第6話 早苗のこと

 翌日になると、どうやら想定していたよりも気温が上がったのか、それとも、油断があったのか、村の奥で雪崩が発生し、学校に一気に雪崩が流れ込むという事態になった。最近では、さらに過疎化が続き、小学校、中学校が一つの校舎にて学ぶという状況だった。小学生、中学生を合わせても、50人程度と、都会でいえば、一学年の中のさらに一クラス分よりも少し多いというくらいであろうか。

「俺がいた頃はもう少しいたと思うんだけど、やっぱり過疎化の波は想像以上だったんだな」

 と、いまさらのように飯塚は話していた。

 校舎と言っても、昭和の学校そのままで、話を聞くと、建て替えなど、昭和からしていないという。ほとんどが老朽化したところを、その部分だけ手直ししていた程度だといい、村の役場も似たような建て方だというので、本当は呆れかえるのだろうが、それだけ村に金がないということであろう。

 それでも何とかやってこれたのは、自給自足のノウハウを持っていることと、この村でしか取れないという、作物があったからだという。見た目は普通の八百屋などでみられる野菜と変わりはないが、味はまったく違っているということで、この作物を盛岡の会社に持っていくと、通販を通して、全国に出荷できるということだった。

「知る人ぞ知る、岩手の秘境の野菜」

 ということで、主婦層の間で大人気で、全国からの注文がひっきりなしだという。

 その作物はなぜか、村にしか生息せず、他の土地で育てようとすると、見た目も、味も、全国で食べられている、

「どこにでもある野菜」

 としてしかできないのだというのだ。

 この秘蔵ともいえる野菜であるが、ここでしか採取できないからと言って、そんなに高価なわけではない。全国の主婦で有名になったのも、

「お値段がお手頃なところ」

 だったのだという。

 やはり、過疎地で人口が減ったとしても、村として何とか持っているには、それなりに理由があるということであろう。

 今まで何度も、他の街との合併話もあったようだが、断固としてこの村の長が拒否してきた。

 昭和の市町村合併、平成の市町村合併を重ねることで、日本に村がどんどんなくなっていった。そんな中、残った理由に、先ほどの名産や自給自足という理由の他には、この村が盆地になっていて、他の地区とは隔絶させていることだった。

 かなり高い位置からの峠を超えるので、ほぼ山越えに近い形で孤立しているところなので、この村を自治体の一部として扱うことに、難色を示し始めるのである。

 つまり、合併を考えている方が、次第にトーンが下がってきて、最後には断念するという形で、こちらが断固拒否と言っても、そこまで強く拒否をしなくても、最終的に相手が諦めるというのが昔からの流れだった。

 こちらの村としては、それらの合併話の内容は資料として残っているが、断念した方は、断念したことで作成していた資料を破棄しているのだろう。だから、何事もなかったかのように、性懲りもなく、合併話を持ってくるのだ。

 過去の経緯を知っている村人は、

「またか」

 と思うのだが、結局そのバカバカしさと、知れている結果に対して何ら興味も示さない。

「どうせ、合併話なんかすぐに消え去る」

 ということで、意識すらしていないのだった。

 ただ、昭和のある時期、この村の奥にある池を、

「小規模なダムにしよう」

 という計画が持ち上がり、途中まで進められたことがあったが、結局は経ち切れになってしまった。

 理由は、その土建屋が倒産してしまったことにあるのだが、村では、その後、雪崩対策に独自の計画で、ダムとまではいかないまでも、堤防のようなものを作ることで、今のところ、被害は最小限に食い止められているのだった。

 その時だけは、盛岡の企業が参加しての開発だったが、村が本当にgay差的だというわけでないことを証明した一例だったのだ。

 小学校の方の被害は、それほどでもなかったのだが、翌日、学校関係者や村の駐在とで、被害状況の確認を行っているところで、雪が崩れたあたりから、一体の死体が発見されたということで、センセーショナルな話題が巻き起こった。

 遺体は完全に白骨化されており、警察の捜査員や鑑識が入り、さらに少ないとはいえ、マスコミも入ってきた。

 ほとんどマスコミなど来る村ではなかったので、それだけで、村人のウワサは絶えなかったようだが、白骨死体だということで、それほど大きな問題にはならなかった。

 白骨死体の身元を判別するものはほとんどなく、死亡推定時刻など分かるはずはなかったが、腐乱状態から、5年は経過しているのではないかというのが、鑑識の鑑定結果だった。

 村人には該当する人物はおらず、自殺なのか、他殺なのかもわからなかった。そのうちに騒ぎも収まってきたのだが、駐在が付近を捜索していると、一つの手のひらサイズの金属でできた四角い缶が見つかったのだった。

 だいぶ錆びついていたが、テープで厳重い封がされているのを見ると、駐在が不振に思い開けてみると、そこには、ノートや手紙、さらには子供のおもちゃのような、普通の人には、まったく興味もないものが埋まっているというだけのことだったが、一番上にあった手紙に書かれている文句が見えた。そこには、

「10年後の私へ」

 と書かれているのを見ると、どうやら、当時の子供たちが埋めた、タイムカプセルであることが判明した。

 だが、その中をさらに改めてみると、タイムカプセルにはまったくふさわしくないものが入っていたのだ。それはなんとナイフであり、泥で汚くはなっていたが、タオルで拭ってみると、そこまで古いものではないと思われた。

 このタイムカプセルがいつ埋められたものなのかというのを探るため、中を物色していると、そこに書かれている名前の一つに、

「行橋早苗」

 という文字があった。

 もちろん、駐在は早苗のことを知っている。今年、25歳なので、これが埋められたのが中学時代だったとすれば、ちょうど10年が経過している。駐在の方も、

「このタイムカプセルは、10年が節目だとすれば、そろそろ掘り出す計画があったのではないか?」

 と考えた駐在はさっそく、早苗を訪ねてみることにした。

 その間に問題のナイフは鑑識に依頼し、使用されたかどうかというのも含めて、調査してもらうようにした。駐在とすれば、なるべくこのナイフが出てきたことは伏せたうえで聞いてみようと思ったのだ。一応、警察署の刑事課にも話はしておいたが、

「それだけでは事件性があるかどうか分からない。とにかくナイフの鑑定結果が出なければ、動くことはできない」

 ということであった。

 ちょうど出てきた白骨死体とのかかわりもあるので、刑事課の方でも気にしておくようにしていた。だが、白骨が誰であり、自殺なのか他殺なのか、それとも事故か何かに巻き込まれたのか、それによって、動きが決まってくるので、今のところは、死体の身元調査だけが頼りだったのだ。

 駐在は、とりあえず、行橋早苗を翌日訪れてみた。ちょうど、早苗が仕事が終わってバスで帰ってきているところをちょうど捕まえる形になったのだが、家まで押し掛けるのは、「事件性があるわけでもなんでもないので、控えておくべきだろう」

 ということで、バス停で待っていて、あとでいいので、駐在所に来てほしいと言った。

 すると、彼女は、別に驚きもせずに、

「いいですよ。このままお供します」

 というので、さっそく表のところでは目立つので、駐在所の奥の部屋で、事情聴取ということになった。

「すみません、お呼び立てして」

 というと、

「この間の白骨死体の件ですか?」

 と、彼女だけでなく、普通なら誰もがそっちのことだと思うだろうことを聞いてきた。

「あ、いえ、そうじゃなくて」

 と言って、おもむろに缶を取り出して机の上に乗せると、

「これに見覚えはありますか?」

 と聞かれたが、分かる部分は錆びついてしまっていて、そこにあるのは、ただの錆びついた金属の匣というだけのことだった。

 そう聞かれた早苗は戸惑った。当然見覚えはある。しかし、それを、

「見覚えある」

 と答えてしまうと、警察が聞いてくることだから、何かの犯罪に関係のあることの可能性は高い。

 それを分かっていて正直に答えるのは、リスクが大きい気がした。

 だが、答えない場合、後になって、他の人の証言などから、早苗も知っているはずだという内容のことを告げられると、最初に聞かれたのに、ウソを言ってしまったことになり、言い訳ができなくなるだろう。

「すみません、忘れていました」

 という言い訳は、その場しのぎという意味では通用するかも知れないが、容疑という意味では限りなく怪しいと思われても仕方がないだろう。

 早苗の性格からすれば、

「後で分かってそれを後悔するくらいなら、最初から知っているということを自分から名乗る方がいいに違いない。自分に対しても潔し、自分が相手の立場であれば、一度ウソをつかれてしまうと、それ以降何を言われても信用できないだろう」

 と思うからであった。

「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」

 というのが、彼女にとってのモットーだった。

 だが、逆に考えると、

「どうしても恨みを晴らしたい相手がいたとして、どういう行動をとればいいかということを考えた時、思い浮かぶのが、自分がされて嫌なこと」

 だったのだ。

 それは、何も早苗に限ったことではないだろう。早苗にとって嫌なことは、きっと他の人でも同じだと考えるのは、少々勝手だとは思うのだが、それは、自分も結局はその他大勢と一緒ではないかと思うからだったのだ。

 早苗は実は、飯塚のことを、憎からずと思っていた、どちらかというと、好感を持っていた。

 どこに対しての好感なのかというと、飯塚が、

「他の人と同じでは嫌だ」

 と感じているところだと思っていた。

 早苗にもそんなところがあり、それを異端的だと思っていて、それ以外はほとんど皆とほぼ同じだと感じるのは実に皮肉なことだと思っていた。

 だから、自分にはなくて、できないことを堂々とやっていて、そのくせ人望もありそうな、本当であれば、羨ましくて、そこが憎しみに変わってもいいはずの相手なのに、なかなか恨むこともできず、離れることもできないことに苛立ちを覚えていた。

 しかも、彼と必要以上に近づいてしまうと、せっかくの羨ましい性格が消えてしまうように思えてくるのが、早苗の中で、感覚として持っているところであった。

 だから、早苗は変に彼に近づこうとしなかったし、さらに、彼に誰も近づいてほしくないとも思っていた。

 今回、大学時代の友達ということで連れてきた川北に対しても、敵対心のようなものを持っていた。川北が女性に対して、鈍感なところがあるので、自分がそんな目で見られていることなど想像もしていなかった。

 だが、早苗が飯塚に興味を持っていることも分かったし、飯塚も早苗にかなりの思いがあるのも分かった。

 だが、今のところ距離はかなり遠くに感じられ、近づこうとしないのを、飯塚の方の考えだと思っていたのだが、実際に早苗の方の考えであった。

 しかも、早苗には矛盾した感覚があり、その矛盾がジレンマとなってしまって、二人の間がぎこちなくなってしまっていることに気づいていなかったのだ。

 早苗は川北に、余計なことはしないでほしいと望み、川北は、二人が結ばれてほしいと思い、さらに飯塚は川北の存在が早苗の中にある自分へのわだかまりのようなものを払しょくしてくれることを望んだのだ。

 三人三様で、それぞれに別のことを考えていたのだが、結局は、道は違えど、同じゴールを目指しているかのように思える。

 そのゴールがどこにあるのか、それぞれがどういう行動や心境を表に出せば、うまく行くのか、二人でも難しいのに、三人ともなると、なかなかうまくいかない。しかも、三人ということは、一歩間違えると三すくみになってしまい、いったん絡まってしまうとほどけ亡くなったり、三すくみの関係が成立してしまえば、誰も動くことができなくなってしまうのではないだろうか? そんなことを考えている時に、早苗に駐在がタイムカプセルを示した。早苗の最初に浮かんだのが、飯塚の顔だったというのも、前日のお願いからの続きなのかも知れない。

 早苗は、あの時、自分が何を書いたのかを思い出していた。

「そうだ、確か10年後には結婚しているかも知れない」

 と書いたような気がした。その中で、ひょっとすると、最悪のことになっていれば、相手が旦那であっても許せないというようなことも書いたかも知れない。

 あの頃の早苗は、今と違ってかなりの情緒不安定だった。友達と一緒にいても、皆と仲がいいというわけではなく、その中から本当に仲のよくなれる人を探しているという感覚だった。

 それが一体誰になるのか、その時ハッキリと分かっていて、その人が自分の結婚相手だということまで書いたような気がした。

 ただ、かなり情緒が不安定だったこともあって、書きながら考えがまとまらず、最初に書き始めた時の心境と、書き終わった時の心境ではかなり違っていたような気がする。

 最初の頃は比較的穏やかな気分だったはずなのに、書いているうちに精神的に不安的になっていって、次第に誰を好きなのか、勝手に妄想してしまい、それをまるで小説を書いているかのように書き綴っていたのだ。

「どうせ、10年後に開くんだから、完全に時効よね」

 と思っていたが、今から思えば、この10年間はほとんど変わっていなかった。

 要するに大人になれていないというか、あの頃がもうすでに成熟していたといっていいのか、ただ、身体は大人になっていた気がした。

 誰か大人の人に蹂躙されたような記憶がよみがえってきた。

「忘れていたはずなのに」

 と思うのだが、なぜか、悪夢のような思いではなかった。

 蹂躙されたのも、最初は恥ずかしくて、生きていられないとまで思うくらいだったが、そのうちに、蹂躙されたのは自分が悪いわけではないと思い始めると、蹂躙してきた相手を許せる気がしたのだ。

 そして、その人が真剣に自分を好きになってくれているのであれば、その愛を受け止めようとすら思っていたのだった。

 だが、その人は、真剣ではなかった。遊びというわけではなく、どうやら、家族に相手にされない悔しさを、早苗で埋めようとしたようだった。

 もし、これが遊びだったら、早苗は許さなかったかも知れないが、自分を使ってストレスの解消をしようとしてくれたことに対して、却って嬉しく思えるくらいだった。

 その人は担任の教師だったのだが、

「先生が私で満足してくれるのであれば、私、先生に尽くしちゃおうかな?」

 と言った瞬間、先生は理性を失ってしまったようだ。

 早苗は、もうそこから先は先生に蹂躙されるわけではなく、自分の身体が先生を誘惑していて、先生の欲望を受け入れていると思っていたようだ。

 そんな二人のことを誰も知るはずなどなかったのに、それを知っている人がいた。その人はどこの誰なのか知れなかったが、先生に脅しをかけてきた。先生は、身を守らないといけないと思い、その男のいいなりになった。

 男は、先生に対してお金を要求してきて、さらに、早苗に対して、今度は欲求をぶつけてこようとしたのだった。

 先生は、早苗をその男に差し出すことにした。もちろん、先生も罪悪感に苛まれていたに違いない。

 その男は、早苗を蹂躙しながら、

「お前の先生は、俺にお前を売ったんだ。どうだ? 悔しいだろう?」

 と罵られて、早苗はまた意識が朦朧としてきた。

 その時、先生に感じたのとはまったく違う思いを抱きながら、早苗はその男の蹂躙を受けた。

 後日先生は行方をくらませたが、数日後、山奥で見つかったという。もちろん、早苗とのことは誰にも言わないし、早苗も何も言わない、男に蹂躙されたことも誰も知らないが、その男がそれから早苗の前に現れることはなかった。

 誰も、その男の存在を知らない。早苗すら、その時だけの妄想の中に記憶が残っている程度で、ほとんど思い出すこともなかった。ただ、時たまわけもなく恥辱に塗れた気持ちになることがあった。

 それがどうして、どこから来るものなのか分からなかったが、数分間意識が朦朧として、一日だけ、記憶を失うという症状がそれから起こるようになった。

 医者もよく分からないと言っているが、早苗もその事情をよく分かっていない。早苗に起こったあの日の出来事も、知っているのは早苗と先生だけだ。あの先生も、もうあの時からどこかにいなくなってしまい、10年近く会っていない。他のクラスメイトも、そんな先生がいたことすら覚えていない。それだけ存在が薄いタイプの先生であり、村の人でも、たぶん、ほとんどの人の記憶になど残っていないことだろう。

 ただ、この話は、完全に早苗の妄想だった、ただ、こんな妄想をするくらいなので、かなりの情緒不安定だったことは間違いない。

 その時の思いを早苗は、一気にノートに書き、それを書き綴ったものをどうしようかと考えた時、タイムカプセルを作って、そこに封印しようと思ったのだ。

 せっかく妄想とは言え書いたものを捨てたり燃やしたりするのは実につらいものだ。だからと言ってめったなところにも埋められない。そのまま埋めるとすぐに傷んでしまうし、どうすればいいのか? ということを考えていた時、思いついたのがタイムカプセルだった。

 これだったら、自分で書いたものを他人が読むわけにはいかない。皆の友情の証で書いたのだから、皆の同意の元に掘り出すのだ。

 もし見られたとしても、

「小説を書いたのよ。子供の頃のちょっとした思い出」

 と言ってしまえばいいだけのことだ、

 ウソではない。いくら妄想がひどいとはいえ、小説をあの時は真剣に、

「自分なら書ける」

 と思い書いてみると、思ったよりも書けたのでびっくりした。

 その余勢をかって、それ以降も小説を書いてみようとしたが、まったく何も思い浮かばない。あの時は、思い浮かんでもいないはずなのに、勝手に指が動いて、どんどんかけたのだ。

 手が疲れるということもなかった。それなのに、それ以降は、2,3行の手書き文章でも、指がしびれてしまって書けなくなるほどだったのだ。完全に、

「ロウソクが消える前の勢いの炎」

 のようだったのだ。

 早苗は小学生の頃、作文は得意だった。好きだったわけではないのだが、勝手に指が動いてイメージしたことが、勝手に原稿用紙を埋めてくれた。

「私って、作文の天才なのかも?」

 などと小学生の時に思ったくらいだったが、そんな思いはあくまでも、妄想でしかなかった。

 卒業文集のようなものを作ったが、その時は結構楽しかったような気がする。ただ、文章を書くのが好きだったのはその時だけだった。

 それ以外の、特に中学に入ってからというもの、何も書けなくなった。

 それは今思えば、

「何も考えていなかったり、頭に浮かんでこない時の方が、結構文章が書けるのかも知れない」

 と思った。

 ただ、例外として、文章がうまく書けたその次の機会で文章を書こうとした時、まったく何も頭に浮かばばいのに、文章が書けなくなっていた。

「前の時に、すべての力を出し尽くしたのかしら?」

 と感じたほどだったが、その思いも無理もないことだったのかも知れない。

 小学生になってから、文章を書くことは嫌いではなかったが、友達の文章を見て、

「自分は、あんな風にきれいに書けるわけはない」

 と思ったことで、作文が嫌いになった。

 しかも、教科書の文章などを見ていると、実に整った文章になっていて、作文での皆の文章も同じレベルに感じられたのだ。

 自分だけが取り残されていると思うと、やる気がまったくなくなり、それは作文に限らず、他の教科でも同じことだった。

 まさか、たかが作文という一つの教科の中の課題というものが、自分の中で、勉強という大きな括りを締め付けることになろうとは思ってもみなかった。

 小学5年生になった頃くらいからであろうが。作文をそんなに嫌いではない気がした。今まであれだけまったく書けないと思っていた作文なのに、気が付けば書けるようになっていた。

「一体、どういうことなのだろう?」

 と思っていると、

「想像することができるようになってきたのかな?」

 と思ったことだった。

 作文というと、あったことをそのまま書くのだと思っていたが、少々のウソであれば、拡張して書くということで許されると思ったからだ。

「そっか、作文というのは、エープリルフールでなくても、ウソをついていいものなんだ」

 と勝手に思い込んでしまったのだ。

 その思いが、早苗に作文を書かせたに違いなかった。

 そんな作文を書いていると、

「確かに、作る文章なんだから、事実だけをそのまま描いたのなら、まるで絵を描いただけのようになってしまう」

 と思った。

 絵を描くのも、子供の頃から嫌いだった。

「目の前にあるものを、忠実に書かなければいけないなんて、簡単そうに見えるけど難しい。だけど、そのまま書くことのどこが面白いというのだ」

 と思うようになっていた。

 だから、作文も嫌いだった。

「その時に起こったことをまるで、実況中継のように書くだけ、それの何が楽しいというのだろう」

 と感じた。

 しかし、実際の作文には、自分の気持ちやまわりの感情を織り交ぜて書くことが大切だと分かっておらずに他人の作文を読んだので、

「みんな、上手だよな」

 と感じ、自分の作文が恥ずかしいくらいの愚作にしか思えなかったのだ。

 そのため、瞬間的に、

「作文なんか嫌いだ。自分には向いていない」

 と思わせ、一気に作文から自分を遠ざけた。

 それは絵画なども同じことで、音楽なども、学校では、楽譜に書いてあることを謳わせたり、演奏させるだけしかしないではないか。あらかじめ決まっていることをさせられるというのは苦痛であり、

「何が楽しいというのか?」

 と感じさせるに過ぎなかったのだ。

 それを思うと、中学時代に算数から数学に変わった時、

「公式に当てはめて解くだけじゃないか」

 と思い、これも楽しくなくなった。

 学年が進むうちに、そして進級していくうちに、学問というのは、そのほとんどが、公式のような決まった形に当てはめて、それを解くだけという勉強に変わっていった。

 しかも、試験勉強というと、ほとんどが詰込みであり、しかも、試験というと、マークシートによるものばかりであった。

 だから、勉強が嫌いになり、成績もどんどん落ちていった。

 とりあえず、盛岡の高校を卒業するだけでいいと思っていたが、

「せめてどこか大学を卒業していれば違うだろう」

 という、親の方も、何も考えていないかのような発想で、とにかく、三流であっても大学だけは行かせることにしたのだ。

 結局短大であったが、ちゃんと卒業し、地元の会社に就職した。

 早苗はそういう人生を歩んできたのだ。

 早苗という女性は、時々、人生の節々に当たるところで、それまでになかったような力を発揮することがある。

 それが中学の時に書いた作文であり、人には見せられないと思いながら、どうしようか考えた時、思いついたタイムカプセルという手を使うことにした。

 誰も、何も疑わず、

「思い出作り」

 として、タイムカプセルを埋めることにした。

 タイムカプセルは、学校の外の山間に埋めた。

 早苗は、

「10年後に掘り返す機会ができれば、掘り返せばいい」

 というだけの気持ちだったので、途中、短大に通っている間くらいは実際に忘れてしまっていた。

 最近思い出すようになったのだが、それがなぜなのかと考えていたが、それが、飯塚の存在が大きいのだと、最近になってやっと分かった。

「あの人が東京から帰ってきたことで、中学時代の思い出がよみがえってくるような気がするんだよな」

 と感じたのだ。

 中学生だった頃に考えた、思い出せが顔から火が出るような小説。10年も経っているのに、まるで昨日書いたことのように、内容が思い出された。

 それは、昨日雪崩が起きるような話を皆がしていたその日の夜に、自分が誰かに襲われるという悪夢を見たからだった。その夢が、小説の内容と同じなのかどうか自分でも分からない。そういう意味で、

「どうしてももう一度読んでみたい」

 と感じたのではなかっただろうか。

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