第3話 狩る側と狩られる側


 実はというと、僕らはドームの周辺がどういう状況にあるのか分かっていない。その場所はアメリカ合衆国でいうとデンバー辺りだとされるが、そうなると、ニューヨークからは約二千六百キロメートルの道のりとなる。とはいえそれも、前時代と地形が変わっていなければ、の話ではあるが。


 いや、地表をさまようも何も、それは不可能ってものだ。もちろん、気持ちは大切だ。マオ・アオイを探し出して、二人でパイリダエーザに帰還する。そして、僕らで真実を突き止める。


 戻る方法はある。パイリダエーザの住民なら誰もが知っていた。何も難しいことはない。ただ罰を受け、僕の精神が瓦解しなければそれでいい。つまり僕は今、仮想現実のニューヨークにいる。


 ―――仮想現実。その中での死刑は人道的配慮から来たものだ。死を体験するだけで実際には死んではいない。だから、生存権の否定には繋がらないというのがその理屈だった。被害者への配慮にもなる。死刑は公開されているのだ。


 多くの人が巨大モニターで僕らの姿を鑑賞しているはずだ。僕も何度かは見たことがある。野獣に手足を食いちぎられ、臓器を引き裂かれるのを。


 あまりの精神的ショックで、死刑囚のほとんどがリアルに死んでしまう。だが、生きて帰って来る者がいるのも事実だ。


 ただ、どこでそれが分けられるのかは誰も分かっていない。本人次第だというのだろうが、それについてマスメディアが特集を組んだことがある。


 結論から言えば、生きて帰ってきた者らの大抵が、現実世界にやらなければならないことを残していた。その想いは、誰かと約束していればなおのこと強固になる。


 マオもニューヨークのどこかにいるはずなんだ。僕はマオに会わなければならない。そして、彼女に言うんだ。一緒に現実世界に帰り、ドームに潜む闇をあばこうと。


 しかし、まるで不可解だった。死体の男はぐちゃぐちゃで血まみれだったが、スーツにシャツという姿だった。手足も明後日の方に向いていた。そして、ドームに着いた赤い筋。


 この事実が示すこと。それはどう考えても一つしかない。男は空から降って来て、ドームに当たり、それからドーム表面を滑って清掃ロボットとぶつかった。


 理屈はそれで合うが、それでも、落ちていた清掃ロボットと、男の死体があった場所が五十メートルも離れていたっていうのは不可解だ。二つはぶつかって一緒にドームのアクリル壁を滑り落ちて行ったんだ。ドームにある血の跡がそれを証明している。


 推理としては突飛だが、もし本当に男が空から降って来たとして、清掃ロボットの残骸とは別の場所に遺体があったとなればどうだろう。考えられる事実は、誰かがその死体を隠そうとドームから離した。


 そして、僕らの、この死刑判決。パイリダエーザには僕らの知らない何かがある。少なくとも、無罪の僕らに判決を下したカッシーニ・ジタン。彼は真実を知っている。


 僕は中央郵便局の正面を飾る円柱の陰に身を隠している。物語に語られるニューヨークは好きだし、歴史にも興味がある。この円柱はコリント式と呼ばれる型の柱らしい。


 過去、アメリカンがドーリア式を選ばなかったのは納得できる。ペルシア帝国にボコボコにされていたギリシャのパルテノン神殿じゃぁダメなんだ。やはり、アメリカンはローマのパンテオンがお好みだった。

 

 ふと、階段を降りた下の砂地を、ティーシャツにデニム姿で北に向かって歩く者がいた。


 ふらふらとした足取りで、流石にこの暑さにまいっているようだった。ドームは絶えず快適な気温や湿度に保ってあった。アクリル壁を介さず直に降り注ぐ太陽光も、防護服の不快感も、足元が悪い砂漠も、この男は経験したことがない。


 僕の記憶によると十中八九、男はここに来た時、ジャンパーかなにかを羽織っていた。


 暑くて脱ぎ、もう着ることはないとどっかに投げ捨てたのだろう。手には持ってなかった。


 僕は、彼をよく知っている。TVでジャンバー姿の彼を何度か見ている。八人は殺したはずだ。ほとんどが若い女性で、その死体は風呂場で解体され、生ごみの日に捨てられ、頭部だけがクーラーボックスに保管しされていた。

 

 記憶によると確か、彼は警察に出頭し、死刑にしてくれと懇願したのだったと思う。その経緯から精神鑑定が行われたが、判決は有罪が下された。一つ付け加えるなら、この形式の死刑がなされるようになってからは、鑑定結果が裁判を左右することはなくなった。


 虚ろに歩いている彼の姿から、死刑にしてくれと言った話は本当だったようだ。すぐにでも刑が執行されることを望んでいる。だから、上着を必要としなかった。


 僕なら、ジャンパーは頭からかぶって日除けにするし、物陰に潜み、出来るだけ死刑の執行に抵抗する。生きたい、生きなければならないという気持ちがなければ、少なくともここで死した後、現実世界に戻れないんだ。


 いわゆるそれは、生存権の尊重。だが、男は本当の死を望んでいた。果たして男の望み通り、そのモノが現れた。ゲームマスターのAIが作り出した野獣、いや、怪物。


 ヒグマほどの大きさで、全身が黒光りしている。姿かたちは狼のようで、皮膚はというと、鱗で覆われている。しかもその鱗の一枚一枚は、紋章にデザインされる盾のような形で、端部が矢じりのように尖っていた。


 もし、その鱗の皮膚を素手ででたとしたならばどうなるだろう。手のひらは間違いなく切り傷を受ける。歯はサメのようだし、手はワニのようである。尻尾はというと、体に比べ異様に長く、その先端もやはり尖っている。


 そんな彼らは僕らを敵視する。まぁ、そういうプログラミングなのだろうが、彼らにとって僕らを餌ではなく、なわばりに侵入した外敵のような存在だった。


 殺し方がエグイのだ。捕食するなら、すぐにでも息の根を止めようとする。彼らは大抵の場合、獲物の足を攻撃して動けないようにしてから、腕をかみ切り、内臓を引っ張り出す。『モズの早贄(はやにえ)』を知っているだろうか。


 モズとは地球がまだ健全だった頃にいた鳥である。彼らには変わった習性があって、捕まえた虫やらカエルやらを、枝の先や木のトゲなどに刺す。食べる時に引きちぎるための固定にしているとも、乾燥させて保存しているとも言われていた。


 AIが作り出した怪物も、モズと呼ばれていた。なぜならば彼らも早贄はやにえを行った。


 手足がない人間を、はみ出した内臓のまま引き摺って国連ビルに持って行き、並び立つ国旗のポールに串刺しにする。だが、決して食べようとはしない。そこが本当のモズと違うところだが、おそらくは、この仮想現実に来た者はこうなるという、見せしめなのではないだろうか。


 しかし、死ねば現実に戻れるという原則に、それは反している。実際は99.9%、現実世界に戻って来られない。


この刑が施行されて二十数年、もう常識になりつつあるのだが、ゲームマスターのAIが脳波の平坦化を確認しない限り、この世界から消えることはできない。


 理論上では脳波が平坦になった後でも意識は存続するらしい。死後体験を語る者が後を絶たないのはそのためだ。一方で、脳波の平坦化とは脳死を意味する。それはすなわちリアルな死だ。


 人によってだが、ポールに突き刺さってから四日もこたえたということがあった。その場合、死刑囚は文字通り精根尽きたのだろう、事実、現実世界に戻って来ることは叶わなかった。


 仮想現実内で自殺という手もあり得た。だがそのケースでも、戻って来られる人間は居なかった。


 AIが作り出した怪物モズと対峙しているこの男はどうか。殺してくれと警察に駆け込んだというが、もし自殺出来たのならそれ以前にやっているはずだ。その点から言うと男はもしかして、潜在的に生きることを望んでいるのかもしれない。


 モズはゆっくりと間合いを詰めていた。逃げる素振りを見せない男に、警戒しているのだろうか。いや、焦らして、何としてでも恐怖を味あわせようとしている。彼らは人間にそうしなければ気が済まなかった。


 が、しかし、それでは人道的見地から言って、その配慮に欠けている。死刑囚が恐怖に陥れば仮想現実の世界では、あるプログラムが起動する。つまり配慮とは、リアルの世界で使ったことのある武器が与えられるということ。抵抗する権利が与えられるのだ。


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