追想 黒竜の炎


 朝だが、魔法で空を飛ぶ練習をする。昇る朝日を浴びて飛ぶのは気持ちがいい。スピードや高度を変えて、マニューバをいろいろと。


「……この星の周りを超高速で飛んで、自転を逆回転にして時間を戻せるとか? いや、確か全生物が絶滅する恐れが大って試算もあったな」


 できる限り高度を上げ、この星を周る。東西に、南北に。魔王国は大陸の一部で、どうやら大陸が五つはあるようだ。

 どの大陸も海に囲まれ、地球ほど大きくはない感じ。実測じゃないから感覚的にだけど。海のほうが広そうで、雲に覆われた部分の下は不明だ。


 困ったことに空で迷ってしまった。もちろんGPSなんかないし。最初に見た魔王国の半島を探して、かなりの時間を使ってウロウロと飛びまわった。 


 ようやく、空から実験で荒らした場所を探しあてた。雲で覆われていると空中からは位置がわからなくなる。地図や方位磁石などが用意できないうちは遠出は禁物だな。



 もう練習を切り上げて、ルキフェと打ち合わせた事に着手することにしよう。


 ……わたしが魔王になったことを、魔族には知らせておく必要がある。魔王が二人いることになるね。ルキフェの目的を果たすためには、協力者がどうしても必要になるし。


 最初は、魔王配下の黒竜ガランに連絡を取ることにしていた。


「魔王騎乗竜ガラン。黒い巨竜か」


 一度も騎乗したことはないそうだが、その役目を持ち、魔王に次ぐ命令権を持つ存在だという。あまり人に関心がない竜らしい。

 ガランを呼ぶ時は忘れるなとルキフェに言われていた、羽が彫られた金のペンダントを身に着ける。

 呼び出し方は、魔力を黒竜ガランに向けて放つこと。


 ……あれか? テレパシーで三つの部下を呼ぶ感じかな。


「黒竜ガラン! 魔王エルクの呼びかけに応じ、我のもとに来たれ!」


 両手を空に向けて広げ、そう声を出すのは、素晴らしく病っぽい。クセになりそう。


「おっ、なんか反応を感じた。応答したってことだろうなぁ」


 この世界で通じる言葉と文字は、ここで生きた魂たちの記憶を組み込んでくれたはず。これも要検証だ。ルキフェは同じ記憶からは狂乱についての情報をあまり拾えなかった。

「検索」の概念やスキルがないからか。


 十分ほどして遠くの山脈の方から、黒いものが飛んできた。かなりの速度で飛んできて頭上でピタリと止まった。見上げて思わず叫んでしまう。


「すごっ! 大きいなぁー! ほんとに竜だぁー! まるっきり怪獣だなぁ! 正直、ちょっと怖い」


 黒竜ガランは、とてつもなく大きかった。


 人間の大人ほどもある鋭い爪が生えている二本の前足と、太く大きな後ろ足が二本。胴回りは巨大輸送機くらい。長い尻尾まで入れると全長は輸送機の倍はある。

 全身は黒く突起があるウロコで覆われ、ヌラヌラとしたようなテカリがある。首は太く長く、頭には大小四本の角、こちらを睨んでいる眼は深く暗い赤い光を放つ。

 口は大きく、太い牙がずらりと生えている。

 広げた四枚の羽は、コウモリの被膜みたいなものではなく、黒い羽毛が生えたものだ。

 羽ばたきをして空中停止していないので、魔法で飛んでいるのだろう。長い尾の先には爪よりも鋭そうな凶悪な棘が何本もある。


「何者! 我を呼んだ貴様は何者だ!」


 大音声で誰何してくる。


「魔王ルキフェ様はどこだ! この人間めがぁー!」


 そう叫ぶなりこちらの返答を待たずに、炎を吐きかけてきた。


 グゴオォォォォォォー。


 竜のブレス。白熱の濁流が、わたしを飲み込む。


「うわっー! あちちちぃー! フフ、なんてね」


 黒竜ガランとの対面方法は、あらかじめルキフェと考えておいた。黒竜ガランは浅慮短気を装い、魔王だと名乗る僕を試すだろうから、と。

 ペンダントは魔道具。機能は他者には探知できない防壁を展開すること。

 ブレスが止まっても、わたしにはなんの被害もなかった。


「予想通りとはいえ、ちょっと、いや、とってもびっくりした」


 ブレス攻撃で溶けた岩石の中に平然と立つわたしを見て、黒竜ガランは驚いた表情を浮かべた。


「おやおや。竜は表情豊かだなあ」


 ガランは次のブレスを吐かずに、空中から右前足を大きく振り上げて鋭い爪で攻撃してきた。その動きを目で追い、届くギリギリで一歩下がり、かわす。

 目の前を通り過ぎる爪の風圧でわたしのローブがはためく。左右交互に爪攻撃をしてくるが、どれも屈んだり、下がったりしてかわし、当たらない。

 左右からの攻撃速度が上がったところで、頭上から噛みつきがきた。これも動きについていって相手の左前へと踏み出す。

 ガランの息がかかったが、焦げた匂いや生臭さはまったくなく、甘いようないい香りだった。

 ルキフェの用意した体の基本スペックは高い。人間の子どもの大きさに巨体の魔王の身体能力を盛り込んだので強度、速さ、耐性、腕力、視力、聴力も高性能だ。


「次は尾かな? こちらも攻撃させてもらおうっと」


 ガランは体を独楽のように回転させた。尾の横薙ぎがくる。

 後ろに下がったり屈んだだけでは、かわせない。飛び上がる。ガランの頭上まで高速で飛んで、尾とともに回転するガランの頭に踵落としをみまう。

 ガランは、地上に顔から打ち付けられた。


「ぐへっ!」

「あらら、ちょっと情けない声だね」


 地面に落ちた竜体の右腹に飛び蹴り。吹き飛ぶガランに、わたしの飛ぶ速度を上げ反対側に追いついて、後ろ回し蹴りを打ちつける。

 ガランは地面を長く削って、手近の岩山にめり込んだ。


 体を埋めたガランの前に、ふわりと降りて声をかけた。黒竜ガランはゆっくりと岩山から這い出してくる。


「黒竜ガランさん。いきなり攻撃しては、状況に合わせた正しい対処はできません。相手の力量が不明なら、話し合いから始めましょう」

「な、なにっー。人間風情が我に大層な口をきくなぁー!」

「ルキフェからガランであれば魔力を感じ取り、魔王であるとすぐ理解できると聞いていたんですがねぇー。わたしは、魔王エルクと申します」

「……魔力はルキフェ様と同じだが、おまえのように弱々しいお姿ではない! 高貴で威厳に満ちたお姿だ。魔王をかたるお前は何者だ!」

「はぁー。ルキフェが言う通り浅慮を装っているのでしょうが、そろそろふりは止めてもいいんですよ。答えは予想できてるのでしょう? これをご覧ください」


 魔王ルキフェの姿を、ガランの前に映し出す。


『我は魔王ルキフェ』


 重低音が交じる低く轟く声。声が聞こえた途端に黒竜ガランは頭、腹、尾を地面にベッタリと付け臣下の礼をとった。


『魔王エルクを我が跡継ぎとした。以後はエルクのめいに従え。エルクのめいは、我がめいである!』


 殷々と声が響き、ゆっくりとその姿とともに消えていった。

 その消えていく姿を追うように、ガランが身を起こす。


「あらためて初めまして、黒竜ガランさん。ルキフェから、魔王としてのすべてを受け継いだ魔王エルクです。もちろんガランさん、あなたも含めてです」


 黒竜ガランに向けて手をかざした。


「命ずる! 黒竜ガラン! 我に従え!」


 黒竜ガランはその言葉に、ふたたび頭、腹、尾をベッタリと地面に付けた。


「頭を下げたままでいろ。お前を縛る言葉の力を感じるか? おまえに力で命令できる我は魔王、魔王エルクである」


 ……うーん病だ。前世でこんな偉そうに命令したことはない。正直ちょっと恥ずかしいけど、慣れなくてはいけないな。魔王の威厳がないとルキフェに恥をかかせるからなぁ。


「魔王エルク様。貴方様に従います。何なりとお命じください」

「状況の説明と、お願いもあるので話し合うことにしましょう」


 ガランに座ってもらう。

 前足の前にテーブルセットを置いた。もちろんガランは椅子に座れる大きさではないので、うずくまっている。スフィンクス座り。

 巨大な黒竜の前で椅子に座ってしゃべっている笑顔の子ども。はたからみれば異様な光景だろうな。


 ……ガランは人間の言葉を話しているが、声帯の構造はどうなっているんだろう?


「エルク様。魔王ルキフェ様は、お亡くなりになったのでしょうか?」


 ガランは、偉そうな話し方から丁重な話し方に変わっている。


「いいえ、存命です。が、肉体は復活していない。今は魂の空間にいるよ。この話し合いも見ているかな」


 魔王ルキフェからの依頼を話し始めた。


「ガランさんや魔族が知っている魔王ルキフェは、狂乱している状態なのです。本来のルキフェは理知的です。『受肉すると狂乱する』これを解決しなければ、復活したくない。狂乱は魔族たちを巻き込んでしまう。そのことにルキフェは心を痛めています。実験的に私が魔王国から離れて受肉したのですが、幸い狂乱しなかった」

「……我らが狂乱し、只々、血を求める衝動に駆られるのには、そんな理由があったのですか……」


「で、ルキフェと狂乱について方策を検討してきたので、ガランさんにお願いがあります」

「はい、ご命令ください。私のことはガランと呼び捨てになさってください」

「まあ、呼び捨ては心理的に難しいねぇ。練習するよ。わたしは魔王国の人がどのように暮らしているのか知らない。なので人を連れてきてほしいのです。魔王国の運営をよく知る人。それから人間に混じって生活しても違和感のない魔族。わたしと一緒に組織を立ち上げられる人を」

「それは魔族でも、武力ではなく知力が優れた方ということですね。暮らしについてもその方たちからお聞きになったほうがわかりやすいでしょう。我々竜族はあまり人種と集団生活をしません。では早速ここに連れてきます。本当は魔王様しかお乗せしないのですが、乗せてきましょう」

「お願いします。それと新魔王やルキフェに関することは、あまり大勢に広がらないように気をつけてください。魔王の対となる勇者が生まれているかもしれません。邪魔はされたくありません」


 しばらくガランと話した後、伝えることが残っていないか考えていて、一つ思いついた。


「魔王城には行きますか?」

「連れてくる者は、魔王城か、その近くに住んでいます」

「では、宝物庫になにか印をつけたものを入れてもらってください。ここで宝物庫から私が取り出せれば、魔王である証にもなるかな」


 ……決して、ルキフェの映像と声を出したくないとかじゃないから。もちろん。


 黒竜ガランは夕日の中、魔王国に飛び立っていった。戻るのは明日の朝、夜明け前と伝えている。


 飛び立つ直前にさらに思い出して、戦かった時に剥がれて散った、ガランのウロコが貰えないか尋ねてみた。

 快く了承してもらえたので集めて回る。体から抜けていないがヒビが入っていたウロコも貰った。


 ……竜のウロコが、武具や魔道具の材料として高額で取引されるのはお約束だから。いつか使う時があるかもしれない。こりゃあ綺麗なウロコだな。


 飛び立つガランを見送ったら野営だ。周りを見渡し身の丈ほどの岩の陰に設営することにした。

 毛皮の敷物を何枚かと大きめの布、なめしてある皮、木製の巨大な棚を取り出した。

 横にした棚に布をかぶせる。サイズを魔法で調整し、なめし革を細く裂いたもので固定した。毛皮を敷いて上から更に毛皮をかぶれば、数夜なら十分に過ごせそうだ。

 十歳の体は小さめだからこれで大丈夫だろう。あとは夕飯か?

 宝物庫から取り出した棚をバラバラにして薪とする。


「極々、小さい火の玉で着火しないと灰にしそうだな。火魔法で調理もできそうだが、キャンプに焚き火は必須だよ」


 金属の棒を三本使い、細めの鎖でトライポッドを作る。水を入れた鋳鉄の鍋をかける。シースナイフ、器を用意した。

 宝物庫にカトラリーの種類が少ないねぇ。銀と思しきスプーンが何本かあるから、ディナーナイフとフォークに作り変えてみるか。

 箸は一膳もなかったので、銀の箸も作ってみよう。


「この世界の食事情はどうなってるかな? 美味しいものがあるといいなぁ。宝物庫には食用になりそうな肉塊も入ってるけど。生まれたての今夜は軽いものにするか」


 鳥肉らしきものを、骨ごと煮込んでスープを作る。

 圧力鍋のように調理できないかと魔法で加熱、加圧、蒸らし、減圧を試してみる。肉が骨からするりと外せるほど、良い加減にできた。


「そうそう、作った料理を宝物庫にしまっておけるかも試さないとね」


 お湯を入れた器は、こぼさずに出し入れできたし、お湯と器を分けて出すこともできたのは素晴らしい。


 硬いライ麦パンみたいなものを、ナイフでゴリゴリ削って入れ、パン粥を作った。味付けは塩。

 少し臭みがあるが嫌なものではない。鳥の旨味が出て美味しい。料理に使えるお酒とハーブ、香辛料がこの世界にないか、機会があれば探してみよう。


 魔力を活動エネルギーに変換することでも、生命維持は可能になってはいる。十歳は本当なら食欲旺盛なのだろうが、それほど食べなくてもいいようだ。


「でも、食べることも、料理も楽しいよね。この世界の美味しいものも探してみよう」


 ルキフェはほぼ物は食べないそうだ。食べる楽しみ、味わう楽しみを逃しているのはもったいない。人生の楽しみの半分は食べること。もっと生き物としての楽しみを感じてもらいたいね。


 食後に魔法で調理道や食器を洗った後、カトラリーは革で包んで仕舞い込んだ。

 できれば村か隊商に潜り込んで、この世界の常識を学んでおきたいなぁ。子どもは武装しないとか、魔法を使ってはいけないとかじゃないことを祈ろう。

 文化、経済、政治。ルキフェはそういう知識が少なかった。


 焚き火に背を向け夜空を見上げると、端から端まで長く雲がかかったように、星が連なっている。

 離島の海岸で見た星空に近い。あの時見たミルキーウェイとは違う宇宙なんだろうな。


 こうして、この世界に新しく生まれ、夜空を見上げているのはとても不思議な感じだ。


 起こったことが多すぎて情報過多?

 本当に魔王を継ぐのか?

 取り返しがつかないことをしたのか?

 いずれルキフェのように狂乱に呑まれてしまうのか?

 暴虐の権化になってしまわないだろうか?


 流れ星が見え、思わず祈った。

 ああ、どうか、無垢の人を不幸せにしませんように……。

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