第31話 課外実習
夕食の時に。
「ところでリック、お金は何に使ったのかな?」
やはり、父親にそう問われたので、リックは包み隠さず言う。
「全部使った。父さんの紹介してくれた武器屋で一枚、購入はナイフ三本だけだが、まあちょっと頼み事もあって。それから酒場で一枚、情報料だな。あとは娼館に一枚と、賭場で一枚」
「ちょっと待ちなさいリック。あなたどこに行ってるの」
「母さんが心配するようなことは、何もないよ。ただの挨拶だし、父さんがどんな女を抱いていたか調べようなんて、これっぽっちも考えてなかったから」
「――あなた?」
「ぼくは行ったことないよ!?」
「どんなところか見学しただけだ。それより、外に出るんだろう? 姉さんはどういうルールで行くんだ?」
「えっと、自前の装備を準備して、できるだけでそれで生活する。魔物との戦闘も考えてて……ただ、寝泊りする場所は決まってる。だよね、母さん」
「ええ、そうよ。うちが、父さんの実家が所有してる場所だから」
「開発の手が入っていない訓練場か、よくわかった。当日までに俺も準備しておく」
「うーん……」
三つ上の姉の訓練なのだから、リックにはまだ早いと思われているようだ。
ただ、同じ条件であっても、問題があるなら手を貸せば良い、ということで落ち着いた。
当日。
ついて来るのは母親だけなのは予想していたが、その前に。
「父さん」
「うん?」
「魔術を見せてくれ」
「いいけど……これでいいかい」
かつてと同じく、術陣が展開して火が発生したので、リックは術式を使って陣に介入すると、火は消えた。
やはり、だ。
この術陣は、魔術構成そのもので――推測が正しかったことを教えてくれる。
「え?」
「父さん、もう一度」
「ああうん」
今度は火が出る前、術陣が展開されようとするタイミングで消す。
「――」
「もう一度」
だが、三度目からは術陣そのものも出ない。
魔術封じ。
彼らの魔術は術式を構成しているのではなく、構成そのものをどこからか引き出している。だからその引き出そうとする行為そのものを邪魔してしまえば、魔術は完成しない。
「リック」
「もういいよ、ありがとう。できるなら、対策した方がいいな、父さん。――ごめん、もう行こう」
いってきますと声をかけ、困惑する父親を置いて、三人は街の外へ出た。
それなりに近い場所にあるのか、共用馬車で一時間ほど行った途中で降ろしてもらい、そこから徒歩で街道から外れる。
「はい、これが地図と方位磁石ね。印があるところが予定地。先頭はエシャね」
「わかったわ」
ついていくだけなら、楽なものだ。こういう場合、どうしたって先頭が一番疲労する……のだが、たぶんエシャは先頭がすべきことを、ほとんど知らないだろうし、できない。
道を決めること、それはもちろん必要なことだ。ここは背の高い木が多いので、足元の草は少なく、歩きやすいし、勾配もあってないようなもので、体力的には楽だろう。
本来は、先頭とは全体を把握すべきであり、後ろの様子を常に気にしなくてはならない。同時に、周囲の危険察知、それを背後へ伝達する方法、もちろん目的地に到着してからのことを考えて、その準備――分担する相手がいるならまだしも、だ。
三十分後。
「――姉さん、少し休憩しようか」
「へ? ああ、うん、疲れた?」
「まあな」
疲れているのは姉の方だ。まだペースが落ちるほどではないが、そうなってからでは遅い。
「警戒し過ぎだ」
「……そう?」
「あと緊張もな。いいか姉さん、一度深呼吸をして耳を澄ませるんだ」
「うん」
目を閉じ、大きく深呼吸をする。こちらの言葉が届いているなら、まだ大丈夫だ。
「木が揺れる音、聞こえるか?」
「……聞こえるわね」
「これは自然な音だ、それに警戒する必要はない。そうやって消去法で考えていくと、そもそも警戒するものが少ないんだよ」
「でも、魔物がいるかもしれないし」
「そうだな……言い方が悪かったか。じゃあ姉さん、外食に行ったとしよう。そこそこのレストランで、大声で話すほどじゃないが、家族団らんには丁度良い雰囲気がある」
「なにそれ」
「いいから。そんな場所で怒鳴り散らして文句を言ってる客がいる。これは目立つだろう?」
「当たり前ね」
「姉さんがやってるのはそれなんだよ。自然の中で緊張と警戒を表に出している。周囲にしたら、つまり、森の中で生きるすべての動物にとって、これは異常だ」
「……で、でも、だったら逃げ出すでしょ?」
「大半の動物はそうかもな。けど逆に、それでも姿を見せる魔物がいたのなら、それでも敵対する必要があるのか――あるいは、絶対の自信があるのか、どちらかだ。前者なら必死、後者ならこっちが必死、いずれにしても好ましい未来じゃない」
「う……」
「そうでないにしても、疲れるだろ、そういうの。だからってすぐ改善されるとは思っちゃいないから、とりあえず姉さん、俺が教えたことを忘れてる」
「なに」
「足で地面を掴むこと。いつもと違う環境だし、地図を見ながら方向も気にするのはいいが、基本を忘れてる。俺が言ったのは?」
「……全身の力を抜いて、両足で地面に立って、無駄な緊張をしない」
「覚えてるじゃないか。できないことはやらなくていいし、これから覚えればいいんだ。姉さんは今、覚えてることをやりゃいい」
「気負い過ぎってことかあ」
「そういうこと。あと、水くらい飲んでおいた方がいいぞ」
「ありがとリック」
じゃあそろそろ行こうかと立ち上がったエシャは、ほどよく緊張も解かれ、足の裏の感覚を確かめるよう歩き出した。
それでいい。
自然に入ったら、自然と一体化するべきなのだ。そうでなくとも、人間なんてこの場所にとっては異物なのだから。
折を見て、休憩を促すが、休み時間そのものは五分くらいのものでしかない。山歩きもそうだが、行軍などでは、疲れたと意識できる状態にならないことが重要なのである。特に疲労の回復は、精神的な部分も影響するため、気付かないくらいのタイミングで一息入れた方が持続するものだ。
「休憩するたびに、なんか荷物増えてない?」
「それはそうだろう。キャンプ地に何も持たずに行ってどうする」
細いツルは歩きながら引っ張り、輪にして肩にかけているし、それはもう三つになる。途中で発見した竹は、節をナイフで叩いて音を確認し、水が入っていそうな部分を切って、リュックに詰めた。
母親はこれまで口を挟もうとしないが、何か考えている様子である。それもそうだろうけれど、言い訳は用意しておいた。いざとなったらそれで切り抜けるつもりだ。
「あ、ちょい待っててくれ」
腰掛けていた岩から、ひょいと立ち上がり、三本ほど木を越えて奥へ。そこにいた蛇の側面に回り込むと、右手で首を掴み、そのままナイフで切断する。動物なら蛇、魔物ならサイズも違うがジズリと呼ぶ。
すぐに皮を剥げば、そのまま内臓も一緒に取れる。ちらりと背後を見て、すぐ移動を開始しそうなので、木の傍に内臓は捨てておく。
「待たせた」
「いろいろ突っ込みどころはあるけど、リュックの中に入れていいの?」
「ああ、内臓を抜いておいたから、半日くらいはどうにでもなるし、どうせ食べる時には火を通す。今なら生でも喰えるが、それは最悪の時だな」
「――ちょっとリック」
「なんだ母さん」
「いろいろと手順をすっ飛ばしてるわよ?」
「俺の勉強を教育係のばあさんから聞いてないのか? 外で活動する時点で、その手の本はかなり読んでる。準備はそこから始めるもんだろう」
「それはそうだけれど……私がエシャに教えることがないじゃない」
「そりゃ悪かったな。姉さん、そろそろ行こう」
「ああうん、そうね。そうだけどね……」
「気にしても疲れるだけだぞ、そういうもんだと思っておけ」
そこから三十分ほど歩いてようやく、合計して二時間と少しで目的地に到着した。木を数本、伐採して空間を作ったような場所で、太陽の位置がよく見える。何度か使われているのだろう、火を熾した形跡があり、エシャはほっとして力を抜いたようだ。
「本番はここからだぞ、姉さん」
「へ?」
「まあ、あとは母さんに任せる。三十分くらいは休憩したらどうだ?」
「そうね、そのくらいは休んでもいいでしょう」
「俺は勝手にするから気にするな。そう遠くまでは離れない」
リュックと集めたツルを置き、ナイフを片手に少し距離を取る。この森には竹があるとわかっているので、それを探し、そこそこの長さに切ってキャンプ地に運んだ。
――悪くない、ナイフだ。
片刃で量産品のような扱いだったが、今のところ刃こぼれの心配はないし、リックの技術に負けるようなこともない。技術で、きちんと竹くらいなら切断できる。
そういえば、知識はあれど、生前でもこういうキャンプはしたことがなかったと思えば、鼻歌交じりだ。
キャンプ地――その広場の隅、木の下に設置を始めた。竹二つをお互いに支え合うようにして重ね合わせて、ツルで縛る。さらに横に一本、A型になるよう補強してやり、同じものをもう一つ作った。
今度は、その二つを繋ぐよう、上に乗せるようにして一本、さらに補強した部分に乗せるよう、二本通す。あとは接合部を縛り、通した二本の部分にぐるぐるとツルを巻けば、完成だ。
補強されたハンモック型の寝床である。
「火熾しはそっちでやるのか?」
「え、あ、ああ、そうね、そうしましょう」
「じゃあ頼んだ」
リュックの中にある竹を手にして上を斬り、中にある水を飲んだリックは、ごろんとハンモックの上に寝ころんだ。さすがにツルを巻いているだけでは硬いが、自重で崩れないくらいにはバランスもとれている。
葉で屋根を作るのは後回し。雨の気配も遠いからだ。
「ん、充分休めそうだ。なんだ姉さん、そっちは今から食料の確保だろう?」
「え、うん、そうなの母さん」
「そうよ。保存食もあるけれど、現地確保の大変さを覚えてもらうつもり。リックには必要なさそうだけど……」
「あーさっき蛇捕まえてたっけ」
「火熾しもこっちでやっておく」
「あらリック、魔術が使えないでしょう?」
「煙草に火を点けるのに、いちいち魔術なんか使わないだろう」
「そうね。そうだけど、返しが生意気」
「そりゃ悪かった」
二人は揃って森の方へ行ったので、適当に枯れ木を集めて準備をして、軽く手を触れる。
――バチリと、紫電が走った。
生前と同じく雷系の術式の相性は良い。確か雷の属性系列は特殊で、ほかの四大属性である地水火風の属性が扱えなくなるのだが、そこはそれだ。嘆いたって
肌感が強い、と言われたのも、その一因がこれだ。肌の表面を走る静電気を把握することで、触れるか触れないか、そういう見極めが無意識にもできるらしい。
火を熾したら大き目の木が炭になるまで待つ。途中で新しい木を入れたり、あとは寝ころんで休みながら待って、良い感じの炭が出来たら適当な棒で取り出すと、蛇をその上に置く。
時間があってやる気があるなら、たとえば串を作ってきちんと焼くこともできるが、面倒な時はこれが一番良い。表面は焦げるどころか黒く炭のようになってしまうが、中身は充分に食べられる。特に大きいサイズの蛇は、時間がかかるので、放置してほかのことをしても良い。
軽い食事をして、寝ころんで目を閉じる。
リックはそもそも、寝ないでおくことが難しかった。生前がそうだったし、今もそうだ。
だから、寝ることは確定させる。
誰かが近づいてきた時、異常を感じた時、意識を覚醒させてすぐ動けることが絶対条件。飛び起きて、意識がぼうっとしたまま行動するのだけは避けたい。
二人が戻ってきたのは夕方だった。
おおよそ一時間くらいは寝ていたリックは、二人の気配に寝ころんだまま目を開き、おかえりと口を開く。その様子は、寝起きとは思えなかっただろうし、普段と変わらぬよう見えただろう。
寝起きの意識の覚醒が早く、それでいて他人に寝ていたことを気付かせない。これも安全確保のテクニックだ。
仲間内では、羨ましいと言われたが、寝ないで脳を休めている連中がリックには羨ましかったものだ。それだけ、睡眠というのは己を無防備にする。
「成果は?」
「なし!」
「胸を張って言うことじゃないだろう……はじめに言ったが、姉さんは警戒し過ぎ。だから獲物も逃げる」
「……これでも?」
「それでも、だ。今みたいに、どっかり地面に座り込んで、ちょっと落ち込んでるくらいが丁度良い」
「うるさいわねえ」
「エシャ、陽が落ちる前に設営をしておきなさい」
「はあい」
「リックは?」
「俺はこれでいい――ん、なんだそれは」
「ああこれ、見るのは初めてかしら。よく使われている魔物避けの結界を張る魔術品よ」
「――へえ?」
手で握って持てるくらいの円柱、つまり筒だ。
「これに魔力を通して、設置するだけ。リックがいる場所も届くかな」
「範囲指定は?」
「ある程度なら」
「だったら俺の場所は含まないでくれ、確認したいことがある。途中で変えることもできるんだろう?」
「うん、粗悪品はできないこともあるけれどね」
広間の中央付近に筒を置くと、なるほど、確かに結界が張られた。
だが。
「こいつは粗悪品じゃないのか?」
「ええ、一般的によく使われてるものだから、冒険者も一つは必ず持ってるわね」
「そうか」
展開された術式が粗悪だ。魔物避けというよりも、むしろこれは周囲に壁を作っただけのもので、確かに物理的な結界ではあるけれど、強度も低いし、円形なのに頭上と地面に抜け穴がある。
「結界を扱う魔術は、確かなかったな」
「そうね、発見されていないのか、使えないのかはまだ確定したないけれど」
「魔術品ではできるんだな」
「……そうね」
「だったら出所は教会じゃないな」
「そうだけれど」
「よくわかった」
それでも使われているなら、ある程度の効果はあると考えて良い。逆に使われているのなら、何かしらの起爆スイッチとしては最大限の効果を持つだろう――なんて、ここにはいないエンスと思考が被るが、本人にはわからない。
十五分ほどで設営を終えたのは、簡易テント。遊びならともかく、有事にはあまり向かないなと思っていたのだが、それを終えたエシャは、腰に手を当てて。
「リック」
「ん?」
「で、どうすれば獲物に逃げられないで済むの? 詳しく」
勤勉なことだと、リックは躰を起こし、寝ころんだ姿勢から座りに変えた。
「たとえ話をしよう」
「うん」
こういう話をする時、リックはすぐ答えを口にしないのは、一緒に訓練をしていて知っている。これは理解を深めるため、らしい。
「森の中に二人いたとしよう。片方は姉さんで、片方は姉さんを狙う人間だ。お互いに距離があるが、だいたいの位置はわかる。さて、姉さんは相手に襲撃をかけようと考えた。そうだな、相手を殺すでも倒すでも、拘束するでもいい。理想は?」
「それこそ、こっそり近づいて、死角……背後からとか」
「追う側も、それを警戒している。つまりはだ、どうやって接近するか、そこが重要になるわけだ」
「そうね。うん……足音を消す、とか?」
「現実的じゃないな。枯れ葉が落ちていたり、土の上を歩くだけでも音はする」
「……? これ、私が勘違いしてるのかしら。気配を消すんじゃない?」
「そうだ。気配は消えない、それは不可能だ。人ができるのはせいぜい、気配を隠すくらいが限度だ」
「どうして?」
「そこに」
指を突き付ける。
「人は、存在しているからだ。人は消えない」
「……うん」
「この場合の正解はいくつかあるが、わかりやすいのは相手の歩調に合わせることだ。つまり、隠し、誤魔化し、紛れる」
「――相手の一歩の音に、こちらの音を合わせるってこと?」
「自然の音は耳に入ってくるが、警戒しない。自分が立てた不自然な音も、発生が己のものなら警戒はない。そして同時に、目の前にある障害物もまた、警戒対象なりえない――裏側に何かがいるとは考えるが、な」
「うん、なんとなくわかる」
「あとは対応だな。最終的には、自然と一体化すること。目標がわかれば、あとは一歩ずつ近づけばいい」
「わかった、ちょっといろいろ試してみる。ありがと」
「いいさ。とりあえず、飯にしたらどうだ? その間に俺は、夜のために木を集めてくる」
「うん、お願いね」
二人の会話に、やはり口を挟まなかった母親は、微妙な顔で首を傾げていた。
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