第6話 犯人像
前の時は、未遂であったので、正直そこまで真剣に捜査をしていなかったであろう警察だったが、今回は明らかに殺されている。しかも、前に犯行があったのと、時間も場所もほぼ同じ、マスゴミが飛びつかないわけがない。
ハイエナのように食いついてきて、まるで、
「骨も残すものか?」
というほどの剣幕で、まくしたてるような取材が続いた。
こうなると警察は弱い。変なことも言えないし、世論やメディアの力を思い知るのだった。
捜査本部もいきり立っている。
「このままでは警察の威信は地に落ちてしまう」
と言わんばかりで、なんと言っても、最初の被害者の記憶が曖昧だということもあって、最初の犯行への捜査に対しては、あまりにも情報が少ないということで、なあなあの捜査だったと言ってもいいだろう。
しかし、マスゴミは絶対に、最初の事件の初動捜査から戸惑いを見せている警察の怠慢と情けなさをついてくるに違いない。それを話題にされると警察はどうしようもないのだ。
これまでの警察の、
「何かが起こらなければ動かない」
という体質や、
「最初の事件を、おろそかにせずに、真面目な捜査を行っていれば、こんな事件は起きなかった」
と決めつけるかのような記事を書いた。
「最初の犯行で、少なくとも犯人の近くにまでたどり着いていれば、犯人の犯行を抑止できたであろうし、犯行を未然に防げるか。犯人逮捕だってできたかも知れない」
ということを書くに違いなかった。
世間は、警察もマスゴミも、基本的には好きではない。
「事件が起きないと何もしない警察。そのくせ、犯人だと決めつけたら、容疑者を恫喝するやり方は、昔のまま」
これが警察だと思っていて、マスゴミの場合は、伝染病が流行った時、世間や世論が大混乱に陥った。
確かに未知の伝染病だったので、デマやフェイクニュースなどが出回って、それに触発されるのが、一般市民であったが、マスゴミによる扇動によって、さらにデマやフェイクニュースが巻き起こる。なんといっても、有事において出回るデマは、集団意識と相まって、世の中を混乱させてしまうのだ。
せっかく、専門家が意見を出しているのに、口では、
「最後は専門家の意見を考慮に入れて、政府として判断する」
という聞き飽きた言葉を言っていたが、その実、専門家の意見が自分たちのやりたい政策にマッチしていなければ、いくら専門家が苦言を呈しても、政府は聞く耳を持たないというのが、現実である。
さぞや専門家も、憤りを感じ、
「こんなのやってられるかい?」
と思っている人も多いだろう。
そう、これではまるで専門家の存在は、
「政府がやることに追認するための組織こそが、有識者による専門家委員会というものではないのか?」
と言われてもしょうがないのではないだろうか?
警察は警察で、犯罪捜査は、完全な縦割り社会。さらに、縄張り意識も相当に強く、
「政府と警察組織。どっちもどっちだ」
と言われても仕方がないだろう。
政府も、警察組織も、罪悪感を一切なく、動いている人間がどれだけいるというのだろう?
お互いに、忖度と、敵対意識のそれぞれ極端な思いを感じながら、活動している。本当は、
「国民を守る」
というのが、それぞれの存在意義のはずなのに、それが、組織の存続だけを優先させ、国民を守ることが二の次になっているという、本末転倒な組織なのである。
今回はさすがに殺人事件ということで、捜査本部が置かれた。その中でいろいろ話題に上ったが、そのうちの一番大きな話題としては、
「これが、連続した事件なのかsどうか?」
ということであった。
「もし、同一犯の犯行だとすれば、最初の事件は殺害にまでは至らなかったが、一歩間違えると、連続殺人事件ということになっていただろう。しかし、逆に未遂だったことで、警察の捜査が甘かったという指摘もある。つまり、最初の殺人未遂をしっかり捜査していれば、第二の殺人は起こらなかったのではないか? という見方だ。そういう意味で、第一の事件を、殺されなくてよかったとみるか、第二の殺人を、この時はなぜ、一撃で殺せたのかということが問題になってくる」
というのが、まず、本部長の話だった。
この捜査会議までに分かっていることとして、まず、第一の殺人未遂の被害者である女の子の身元は、まだ分かっていない。
「だいぶ意識も体調も回復しては来ているので、回復は間もなくだと思います」
というのが、担当医の意見であった。
警察としては、何とか早く身元が分かってほしかった。
「身元さえ分かれば、ある程度のことが分かってくるはずだ」
というのが警察の見解。
つまり、第二の犯行の被害者との関係、つまり二人の共通点から、犯人が割り出せるかも知れないという思惑であったり、犯人を特定できなくても、ある程度まで犯行動機は絞れるのではないかという思いも警察にはあるのだった。
その思いがなかなか成就できないもどかしさのようなものが警察側にあるのは当然で、正直医者に対して、
「いい加減なことばかりいいやがって」
というのが、本音ではないだろうか?
そして、もう一つ分かったことは、殺人事件においては、完全に最初からとどめを刺しているということだった。背中から刺しているにも関わらず、躊躇うことなく、一撃は心臓だったという。他にもいくつか刺された跡があるが、そちらにはそれほど深いものはなかった。
見方によっては、
「よほど、被害者に対しての恨みからなんじゃないか?」
と思われるような、いくつかの傷であった。
あれだけ一撃で殺傷能力のあるだけの力があるのだから、当然相手が致命傷を負っているのは分かっているだろうに、なぜ後から申し訳程度と言ってもいいほどの傷をつける必要があったのか? 何か一撃で殺せるだけの人間が犯人ではないということを言いたかったのか。どちらにしても、その部分は疑問だったのだ。
だが、ここで疑問が残ってくる。それは、
「致命傷になった傷が、本当に最初の一撃だったのか?」
ということである。
なぜかというと、被害者の身体にはナイフが刺さっていた。その傷口が致命傷であり、他の傷がついているということは、他の傷をつけた後で、もう一度致命傷の傷口にナイフを突き立てたということか?
それは考えにくい。致命傷が最初の一撃だったということは解剖結果から見ても分かることだった。
だとすると、他の傷をつけるためにナイフを一度引き抜いたとすれば、まわりに血が散乱しているはずである。返り血も浴びただろうし、あたりが惨状になっていていいはずだ。
その証拠に、警察も最初に現場を見た時、
「ナイフで刺されているのに、殺人現場はきれいなものだ。大惨劇になっていても仕方のないことなのに」
と思うと、案の定、身体にナイフが刺さっていたことで、納得のいくことだったのだ。
それなのに、身体に余計な刺し傷があることで、さらに分からなくなった。
「犯人は一体、どのようにして、被害者を刺したのだろう?」
という疑問が残ったのだ。
ちなみに、ナイフには余計な指紋はついていなかった。本来ならついているはずのナイフを買ったのだから、店員さんの指紋がついていてもいいだろう。
ということは、犯人が一度はナイフの指紋を拭き取ったということだろう。
今回の犯罪では犯人は手袋でもしていたであろうから、それも当然だ。そういう意味では、していた手袋に血がついているかも知れない。犯人がいまだに持っているかどうか分からないが、犯人の性格から、まだ持っているような気がしていた刑事も多かった。
今度の事件で、捜査していく中で分かったこととして、まずは、被害者の身元だった。
これに関してはいきなりすぐに分かった。なぜなら、被害者のカバンの中から、定期券も、運転免許証も、健康保険証も出てきたからだった。
これは、第一の犯罪との一番の違いだったと言ってもいいだろう。
被害者の名前は、斎藤優美という。彼女の家は、ちょうど、殺害された日にイベントをやっていた会場の近くで、都心部に会社があることで、杭瀬の降りるバス停と同じところで降りてから帰宅することで、彼女もそこを通勤路にしていることから、あそこに彼女がいたことは、不自然でもなんでもないことだったのだ。
ただ、杭瀬と出会わなかったのは、杭瀬がいつも同じバスに乗るのと同じで、彼女も毎日同じバスだった。しかも、一台前のバスということで、一台違いというだけで、これほど二人が遠い存在だったというのも、それだけ二人が律義な性格だったということだろう。
しかも、仕事はそんなに忙しいわけではなく、二人とも会社を定時に終わって事務所を出れば、乗車するバスは、このバスになるのは自然なことだといえるほどだったに違いない。
二人の間に存在するのは、
「交わることのない平行線」
だったのだ。
もし、どちらかのバランスが崩れて、一度くらい出会うことになっていれば、杭瀬は憶えていかかも知れない。それくらい殺された女性は特徴的で、杭瀬にとって、好みの女性だっただろう。
そう思うと、この間の被害者である記憶を失った女も、同じように、ニアミスをしていたのかも知れない。
前のバスということは、殺された優美という女とは毎日のように会っていたのかも知れないと思うと、感慨深いところがあると言ってもいいだろう。
そのことについては、警察も考えていた。
捜査員を派遣し、いつも杭瀬が乗るバスの一本前に乗って、聞き込みを開始していた。
被害者の写真と、記憶喪失の女性の写真を、乗客に見せて、
「この二人をご存じですか?」
と聞いて回っていたのだ。
中には、二人とも覚えている人もいたこと、そして、二人が時々話をしていたことなどから、
「二人は知り合いなのではないか?」
という話を複数聞くことができた。
ただ、同じ会社ではなさそうだということと、昔の話を時々することから、二人が学生時代から知り合いだった可能性もあるというのを、匂わせたのだ。
そう思った刑事は、被害者の写真を持って、記憶喪失の女性のところに話を聞きに来た。もちろん、記憶喪失の相手ではあるが、病気だということもあり、
「被害者が殺された」
ということは言わなかった。
ただ、
「この女性なんだけど、見覚えあるかな?」
と聞いたが、分からないというだけだった。
だが、この質問は却って彼女の中に疑惑を芽生えさせたようで、
「どうして、彼女の写真なんですか? もし、私が知っているかも知れないと思う女性だったら、直接連れてくるんじゃないのかって思ったんだけど」
と、彼女は相変わらずの高飛車であった。
相手が警察であっても、容赦のないところが、彼女の潔さを思わせて、それは記憶喪失という特殊な状態から来るものだというよりも、彼女の持って生まれた性格なのではないかと思えたのだった。
刑事も、捜査や相手の感情を読んだり、性格を考えたりするのは、職業柄、得意であった。
「彼女は、記憶喪失でなくとも、あまりウソをいうタイプではないんだろうな? ただ、記憶を失っていても、自分の中で絶対に譲れない結界のようなものがあって、その覚悟を彼女の中で全うしているのかも知れない」
と、刑事は考えた。
ただ、彼女は文句は言ったものの、すぐに、
「覚えていないですね」
と一言言った。
警察のやり方に疑問を感じながら、ウソが言えない性格である彼女の、実に彼女らしいところだと言ってもいいのだろう。
刑事は、当然医者に彼女の記憶について再度訊ねてみた。
「本当にまだ記憶が戻っていないんですか?」
と、少し焦っているのか、切羽詰まって聞いてみた。
刑事からすれば、それはそうだろう。一度事件が起こっておきながら、最初は未遂で済んだのに、今度は別の人が殺されてしまった。もし、これが通り魔のような連続犯であったとすれば、確実に警察の落ち度である。
問題は、この事件が連続事件だったという大前提のもとに、犯人を見た場合、この犯人がただ、異常性癖のようなもので、殺意などなく、ただ女性を傷つけるだけで快楽を覚えるような人である可能性と、本当に凶悪犯で、最初の彼女に対しては、何か予期せぬ出来事があって、殺すまでには至らなかったなどという場合である。
もし、凶悪犯だとすれば、最初の事件で、被害者を殺さなかったのは、何か理由があるのかも知れないということであった。
たとえば、ナイフで刺そうと思って、一度刺したが、致命傷に至らず、そのまま倒れこんで、どこかで頭でも打ったかの知れないというパターンである。そうであれば、犯人はその時、彼女が死んだと思い、それ以上はしなかったとも考えられるし、記憶を失ってしまったのは、その時のショックが原因かも知れないというものだった。
ただ、医者の見立てとしては、頭部の外傷はないという。もちろん、死にいたるまでのケガではなかったとして、記憶喪失も頭を打ったことというより、襲われて、頭が、地面で軽く跳ねる程度だったとしても、揺さぶられたことがショックとなって、記憶を失うことだってあるだろう。
逆に医者が見たのは、あくまでも表だけであり、外傷が最初からなかったという自分の初診を自分で信じ込んでしまい、思い込みが離れることはなかったとすれば、記憶を失って、本来なら、そろそろ戻ってきてもいい記憶がいまだに回復していないというのも分かるというものだ。
また、もう一つの可能性として、本当は意識が戻っていて、まだ戻っていないふりをしていたのだとすれば、記憶の有無は本人にしか分からないということを逆手にとって、彼女はまわりを騙し続けているのかも知れない。
その場合は、最初から記憶喪失はウソだったということになるわけだが、なぜ、そんなウソを彼女がつかなければいけないのか。そのあたりが一番の問題になるであろう。
戻っていないという記憶が本当なのかどうなのか?
そして、彼女がウソをついていないとして、戻っているはずの記憶が戻らないのはなぜなのか?
さらには、記憶を失った原因がどこにあって、記憶が戻ってもいいはずなのに戻っていないのだとすれば、彼女の中に闇があるのではないだろうか?
刑事はそんないくつかの可能性を考え、一つ一つ潰していこうと思っていたのだった。
今度は犯人が、凶悪犯ではなく、ただの変質者のようなものであるとすれば。二人目の殺人は説明がつかない。
もし、変質者で、殺人までは行き起こすようなことは考えていなかったとしても、変質者ゆえに、女性を見ると、当然、ムラムラくるだろう。そうすると、相手によっては、
「この人を独占したくなった」
あるいは、
「こんなに美しい女性を見たことがない。自分だけのものにするためには、殺すしかない」
などという妄想に取りつかれたとすれば、
「犯罪を犯すつもりでも、傷つけるだけが目的だったはずが、相手の魅力を独り占めしたいという感情から、相手を一思いに殺す」
という感情も出たとして不思議ではない。
そうなると、とどめ以外の傷の説明はつかないのだが、それも、精神的に狂っている状態だったとすれば、分からなくもない。
ただ、この場合も、ナイフの位置などから考えて、不思議なことは残るのであるが……。
この時の犯罪者の心理として、
「耽美主義」
を思わせる。
つまり、
「美というものが、秩序や道徳に最優先する」
という考え方で、その考え方に従えば、
「犯罪至上主義」
という考えも成り立つだろう。
こうなると、事件は、猟奇殺人ということになり、心理学的な様相を呈してくる。表面上の事実だけで、捜査をしていると、見誤ってしまうのではないかということである。
そして、次なる大きな問題は、
「第一の被害者と、第二の被害者に共通点があるかどうか?」
ということであった。
さらに、この二人に共通点がなく、猟奇的な要素が犯行の動機だとすると、警察は真剣に捜査に当たらなければならない。なぜなら、第3、第4と、犯人を逮捕しない限り、その危険性が高まるということである。
しかも、そのせいで、市民生活が大いに脅かされるわけである。
「このあたりに連続通り魔が出没するらしいわよ」
などと言ってウワサになると、マスゴミはこぞってやってくるだろう。
やつら得意の、あることないことを、面白おかしく書きたてて、警察の権威は完全に失墜することになるだろう。
「犯人は、無能な警察をあざ笑うかのように、次々と犯罪を重ね、市民生活は、恐怖のどん底にあります」
などと書かれたり、レポートされでもすれば、他の署からも、
「警察組織の恥晒し」
などと言われかねないだろう。
「同じ警察組織で、そんなこというわけはない」
などと思っているお人よしもいるかも知れないが、警察だからこそありえることなのである。
警察組織というのは、典型的な縦割り社会で、横は、縄張り意識が強く、署同士で仲がいいなど、聞いたことがない。同じ署内でも、部署同士仲が悪いこともあるだろう。ただ、これに関しては、一般の企業でも同じだ。
「営業と管理部門では、往々にして仲が悪いというのは当たり前というものだ」
と言われていたりするだろう。
ただ、今回の事件では、完全に警察は不利である。最初の殺人未遂事件を解決できないまま、同じ場所で、今度は本当に殺人事件が起こったのだ。市民はきっと恐怖におののいているに違いない。
警察も、こうなってしまうと、第一の犯行もゆっくり捜査するというわけにはいかない。そうなると、第一の犯罪の捜査において、一番解決しなければいけないことは、
「被害者の身元を確定すること」
である。
なんと言っても、第一の犯罪と第二の犯罪がつながっているのかいないのか、それが問題である。そうなると、被害者同士の関係、そして、被害者同士の共通点、あるいは、共通で憎まれている相手など、いろいろ分かってくると、これが怨恨による犯罪なのか、それとも、変質さhによる猟奇的な犯行なのかということが分かるに違いない。
それによって、市民の恐怖の度合いが完全に変わってくる。
被害者が怨恨によるものであると分かれば、少なくとも、狙われるであろう相手は限定される。しかし、通り魔の犯行だと分かると、逮捕されるまでは安心できない。いや、逮捕されても安心はできない。何しろ、この手の犯罪は、絶対にマネをしようとする、模倣犯なるものが出てくる場合が多いからである。
理由は分からないが、
「犯罪の連鎖反応」
のようなものがあり、犯行が関連性はなくとも、繰り返される場合がある。
それも、犯人が捕まらない場合、
「すべての犯行を、最初にやったやつにおっかぶせることもできるだろう」
という単純な考えである。
犯人がこれから犯行を犯そうとする人にも分からないのだがら、アリバイ工作などしても無駄である。相手に完璧なアリバイがあるかも知れないからだ。
しょせん、模倣犯というのは、二番煎じなのである。
「自分がやろうと思っていたことを先にされただけだ」
などと思っているやつは、しょせんは意気地なしで、計画性もあったものではない。
そんなやつは、すぐに捕まって、下手をすれば、やってもいないことをやったかのように警察に攻められ、下手をすれば、やってないことを白状させられてしまうことになりかねない。
「自分の罪を相手になすりつけよう」
などと思わないやつは、自分が同じことになるというブーメランを想像もしないに違いない。
正直その程度の意気地なしに、高度な犯罪などできるはずもない。できるとといえば、捜査をひっかきまわして、警察の捜査の妨害をしたり、主犯が動きやすいようにアシストしてしまうことになったりと、自分で犯罪を犯すよりも卑劣で悪質であり、しかも意気地なしという、
「まったくいいところのない卑劣な男」
として、完全に社会から孤立してしまうことになるやつなのだろう。
誰もが、
「こんな男は自業自得でしかない」
と思われるだけなのだ。
警察も必死になっているが、なかなか捜査は進展しない。第一の被害者が誰なのか、捜索願からも、なかなかそれらしい人が見つからなかった。警察も最初は、余裕があったので、そんなに焦りはなかったが、被害者の記憶が戻らないことに、苛立ちと、さらには、
「彼女が何かを隠しているか、あるいは、話をできない何かの理由があるのかも知れない」
と思うようになったのだ。
そうなると、警察も苛立ちが隠せない。これまで被害者だとばかり思っていたが、次第に、彼女に対しての疑惑も持ち上がってくるのだ。だが、その疑惑というのは確証のあるものではなく、捜査が進展しないという苛立ちから、藁にも縋るという意味で、彼女を、まるで仮想敵のように感じているのかも知れない。
だからと言って、勝手に犯人扱いもできない。ただ、どうしても、真犯人像がまったく見えてこないのだから、それも仕方がない。
ただ、この警察の考え方も、別に悪いわけではない。手がかりが見つからない以上、考えられる、あらゆる可能性に捜査を広げるというのも大切なことである。
そもそも、警察捜査というのは、証拠や聞き込みから、集めてきた情報を元に、考えられる可能性を考慮して、推理をする。それによって、決まった捜査方針から、容疑者が確定していなければ、容疑者の確定を急ぎ、さらに、確定すれば、犯人を追い詰めるだけの証拠を探すことで、事実を明らかにする。
それが、警察の仕事であり、捜査の、
「いろは」
なのだろう。
そういう意味で、
「消去法による捜査」
というものが、一番犯罪捜査には必要なのではないだろうか。
そういう意味で、今はまだ、犯人を特定できるだけのものがまったくない。問題になる動機も分かっていないし、この二つの事件が、本当に関連のあるものなのかすら分かっていないではないか。
逆に言えば、この事件がそれぞれに関係があるということが分かると、事件解決までは思っているよりも早いかも知れない。
犯人側とすれば、この二つの事件の共通点を警察が見つけてしまうと、その時点で、動機も確定するのではないかとも思えたのだ。
かなり楽天的な考えでもあるが、刑事たちには、最初の犯罪で、被害者が殺されなかったことが気になっていた。
記憶を失うほどのショッキングな事件であるにも関わらず、被害者の肉体的な被害は、ナイフで刺されたと言っても、別に絶命するほどの傷ではないという。それなのに、第二の殺人では、まるで狙いすましたかのように、心臓を一突き、これが致命傷だというほど、まるでプロの犯行のようではないか。
犯行手口は同じだか、そのレベルにおいては、
「天と地ほどの差がある」
と言ってもいいくらいである。
それはまるで、素人の空き巣と、プロの泥棒くらいの差だと言ってもいいのではないか。まったく無計画で、押し入りの方法だけ知っていて、侵入してみたはいいが、押し入ってみると、誰もいないと思っていた部屋の中に住民がいて、密かに警察に通報され、御用になったと言ってもいいレベルである。
だから警察も第一の犯行の犯人に対しては、
「素人の犯行っぽいので、すぐに犯人は分かるだろう」
と思っていた。
そういうやつはえてして重要な証拠を残したりしているからだ。それが、被害者に顔を見られたとかそういうことだろうと思っていた。
しかし、思いがけず、被害者が記憶を喪失していた。そのため、計画がすべて狂い、しかもその間に、本当の殺人事件が起こってしまった。そして、案の定、警察の権威は失墜し、どうにもならなくなってしまったと言ってもいいだろう。
確かに警察の甘い考えと、捜査がいつものごとく、後手後手にまわることで、犯人特定どころか、市民に絶大な不安を与えてしまったという意味で、マスゴミなどが煽ることで、大きな社会問題になっている。
他の地区でも通り魔が増えてきたようで、模倣犯の様相を呈してきたのだった。
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