追想 魔王の悲嘆
灰色の空間。魂として出会った、笑顔の白い猫。魔王ルキフェ。
「ルキフェさん、ゆっくりとお話を聞く時間はあるのでしょうか? 腰をおろし、飲み物を飲んで、リラックスしてお話できませんか?」
薄暗い灰色の空間に、白い猫と向かい合って浮かんでいるだけってのは、どうにも落ち着かない。
「はい、時間は十分にあると思いますので、座ってお話しましょう」
ルキフェの言葉と同時に、腰の高さの岩が二つあらわれた。岩は大ぶりだが上部がゴツゴツで、座るとお尻が痛そうだ。
「あのー、用意してもらってなんなんですが、お尻が痛そうですね。もう少し明かりも欲しいですし」
「そうですか、他の人と座って話をしたことがないので、よくわからないのです。エルクさんが思うものにしていいですよ」
「どうやってでしょう?」
「心で。考えてみてください。思えば実現しますので」
……思うだけでいいの?
じゃあ、リラックスできる、のどかな感じがいい。
湖畔のリゾートの別荘、テラスになっている白い無垢材のウッドデッキ。上質な革のソファとテーブルがあるゆったりした空間。コーヒーか紅茶か。
猫が飲めるかな。猫舌かな、ソーサーがいいか。
湖畔の風をうけたウッドデッキがあらわれる。青い空に爽やかな風がそよいで、鳥の声もする。無意識に水面に魚の姿を探してしまうのは、わたしが狂というほどの釣人だったから。
ルキフェは周りを見渡した。
「素晴らしい! やはり。ここまで鮮明に実現できるとは素晴らしい。驚きです」
「お褒めに預かり光栄です。よくわかっていませんけど」
苦笑いしつつルキフェと差しむかいに腰をおろし、テーブルにある湯気を立てるコーヒーを勧めた。
「あっ! 猫にカフェインはよくないですね。別のものにしましょう」
「いえ、この猫の体は実体ではありません。コーヒーを飲んだことはないので興味があります。本当に飲めるわけではないのですが」
「精神だけなのですね。では、お話をうかがいましょう」
ソーサーから舐めて飲む猫を見ながら、わたしもコーヒーを口に運ぶ。香りが高くて、酸味は少ない。味も熱さも好みだ。
「私は問題を抱えています。現実世界に受肉復活すると、狂乱状態になるのです」
「狂乱? 猫の喧嘩?」
「この姿はエルクさんに合わせたものです。本当は猫ではありません」
「あ、失礼。最後までお聞きしてから口を挟みますね。悪い癖です」
「では。私は復活すると狂乱し、民を巻き込み、侵略することだけを望んでしまいます。狂乱する魔王、その同じ体に狂乱していない私も同時に存在するのです。しかし、狂った魔王の行動を見ていることしかできません」
そう言って湖面を見つめるルキフェの目には、どんな景色が見えているのだろう。
「魔王国の魔族たちは狂乱した魔王に影響され、大人も子どもも、体が大きく変化して盲目的に従ってしまいます。そのまま魔王国から山脈と荒れ地、大断崖を越え、他国を侵略します。目につくもの全てを虐殺しながら」
ルキフェは湖面から視線を外し、青く広がる空を見あげた。
「しかし、侵略のときには、私、魔王は魔王城の玉座についたままです。城を出ることはできず、魔王軍を先導はできません。その後、私の復活に合わせて勇者が現れます。勇者は必ず魔王城に入り込み、魔王を、私を殺すのです」
前足で胸を押さえているルキフェの尻尾は膨らんでいる。
「それを何百回も繰り返しました。復活するまでの期間を長くしても短くしても、必ず勇者に殺されます。勇者はすべて同じ人物ではありません。が、皆、聖剣を持ち、その聖剣だけが、私を殺せます。侵略する魔族たちは私が殺されるまでの間、待ち構える人間の軍に狩られ、殺され続けます」
ルキフェは背中の毛を逆立て、うつむいてしまった。
「私が殺された後は国境の不毛地帯まで追撃され、故郷にたどり着けたものも、苦しい生活を強いられます。再び狂乱する私が、復活するまで」
魔王として復活、この精神空間に戻る事を、繰り返す? 何百回も?
「魔族の暮らしは、ここから知ることができます。ですが、現実世界に干渉できることはごく限られたことのみ。魔王の復活と狂乱、戦争。それが原因で起こる疫病、飢餓、食料の奪いあい。ここからも、復活してからも、止められないのです。悪いのは私で、彼らにはなんの罪もないのに……。この狂乱を止めるために、エルクさんに協力してほしいのです」
ルキフェの語ることは本当だろうか? 何が起きたのか見れないかな? 似せているだけだとしても、こうしてシロ丸が苦しんでいる姿は見たくない。
「……ルキフェさん、ひどくつらいお願いになってしまうかもしれませんが……。今のお話、映像で見せてもらえませんか?」
「えいぞう……ですか。やり方がわかりません」
「うーん。では、記憶を見せてもらうのはどうです?」
「覗いたことはありますが、自分の記憶を見せたことはないです。魂をつなげれば、あるいは可能かもしれません」
「はっきりいいます。あなたの言葉を信じていいのか、わからないです。試してみましょう」
正体が魔王でなければ、手を伸ばし背中をなでて安心させたいところだ。
「……いい記憶ではありませんが、エルクさんが望むのなら……」
「お願いします」
ルキフェがテーブルの上をこちらに近づき、わたしの手に肉球を置いてくる。温かい。オッドアイを見つめていると、そっと何かが心に触る感じがした。
病院の入院着を着て、ひどくやせこけた男が見えた。幽体離脱で見た姿だな。背景からするとルキフェがいま見ている、わたしか。すぐにも死にそうな顔、ああ、もう死んでたっけ。
剣を構えた人間が見えてきた。顔はわからないが、光る剣を持ち、こちらを攻撃してくる。
刺された! 刺し貫かれた! 異物がズルリと入ってくる感じと、焼ける痛みが襲ってくる。
息をするたびに胸が熱い。胸だけじゃない。体じゅうが鋭く痛む。何万本も針を突き立てられているような痛み。永劫に続きそうな終わりのない絶望的な痛み。
……全身を火で焼かれたらこうなるのか!
痛みが微かになると、別の人間が現れ、再び光る剣を刺してくる。
何人も、何人も、次々現れ、わたしを刺し貫く。激痛と怨嗟と諦めと後悔が、延々と続く。
「エルクさん! エルクさん! 大丈夫ですか?」
わたしの耳に、遠くから呼ぶルキフェの声が聞こえてきた。
「……こんな痛みに……何回も、何百回も……こんな苦しみを……死んでも終わらないなんて、理不尽だ……」
わたしはこぶしを強く握りしめていた。やがて硬直して汗まみれになった、体の緊張をゆるめてつぶやく。
「こんな反動があるなんて、精神だけの存在をなめていた。慰めたいなんて軽い気持ちだったことを謝りたい」
わたしの胸の奥に、軽薄な自分とルキフェが受けてきた理不尽への強い憤りが湧きあがる。
「すみません……わたしが浅はかでした……」
「いえ、謝らないでください。少し休憩しましょう」
「……わがまま言いますが、苦しいのは一度で済ませたい……魔族の方たちについて見せてください……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないでしょう……ですが見ずに済ませたくありません……お願いします」
「……」
あまり鮮明ではないが魔族の人々の姿が見えてきた。
傷つき、病み、飢え、争う人々。身を寄せ合い、抱きしめ合う。やがて生をあきらめ、みんな無表情になってゆく。
こちらを見つめる子どもがいる。
額に短いツノが生えている。浅黒く汚れ、痩せて、目ばかりが大きく見える顔。その子の目が、なんの感情も浮かんでいない目が、心を突き刺す。
「……私さえ狂乱しなければ……」
ルキフェの嘆きと焦燥が、強く伝わってきた。
……なんとかならないのか!
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