ベルグンの街を出立


 翌朝、夜明け前に散歩にでる。


 昨日ミヒェルに、何よりも重要なお願いをして、受け入れてもらった。

 領内での釣りの許可だ。ベルグンの街の水路は釣り禁止だけど、僕だけ特別に認めてもらう。領主署名の許可証が手に入った。

 で、昨夜は徹夜して、釣り道具をでっちあげたんだ。


 購入していた矢軸に使われる木材をロッドに作り変える。リールは簡単な糸巻きにする。ラインは集めておいてもらった馬の尻尾を撚って作った。

 針は釘を素にして成形し、鳥の羽、動物の毛を糸で巻きつける。これまで観察した、川面に多く飛んでいる虫に似せる。たぶん幼虫や幼魚など、水中の生物も前世と似たようなものだろう。



 そぉーっと水路に近づき、水流の変わり目や障害物の周りにキャスティングして、疑似餌を浮かべる。左手でラインを握り、細かく手繰たぐりながら、自然な虫の動きを演出して流す。


 ……ほーら、ほーら、美味しそうな虫だよー。溺れて弱ってるよー。食べといたほうが良いよー。


 一心に疑似餌を注視し、息を詰める。


 パシャッ!


 喰いついた! 瞬間、全世界が集約する!

 左手のラインを強く引き、ロッドを立てる。ググッと魚が潜る。ロッドから伝わる手応えが気持ち良い。

 流芯に向かって走り、バシャンと跳んで顔を左右にふる! 緩めるな! 数度のジャンプの後、大人しくなる。ラインのフケに注意して寄せてくる。

 水路のあちこちにある水面に降りる階段、そこを降りて、ゆっくりと魚を寄せてきた。


 ……おおっ! 釣った魚を追いかけて、いくつか影が! 横取りに来たんだ! 魚影濃い!


 手を水で濡らし、魚体を傷つけないよう手のひらに乗せて、観察する。


「美しい。薄いけどパーマークがある。鱒に似ているね」


 しばらく惚れ惚れと鑑賞し、用意していたビクのようなカゴに入れる。



 基本はキャッチアンドリリース。でも、初めての釣り場、初めての一尾はできる限り食べることにしている。食べきれないほど取る趣味はない。

 予め、水路の魚は食べられることを料理長に確認している。


 その後はワンキャスト、ワンフィッシュ。俗にいう入れ食いってやつだ。釣人の夢だね。釣り禁止の釣り場で僕だけが許可をもらっているから、当たり前なんだけど。

 屋敷のみんなで食べる分以外は「ありがとう」と礼を言って放す。日が昇ったところで道具を片付けた。


 ……ふぅー。ストレス解消には、やっぱりこれだね。


 円は閉じた。



 朝食は今朝の魚。ここでは塩漬け以外の魚は、ほぼ食べないという。料理長といっしょにムニエルを作った。鱗とわた、エラを取ってよく洗う。塩を振ってしばらくおく。出てきた水分を拭い、アレがないので、みじん切りの香草をまぶす。

 オイルを熱して、軽く粉をふった魚を入れる。フタをして蒸し焼きにする。


 うん、美味しい。淡白な白身。「塩」に、こんなにも旨味があると気づかせてくれる。


 でもね。

 自分で釣った新鮮な魚を食べることを「釣り人の特権」なんて言う人がいるけど、僕はあまり好きじゃなかった。傷つけて苦痛を与える。ごめんねといって放す。

 さらに命をもらって食べる。上手く言えないけど、なんとなく抵抗感があるんだよね、自分の釣り上げた魚を食べるのには。食べ物に困ってないし。

 釣りも食べるのも、相手の魚にとっては理不尽。でも僕は楽しんでいる。矛盾した感情が淀む。それでも、釣りはやめられない。




 伯爵はヨルゲン政務官と右筆、秘書を引き連れて訪ねてきた。僕は元カルミアのモーリッツを屋敷に呼んでいる。

 モーリッツはひどく緊張し、チラチラと僕とラドの間に視線を彷徨わせている。


「ミヒェル、おはよう」

「おはようございます、エルク様」


 モーリッツを引き合わせる。しばらく状況と目的のすり合わせを行った後で、ミヒェルと右筆を残して別室に移動してもらう。


 屋敷の使用人以外、今日のラドたちとアザレアたちの装いは、僕が用意した軍服。領主館のときは真紅だったが、今日は僕も含めて同じ濃灰色で統一されている。今日はヴィエラも小間使いの服装ではない。従卒ってとこかな。


「ミヒェル、お願いをまとめておいたよ」

「はい。ではお伺いします」

「一番はね、僕は『学院』ってとこに入りたいんだ。推薦状を書いてもらえないかな?」

「『学院』、フラゼッタ王国王都の『王立学院』でしょうか?」

「うん、その『王立学院』で勉強してみたくてね。ミヒェルの息子さんも学生でしたよね」

「はい、三男のゲルトです。エルク様の推薦状はご用意いたします。ですが、エイリーク王、新王がこれまでの法規や慣習を変えてしまっているのです」

「新しい王様が、法を改めるってよくあるんじゃないの?」

「はい。ですが、これまでは貴族院の賛同を得て行うのが習わしでした。新王は自分の派閥だけで枢密院を支配し、貴族院を無視した自分に都合の良い発布をしているのです」


 ミヒェルの表情からは新王への反抗は読み取れないね。政治に関しては、真意を隠せる老獪な政治家ってとこなのかな。

 でも、王が自分に都合の良い法律を作るって、当たり前だよね。しごく当然。


「ですので、学院への推挙は貴族だけでは出来なくなりました。枢密院への届け出と承認、新王への誓約が必要となったのです」

「……どんな誓約?」

「新王に忠誠を誓い、卒業後は王のために働くというものです」

「人材確保か。敵にならないようにかな」

「はい、その通りです。ですので、王都の枢密院まで出向かねばなりません。推薦状を提出し承認を得ます。私の関係する貴族たちに、エルク様への協力を依頼いたします」

「お心遣い、感謝いたします」


 ……ふーん、厄介だが、急がば回れ、かな。


「ミヒェル、ひとつ聞きたんだけど」

「はい」

「エイリーク王が即位したのは最近のことなの?」

「いえ、即位から二年ほど経ちます」

「……『新王』ね。いまだにそう呼ぶのは……不敬なんじゃないの?」


 黙ってうなずくミヒェル・ベルグン伯爵。僕は目を細めてミヒェルを見たけど、何の感情も表さない目で見つめ返された。


「いろいろ大変だね」

「大っぴらには『新王』と呼んではなりませんので、ご注意を」

「ほほう。仕方がない、王都に行くしかないか。じゃあ次。図書室をお持ちでしょ? 閲覧できないかな?」

「はい。構いません。ご都合の良い時にいつでもいらしてください」

「ありがとう。で、もろもろのお願いを聞いてもらう代わりに、僕は何をすればいい?」


 ピクっと伯爵の眉が微かに動く。

 腹の探り合いや交渉は、この際ムダだね。どうせ助力をもらって王都に行くんだ。直球を投げ込んでやれってね。


「調べたけど、王都へはラーデヤール公爵領の近くを通って行くんだね」


 僕は、にっこり純真無垢な笑顔で尋ねる。


「はい。出来ましたら、公爵家でシュゼット夫人とお会いいただきたいと思います。私も同道いたします」

「そう。でも、ミヒェルは毒を盛られてたから療養が必要でしょ? 僕たち冒険者だけの方が、人目につかないし。新王の手前、ミヒェルはあんまり動かないほうがいいんじゃない? さーてと、パーティーで出立の準備しなきゃね」

「はい、必要なものは何なりとお申し付けください」


 あれっ? あっさり引いたな?



 それから数日は、日参するミヒェルとの会議や旅の準備に費やす。


 どうしても随員を付けたいミヒェル。仕方なく候補をテストをしなくちゃいけなかったのは、とっても面倒だったよ。

 ラウノと模擬試合をしてもらったけど。戦えない文官は即却下。連絡将校でも情報員でも体力勝負。戦闘力皆無は無理だよ。

 次候補の領主軍兵士。兵士に臨機応変なんて言葉は求めちゃいけないよね。今度は僕が相手をしたけど、魔法を織り交ぜたトリッキーな攻撃に耐えられなかったので、ペケ。

 ホントの事いうと、魔王様御一行に部外者は厄介だからね。誰でも不合格にするつもりだったんだ。


 準備は他にもいっぱいある。


 宝物庫にあったマジックパックを配って、予備の武器、資金、物資を入れさせる。僕と違って、個人限定ではないので盗まれないよう取り扱いには注意をさせる。


 領主館の図書室。訓練を兼ねて、ミヒェルの帰館に騎馬で付いていく。すんなりと図書室まで通され、司書役の文官から蔵書について話を聞いた。

 結果は芳しくなかった。

 三男が魔法に関する書物を全部、学院に持っていった。残りは領地の財務・経理関係、数代の領主日記だけだった。日記は主に関係した女性たちのことだったよ、まったく。


 乗馬訓練。なんとか様になるまでにはなった。

 初日の訓練後に、皮のむけたお尻と内太腿を治療したのが悪かった。できたタコまで治癒してしまい、まっさらなお尻に。また鞍に馴染むまで訓練のやり直しだったよ。


 ダーガの訓練。冒険者ギルドを通して指名依頼をだしたんだ。「大鹿の角」全員が「海風」に稽古をつけてもらう。

 女性ばかりのパーティー「海風」は、みんな剣技が高水準。

 オルガまで飛び入り参加したし、別な高水準も。叩きのめされてもラウノが笑顔だったのと、オディーが口の端を上げていたのは見逃さなかったからね。

 もちろん僕が、終始ご機嫌だったのは否定しない。なぜかヴィエラとアザレアは不機嫌だったけどね。げせない。


 大宴会も何度かした。知り合った人たちへの挨拶にも回った。

 そうそう、ロッテには謝ったんだ。あんな偉そうにごねといて、結局は王都に行くことになったからね。

 伯爵から、シュゼット夫人への書状、「学院」への推薦状、派閥貴族たちへの紹介状なども受け取る。


 西門から旅立つ時は、伯爵やゴドたちに見送られた。


「……ほんとに、あいつは何者だったんだ?」

「……そうね、不思議な子。でも……きっと、これからも噂が聞こえてくるわよ……エルクだもの」


 ……ゴド、オルガ、聞こえてるんですけど。ありがとね。

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