水面に足をつけて

Rokuro

水面に足をつけて

これは、飽和した物語の始めだ。

彼らに名前も無ければ、彼らのその先は描かれない。

誰もが見た最初であり、誰もが考える最初だ。


これは、飽和した物語の始めだ。



町の周りには、大きな森があった。

森にはたくさんの魔物がいるから入ってはいけないよ。

入れるのは月がてっぺんを20回、お城の先に登った時だけだ。

子どもたちは幼いころからそう聞かされてきた。

月が城の塔の先を指し示す時、町からは子供たちが眺め、数字を数えるのだ。

子どもたちの手元には1つの板があり、1から20の数字が書かれている。

その数字を全て塗り潰すことが出来れば、晴れて町の外に出ることが出来る。

再発行は出来ない。生まれた時に1人1個もらえるのだ。

守れなかった子供は、何処か怪我をして戻ってくることが多かった。

この物語の主人公である少年は、早く外に出たくて仕方なかった。


町での暮らしは悪くないものだ。

月がてっぺんを指し示す前日にはキャラバンがやってきて見たこともないものを売ってくれる。

中には魔法を見せてくれる者もいた。

煌めく星のような淡い光が突然集まり、大きな火になったり。

中央広場の噴水の水が巨大な魚の形になったり。

時には風の精霊を呼び出して小さな竜巻を起こしたり。

町の外にはたくさんのわくわくがある。

少年はそう考えると1日でも早く外に出たくてたまらなかった。


「僕は外に出て、たくさんの魔物と戦うんだ」

少年の口癖は、いつもそうだった。

外に出た勇者の冒険談に憧れた。

「私は魔法使いになるの」

「俺は格闘家!」

友達は口々にそう言って夢を語る。

少年も夢を持つ1人だ。

この町の衛兵で終わりたくない。

町から出ていって、物語を作る。

それがいつしか、子供たちの「夢」になった。


今日は、何回かに1度の月が城の塔のてっぺんに差し掛かる日。

みんな中央広場に出て数字を塗り潰していた。

今日は少年にとって10回目の塗り潰しの日。

例にもれず、少年も塗り潰していたのだが。

「あっ!」

びゅん、という派手な音を立てて何かが眼前を通った。

一瞬の出来事に恐怖を感じることも出来ず、驚くことも遅かった。

少年は自信の手のひらを見た。

無くなっている。

数字の板が消えていたのだ。

恐らく、先ほどの何かが取って行ったのだろう。

「どうしよう」

あれがなければ、20回目を数えられない。

少年は何かが通って行った先を見た。

そこには、ウサギのような生き物がピョンピョンと跳ねていた。

「あっ、待て!」

ぞろぞろと帰っていく子供たちを掻き分け、少年は何かが通った先を追いかける。

生き物は驚いたのかどんどん町の外壁の方へと逃げて行った。

少年は見失わないように走り続ける。

町の大きな壁が見えてきた。

追い詰めた、と思った矢先だった。

生き物が体躯を縮ませ、何処かへ消えてしまったのだ。

驚いた少年は壁まで走った。

すると。

「こんなところに穴があったなんて……」

草に隠されたように、外壁が一部壊れていたのだ。

穴はそこまで大きくなく、少年屈めば潜れそうだった。

少年がそっと穴から先を見ると、先ほどの生き物はぴょんぴょんと跳ねていた。

どうやら町の外へと逃げたのだろう。

少年は考えた。

町の外には出てはいけない。

けれど、アレがないと20回の証明が出来ない。

外に出ることも出来ない。

「こっそり戻ればいいよね……」

少年は意を決して、穴を潜り抜けた。


暗い森の中、あの跳ねる生き物だけが輝いていた。

とても分かりやすい。

少年は必死に走った。

真っすぐ走れば大丈夫。

元の場所に帰れるはずだ。


月の光すら溢れない。

木々は手を握り合い空を覆い隠す。

少年に恐怖は無かった。

あったのは焦りだけだ。

走り出し、走り抜け、走ることだけを考えた。

いつしか生き物に近づいていた。

少年が手を伸ばす。

「捕まえた!」

生き物の耳を掴む。


その時だった。


眼前が開けた。

大きな月が、何にも遮られること無く天で輝いていた。

眼前に広がるのは大きな湖。

月光を反射し、キラキラと煌めいていた。

しかし、少年の目にはそれらなど映っていなかった。


湖の沖の方で、誰かが踊っていたのだ。

それは、長い銀の髪を波のようにうねらせ。

美しい百日紅のような四肢は空を撫で。

まるで陶器のようなその素肌は月光で煌めいている。

晴れた空、絵で見た海よりももっと深い青の瞳は物憂げで。

その頬と唇は桃の花の色をしていた。

特に目立つのは、その尖った耳だろう。

その姿は美しい全裸の乙女だ。

「森の、民」

少年は、そっと口にしていた。


森の民。

それは森の中に住むと言われる古の種族だ。

世界は大きな樹木だ。根っこは繋がっている。

彼らは森と呼ばれる場所に住み、どの世界の森にも行くことが出来る。

森の民の役目は森の浄化。

故に、森の民の住む森は美しい森だと言われている。

しかし、それは森の民以外が考えた「逸話」でしかない。

本来の彼らがどういう存在なのかわからない。

今はただ。

眼前の乙女が月と水と踊っていた。


美しいつま先が、水面を爪弾く。

その度に溢れ、弾ける雫が煌めく。

指先に触れた水は、さらに細かく弾ける。

少年は、ただ、その様子を、時を忘れるほど見ていた。


「ギィィイ!」

手元で何かが鳴いた。

例の生き物だ。

ハッと我に返った少年は生き物の手から板を奪い取り解放した。

慌てたように生き物は無我夢中で森の中へと消えていった。

安心したのもつかの間だった。

声を出してしまったことで、森の民の動きが止まってしまった。


「あ、あの、ごめんなさい!」

少年は必死に謝った。

何で謝っているのかは分からない。

けれど、謝ったら許してくれるかもしれない。

生きて帰れるかもしれない。

そんな、怯えの意識からだった。

頭を深く下げ、森の民の返答を待った。

音がしない。

いなくなったのか、そう思い少年が顔をあげると。

その美しい瞳が眼前にあった。

「うわああ!」

驚きの声をあげた少年に、森の民はクスリと笑った。

「ひとのこ、はじめてみた」

ふふ、あはは。

陶器人形のような顔が壊れ、人のような柔らかさを持つ。

「お、怒ってないんですか」

「おこる、わからない。わたし、おどってた、だけ」

森の民はそっと、少年の手を握る。

その手のひらは、とても冷たくて、人の物ではないことが分かった。

でも、不思議と怖くない。

森の民はニコ、と優しく微笑む。

少年も、無意識にその手のひらを握り返していた。



これは、何処にでもある、他愛のない物語の始まり。

いつしか世界を救う「勇者」と「世界樹」の物語は。

ここから始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水面に足をつけて Rokuro @macuilxochitl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ