第四話 しみったれとくそったれ②
***
「はぁはぁはぁはぁ……」
体中を濡らしているものが最早水球によるものか汗かも分からない中、一直線に走り続け、とうとう村まで帰ってきた。昼などとうに過ぎ去り、傾いた日が山にかかろうとしている。
山々連なる熱帯大雨林のど真ん中。盆地に位置するこのボーチャン村は、直径約七百メートルの、白い高い壁に覆われて守られている。面積にして約三十八万四千六百平方メートル。その殆どが農作地であり、外界との交流が無い為、鉄製品のない原始的な生活を送っている。人口約百五十人。一家族十人前後の丸っこい家が幾つかあるだけの小さな村だ。
高壁のひび割れから中に入ると、褐色肌で秘部だけを隠したような恰好の村人達が、あちこちで慌ただしくしていた。
「ほー……」っと感嘆の意を示しまくっている銀髪少女に、
「今日は祭りなんや。その準備で大忙し」
と、亀の頭のような形に削った棒を首飾りにしたり、亀の頭のような形をした大木を磨いたり飾り付けたり、めかしこんだ女達が御神酒を呷ったり、老婆達がご馳走を並べたりしている事への説明をしてあげる。更に、観光している暇はないとその手を握り、畑や集団墓地を横切り村はずれにある自分の家まで走っていく。
集団墓地の前を通る時、その内の一つが目に入って一瞬顔を曇らせてしまったが、手を引かれるまま走っていた銀髪少女は、遂に村人の誰とも話さなかった事を疑問に思いながらも、大人しく玄関を跨いだ。
「ご家族は?」
家中から人気のない寂しい雰囲気を感じたのか、興味のまま見回しながら口だけで聞いてきた。
「家族は――」
一ヵ月以内には帰ってくると約束して、初めての結婚記念旅行に両親が旅立ったのはそれ以上前。
もう大きくなったからちゃんと待てるもん、といつものように夏野菜を採ったり軒先で豆を剥いたりして暇を潰していた昼下がり。
「まだかなぁ」
一抹の不安と寂しさを抱えながら、それでも留守中に出会った色んな事を早く話したくて、どんな旅行をして来たのか聞きたくて、うずうずして待っていた所に、村長がやってきた。
「トアフスとネアンは死んだ」
狩りに出ていた村の大人が、森に散らばった二人の所持品を見つけた。辺りには争った跡や血痕もあり、周囲を捜索しても何も無かった事から、野生動物かエッチャーに襲われて命を落としたのだろうと説明した。
「……え……」
「トアフスの墓は僕が用意したるけど、ネアンまでは面倒見切れんわ。自分で何とかしぃや」
その後何を言われたのか。ごちゃごちゃ何か言っていたような気はしたけど、俺の耳には何も届かなかった。
家の中へ入り、寝床に横になり、暑いのにタオルを頭まで被った。夜が来て、朝が来て、剥きかけの豆も、食べかけのトマトも、雨粒が泥をかけていった。
季節外れの通り雨が上がると、庭に出た。寝不足の脳に、強い日差しが痛かった。腫れぼったい目を顰め、石のスコップを握りしめた。
「離れ離れじゃ、かわいそやもんな……」
ザッ、ボフッ、ザッ、ボフッ――
滴る汗を拭うこともないままに、庭の端へ土が盛られていった。
家から手頃な板を持ってきて、石のナイフで擦っていく。
ゴリッゴリッ――
「ネ」
ゴリッゴリッ
「ア」
ゴリッゴリッ
「ン」
ポタッポタ……
あがったはずの雨が板に落ち、削れた木屑に馴染んでいく。きゅっと唇を結んだまま、その隣へ同じように、
ゴリッゴリッ
「ト」
ゴリッゴリッ
「ア」
ゴリッゴリッ
「フ……ふ……ふぅ……ふううぅぅぅ……!」
ポタポタ落ちる涙雨が手から力を抜いてしまう。それ以上掘ってしまったら、その板をさしてしまったら、何かが終わってしまう気がした。
石のナイフを投げ捨て、板を払い飛ばし、土の山に顔を思いきり埋めた。
「うううううぅぅぅぅぅ……゛う゛う゛う゛う゛う゛うぅぅぅぅぅ!」
…………
……
「なんで泣いてるの?」
「え? ……いや、あれ?」
そう言われて顔を触ると、なぜか指先が濡れた。
「……なんでもない」
「それで、ご家族は?」
「……出てったよ……俺おいて」
覗き込んだ顔に何を見たのか、銀髪少女は……こう言った。
「死んだんじゃないの?」
愕然とし、反発する。
「死んでない‼ 死んでないやろ‼ ちょっと帰りとか遅いだけやもん‼ 死んどるわけないやん‼」
「いや死んでるでしょ」
「……はぁぁ?」
怒りとかそんなん通り越して、なんか色んなもんが抜けていく。その間にも「遺体が確認されていないにしても大魔境の深部なことに加えてそれだけの状況証拠が揃っ
ていれば――」と、続けている。
悪意とか、害意とか、マウントとか、そういったものは何も無く、ただ何故そう思ったのかという持論を語りたいだけ。目の前のクイズを、ただ楽しんでいるだけ。
「お前、人の心とか無いん?」
有り得ないものを見るような目で、銀髪少女を見ていた。
「え、あるでしょ人なんだから」
「……」
なに冗談言ってんのと笑える、その心が分からなかった。
「うわ最悪時間無駄にしたー! この癖マジよくないわ反省いや反省は後、本題!」
「俺、お前嫌い」
「私もバカとアホは嫌い。でね、こうしている間にもハンター達は、」
「俺お前嫌い」
「刻一刻と近づいてきているはずで、そもそも大人の足なら、」
「俺お前嫌い」
「壊れた録音エッチャー?」
「俺、お前、嫌い!」
「散らすぞ!」
それをゴングに取っ組み合うが、すぐに銀髪少女が手を離した。
「嫌いでも何でも、私と逃げる以外に、もう道は無いからね」
チャンスと押し倒すが、銀髪少女は俺を無視したままうつ伏せにひっくり返って土間に指で絵を描き始めた。
「?」
「卵を独占する一番の方法は、自分以外に場所を知らない事。ハンター達にとって、
私と君は不確定要素なんだ」
そこまで言うと、絵を描く手を一旦止めて俺を覗き込み、
「自分だけ村に隠れられると思うなよ?」
いやらしく笑った。
「……くそったれ」
絵を描く事を再開した銀髪少女に、俺は「すぅ……はぁ……」と深呼吸をしてから、
「何いるん? どこまで逃げるん?」
銀髪少女は返事の代わりに方位磁石を取り出し、逆十字大陸下側を描いたという簡単な略図の赤道上に横線を引いた。
「サウザー熱帯雨林がこう赤道上に広がってるんだけど、私達は今ここ、
そこで俺の不思議そうな顔を覗き込み、「この針が常に北を指してるの」と補足する。
「ここから国境の
と、ルートを指でなぞりながら説明する。
「めちゃんこ遠ない?」
「遠いね。一ヵ月かかった。君エッチャー持ってる?」
「持っとらん」
「じゃあもっとかかる」
未開の森はただ前に進むことも容易ではなく、日中四十度を超える猛暑の中、碌な装備も知識も持たず、かつ迷わぬよう慎重に行けば一日に一キロメートルも進めない。
それはここ数日で身に染みて理解しているし、帰りが比較的スムーズだったのも、行きに石鉈である程度道を作っていたからだった。
「家まで帰れれば、私のありったけのエッチャーであんな奴らこてんぱんだよ」
つまりこの少女は約一ヵ月間、遠い
「勝てんの? あれに」
本当に勝てるのなら、どれだけの事情があるのかは知らないし、いけ好かないことに変わりは無いが、このまま組むメリットは計り知れない。
「勝てるよ。必勝さ」
「お前何者なん?」
全て理解できた訳じゃなかったが、銀髪少女の自信ありげな言動に驚いた。
問われた銀髪少女は、何の気なしに言う。
「ちょっと実家が太いんだ」
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