第2話 部室にて
「あら、今日は来たのね。日柳君」
教室に入るなり、そう声がかけられる。
教室には長机が2つ並べられ、上に茜色のテーブルクロスが敷かれている。
机には透明なティーポットが置かれ、朱色に透き通った紅茶が湯気を立てる。
傍に焼き菓子が3つ、置かれていた。
マフィン形の焼き菓子だ。
「よ。今日は誰か来たか?」
まあ分かり切った質問だったが、お決まりのようになんとなく聞く。
「いや、誰も」
本から目を上げずに淡々と返された返答に、恒常的な雰囲気を感じる。
リュックをロッカーに置き、席に着く。
ティーカップに紅茶を勝手に注ぎ、一口飲む。
コーヒーに牛乳や砂糖を足すのが苦手な俺は、紅茶もストレートだった。
…まさか、ブラックがカッコいいからとか吐かす訳では無い。
半端に苦いのが逆に苦手なだけだ。
紅茶のストレートに関しては、単に味の好みがストレート好きだったと言うだけだが…。
閑話休題。
ゆったりとした、意味もなく優雅な空気感に身を任せて紅茶を飲む。
軽やかに吹く雨上がりの風が、窓をカタカタと揺らす。
五月女は…本を黙々と読み続けていた。かなりの速さで。
…何読んでんだ?
………『ハムレット』……。
自分とのセンスの差の様なものを否応なしに感じてしまう。
タイトルと大まかなあらすじしか知らない俺は、そこに触れる事はできず、センスも何も別ベクトルですらある、愛読書の『お手軽あさごはん』を読むしかなかった。
そうして、静かにページを捲る音だけの時間が訪れる。
思い出した様に紅茶を飲みながら、時間が進んでいた。
「…ところで日柳君」
本を閉じて机に置き、唐突にそう話しかけられる。
「お?」
「いつ死にたい?」
……成る程。唐突に殺意を露わにされたのかと内心焦ってしまったが、どうやらそう言うことでは無いらしい。
「いや言い方が怖えよ…。……要は、どれだけ長生きしたいかみたいなことだろ?」
ええ、と首肯する。
語弊ありまくりだな……。
にしても…いつ死ぬ。ねえ…?
それこそ、何歳まで生きたいとかだったら答えようがあったかもしれないが、『いつ死にたい』かと聞かれると言葉に詰まらざるを得ない。
表裏一体のような気がして、だいぶ意味が変わって来ると言うものだ。
単にワードセンスと言うだけかも知れないが、もし意図してそこを変えていたのなら、賢しいと言うか何と言うか。
「まあ…天寿を全うするのはあくまで理想だとしても、できるだけ長生きはしたいな。具体的には……80代前半くらいまでは生きたい」
我ながら、かなり月並みな答えだ。
しかし、月並みに答えようと意識した訳では無く、あくまで本音なので仕方がないだろう。
「へえ、天寿を全うしたいだなんて。模範的ね、羨ましい」
こ、この野郎……。
しかし、そう思う反面、何か言い返す事は出来なかった。
台詞だけ見れば毒突く様な性格の悪い言い回しに見える。だが、天寿を全うしたいと言う俺の台詞が本音であった様に、彼女が羨ましいと言ったのに、感情がこもっている様に感じてしまったのだ。
「そう言う五月女はどうなんだよ?」
「私は勿論、60代前半辺りで苦痛を感じる間も無く即死したい」
何が勿論なんだ……。
「だからいちいち発想と言い回しが細かく怖えっての……。即死ってなんだよ即死って…。…安楽死とかで良いじゃねえか」
「細かいな…。細かいことを逐一気にしてる様なヤツは孤独死するよ?」
……ほっとけ。
やっぱり、本音とか関係無くただの怖い女ってだけなのかも知れない。
「今んとこ結婚願望なんてねえよ…。そもそも、自分自身の人生が微妙な状態でそんな呑気な事考えられるほど、心太く無いわ」
「ふうん。私も無いわね。……そう言えば、こう書いて何て読むか知ってるわよね?」
五月女がメモ帳に「心太」と書いて見せて来る。
会話の流れで思い出した様だ。自信満々に分かり易くマウントを取りに来ているな…。
「あー…ところてん?」
「チッ…」
「こ、こいつ…」
悪びれもせず舌打ちしやがった…。
良い性格してんぜ……マジで。
「……じゃあ、こんにゃくって漢字で書けるわよね?」
「あー…………無理」
書けそうで書けないラインだ。
「…え?書けないの?マジで⁉︎書けないの⁉︎日柳君!」
「う〜うぜっ…」
途端にわざとらしく目を輝かせ、サラサラと「蒟蒻」の2文字を書き、ぐいぐいとそのメモ帳を押し付けるように煽って来る。
人を煽り散らす時だけ声張りやがって…!
先程までの、優雅と言えなくも無い空気感が嘘の様である。
まあ、こっちの方がやりやすいと言えなくも無いが。
「はは、良い気味」
「楽しそうで何よりですよ……」
そう肩をすくめ、茶菓子に手を伸ばす。
「今日は…何だ?マフィン……?」
「ええ、駅前に新しくできたお店とからしいわ」
「へえ、校長が買って来たとかか?」
うん。と頷きながら五月女もマフィンを手に取る。
「あの辺りも小洒落た雰囲気になったわね…」
「………」
何だか、歳喰った様な言い回しだなー…
「口に出てるわよ、殺すわよ」
「すいませんでした」
できれば、ティーポットを置いて下さい。
火傷+ガラス破片+衝撃ってなかなかの凶器だと思うぞ…⁉︎
それにしても、普段の大袋入りのチョコとかに比べるとなかなか単価が高そうだ。
ありがたく頂くとしよう。
そうして、しばしの間マフィンを楽しむ。
バナナ主体の程よい甘さが、紅茶と良く合った。
「残った一個。今日はどうする?五月女さんよ」
「どうしましょうかね?日柳君」
そう言いながら五月女は立って、がちゃがちゃとロッカーを漁る。
どうする…と尋ねたのは、勿論どちらが得るか、と言う意味もあってのことだが、どちらかと言えばその手段を尋ねた。
その問いに対しての五月女の答えは、縦横8マスの盤上遊戯。
「今日はこれで勝負しましょう」
チェスだった。
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