瓦礫の中の摩天楼

01

 お上りさん宜しく、思わずあたりをキョロキョロと見まわしてしまう。

 いやーだってねぇ、こんなとこ入るの初めてなわけで。

 勿論ここがどんな場所なのかは理解しているつもりだし、廃都に住んでいる以上、外見を眺めた事はある。とはいえ、中に入る事になるとは思っても居なかったわけで。


 そう、ここは廃都の中心にそびえる、天下のキサラギインダストリィ本社ビルの一角。


 廃都は大きく分けて3つの区画に分かれている。

 あたし―橘ユンファ―が働いていたあの工場があるのは外周地区と呼ばれる場所。廃都に住んでいる人の8割は外周地区に住んでいると言われている。

 外周…といっても廃都の中心近くまでを含んでいて、実質的には廃都の7割程度を占めるといってもいい。

 その外周地区から更に中心に向かって進むと今度は内周地区になる。

 人口の1割5分くらいはここに住んでいるらしい。

 主にキサラギインダストリィ等の大企業に所属する人達が住んでいる場所。

 外周地区との境目には高さ5m程の外壁があり、内周地区をぐるっと囲っている。内周地区よりも内側に入る為には各地に作られている検問を通過しないといけないさね。

 勿論、あたしもカズ兄も検問を受けて通ったのだけれど、護衛用に持っていたハンドガンを没収されたのは痛かった。

 帰る時ちゃんと返してくれるよねぇ…。

 そして内周地区の中央、より厳重な警備がされているその場所が中央地区。

 先も上げたキサラギインダストリィは勿論、少々名の通った機装関連の企業の本社が集中している地区さ。

 内周地区までは機装の納品やメンテナンス依頼で入った事が数回あるけれど、中央地区まで入った事は今までなかった。内周地区への検問よりも更に厳しい検査で、凶器になる可能性有り、とか言われてメンテナンス道具も没収されたのは痛い…痛すぎる。

 ちゃんと返してくれるよね…よね!

 まぁともかく、中央地区の、しかも機装関連の企業としては今やトップシェアを競う最先端企業、キサラギインダストリィの本社ビルなんて、まさに一生に一回入れるかどうかさ。いや、多分入れないかな。

 そんなわけで、こうしてビルに入る事になった経緯も忘れて見回してしまったのは仕方がない事さね、うん。

 ビルの入り口から無口な黒服に連れられてビルの中を進んでいるわけなのだけれど、カズ兄は出頭の話を聞いてから口を開いていない。

 まぁ、そりゃそうか、とも思う。

 何せこの廃都でのキサラギインダストリィの力は絶対だ。小さな町工場であれば声一つで吹き飛んでしまう。物理的な話じゃなくて経済的な話で、だけど。

 そこには各種機装関連の品を卸さないと言われれば何もできなくなってしまうから。

 勿論影響力は経済だけじゃない。

 『帝国十字軍(インペリアルクロス)』の名で知られるキサラギインダストリィの私設部隊が本気を出せば、少なくとも廃都周辺を拠点にしてる小規模のヴァルチャー程度では太刀打ちできない。

 そんな圧倒的な力を持つキサラギインダストリィに名指しで出頭要請が来るなんて、いい話だろうが悪い話だろうが、面倒な事になるのは目に見えているから。

 そんな事をぼんやりと考えながら歩いていると、不意に前を歩いていたカズ兄が立ち止まる。少し気づくのが遅れたらその背中に顔面から突っ込んでいたところだった。


「…お連れしました」


 どうやら立ち止まったのはカズ兄というよりも先導していた黒服だったみたいだ。気づけば何時の間にやら大きな扉の前に到着していた。見た感じ木製のドアと思われるのだが、今のご時勢、木製のドアというのは中々珍しい。黒服が扉の奥へと声をかけると、対する扉の奥からは少々幼さを残した声が響いた。


「良いわ、入って頂戴」


 古めかしい感じの木製のドアがゆっくりと開くと、その奥は大きな部屋だった。

 あたしもカズ兄も言葉に従うように部屋の中へと足を踏み入れた。

 赤い絨毯の敷かれた部屋には接客用と思われるテーブルとソファーのセット。そして部屋の一番奥には大きな机が一つ設置してあるのみ。

 扉の向こうから聞こえてきた声はなにやら偉そうな口調に思えたから、あたし的には趣味の悪い調度品がわんさか並んでいるのだろうと想像していたけど、思ったよりもさっぱりしている部屋さ。

 一つ気になるといえば、窓が一切ないこと。光源は天井の電灯のみ。

 人工の明かりに照らされたその部屋に人の気配は二つ。

 一つは…恐らく入室の許可を出しただろう、机の前で大きな椅子に座る人物。もう一つは、その机の近くで直立不動の姿勢を保つ人物。多分秘書か何か。

 こちらに背を向ける形で座っていた人物が、くるりと椅子を回転させてこちらへと視線を向けてきた。

 その視線の主、14,5歳に見える少女の風貌に、思わず目を見開いてしまった。

 部屋を明るく照らし出す光を反射して銀色に輝く長い髪。少々きつめにも見える切れ長の瞳は吸い込まれてしまいそうな程に鮮やかなスカーレット。

 そして何より、血の気がないとすら思えてしまう程に真っ白な肌。

 兎をその配色のまま人に変えることが出来たとしたら、こんな姿になるんじゃないだろうか。その赤い瞳に見つめられ…いや、よく見ればその視線はあたし達じゃなくて、あたし達の後ろに控えていた黒服へと視線を向けたらしい。

 背後で空気の動く気配を感じ振り返ると、ここまで案内していた黒服が大きな扉をゆっくりと閉めながら部屋から退出しているところだった。

 結構な厚さを持つ扉が完全に閉まったのとほぼ同時に、椅子に座っていた彼女―名前は分からないので仮にウサちゃんとしよう―が徐に口を開いた。


「久しぶりね、教官殿」


 教官?誰?という疑問を持ったのは一瞬だけの間。何故ならば教官と呼ばれた人物は自分の直ぐ近くに立っていたのだから。


「今更何の用だ?」


 そう答えたカズ兄の表情はこちらからは見えない。

 が、少なからず分かる事がある。

 カズ兄とこのウサちゃんは知り合いで、何か共通する出来事を抱えてると言うこと。そしてカズ兄にとって、その出来事はあまり好ましくないと言うこと。


「そう邪険にしなくともよくないかしら。共に『鋼の子供達』―」

「用がねぇなら帰るぞ」


 ウサちゃんの言葉を強い口調で遮ったカズ兄がそのまま振り返ろうと片足を踏み出したところで、ウサちゃん側がカラカラと乾いた笑い声を上げた。


「そうカリカリしないで頂戴。冗談よ。私とて楽しい記憶では無いわ。立ち話もなんだし、適当にその辺に座って貰って結構よ」


 カズ兄が私にしか聞こえない程度の小さな音で舌打ちをしてから、部屋の中央付近に設置してあるソファーへと腰を下ろした。

 習うようにあたしも隣に座る。

 おぉお?すごい柔らかいな。うちの事務所にも一つ欲しい。

 すると当たり前の様にあたし達の前にティーカップが用意された。カップの中身は上質な紅茶だろうか、漂う香りが鼻腔をくすぐる。

 うわ、すごい美味しそう。なんて感想を持ったままカップに手を伸ばそうとして、カズ兄がじっとそのカップを見つめていることに気づいた。

 なんとなく、伸ばしかけた手を引っ込める。


「別に毒など入って無いわ。セバ、私にも紅茶を」

「御意」


 セバ、と呼ばれた黒服―思い出したけど、アレって執事服って奴だ―をきちっと着こなした妙齢の男性が恭しく一礼し、紅茶を準備し始めた。

 隣に座るカズ兄が小さなため息と共にカップを手に取ったのを見て、あたしも今にも壊れそうな陶磁器のカップへと口を付けた。

 なんか思ったよりも…普通?多分、高い紅茶なんだろうと思うのだけれど…正直よく分からない。あたしはコーラの方がいいなぁこりゃ。

 どこか果実の様な甘い香りを含みながらそんな事を考えていると、そんなまったりモードに痺れを切らしたように、カズ兄が口を開いた。


「用件は何だと聞いている」

「そう急かさないで頂戴。ちゃんと用件はある…けれど、その前に」


 セバと呼ばれた男性が彼女の前にもティーカップを置くと、彼女は砂糖をひとさじ入れぐるぐるとかき混ぜる。ティースプーンをティーカップに当て、音を立てるなどという蛮行は当然無い。上流階級の連中ってのはこういう動作一つとってもあたしらとは違うんだなぁ…と実感する。


「一真、確かに私は貴方に出頭を命じたわ。けれど、そこの何処の馬の骨とも分からぬおチビさんと一緒に来いとは一言も言っていないのだけれど?」


 ぴっ!と先ほどまで優雅に紅茶に渦を作っていたスプーンであたしを指すウサちゃん。

 前言撤回。こいつ、内面は結構乱暴なんじゃないの?


「チビとは失礼な!」

「話がこじれるから少し黙ってろ」


 思わずスプーンで指し返してやろうかと思ったが、カズ兄に免じて今回は許してやろう。

 別にこういう時のカズ兄が怖いからとかじゃないんだからな。


「これでもうちのクルーだ。話を聞くくらいはいいだろう」

「へぇ…貴方があの二人以外を船に乗せるとは、ね。どういった心境の変化かしら」

「……単なる気まぐれだ」


 隣に座るカズ兄の表情は良く見えない。いや、見ないようにしてる、が正しい。

 この二人の間にある「何か」が良い話ではなさそうなのはこの短い会話でもなんとなく理解することが出来る。だからこそ、単なる気まぐれと、そう答えた彼の表情が硬く強張っていたりしたら、あたしはきっとすごく後悔するだろう。

 その後悔を受け入れられるほど、あたしは強くないから。

 だから、正直悔しいけど、彼女が深く追求せずに話を進めてくれたのはあたしにとってはとても助かることだった。


「……まぁ、おチビさんが何処の誰だろうと関係は無いわ。けれど、名くらいは名乗ったらどうかしら?」

「ふん、人に名前を聞く時は自分から名乗るもんなんじゃないのさ?」


 明らかに自分よりも色々な権力とか持ってそうな相手だけど…いや、だからこそ、一時でも助かったと思った自分に対する精一杯の強がり。


「別に私は貴方の名前など知らなくても良いのよ?それともずっとおチビさんと呼ばれたいのかしら?」

「だっ、だからチビって言うな!」

「名前が分からないなら仕方無いわ」


 ああ言えばこう言う!ニヤニヤと笑みを浮かべる薄い唇を両手でつまんでぐいーっと引っ張り上げてやりたいわ!


「ユンファ!橘ユンファ!」

「ユンファ…ね。ま、どうでもいいわ」

「どっ―どうでもいいなら聞くんじゃない!」

「だから言ったはずでしょう。私は貴方の名前など知らなくても良い、と」


 ハッ、と鼻で笑う相手にいい加減苛立ちが最高潮。引っ張り上げるだけじゃ物足りない、機装用のボルトで留めてやりたいし!

 口では勝てなそうなので実力行使…と行きたいがそれができる相手じゃないのは分かるので、子供っぽいとは思うけどカズ兄に矛先を向けていた。


「くっ…もおおおお!カズ兄ぃぃ!」

「そうからかってやるな。大人げないぞ、キサラギの社長ともあろう者が」

「そうだそうだ!大人げないぞ!キサラギの社……………は?」


 カズ兄の援護を受けて反撃開始、と思ったら、え?何?聞き間違い?


「何を鳩が豆鉄砲食らったような顔をしているの」


 そうあきれ顔のウサちゃんだけど、そんなの気にする余裕なんかない。

 え、いや、だって


「社…長?えっと、一番偉い人って…意味の社長、だよ、ね?」


 どう見ても自分と同年代にしか見えない相手が社長?何かの冗談としか思えない。


「当然ね。私の名は如月風華。若輩ではあるけれど、キサラギインダストリィの社長を務めているわ」

「う、うっそ?」


 何を当たり前の事を、と言わんばかりにため息と共に答えるウサ…いや、風華。

 デカイ部屋に執事付きとくればそれなりに偉い人だろうという予想は付いていたけど、思ったよりも…いや、思ったよりもなんて生半可な事じゃなくて、想像できない程に、目の前に居る人物は権力を持った人だった、らしい。

 自分でも無意識のうちに救いを求めるようにカズ兄に視線を向けると、カズ兄も同じようにため息と共に肩をすくめて見せた。


「いくらキサラギインダストリィが力を持っているとはいえ、生半可な立場の人間が一個人の居場所を特定して出頭要請なんか出せると思うか?」

「そ、それは…まぁ…」


 確かに、出頭要請がうちの工場に来た時に、なんでカズ兄がうちに居るって分かったんだろう、という疑問はあったけれど、要請を出した人間がキサラギインダストリィのトップとなれば納得できる話だし。


「さて、自己紹介が終わったところで早速用件について話たいのだけれど、いいかしら?」

「異論は無い」


 カズ兄を風華は勝手に話を進めるけれど、その裏側であたしは全く別の事を考えていた。


(父さん…うちの工場もう…ダメかも…)

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