彼女の名前は
「え、はい? ……なに? ……だれ?」
「エコーワンさん、さっきから声を掛けていたのですが……」
横を見上げると、先夜の少女が立っていた。
生成りのシャツに茶の革ズボン、薄茶のローブを着て、首に黄色いスカーフを巻いている。
両方の腰に手を当てた少女は、首を少し傾げていた。
僕は声を出せなかった。少女を見つめたまま、立ち上がることも思い浮かばなかった。
ただただ、うっとり見上げていたんだ。
……きれいだ……ほんと、きれいな目……あ、見惚れてる場合じゃない。
僕は立ち上がり、少女に尋ねた。
「えーと、はい、なんでしょう? いや、この前はどうも……じゃなくて……はぁ、ごめんなさい、本に夢中になると周りが見えなくなるたちで」
「……本って、え、これ目録? 目録に夢中なのですか、エコーワンさん」
「はあー。……ご用件は何でしょう? ああ、そういえばお知らせしたいことがあって、お探ししていたのでした」
僕は右手を胸に当て左手を横に開いて軽くお辞儀をした。
「本当は、どなたかに紹介の労をお願いしたいところなのですが。今日から入学した、一年生のエルクです。よろしくお見知りおきください」
「あ、……一、いえ二年生、レーデル……レーデル・エアン・フラゼッタです。こちらこそよろしくお見知りおきください」
レーデルは両手でローブを持ち上げ、片足を引いて膝を軽く曲げた。その仕草には気品と気高さがあった。
「え、エルク? エコーワンというのは……」
「ああ、コール……いえ、仲間内でのあだ名です。……フラゼッタ……、レーデル殿下は王室の方でしたか」
「いえ、ええ、敬称は無しで、レーデルとお呼びください。……エルク? エルク! ……あっ、エルク殿下?」
「……なぜ僕を『殿下』と呼ぶのでしょうか?」
「ベルグンのお友達からの手紙に殿下の名がありました。……さる王家のお世継ぎが学院への入学をされると。その方は十歳で美麗、お名前は……エルク殿下……」
「……ベルグンのそのお友達というのは……あなたと同じく……二刀流の短剣、いや、双剣をお使いになる、火魔法が得意な魔術師の方とは……きっと別人ですよね?」
「うふふふ。あっ、あの時は本当にありがとうございました。ジョエルは自分の屋敷にいました! 無事でした!」
「その件について、お知らせしておきたかったのです」
「レーデルさん、エルクさん、図書館ではお静かにお願いいたします」
司書に怒られた。
学院内には食堂がある。学生は身分が高い者や裕福な者が多いので、王都パルムでも格式の高い食堂から料理人が派遣されて担当していた。
図書館に居づらくなり、目録を返却して学生食堂に向かった。
『みんな、あの少女を見つけた。もう探さなくてもいいよ。食堂に向かう』
僕が望んで、日よけのある屋外のテラス席に案内してもらった。案内してくれた給仕の勧めるお菓子と薬草茶を前にして、改めてレーデルに話し始めた。
「あの夜、捕まえた男たちから聞いたことを元に、探らせました。今、ここにレーデル殿下がいらっしゃるということは、男爵にもあなたの侍女にも、問いただしていないと考えてよろしいですか?」
「はい。どうするか迷い、ま、ました、が、問いただしては、お、おりません。で、殿下。だ……父親が企むなどなんて……わたくしに……それでどういう……どんな……。あー、もう!」
「はい?」
「レーデルでいい、私も、エルクと呼ぶから。丁寧な口調は苦手なのよ。しゃべるのも聞くのも。もっと楽に話せない?」
「お望みならば……ってなんか、レーデルって困った人ですか? 周りに言われない?」
「陰で言われてるのは知ってる。でも、背中がぞわぞわするのよ。ああ、この人、本心ではそんな事、ほんとは思ってないねって」
苦笑いするレーデルを見て気がつく。あの夜は気がつかなかったけど、耳が尖っているね。アザレア程ではないけど。エルフ?
「一つお願いがあります。僕が王族であることは内密にお願いします。僕を狙う者がいるのです。その者たちはどれだけ被害が出ても僕を殺しにくるでしょう。周りの人を巻き添えにしたくありません」
「狙う者……わかったわ」
レーデルはキッと真剣な眼差しになる。
「では、あの後のことを説明するね。他の人には聞こえないようにします」
「聞こえないように?」
「ええ、そういう魔道具で。……では、何が起こっていたのか。まだ、全ての裏付けが取れたわけじゃないけど、レーデルの誘拐と、場合によっては殺害が目的でした」
「……」
「あの男たちはパルムの裏組織、暴力を生業にする者たちでした。彼らは直接男爵に雇われていません。レーデルを拐えたら、別の人間に引き渡すことになっていました。男爵がどう関わっているのか探らせています。企んだのはもっと上の人間のようです」
「上の……男爵より上の?」
「ええ。そこで、レーデルは、あの夜になにがあったかよくわからない、誰かが助けてくれた。誰なのかは知らない、ってことにしてください。それと、男爵と侍女は遠ざけないほうがいいかな」
「遠ざけない……後ろに誰がいるのか探るため……私は餌ね」
「……そうなるかな。いやですか?」
レーデルは首を横にふると、目を輝かせた。
「いいえ、いいえ。……面白いわ……狙った報いを受けさせる……」
意外と厳しい人なのかな?
「僕もレーデルの身辺に注意を払っておきます。まあ、あんな出会いでしたから、信頼してもらうのは難しいでしょうけど。……ふふ、あの双剣は見たことあるんだ。オルガとそっくりだね」
「ふふ、オルガお姉さまに習ったのよ。憧れのお姉さまよ」
僕は薬草茶を飲み、レーデルは手を付けていないが、勧められた花の形をしたお菓子を口に運んだ。
「ぐっ!」
甘い! 甘すぎ! 歯が溶けそう!
「くくくっ、甘いでしょ? 他の味は全く無くて、甘いだけなのよ。砂糖の塊。砂糖を使うのが裕福な証といっても、これは歯が溶けそうなのよ」
レーデルがちょっと意地悪そうな顔をして、ひそひそ声で笑いかけてきた。
同じ感想? なんか、なんか気になるね、この娘は。
お茶で口直しをしたが、いつまでも口の中が甘い。
「ねえ、エルク。図書館で目録を見てたでしょ? 面白いの?」
「うーん、目録自体はそう面白くはないけど。あの図書館にどんな本があるのかを、まず知りたくてね」
「どんな本があるか……司書に聞けばいいのではなくて?」
「まあ、そうなんだけど、できれば全ての本を読んでみたくてね」
「全ての? 一生の仕事になるわね」
「ふふ、まあ、好きだからね、それもいいかな」
「……その服、あの夜の服と似ているけど、変わった服ね。あ、おかしいとかじゃなくて、その、とっても似合っているし、戦いに向いていそうな服。どこのお店のかしら。私も欲しいわ」
「ああ、これ? ありがとう。……どこにも卸してないから買えないけど……う、うちの職人に言っておくよ。欲しがってる人がいるって」
「うん、欲しいな。その帽子もね」
それからは服装や武装、学院の事や講義の事、寮での生活、レーデルがやってしまった失敗など……おしゃべりをして笑いあう。
ここは勇者の支援をする人間を育てる所。いずれはレーデルと敵同士になって、戦わなくてはいけなくなるのか? それは避けたい、どうしても。
予鈴が鳴り、レーデルは講義に向かう。入れ替わりにラドたちが来たので、座ってもらった。
「ラド、やはりあの娘はフラゼッタの王女だったよ。彼女の護衛たち、少し気になるところがある」
「レーデル様をお気に召しましたか?」
「うーん……彼女とは戦いたくないな。エルフのようだったけど、フラゼッタ王家はエルフなの?」
「いえ、レーデル様の母君がフラゼッタ王家に嫁がれたエルフ。族長の娘と聞いています」
「辺境大森林の一族? そんな交流が?」
「はい。エルフの氏族は複数あります。人間と付き合い、交易のある一族もいます。どの氏族もレオナインの血を受け継いでいるはずです」
「そうか。……彼女を、レーデルを使う時は相談してほしい。彼女にも気になることがあるから、無断で道具にしてほしくない」
「かしこまりました」
なんだろ? なんとなく……どこかで会った? ……なつかしい? 好きになった? ……まあ、それもいいか。
僕は図書館に戻り、また目録を走査した。
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