第32話 夜の狩りと母親と
夜――。
陽が落ちてから出てきた雲によって月は隠れ、ぱちぱちと音を立てるたき火が唯一の光源になりながらも、雨の気配は遠く、そのうちにまた月も顔を見せるだろう。
日付が替わろうとする時間帯に、のそりとリックは躰を起こした。
「……どうしたの?」
たき火の傍に、毛布を使って少し大きめの石を椅子にしていた母親が、こちらに気付く。
さて。
便所だ、と口にするのは簡単なのだが。
「随分と、何か考えていたじゃないか」
「そうね。……エシャとは、いつもあんな感じなの?」
「だいたいは。俺の座学が偏ってる可能性もあるが」
「そういうレベルじゃない気もするけど」
「感じ方はそれぞれだ、なんとも言えないな」
生前の知識はあるが、躰がついて来ないし、ついて来るように訓練をしなくてはならない。現状はせいぜい、二割程度だと思っている。
「リック」
「ん?」
「私と戦って勝てる?」
「いや」
否定して、苦笑する。
「魔術水が飲めないとわかってから、いろいろ考え方も変えたし、試行錯誤は常にしてきた。今も、そしてこれからも、数年先だったところで、俺は母さんには勝てないだろう」
「どうして?」
「母さんの考える勝ちと、俺の考える勝ちが、違うからだ」
そもそも。
「相手が動けなくなったら? 倒したら? ――違うね。生きていれば俺の勝ちだ。何故なら、次がある。つまり敗北とは、俺の死だ。その前に俺は相手を殺す。それ以外は全部訓練と同じで、遊びと同じだよ。何をどう考えてるかは知らないが、俺は母さんを殺さないし、殺せない。その時点で負けと似たようなものだろう」
「だったら」
「よせよ、やめてくれ」
言葉を封じる。
「俺に言わせたいのか? たとえば、左腕の喪失と引き換えに殺せるだとか、物騒なことは考えたくもない」
「……ごめん」
「そうでなくとも、危機感は足りてないとは思うけどな。日常と戦闘のスイッチは、切り替わりのタイミングで致命的な隙になる。それと――」
ばちりと、暗闇に紫電が走り、その雷はリックの周囲に帯電する。
「方法は違うが、こうして術式は使えるようになった」
「――っ」
「姉さんには多少教えることになるが、表向きには使えないままでいたい。母さんも黙っておいてくれ。父さんにもいずれ言う」
「……、……そう、出がけに何か父さんと話していたのが、それかしら」
「まあな。母さんたちが使う魔術に構造的欠陥を見つけたから、そこから逆算して試行錯誤した結果だ」
雷の術式を消せば、彼女は小さく吐息を落とした。
「規格外ねえ、リックは」
「そうか? 自覚したことはないが、いろいろ考えてはいる」
「エシャに何を教えるの」
簡易テントに視線を向ければ、入り口は閉じられており、寝息までは聞こえないが、きっと疲労で寝ていることだろう。
「いろいろだ。俺のようになる必要もないが、今のままじゃ誰かに殺される。ああいや、つまりは自衛のための最低限くらいは覚えておいて欲しいと、そういう感じだ」
「どっちが年上かわかんないわねえ」
「三つやそこら、大差ないだろ……まあ、それは大人の意見か」
一つ伸びをしてから、リックは腰裏のナイフを引き抜いた。
「じゃ、獲物を狩ってくる」
「ちょっと」
「飯の確保は、夜中の方が効率的だろう。あれだけ姉さんに言っておいて、俺が狩れないんじゃ問題がある。気配は掴んでるから、すぐ戻る」
「……もう、気を付けて。すぐ戻ってね」
「わかった。心配性だな」
「当たり前でしょ」
今のリックの年齢を考えれば、心配されて当然だ。
森に入ってすぐ、まずは大き目の木の裏に、ふらりと隠れる。あとは母親の視界を考えながら、ゆっくり見つからないよう移動するだけでいい。距離さえ離れてしまえば、目視は難しいだろう。
リックはここまでずっと、懐かしさと、物足りなさの二つを感じていた。
傭兵団ヴィクセンは、そもそも少数で動き、人数に応じた仕事を引き受ける。森の中に入ればゲリラ的な動きが大半だったから、あの頃を思い出せば懐かしさを感じるが、輸送ヘリや銃声がまったくしないことが、やはり物足りない。
5.56ミリをばら撒く
そして、十五分もしないうちに目標を発見する。
ディボア。今のリックの背丈ほどあるイノシシのような魔物だ。ぱっと見て牙が露出していることはないが、額の部分に大きなコブのようなものがあり、突進によって岩でも砕ける頑丈さを持ち合わせている。もちろん、噛みつかれれば人間など簡単に砕かれるだろう。
高さにして、160センチほどだろうか。四つ足はやや短いが筋肉は発達しており、全長は2メートルを越す。群れで移動する場合は家族であり、この個体はオスであるからか、単独だ。
雑食性だが、気性は荒くない。人間が敵意を持って、あるいは警戒をしながら近づけば攻撃もしてくるが、遠くから観察するぶんなら、風下から見守る限り、そう簡単に発見はされないだろう。
リックは。
その風下からゆっくり近づき、地面に向かって鼻を動かしているディボアの横から、前足の付け根付近にナイフを突き刺した。
勢いをつけて、だとか。構えて、だとか――そういう無駄な動作は必要ない。日常の中、繁華街を歩くよりも、よっぽど自然な動きで行動を完了する。つまり、素早さも関係がない。
気付かれなければ、それでいいのだ。
相手の行動に合わせ、相手の音に合わせ、こちらの行動を済ませる。
済ませてからは素早く身を離し、常に側面を取り続ける――が、その一撃だけで勝敗は決した。
足が短いのも、腹部という弱点を見せないため。そして四つ足の動物の九割は、心臓が前足の付け根付近にある。一撃必殺の理想だったと思いながら、根本まで深く入ったナイフを引き抜く。
「さすがにデカすぎたな……」
血の匂いに誘われてか、カラスのような鳥が音を立てて集まってきている。後処理は任せてもよさそうだと思い、一息入れて一閃。
解体は簡易的に、ナイフ一本を駄目にしたが、後ろ足を二つ、太もも付近までざっくりと外し、それをずるずると引きずりながら戻る。
後ろでは、肉食の動物たちが屍体に群がったようだ。
重かったので、戻るのには時間を要したが、そもそもこの近辺に魔物は少ない。間引きをしたり、管理されているのがわかる――そうでなくては、子供を連れて遊び、いや、訓練などできないか。
戻ったら、慌てて母親が立ち上がった。
「静かに、姉さんが起きるぞ」
「――、……リックそれ、ディボアの足? いたの?」
「ああ、群れにはなってなかったから、繁殖してはいないだろう。どうせ一人じゃ食べきれない、母さんも食べてくれ」
リュックからロープを引っ張り出し、適当な木に吊るす。火種を貰って、新しくたき火を熾して、それから邪魔な毛皮を剥ぐ。
そういえば折り畳み式のスコップがあったなと、それもリュックから出して、簡易的な鉄板のように使うと、肉を刻んで焼いていく。あとは適当に、吊るしたものの表面が焼けたら、順次食べればいい。
味はしない。しないというか、やや生臭く、弾力はそうでもないから食べやすいが、調味料もないのなら、それはただの肉だ。
それでも、サバイバルにおいては上質な食事と言えよう。
「もう……塩と胡椒くらいは持ってきてるわよ」
「そうか、ありがたい。どうも俺は、そういうところに気が回らないからな」
「そうでしょうね。ロープはともかく、スコップなんて普通は持ってないわよ……」
「へえ? こうして鉄板にもできるし、穴を掘ることもできる。さらには武器にもなる――ああ、携帯式はちょっと弱いが、まあ、使い方次第で何でもできる便利な代物だぞ」
生前では、本気で武器にスコップを選択していた傭兵もいたくらいだ。関わったことのある連中だが、敵対はしたくないと心底から思ったのを覚えている。そのくらい厄介だ。
「どうやって討伐したのよ」
「魔物図鑑は俺の愛読書だ。とりあえず心臓を一突きして様子見してたら、殺せた」
「え? ひっくり返したの?」
「まさか。正面から身構えて戦おうとするのは癖か? ふらっと近寄って、気付かれる前に初撃だろう。常に側面を取る立ち回りと、障害物の位置を気にして動けば、二発目までは入る。戦闘の理想は、足掻いて三発目を入れるまでで殺せるかどうかだ」
「……」
「おかしいか?」
「理想……というか、なんていうか」
「実戦的」
「そう、それ」
「こっちも命を賭けてるんだから、当然だろう。変な話だが、魔術水を飲めなくなったことが幸いした。おかげで、同じ道をどうにか辿ろう、なんてことは考えなくなったからな」
言い訳だ。
生前の生き方に引っ張られているだけである。いや、だけ、ではないか。
リックにとっても、今の命は、やはり、生前からの地続きにしか思えない。
「これでも、いろいろ考えてやってるんだけどな」
「それは聞いてる。最近じゃ、エシャに教えることがなくって、すぐリックに教わるもの」
「俺が教えてるのは基礎だけだ。何なら母さんもやればいい、成長するぞ」
「そうなのよねえ……」
「なんだ」
「エシャ、もう同世代じゃ戦いにならないわよ」
「母さんがいるじゃないか」
「私よりもリックでしょう」
「俺は姉さんとやり合ったことはないが」
「その気はある?」
「まあ、手合わせくらいなら、多少はな。必要になる段階もある」
「それどの段階なの」
「ん? 人ってのは、自分がどれだけできるのか、確かめたくなるものだろう?」
「それは……そう、だけど」
「だから俺も、この肉を狩ってきた。ナイフを一本駄目にしたが、量産品のナイフに最初から期待しちゃいない」
三本買っておいたのは、それが理由だ。普通に使うならまだしも、体術を利用した技に耐えられる代物ではないと、買った時にわかっていた。
「眠くない?」
「さっきまで寝てただろう」
「そう見えなかったから」
「夜間の見張りくらい予定に入れてるさ。もっとも、今見てきた感じ、ここらに魔物はいないし、人影もない。どうせなら、母さんも敵性因子を集めて俺らを囮にして、全員潰すくらいしてもいいのに」
「そんな物騒なことしません」
「父さんもそういう社交術は疎そうだな」
「疎いかどうかはともかく、子供を釣り餌になんてしません」
「結果的に守ればいいし、気付かせなければ良い。俺なら山ほど罠を張ってパーティにするけどな。ああそうだ、罠の意識が低くないか?」
「罠って、人間用の?」
「いくら何でも、森の歩き方が無防備すぎる。魔物の気配を追ってるようで、見える範囲で充分だと思ってるし、足元への警戒がなさすぎだ。この魔物避けの結界も、球形に見えて、実際は半円だ。地面の下まで警戒しちゃいない」
「でも、地中を動く魔物はここにいないわよ?」
「それを世の中では油断と呼ぶんじゃないのか」
「……厳しいことを言うわねえ」
「爆発系の魔術あたりを俺なら仕込むけどな。何が起きたかわからないって間抜けの言葉が聞けそうだ」
「我が子なのに、なんでそんな性格悪くなっちゃったの?」
「俺に聞くなよ。というか、直接言うな」
「もっと外に出たら? 同世代の子たちとも遊んでないでしょう」
「俺が一緒に遊んでる様子を想像できるのか」
「またそうやって……」
「外で遊んでいいって許可なら、ありがたく受け取っておこう。小遣いもくれ」
「…………」
「なんだその顔は」
据わった目で見られた。
「女を買うのはやめなさい」
「俺をなんだと思ってるんだ……」
ため息を落とし、肉を食べる。フォークもないのなら、ナイフで口に入れるしかないが、それも醍醐味というものだ。
「エシャが学校に入ったらどうなるのかしら」
「それは俺の話か? 姉さんの話か?」
「リックのことよ。あまり問題を起こさないから心配はしてないけれど、安心はできない」
「面倒を起こしたことはないんだが……」
「これからも?」
「家に迷惑をかける前に片付ければいい」
「そういうところ!」
怒られた。理由はよくわからなかった。
「ほんと、何をやるにしても監視をつけたい気分よ」
「つけてもいいが、
「でしょうね。何かしたいわけじゃないけれど、手がかからない子も寂しいわねえ」
「そのぶん、仕事に力を入れたらどうだ? そういう気分じゃないなら、三人目を考えたっていい」
「私は私で楽しんでるからいいの。今はあなたの話。冒険者でも食べて行けそうね」
「将来の話なんてのは、まだ早いだろう。俺も気にしちゃいない。何かしたい時にはちゃんと言うさ」
小さく肩を竦めれば、テントから姉が顔を見せた。眠そうな顔のまま。
「いい匂いがする……」
なんて、暢気に言った。
どうせ余るくらいの量だ、一緒に食べれば良い。ただ残念ながら消化は悪いので、寝る前に食べるものではないかもしれないが。
夜は更ける。
若いうちの一年は長く感じるものだ。事実、リックはそれを実感している。
将来なんてものは、それこそ、学校に入ってから考えるくらいでも、遅くはない。
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