ぬくもり
「エルク、お立ちなさい。ミヒェルからあなたのことを聞きました。釣りが好きなのでしょう? 公爵領での釣りに許可を出してあげるわ。ただし、私の願いを聞いてくれたらね」
「はい、なんなりと」
「倒したという魔物のことを聞きたいわ。さっきの魔法も不思議だったけど、魔術師なのでしょう?」
「どうなのでしょう? 魔法を使う冒険者ですが、正式には魔術師ではないそうです」
「いいわ。狼と、鹿? だったかしら? その話を」
シュゼット夫人の望み通りに、灰色狼を倒したことを話し出した。それ以前のことは、魔法訓練の日々とお茶を濁した。
ゴドたちとの出会いやベルグンの街で出会った人々のこと。
シュゼットが時折質問を挟んでくる。僕がその時、何を考えたのか、どんな気持ちだったのか、に興味があるようだ。
「なぜ、魔物の冥福を祈ったの?」
「……魔物も生き物。それが、望まずに死んでいくのだと」
話せないことは上手くごまかせたと思う。
話すことに集中し、ラドとヴィエラ、アザレアまでもが、僕ら三人の世話を焼いてくれてるのが、あまり意識に登らなかった。
シュゼットの深い声の問いは、不思議にも、これまでの事を再体験させてくれる。
まるで今食べたかのように、屋台のソーセージの脂の美味しさまで話していた。シュゼットは、楽しそうな笑い声をあげた。
日が陰り、鎧戸が閉められ、夕食を済ませた時には、僕らは城の客として泊まることになっていた。
今日、裏切り者を暴いた所まで話が済むと、僕を残して、ミヒェルほか全員を下がらせた。ふたりきりとなり、入れ替えたお茶を口を含む。シュゼットが僕をじっと見つめて、小さくうなずいた。
「エルク、ここに、私の前に立って」
「はい」
シュゼットは僕を見つめ、深くため息をついた。
「騎士領に入った頃からなのね。自分の行いや周りのことに、どんな感情を、どんな思いを持ったのか、思い出せないみたいね」
「必要だから、やらなくてはいけなかったから、行動しただけです」
「そう? 今は? どんな気分? 何を感じているの?」
「……確かに、エーレブルーに入った時は、イライラと、胸がざわついたままなのは……」
「私と同じなのかしら。……私が初めて王宮に行ったのは、あなたくらいの歳。何もかもが明るく、珍しく、美しく見えて楽しかったわ。貴妃に迎えてくれたスヴェイン王は、優しい笑顔だった。でも、ミルカを亡くした時から、全てが色褪せて……世界は止まっている」
「あなたは子どもの姿だけど……そう、大人? いえ、ちがうわね。まるで知らないところに来た、誰一人知る者のいない場所で、ひとりにされた子ども……」
シュゼットが手を伸ばして、僕の頬を撫でた。ゆっくりと頭を撫でてくれる。思わず
いつ以来だろう? 人と触れ合ったのは。
ああ、亡くした妻がいつもこんなふうに撫でてくれた。抱きしめてくれた。あの子も「好き」ってギューしてくれた。
頬を流れる涙を、シュゼットが優しく拭いてくれる。
「……人を殺すのは、嫌だ。生き物の命を奪うのは嫌だ。嫌なんだ。それ以上に……アザレアに、人殺しをさせるのが嫌だ。誰かに命じて血を流させ、苦痛を与えさせるのは嫌だ。でも、これからも、しなくちゃいけない」
堰を切ったように、僕は自分の感情をシュゼットにぶつけた。全てを優しく受け入れてくれる彼女の両腕が、そのぬくもりが心地よかった。
「あの子に、こうしてあげたかった。きっとミルカにも、思い悩む日が来たでしょうに。その時にそばにいてやりたかった。こうして抱きしめて……」
シュゼットに手を引かれ、城の物見塔に登った。少女の頃は、ここから眺めるエーレブルーの街並みが好きだったという。
明けてゆく空の下、黒い闇から色を取り戻していく街。ざわめきも聞こえてくる。
黙ってふたりで街を眺める。
僕は大きく息を吐いて、ぐぅーっと伸びをした。
「ありがとう、シュゼット。僕は自分で思っていたほど、大人でも、覚悟を決めていたわけでもないみたい」
「ふふ」
「はぁー、空気がおいしい」
「……エルク。お願いがあるの」
「はい」
「……母と……かあさん、と呼んでみてくれない?」
「……母上。……おかあさん」
「……ミルカ……」
疲労の見えるシュゼットを部屋まで送って、僕は水堀で釣りをすることにしたんだ。許可をもらったからね。
釣り人の頭の中はもともと忙しいんだよ。でも今朝はなかなか集中できず、キャスティングを繰り返す単調作業に、考え事が泡のように浮かんでは消えていく。
そうか。僕は思いを、感情を閉じ込めてしまっていたのか。
人を殺めることへの
それはそれだ。
死に関わったのなら一生背負う。これは変わらない。
でも僕自身が幸せにならなくてはいけないんじゃないか? 大人でもハグは大事なんだ。人に抱きしめられ、抱きしめる。
あの子が笑顔になるためには、「笑顔でいいんだよ、笑っていていいんだよ」って場所に、僕がならなきゃだめだね。うん、僕自身がもっと笑顔になろう。
しかし、釣れない。疑似餌交換してみようか。それとも魚のいる深さが違ってる?
……この水堀……もともと魚がいないってことは……ブルル!
「ねえ、シュゼット」
「なぁに?」
「この城って、シュゼットには似合わない気がするんだけど。言っちゃ悪いけど、
「……暗く寒々しいこの古城が、子どもを亡くし悲嘆に暮れる貴妃にふさわしい、そう思い込んだのかもね」
僕は、少しは明るい談話室で、一緒にお茶を飲みながら話している。
ふたりでタルトを食べている。リンゴかな。砂糖が使われているけど、甘酸っぱい風味を残していて程よい甘さ。うん、まるまるワンホールでも食べられる。さすがは公爵家。
「ラーデヤール公爵の所では暮らせないの?」
「父上はお体が良くないから、出来るだけ心配をかけたくなかったの。でも、引きこもっている方が心労だったかもしれないわね」
「少なくともここより陽が入って、環境の良いところの方がよくない?」
「そうね。……エルク、ノルフェ王国の王位継承権者についてどのくらい知っている?」
「……ほとんど残っていないことは、知っている。ラーデヤール公爵、赤子のマルッティ公子。そして、シュゼット公女。他はかなり遠くなる。新王に世継ぎはまだいない」
「そう。いま一番近いのは、私。先王のいとこで、貴妃になったけれど、公女でもあるわ。……ミルカに毒を盛ったのは、エイリーク。いま十七歳だけど、幼少の頃から王子、王女たちが死に始めた。そばにはいつもエイリークがいた」
「……」
「……報いを受けさせたい」
シュゼットは僕を見つめて、自分の手を握りしめる。まあ、そうだな、ヨリックを騎士爵にするような男だしね。
「エルク、あなたの魔法なら……」
「問題は幾つかあるよ。正直に言おう。エイリーク派閥とシュゼット派閥、どちらに理があり強いのか、いまだ考え中。もっとも、継承問題や派閥争いに、理は関係ないけどね。善悪も関係ない」
「ええ、突き詰めれば私欲。復讐、私怨だわ」
「どちらがこの国の人々を幸せにできるか。僕の基準はこれだよ。不幸せにするのなら、シュゼットにはつかない」
シュゼットが静かにうなずいたけど。その目に見えるもの、これは決意かなぁ。
「僕の魔法は特殊だけれど、万能ではないよ」
ほとんどのことはイメージするだけで出来てしまう。豊富な魔力と合わせて、ある意味、万能だけど。
「エイリーク新王がイーリスと同じ穴のむじ……いや、同じ性癖なら、シュゼットに味方する」
「では?」
「うん、協力するよ、シュゼット」
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