第3話 氷上渡りの神事

 そんな時代を乗り越えてきた二人だったので、実際に一緒にいた時期の懐かしさと、気まずくなり、お互いに話のできなかったその頃の心境やお互いのジレンマなどを話していると、夜を徹しても話が尽きないというそんな時間だけが過ぎていた。

 あっという間に時が過ぎるというのは、時間の感覚がマヒしてしまっているからであり、逆に、時間がなかなか過ぎてくれないというのは、ただの錯覚ではないかと思えてきた。

 感覚がマヒしているのと、錯覚とではまったく違うことではないか、正反対だといってもいいかも知れない。何しろ、それぞれに至るまでの精神状態がまったく違っているというのだから、それも当然のことであろう。

 だが、それをまたよく考えてみると、

「その根底にあるものは、結局同じものなのではないか?」

 とも考えるようになっていた。

 その考えというのは、

「時間という概念がそもそも、曖昧なものだ」

 と言えるのではないかと思っているからだ。

 実際に同じ感覚で刻んでいるのが時間だと考えるならば、標準となる時間というのは、どこにあるのかという素朴な疑問である。

 一秒という感覚は何をもって一秒なのか?

「心臓の鼓動? それとも何か基準になるものがあるというのか? 心臓の鼓動にしても、人が違えば当然違うし、同じ人であっても、心境がまったく同じでなければ、同じ時間を刻むことはないはずだ。そもそも、同じ心境で同じ時間を刻むといえるのか? 体調の微妙な違いもあるからだ」

 と考えられる。

 長さだってそうだ。

 特に、長さや重さ、それは、国によっても違うし、時代によっても違う。

 長さは、メートル法表記もあれば、フィートやマイルなどという基準の違いもある。重さに至っては、グラムが単位であるが、昔は、1貫まどという単位もあったではないか、長さにしても、尺や間、などという単位もあった、それとメートル法に直しても、割り切れる単位ではない。完全に違う発想から来ているものだ。

 そういう意味で、

「何かを図るための基準となるものが、ここまで曖昧でいい加減に見えるものであるのだから、感覚や心境などと言った、概念しかないものを、どう図ればいいというのだろうか?」

 と考えれば、何事も結局は曖昧にしか見えてこないというのも、無理もないことだといえるのではないだろうか。

 その日の夜、話が終わっても、すぐには寝付けなかったのは心臓の鼓動が気になって、そんな曖昧なことへの発想が生まれてきたからだった。

「そんなことを理解できたとして、それが何になるというのか?」

 ということであるが、川北はそんなことを考える時間が、今は必要なのではないかと思った。

 なぜなら、この間まで、感覚がまったくマヒした毎日を過ごしてきて、今はその疲れを癒すという。まるでリハビリのような時間だからだ。

 曖昧でどうでもいいようなことを考えることがリハビリになるのではないかと、実はここに来る前から思っていた。

 それを思うと、川北にとって、

「どうでもいい時間は、これすべて、リハビリになるのだ」

 と考えていた。

 一緒に話をしてくれた飯塚には悪いと思うが、それだけ、いい加減な時間を楽しみにしていたことで、飯塚がどんなにまじめに考えていようとも、川北にとって、自分では曖昧でしかないのだった。

 だが、それでよかった。

「きっと、飯塚も曖昧な時間を貴重だと思ってくれているに違いない」

 と勝手に思っているが、この勝手な思い込みこそ、曖昧な考え方に違いないと思うのだった。

 そもそも、夢というのが曖昧なものだといえるからだろう。

 夢というものは、潜在意識が見せるものだというが、夢を見ていて、その続きを見ることができないことから、その言葉を納得できる気がしたのだ。

 潜在意識というのは、言い換えれば、

「無意識」

 と言ってもいいだろう。

 自分の中に潜在しているものなので、潜んでいる存在、一見、矛盾しているように思う感覚。それが潜在意識なのではないだろうか。

 潜在する意識とは、実際に感じている顕在意識とは違い、拡張性のあるものだと考えられる。

「曖昧さゆえに、そこから生まれる膨らみというものをいかに感じるか?」

 というのが、自分だけが感じる、夢という感覚なのではないかと思う。

 潜在意識という意味で、

「超能力」

 と言われるものも、その一つではないだろうか?

 予知夢のように、予知能力のような超能力との共通点だってあるわけだ。それを思うと、夢も超能力の一つなのかも知れないと思われる。

 そうなると、夢では普通は怒りえないというようなことも、実は起こっているのではないかと思えてきた。

 たとえば、

「夢の共有」

 などという考えもそうである。

 自分の夢には、登場人物がいるだろう。友達だったり、家族だったり、親友だったり、恋人だったりである。

 そんな人が夢に出てきた時、目が覚めても覚えている夢であれば、

「夢というのを、共有しているのではにあか?」

 と考えることがある。

 自分が見ているのと同じ夢を、相手も見ているという意味での共有であるが、それがリアルタイム。つまり、まったく同じ時間である必要はないと思っている。もちろん、お互いに夢なのだから、夢の共有を信じていない時点で、同じ時間に見た夢だということを意識できるはずもない。ひょっとすると、日にちだってずれているかも知れない。それを果たして、

「夢の共有」

 と言ってもいいのか、疑問ではないだろうか。

 しかも、

「夢というのは、目が覚める数秒で見るものだ」

 と言われている。

 確かにどんなに長い夢を見ていたとしても、夢から覚めるにしたがって、意識が現実に移り変わっていくうちに、夢の時間が曖昧になってくる。まるで、厚みがあったものが、どんどん萎んでいき、気が付けば平面のように、べったり背中がくっついているかのような感覚になっているのだ。

 それを思うと、

「夢というのは二次元ではないか?」

 と考えてしまうのだ。

 つまり、

「次元を調節するのが、夢だとすると、時間の感覚がマヒしてしまう四次元のような発想と、平面に変わるという二次元の発想が一つの夢で繰り広げられるということになり、その感覚はまるで、四次元から二次元に、三次元という現実を通りこしてしまうことではないか?」

 と思うのだ。

 つまり、四次元も二次元もどちらも夢だと考えるのだとすれば、二次元と四次元という空想の世界を形作る夢というものがあり、

「三次元の世界を現実だとすれば、それ以外の夢の世界や死後の世界などの別の世界は、すべて、次元の違うものではないか?」

 と言えるのだと考えていた。

 それも、最初に考えたことが、どんどん拡張していくことで成り立っているものだ。そう考えると、元に発想が戻ってきて、そこで生まれる発想は、

「曖昧さが拡張し。拡張を夢だと考えるのだとすると、三次元以外の異次元は、夢のような曖昧なものとして発想がスパイラルになっているということではないか?」

 というものであった。

 結局また元に戻る発想は、決して輪ではなく、螺旋階段のようなスパイラルではないかということであった。

 そんなことを考えていると、いつの間にか眠っていたようだ。

 その時に思いついたのが、笑い話のようで滑稽なのだが、それが、

「夢を見ている夢」

 だったのだ。

 何が滑稽だったのかというと、これは昔見たギャグマンガだったが、

「主人公が、眠れないと言って不眠症になっている夢だったのだが、その夢を突き詰めてみると、眠れないという、不眠症の夢だったというオチ」

 だった。

 夢というのが、曖昧で、異次元の発想だということを、裏付けているようで、その感覚が勝手な妄想を思い巡らせているかのようだったのだ。

 その日は、夢を見たという感覚はなかったが、ひょっとすると、夜話をしていたのが、そもそも夢だったのかも知れない。

 二人ともまったく同じ夢を見ていて、夢を共有しているのだとすれば、夢の中で夢を見ることと同じくらいに不思議のないことに思えてくることが不思議だったのだ。

 その日、目が覚めてから、身体が起き上がるまでに結構時間が掛かったような気がする。身体の節々に痛みを感じ、まるで風邪でも引いたのかなと思うほどであったが、暖房が入っていて暖かいはずの部屋に、スーッと隙間風が入ってくるようで、そのおかげか、痛かった身体をほぐしてくれたような気がした。

 ほぐされたことが分かると、また暖かさを感じるようになり、身体がポカポカしてくるのを思うと、今度は、ゆっくりと起き上がると楽に起き上がれるという簡単なことを思い出せた気がした。

「加減乗除は得意なはずなのに」

 と感じるのだが、まさにその通りだったのだ。

 顔を洗って、朝食を食べた。

 昨夜は遅くまで話をしていたこともあって、もう時計は、11時近くになっていた。午前中を完全に潰した形になったが、実際には、日付が変わってから、3時間以上も起きていたのだから、12時就寝だと思うと、今は、まだ8時過ぎという計算になる。休みの日の起床とすれば、ちょうどいい時間ではないだろうか。

 朝食の時間があっという間だった。

「気が付けば、食べていた」

 というのは、まだ少し頭が眠っていたからなのかも知れない。

 意識として感じるのは、過ぎ去った時間が、すべて同じ時間としての距離に感じる。すべてが、壁に塗り込まれたように、横に時系列として続いているはずのことが、同じ時間の壁として、縦並びに並んでいるのを感じたのだ。

 その感覚を飯塚に話すと、笑いが止まらない感覚になっていた。

 彼の特徴は、本当に可笑しいと思うことがあった時、笑いのために、感情を抑えることができなくなり、笑うことが苦しいくらいになるのだった。

「まるで聖徳太子みたいだな」

 という。

 聖徳太子というと、

「一時に、十人の人間が話していることを理解することができる」

 という逸話が残っている人だ。

 たぶん、そんな話を知っている人は今は少ないのではないかと思うが、少なくとも自分たち二人は知っているのだ。それだけ希少価値な人間がこんな田舎で一晩一緒にいたというのが奇跡な気がしていて、それを思うと思わず噴き出したくなったのだろう。

 ただ、彼の笑いの意味はそれだけではなく、

「そもそも、聖徳太子って、今は呼ばないからな。学校では、厩戸王というらしいんだ」

 というではないか。

 確かに今の歴史と以前の歴史は変わってきている。教科書でも数年で、まったく違ったものになっているというではないか。

「いいくに作ろう鎌倉幕府」

 を筆頭に、源頼朝や、足利尊氏、武田信玄だと言われている肖像画も、実は違う人物であるということや、歴史上でも、昔は、源平合戦と呼ばれていたことが、今では、

「治承・寿永の乱」

 と言われているのだ。

 それは、その時代の一連の合戦が、必ずしも源氏VS平家ではないということである。源氏同士の戦いだったりもするからだ。治承というのも、寿永というのも、ちょうどその時の年号であり、年号で示すというのが日本の歴史の名付け方でもある。要するに、歴史というのは、それだけ発見や解釈によって、いろいろ変わってくるということである。

 食事を終えると、朝風呂、もとい、昼風呂に入ることにした。この温泉は8時から10時までは清掃の時間で、それ以外は24時間、いつでも入ることができる。朝食を終えての入浴は可能で、真っ暗な状態で、ネオンサインがついた露天風呂もそれなりによかったが、昼間は自然に包まれた温泉に入ることができるというのも、楽しみの一つだった。

 ただ、かなり曇っているので、どれほどの視界になるかどうかはよく分からなかったが、実際には、ほぼ見えないと言っても過言ではない。それを分かっていて入るのも一興に感じられたのだ。

 表に出ると、昨日に比べて、少し暖かい気がした。

「今日は暖かい気がするな。まあ、昨日は夜だったので、比較にはならないけど」

 というと、

「いいえ、これくらい寒いところになると、寒さの中での最高気温と最低気温は、体感ではほとんど変わりがないんです。それで暖かいということは、やはり、あなたの言う通り、だいぶ暖かいのではないでしょうか?」

 と、宿の人がそういうのを聞いて、飯塚も頷いていた。

「うん、彼の言う通りなんだよ川北君。だから、よく見てごらん、少しずつ雪が解けているだろう?」

 と言われ、雪で盛り上がっているところをよく見てみると、なるほど、真っ白くて光っているので眩しいと思い、なるべく直接見ないようにと心がけていたが、眩しいのは、雪が解けてきた時に見える水滴が光っているからなのかも知れないと感じた。

「それにしても、これだけ眩しいというのは、すごいものだね。ひょっとすると大モンドダストも見れるかも知れないな」

 というと、

「それはあるかも知れませんね。でも、この時期特有の、氷上渡りがあるかも知れませんよ」

 と、宿の人が言った。

「氷上渡りとは何ですか?」

 と聞くと、

「この村は意外と広いんです。こちらに来られる時に感じたと思いますが、ここは盆地になっていて、盆地の平地武運はすべてと言っていいほど、この村の所属になるんです。そして、この村の奥には大きな祠のようなものがあり、その奥に、この村の鎮守が控えているのですが、祠と鎮守の両方に祭られている神様がおられるのですが、その神様がこの村の奥にある。祠と鎮守の前にある大きな沼があるのですが、今は完全に凍っています。その氷というのは、かなりの厚さがあって、普通にそりを引いて渡れるほどなんですが、そこの氷というのは、力によう圧力には、かなりの強さがあるのですが、温度に関しては、かなり敏感で、脆いものなのです。温度が少しでも上がると、氷が一気に解けるところがあって、それがひび割れを起こし、その時に、ガシャンというかなりの音を発するんです。それは、神様が池をお渡りになる神聖あ音だということで、その音がなった時は表に出ずに、家の中で、神様にお祈りをするというのがこの村の習わしになっているんです」

 と言った。

「それって単純に温度差で、氷が解けるというだけのことですよね?」

 と川北がいうと、

「ええ、そうなんですが、昔の人は、神様が氷の上を割って向こう岸に行かれることで、この村の安全を今年も保証してくれるというものだったんです。今では新暦になっているので、分かりづらいかも知れませんが、昔は旧正月というのがあったので、この氷上渡りの神事があるのは、ちょうど旧正月の頃だったということで、個人的には無病息災だったり、村全体としては、災害に見舞われることのない一年の始まりという、大切な神事だったわけです」

 というのだった。

 確かに昔から、このような迷信は全国に伝わっていると聞いたことがある。

 昔から受け継がれてきて、昭和、平成、令和へと受け継がれてきた神事の中でも、この神事というのは実に珍しいものだ。

 いつ起こるか分からないが、必ず起こるものだと信じられていて、それが春の訪れに繋がるという。普通であれば、他の地域であれば、

「起こったことを結果として、行事を行うというのが普通なのに、ここでは、起こったその時を神事とするというものであり、それだけ神の存在を意識しているということなのではないだろうか?」

 その証拠に、村の人の話し方が妙にたどたどしかった。この村の人はほぼ例外なしに、人懐っこい感じがしていた。それだけこの村は、信心深い村だと言ってもいいだろう。それだけ誰もが、団結していて、ただ、その割にデメリットでもある、「島国根性」のようなものがないというのは、いいことであろう。

「ただ、一つ気になるのが、これだけの雪が積もっているので、この雪が一気に解けると、まわりが山に囲まれた盆地になっているだろう? だから、山間のところは、雪崩に気を付けなければいけないんだ」

 ということを、飯塚は言い出した。

「なるほど、確かにそれは言えるかも知れないな。何か対策のようなものはしているのかい?」

 と川北に言われて、

「いや、そういうのはないんだけど、一応そのあたりは見越してなのか、幸いなことに人口が少ないので、住宅地は村の中央部には寄っているんだ。田畑であったり、工場のような建物は村の表側に作っていて、一応、対策としてはそういうところだと言ってもいいだろう」

 ということだった。

 それだけでは心もとない気はしたが、

「まあ、今までに雪崩が起こって、人が死んだというような話が聞いたことがない。雪崩と言っても、そんなひどいものではない、ただ、事前に田畑や、工場にての対策は必要になるようだけどな」

 と、飯塚は続けた。

「それならいいんだけど、雪崩と聞くと、さすがにビックリするよな」

「うん、でも、そういう意味でも、氷上渡りという神事は大切なんだ。氷上渡りが起こってからが、雪崩のピークになるので、一種の警鐘という意味でもあるんだ。それを考えると、自然というのは、よくできているって思わないか?」

「確かにそうだ。で、その氷上渡りというのは、いつ頃なんだい?」

「もう、そろそろというところかも知れないな。雪崩に関しては、事前に雪かきをするというわけにもいかないので、事前にはどうしようもない。山間の麓の雪を掻いたとしても、雪崩の状況を却って作ってしまうだけなので、それはできない。山のてっぺんから雪をかくわけにはいかないので、掻いた雪をどこに持っていくかということが最初から分かっていない限り、どうしようもないというところなんだ」

 なるほど彼の言う通りだ。下を掻いてしまうと、上の重みで雪崩を誘発することになり、その勢いでいつ、雪崩るか分からない。そうなると、掻いている人間は自殺行為であるといえるだろう。

「一つ対策をしているといえば、例の氷上渡りのある大きな池の水を人工的に放出しておいて、水の量を減らしておくということかな? そうすれば、氷上私も起こりやすいし、雪崩が起きて、池に雪崩こむように仕掛けをしておけば、なだれ込んだ雪が解けても、池が増水することはない。そのために、池をダムのようにして、雪が降りだす前から、水を放出しておくんだ。この村はほとんどの時期というと、雪に覆われているところではあるけど、夏の数か月は雪のない時期もあるんだ。春が過ぎるころまで雪に覆われていることで、寒さに強い作物がここでは十分に育つ。それがこの村の産業であり。工場というのも、醤油や味噌や酒などの醸造工場なんだ。いざとなれば、しばらくは自給自足もできる村ということになるのかな?」

 と飯塚がいうと、

「じゃあ、今まで孤立してしまったということもあったのかい?」

 と川北が聞くと、

「いや、そんなことはなかったんだよ。そんな恐ろしいことになってしまうほどのことはなかったんだけど、万事村だけで自給自足ができるという強みがあった。それというのは、この村には、古代から日本人ではない別の民族が住んでいて、自給自足を得意とする民族だったということで、それがこの村の強さなんだ」

「アイヌ族ということかな?」

「いや、そういうわけではないらしい。元々は、大陸と関係があった民族だったようだけど、昔はこのあたりは蝦夷地ということで、平安時代初期までは、ほぼ原住民での支配だったわけだが、それを、平安京が遠征にくることで、多賀城を中心としたこちらの民族を支配するようになった。だけど、ここだけは、平安京にも支配することができなかったようで、独立した民族がここでひっそり暮らしていたんだ。実際にここを支配するようになったのは、明治になってからで、なんと言ってもこのあたりは、昔から、八甲田山の悲劇が起こるようなところなので、なかなか、雪に慣れていない日本民族だけでは難しいだろうな」

 と飯塚は言ったが、

「ということは、この村は、祖先から、ずっとその民族の血で受け継がれてきたということかな?」

「明治時代くらいまではそうだったようだ。別に他の民族の血が混ざってはいけないという掟のようなものはなかったようだが、実際に、血の交わりはなかったようなんだ。だから、明治になるまでは、ほとんど藩の力も及ばないところで、戦国時代などでも、農民が戦に駆り出されるということはなかったという。その代わり、年貢はしっかり取られたようだが、この地域には飢饉などは関係がなかったので、年貢が滞ることもなかった。この村はそんな、特殊な村だったと言ってもいいんだ」

 と、飯塚はいうのだった。

「そんな民族が存在したというわけだね? どこまでそういうことが分かっているんだい?」

 と、川北が聞いてみると、

「ハッキリと分かっていない部分も多いということなんだけど、今の自分たちの生活に影響していることがあるという部分では、伝統として残っている部分もある。さっきのような雪崩に対しての対応なんかも、昔の民族の名残があったりして、そのおかげで、大した被害もなく暮らしていけているんだと思う。つまり、昔の人が住みやすい環境に土地を開拓してくれていることで、雪崩の被害も少ないというのは、研究でも分かっているんだ。そういう意味で、日本民族に比べて、知能は決して劣っているわけではなく、むしろ先をいっていたと思うんだ。いかんせん、文明が発展していた分、他の地域との繋がりが薄く、自給自足ができる分、孤立していても問題なかったということで、他からの流入が少なかったともいえるね。そういう意味で、こういうところこそ、陸の孤島と言ってもいいかも知れない。俺たち村人は、そういう民族の子孫だと思うと、やっぱり、東京とかで大学に行っても、なかなか馴染めなかったり、ましてや、東京で就職しようなんていうのも、かなりの無理があったんだって思うんだ」

 と、飯塚はいう。

「じゃあ、バスでこちらに来た時に出会ったあの女性も、この村の出身なんだろう?」

 と川北が訊ねると、

「ああ、そうだよ。彼女、行橋早苗さんは、この村の長の娘さんなんだ。だから、大学も就職も盛岡でだったんだけど、高校時代は、彼女も東京に出てみたいという思いは結構あったようなんだ。俺なんかよりもその思いは強かったかも知れない」

「でも、それは敵わなかったわけでしょう? やっぱり、長の娘というのは、それだけ違うのかな?」

「うん、それもあるんだろうけど、さすがに今の令和の時代にはそぐわないよね。昭和の終わり頃から、この村の閉鎖的なところを改善しようという意識が、この村の若者の間で流行ったそうなあんだ、俺たちの親よりも少し若い世代だったのかな? だから、盛岡の方に就職したり、進学する人も増えてきた。さっきここまで来たバスだって、昭和の頃までは、ここまで路線があったわけではなかったんだけど、平成になって、こっちに来る人が増えたことで、路線バスの本数も増えてきた。あの時代というと、赤字路線はどんどん廃止の話ができていた頃だったんだけどね。それだけにこのあたりというのは、遅ればせながら、都会とのパイプを持つようになったということかな?」

「じゃあ、盛岡や他の土地からも、こちらに来る人が増えたのかい?」

「実際に、この村で産業というと、どうしても、昔からの自給自足というものでしかないので、この村に観光ということもない。だけど昔からの温泉のおかげで、日帰りでの温泉客が増えたのはありがたく、そのおかげで、この土地の味噌や醤油が盛岡に行って、ご当地名物の麺類に使われるようになったのさ」

「昼間食べた盛岡冷麺もかな?」

「そうだね、実はあの店に連れて行ったのは、あの店がこの村の調味料を使ってくれているので、まずは名物を味わってもらおうと思ってね。本当は、味噌も醤油も名物の冷麺では、東京の調味料に近い味なんだ。さっき食べて分かったと思うけど、あの味は、この村の味になるんだよ」

 と飯塚に言われて、昼食で食べた冷麺の味を思い出してみると、確かに独特の味がした。

 味はかなりの濃い口に感じたが、結構食は進んだ。あっさりしているような感じがして、しつこさは感じられなかった。

「これが、森岡名物というものか?」

 と感じたが、実際にそれだけではないようだった。

 地元の、さらに、一つの村独自の名産というのを味わうことができて、よかった気がした。

「この村の調味料は、実は東京でも手に入るところがあるんだ。アンテナショップがいくつかあるが、その中で、街や村の特産のコーナーが置かれているところもあって、そこで手に入る。あとでパンフレットをあげるから、もし、興味があったら、東京に帰って訪ねてみてくれればいいよ」

 と飯塚は言った。

「うん、分かった。あの味は確かに印象的だったからな」

 と言って、昼食と、昨日の夕食を思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る