す機会なんて一生来ないと思っていたトピックなんだ。言葉が出なくて当然なのかもしれない。


 ずっと黙り込んだまま思考を巡らしていると、察してくれたのか、ユカが助け船を出してくれた。


「やっぱり夕日が差す町は、いつ見ても綺麗なんだな。……私のお気に入りの場所なんだよ、ここは。翔樹もこの穴場によく来るのか?」


 単刀直入に行くのではなく、まずは違う話題で会話を促すユカ。


 やっぱりコミュ力持ってる人は入りから違うんだなと感嘆しながら、答える。


「いや、ここに来たのは今日が初めてだな。今までこんな場所があったなんて知りもしなかったな」

「そうか、そうか。そうれもそうだねぇ。私自身、この公園は10年ほど前に見つけたんだが、その時にはもうボロボロだったよ……今日ここで君に会うまで人っ子一人見かけたこともなかったしね。まるで、時に忘れられた空間さ」


 そこまで語って息を少し大きめに吸えば、今度はユカの眼差しが心なしか柔らかくなった気がした。


「私はあまり騒がしいのはのは苦手でね。一人になりたい時、静かに考えたい時なんかにここに来るんだ。……自分の生まれた町を眺めてると不思議と落ち着くんだ」

「ユカはこの町出身だったのか?」


 これには少し驚いた。近くにはこの町以外ないし、ここに住んでいるだろうとは思っていたが、まさか出身地もここだったとは。


 確信はなかったが、どこか、そう、雰囲気だ。雰囲気がこの町に住んでいる人としては異質だったんだ。


 どこか自由を求めるようで、儚くて、それでいて何かを欺いているような、どうしても“この町の人間”という型にはまらない雰囲気だ。


「あぁ、正真正銘ここ生まれ、ここ育ちだ。そういう君もそうだろう?その制服もここの高校のだろうし」

「あぁ––––」


 ––––誠に遺憾ながらな。


 心の中で毒突く。


「なんだ、そんなに嫌か?」


 出来るだけ感情を出さずに言ったんだが、表情から何か感じ取ったのか、図星をつくような言葉がユカの口から放たれた。


「まぁ、そうだな。死ぬほど嫌だ、文字通り」

「へぇ、翔樹の悩みのタネはこれかな? さぁ、聞こうか。なんで翔樹はこの町がそんなに嫌いになったのかを」


 息を深く吸う。


 ここだ、この為に俺はユカの誘いに乗ったんだ。……全部吐き出せ。


「……いつからかは覚えていない。でも、いつしか俺はこの町での生活を、息苦しいと感じるようになっていたんだ。理由は分からない。ただ、他人と話したり、町を見ていると、息が詰まるような感覚に陥るんだ。まるで、異物を吐き出そうとしているみたいに」

「町の景色を見るとね……だからさっきも町を少し眺めた後、すぐに去ろうとしたのかい?」

「あぁ」

「そうか……ま、問題は思ったより根が深そうだ。また、明日もここに来てくれないか? 今日と同じ、夕暮れ時に」

「え? ちょっ」

「私が君の助けになるには、時間が必要なんだよ。それに……」

「それに?」

「君の方こそ時間は大丈夫なのかい?」


 その言葉にハッと気づく。


 来た時の茜色した羊雲が色づいた西空はいつしか半分以上が夜の帳に飲まれていて、公園の反対側まで暗くて見えないほどだった。


 日が完全に沈みきるまでは30分ぐらいしか残っていない。


 今日、家に帰るつもりは無かった。が、明日また話を聞いて貰いたいと思ってしまう自分もいる。話すことで気が楽になったのも事実だ。


 ……今まで何年も耐えてきたんだ、後数日くらい先延ばししてもいいじゃないか。


「そうだな、俺はこれで帰る。今日は……ありがとう」


 持ち物があることを確認してベンチから立ち上がる。


「明日も来るんだぞー」

「分かった。明日の夕暮れだな」

「そう。じゃ、また明日」

「あぁ、また明日」


 その日、帰路に踏み出した一歩は心なしか軽かった。

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