第58話 伝説の
――9:49。8月。
夏休みに突入した美心は昨日ウチに泊まり、朝早くから雑談配信をしていた。去年はバイトを詰めに詰めていたらしい彼女だったが、今年はVTuberに極力時間を割くことに決めたらしい。
ギシッとゲーミングチェアを軋ませ私は「んーっ」と伸びをする。6時頃から起きていた美心に合わせ、私も起きてイラストを書いていた。
「とりあえず、一人目完成だな......」
PCモニターに映し出される銀髪の女性VTuber。とりあえずこれを蓮華さんにみせてだな。
ペタペタと素足でフローリングをあるく。クーラーのきいたこの部屋の床はいい感じに冷たい。
窓にたどり着き、陽射しを防ぐために閉め切っていたカーテンの隙間から外を見れば、茹だるような熱気にやられた人々が歩いているのが見える。
焼けるアスファルトから放たれる灼熱。しきりにハンカチで額の汗を拭うサラリーマンや、スーツを着た今にも倒れてしまいそうな営業マン。
彼らを見ているとあの頃の自分を思い出す。自分もこうして命を削りながらも、必死に仕事をしていた。
けれど、最後はあっけなく......まるで蝉が一生を終えるかのように、力尽きた。
せめて鳴く場所くらいは選びたかったものだ。そうすればもう少しだけ生きられたかもしれないのに......そして、もっと早く道を選び直せたかもしれない。
なんて、そんなの「たられば」の話だけど。もし、あそこで一命を取り留めていたとしても、私は実際に死ぬまであの会社で働いていた気もする。
『――〜♫』
――微かに隣の配信部屋から聴こえる、美心の歌声。
(そうだ......9時から歌ってみた配信やるって言ってたな。この曲は......『フロントメモリー』か)
夏にぴったりの曲。掠れさせるように歌う彼女のフロントメモリーはどこか儚く美しいイメージを思わせた。
そういや、こないだ投稿していたえまちゃんと一緒に歌った『おこちゃま戦争』......すごかったな。2日で160万再生越えとか。
(これはかなりいい流れだ)
あの曲はえまちゃんの歌ってみた動画の中で一番の再生数になった。それにその前にあったコラボでのアリスの存在感。
これで更に多くの人に知れ渡ったアリスというVTuber。彼女とのコラボは数字が取れるという印象が広まった。これで有名どころからのオファーが来るかもしれない......そして、営業で出せる十分な実績にもなったはず。
ここからより多くの人に見てもらえるよう立ち回る。
けれど普通にやっていてもダメだ。もっと何か......それがあればアリスは一気に花咲くはず。あの子のトークはえまちゃんが言っていた通り、かなりのものだ。
おそらくは前世で培ったトーク力なのだろう。それにより二度目の人生での経験があってか幅広い話のネタが使えている。たまに『え?アリスいくつなん?』とツッコミが入るが......けれど、それが上の世代に可愛がられる要因になっている。
(そう考えるとアリスは稀有なVTuberなんだろうな......唯一無二の、転生系VTuberか)
――アリスの歌声が扉を通して聴こえてくる。
フロントメモリー、アニマル、ヴァンパイア......そして転生林檎に入った。
(あと、ひとつ......起爆剤が欲しい)
蓮華さん、至乃夏......あるいは、薄氷シロネ。
――クロノーツライブの、他のライバーか。
「......ママ?」
気がつけば、美心が隣に立っていた。
「おおっ、びっくりした......あれ、配信は?」
「終わったよん。どしたの、ぼーっとしてさ」
「いや、ちょっと......どうすればアリスがもっと伸びるかなって考えてて」
ふんふん、と頷く美心。
「なるほど。でも、収益化できたんだしそれほど焦らなくてもいいかもよ?」
「焦ってはいないけど、今がチャンスな気がしてさ。せっかくえまちゃん、薄氷シロネとの繋がりができて大手のクロノーツライブと仕事ができるかもしれないし」
「あー、確かに!」
まあ、そう簡単にほいほいコラボなんて出来ないけど。前回のは運が良かったに過ぎない。たまたまえまちゃんがアリスのことを気にかけていて、私とも知り合いだったから。
「まあまあ、ママ。ほら、お買い物いくんでしょ」
「......あ、そっか」
「そーだよ!ちゃんと約束守ってもらうんだから!ママが作ってくれる収益化記念のケーキ楽しみ〜!Pwitterにアップして皆にみせよーっと!ふひひひ」
「いや、んなご立派なケーキはできんぞ」
ちなみに朝の雑談からの歌枠は収益化記念の配信でもあった。
そんなアリスのチャンネル登録者数は、今や77万人にもなり、それはもはや個人勢とはいえないレベルの伸び方と数字になっていた。
わずか3ヶ月余りでこの伸び方は驚異的であり、Pwitterのトレンドにも何度か浮上したこともある。
――彼女、アリスはVTuber界の伝説に成ろうとしていた。
「さあ、行くよ......ママ!」
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