黒き光
パルムを出立
フラゼッタ王と王太子は、昼夜の別無く発作を起こし、やせ衰えていった。
宮廷治癒師も打つ手がなく、専門校の教授にも助力の依頼があったが、事態は好転しない。
僕は出立までの十日間を学院と専門校の図書館、王城と聖教会への散歩に費やしたんだ。
特に聖教会では、ギジェルモ司教がなぜ焦ったのかを調査して、彼を排除したかった。ボリバル司祭が行なっていることも確認したかった。
ギジェルモ司教は、フラゼッタ王家の血から、エルフの血を取り除く工作を担当していた。僕が来る以前から失敗し続け、聖教会の不興を買っていた。また、その性癖から、聖教会内部での地位を疑問視され出していた。
ボリバル司祭への疑惑は、確証を得られなかった。
ベランジェ公子は毎日僕の指定した時間にやってきて、「じいや」の助言を受けている。
来る度に行政官の話をされ、僕を王城に呼びたいとのバランド公爵の意向も伝えられた。聖教会の依頼による聖ポルカセス国への旅を理由に固辞した。
「じいや」の助言に従い、ベランジェ公子はフラゼッタ王の第四王女と婚約し、時期を見て婚儀が執り行われる事となる。
十日後に、僕はパルムを出立した。
聖教会からは案内として助祭がつけられるが、ギジェルモ司教も聖ポルカセス国への栄転、事実上の更迭として同道することになった。
朝早くから「大鹿の角」の紋章がついた馬車が三台、パルム西門広場中央にある、拳と剣の像の前に並んでいた。
僕は、決闘をしたベランジェたち、学友たちに囲まれて、名残を惜しんでいる。
ここでは旅は決して安全なものではなく、今生の別れになることも珍しくなかった。
これから向かう西の土地は、徘徊する魔物は多くなかったが、比例するように盗賊が多とか。稼ぎ時かなぁ、楽しみ。
「聖教会の人……こないね……」
みんなは顔を見合わせて、肩をすくめる僕を気の毒がる。
「僕らは待つから。みんなは講義があるでしょ?」
もうすぐ昼になろうかという時に、警護の騎馬を先頭に、拳と剣の意匠を飾った聖教会の馬車が二台、幌のついた荷馬車が三台、パルム中心部から連なって進んできた。
先頭の大型馬車は広場で止まることなく、門に向かって進んでいった。最後尾の荷馬車が止まり、御者台から白いローブの男が僕たちの馬車に走り寄った。
「エルクさん、私たちの後について来てください」
「ギジェルモ司教様がご一緒とお伺いしましたが、ご挨拶しなくても?」
「ええ、止まらずに向かわれてしまいましたので……申し訳ありません」
白ローブはちょうど門をくぐった大型馬車に目をやって、謝ってくる。
「わかりました。では我々も出発しましょう」
残ってくれた見送りに手をふり、僕たちも門をくぐった。
僕が出立した日から、王と王太子の病状に変化があった。昼も夜もふたりは錯乱するようになった。
「い、いやだ! 来るなぁ! 来るなぁ!」
ふたりは異口同音に、「夢ではない! そこに魔物が、おぞましい魔物がいる!」と叫ぶようになった。
僕は出立したその日から馬車と宿を抜け出し、王都に戻ったんだ。
そう、王と王太子の枕元に立って、ルキフェの映像をふたりに見せ、声を聞かせにね。
僕が王都を出て三日目に、フラゼッタ王の退位、王太子の廃嫡が決定された。
その日のうちに王弟バランド公爵が、継承順位を飛び越えて即位する。ベランジェ公子がベランジェ王子として王太子となった。
前王と前王太子は、フラゼッタ王国の南、王室保養地での療養が決まった。
前王の王室、前王妃以下、貴妃、王子、王女たちも共に王都パルムを離れて暮らすことになった。ほとんどの者は、命の危険がある王位争いから解放されたことに、戸惑いながらも胸を撫で下ろしていた。
レーデルの母親である第三貴妃は前王との同行を断った。新王に許されてレーデルの妹、第八王女と共に離宮にとどまることになった。
僕は、フラゼッタ王国内にくすぶる新たな火種を意識しながらも、聖ポルカセス国に注力することにした。
旅の行程は遅々として進まない。
乗りなれない馬車の長旅に、ギジェルモ司教がすぐに音を上げ、休憩のために車列が止められることが度々だったんだ。
僕にとっては、バランド公爵が即位するまでの時間を稼げて、ちょうどよかったんだけどね。
人里の間隔が長くなり、聖教会や宿屋での宿泊ができなくなると、天幕を使った野営になった。
ギジェルモ司教は食事や寝床に不満をわめきちらす。
僕と顔を合わせた時に向ける目には、暗い欲望が見えた。ゾクッと背筋が寒くなり、怒りが湧く。
夜になり、雨が降り出した。
雨に濡れるのは嫌だ、と僕の護衛たちは見張りの仕事を放棄して、早々に自分たちの天幕に入ってしまう。
見張りを押し付けられた聖教会の護衛たちは濡れそぼりながら文句を漏らす。僕と僕の護衛に対する不満を言い合い、誰が司教か助祭に告げ口をするかでもめた。
言い合いに加わらなかった一人の護衛が、焚き火の明かりの外を向き、動きを止める。
「……お、おい……あ、あれ、あれはなんだ?」
最初は誰にも聞こえない小声だったが、だんだんと声が大きくなる。
他の護衛たちが気づいて、指差す方向に目を凝らす。
暗闇の中に、焚き火の明かりに反射する目が、護衛たちを見つめる目があった。目の位置は、人の頭を超える高さ。
音も立てずにゆっくりとこちらに近づく目が焚き火の明かりの中に入ってきて、その顔が見えた。
鼻先にある赤く短い角。目の後ろに左右上方に大きく突き出した二本の角。顔の向きを変えたことでわかる、頭を取り巻く大きな扇のような角。
毒々しい黄色と赤の斑が頭全体にあり、かぎ型のくちばしのような口をしている。
見張りたちが声を上げられずにいると、最初の顔の横に二つ目の顔が現れた。暗闇からさらにいくつもの顔が出てくる。
どこからの明かりなのか、少しずつその顔たちの身体が見えてきた。
顔の後ろに赤と黄色の班のある巨大な体が見え、その後ろにも黒々としたいくつもの塊が重なっているのが見えた。
その巨体たちは全身が小刻みにうねり、雨水とともに粘つく体液を滴らせている。
「な、なんなんだ……あれは」
そう誰かがつぶやいたときだった。
キシャァーアアアアアアッー!
顔たちが甲高い、怖気を震う大声で、一斉に吠えた。
「ウ、ウワッアアー! ま、魔物だぁー!」
「ヒィィィィィィー!」
「に、逃げろぉー!」
護衛たちは魔物から、てんでに逃げ出した。
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