呪われた海 眞人とキリコ(と、老婆たち)
アオサギ男に続く、眞人が向き合う相手の二人目はキリコである。
キリコははじめ、使用人の老婆たちのひとりとして登場する。登場時からして、キリコは他の老婆たちとは立ち位置が違う。というかまず「立ち方」からして違う。老婆たちの中で唯一腰が曲がっていない姿の彼女は、常に老婆たちの最後尾を歩き、他の老婆にはある眞人の世話を献身的に行う描写も彼女についてはない。それどころか皮肉や嫌味のような言葉しか投げかけていないし、眞人が煙草で老爺を買収したことを察するや自らも煙草欲しさに「本物の弓が欲しくないか」と交渉を持ちかけさえする。
しかし、眞人が塔に向かうにあたり、同行者となったのはキリコだった(その際に初めて彼女は「腰が曲がった」姿を見せる)。そして、「本当はナツコのことが嫌いなくせに助けに行こうというのはおかしい」と率直すぎるほどの言葉で眞人のことを引き止める。対して眞人は怯んだような態度こそないものの、「母さんが生きているって言われた」と、嘘ではないのだがどこか全てを語っていないような物言いをしている。
「下」に落ちた眞人は、海の世界においてまだ若く活動的な頃のキリコ(あるいは、キリコが潜在的に抱えていた「強さ」の現れかもしれない)に出会う。「上」の世界での意地悪な物言いは鳴りを潜め、姉御肌の先導者として眞人を導く。船の操舵を教え、魚の捌き方を教え、寝床と食事を与え、「海の世界」についての説明もする。キリコは自らそう名乗ったわけではなかったが、眞人は自分を守護する老婆の姿の人形がひとつ足りないことと、着物の柄の一致から、やがて彼女がキリコであることに気づく。
では、キリコはこの世界で何をしているのか。
彼女は殺生が出来ない者たちのために魚(巨大魚だ)を捕る。その肉を彼らに売り、内蔵は「わらわら」たちの滋養となるのだと語る。魚を捕り、わらわらの面倒を見る、というのが彼女のこの世界での役割だ。わらわらたちは「熟す」と浮遊するように飛び、上の世界へと向かっていく。キリコによれば、飛び立ったわらわらたちは上の世界で命として生まれるのだという。彼女は、死者たちと新たに生まれる命の両方について面倒を見る存在である。つまり、上の世界では描かれなかった献身の姿がこの下の世界で補完されているとも言えるし、下の世界に同行しなかった老婆たちの分も代表して、眞人が向き合う対象として存在しているようにも見える(眞人からして最も受容しにくい相手がキリコなのであろう、そのため彼女との和解はそのまま、あの使用人の老婆たちとの良い関係性を保証すると考えられる)。
ところで、この海の世界にはまだ登場人物(人物?)が存在する。
わらわらの天敵であるところのペリカンである。
ペリカンたちは上の世界へ飛んでいく最中のわらわらを捕食する存在である。その大多数については知性らしい知性を感じさせる描写はなく、登場時からして、かれらは眞人に対して「行こう、食べよう」と言いながら群れをなして彼を「我ヲ学ブモノハ死ス」の表記のある門の向こう側へと追いやる。アオサギの羽による守護がなければ、眞人のことも飲み込んでいただろうとさえ言われる。
ペリカンたちは飢えている。
ペリカンたちはわらわらの=これから生まれてくる命の価値を知らない者たちである。命の価値を見当しないがゆえに、潜り抜ければ死を予感されるような門のこともまた恐れない。躊躇なくその本能に、食欲に従って眞人を襲い、禁忌を犯し、わらわらたちを丸呑みにしていく。
さて、そのようにこの海では、わらわら=生まれる前の存在は生まれる前に食べられてしまう危険に晒されている。当然、キリコはそれを望まない。一つでも多くのわらわらが生きて上の世界に向かうことを望んでいる。そんな彼女の助けとなるのが(眞人の実母の対存在であるところの)「ひみさま」である。「ひみさま」はペリカンをその炎でもって焼き、追い払う。
しかし、彼女は同時にわらわらをも巻き添えにしてしまう。生まれる前の命は母の炎と捕食者の本能と欲望の仕組みによる選別を超えて生まれてくる。その姿はどうにも――わらわらたちのマスコットキャラクター的愛くるしさには反することに――精子を連想させるところがある(この先の展開で卵子ないしは子宮を連想させる場面があることもそれを補強することになる)。
わらわらの愛嬌ある姿に惹かれていた眞人(隠喩としてわらわら≒眞人といえる部分もある)はペリカンにも「ひみさま」にも反発を抱くのだが、そんな彼が出会った老ペリカン――彼は言葉を使うことができる――は、以下のように語る。
自分たちはこの海に連れてこられた。
この海には実り=魚が少ない。だからわらわらを食う。
我々は飢えている、他に行ける場所もない。
生まれる子は飛ぶことを忘れつつある。
ここは「呪われた海」である。
そう言い残して老ペリカンは死に、眞人はその途中で再会したアオサギ男とのやり取りをはさみつつ、その遺体を埋める。少年は世界の仕組みを別な側面から学び、「ある程度」受け入れているように見える。社会の都合で「連れてこられ」「実りの少ない」場所で生きる身の上(※3)への共感混じりの同情――わらわらに対する隠喩的、存在的な重ね合わせの共感とは異なる――がここで描かれているようにも見える。
そんな夜が明け、アオサギ男と合流できたということもあって、眞人はキリコの元を離れることになる。キリコからは「あんたら(眞人とアオサギ男は)お似合いだよ」という言葉と、老婆の姿のキリコのお守りを受け取る。眞人はキリコに抱きつき、感謝を伝えて旅立つ。眞人の(他人の前での)素直な姿、子供らしい甘えっぷりがこの映画の中で初めて描かれる場面であり、これでもって眞人はキリコの――ひいては使用人の老婆たちの――愛情を素直に受け入れる下地を得たことになるわけだ。そして、その前段には美しく力強いアオサギの姿への変身(=格好をつけること)ができなくなったアオサギ男との再会が挿まれていたことも、どこか示唆的であるように思われてならない。
※3
老ペリカンが語るこの「海」(=世界、社会)への認識は現代資本主義社会における消費者的であるように思えるのだが、これについては別途後述する。
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