第30話 娼館と賭場

 誰かが作った道を歩いている気分、というのはある。

 少なくともリックが怪しんでいるのは、こんなガキが顔を見せているのに丁寧な対応をされることだ。まだ血の匂いが染みついていないし、眼光も鋭くはないだろう。確かに魔力は少し多いが、それだって相手を威圧するほどじゃない。

 だからといって、いちいち突っかかって来るのは対処が面倒なので、ありがたいと思うべきなのだろう。

 選択肢はあったが、リックは先に娼館へ向かった。

 高級な娼館は、そこらの情報屋よりも情報が集まる。生前もそうだったし、つまりはベッドの中でいろいろと愚痴やら何やらを上手く聞き出し、ともすれば行動も起こす。繋がりを持っておいて損はないというか、持っておくべき優先度だと思っている。

 昼過ぎから歩き回っているとはいえ、夕方になる前では準備中だろう。裏口から回ろうかと思ったが、正面入り口が開いていたので、そちらから入る。

 靴を脱ぐ場所はなかったので、そのまま入るが、絨毯が柔らかくてよく沈む。

 いくつかのタイプを知っているが、ここの娼館の入り口はオープンだ。エントランスは広く、受付のカウンターには老人とも呼ぶべき男性が一人、きっちりしたスーツを着て何か作業をしている。正面左からは二階へ行く階段があり、壁際には椅子が並べられていた。

 その階段から女性が下りてくる――そこで、リックは気配を隠すのをやめた。

「……あら?」

 受付の男性もこちらに気付いたが、女性が微笑みながら近づいて来た。

 なるほどと思いながら、対応をいくつか考える。

「まだ坊やには早いと思うけれど、お客さんかしら」

「ああいや」

 そうじゃないんだと手を軽く振りながら一歩。

「俺は――っと」

 足がもつれる、前のめり、倒れる、手を前へ。

「あらら」

 素早く女性が近づいてきて、軽く抱き留められた。

「落ち着いて?」

「悪い」

 細い片腕に右手を置き、力を入れて躰を起こす。

「足元が妙に柔らかいもんだから」

 一息。

「大丈夫だ」

「そう」

 ちらりと受付を見ると、白髪の男はこちらに移動しようとした足を止めた。小さく口の端を歪めて見せれば、彼は吐息を落としてカウンターの中に戻る。

「さすがに客じゃない、ちょっと訊きたいことがあってな。この街じゃ女の扱いはどうなってる?」

「――え?」

「こういう高い店の女は、良くしてもらってんだろ。教育もそうだし、乱暴なことはされてないはずだ。客も、きちんと弁えたヤツが集まるんだろうさ。そうじゃない間抜けは――袋詰めか、首の輸送か、どっちにしても悲惨な運命を辿るだろうな。じゃ、そういう女はどこから調達する? 基本は、迎え入れるんだろうが」

「……」

 ぽかんと口を開いたまま、彼女は動きを止めている。それはそれで可愛いのだろうが――。

「彼女は詳しく知りませんので、私が代わりましょう」

 カウンターから出てきた老人が口を開くが、近くまでは来ない。

「ジュリ」

「あ、はい!」

「任されている仕事があるでしょう」

「そうだった」

「ただ、彼から荷物を返していただきなさい」

「へ?」

「これのことだろ」

 くるりと、左手からナイフを取り出して回転させる。どちらかといえば投擲専用スローイングナイフに近く、握り手の部分に紐を巻いてあり、使い込まれているのもわかった。

「え、うそ……!」

 転んだ時に支えてもらい、その隙に太ももの内側から引き抜いたもので、ずっと手首の内側に隠すよう持っていた。

「ほれ」

 きちんと手元を向けて渡して、その尻を軽く叩いた。

「俺の相手は十年後にしてくれ」

「え、あ、うん」

 そのままカウンターへ。

「悪いな。外行きの服装だったから、ちょっかいを出したくなった」

「いえ、荒事に発展させなかったこと、感謝いたします」

「だったらこんな場所じゃやらない。それで?」

「女性の扱いに関して、スカウトは基本的にしていませんが、買い取ることはあります。そちらも、うちの管轄として部署が存在します」

「荒事も引き受けてんのか……少しキャパオーバーな気もするが、人員でカバーか」

「戦闘技能を教えることもあります」

「だろうよ。つまりあんたらは、売りたいって連中と交渉するのか」

「本人の意思確認が大前提ですが、私どものすることは金を受け取る人間の裏取りでしょうか。大抵の場合は子供を売ることになりましょう」

「報復や処分もか?」

「場合によっては」

「金の流れを追う連中もいそうだな、こりゃ大事業だ。つまり、俺がこれから逢うだろう元締めも、あんたらの扱いはかなり気を遣ってるんだろうな?」

「私どもに反逆の意思があったのならば、ですが」

「稼ぎ頭を手放す馬鹿はいないと思うけどな。客筋はどうだ?」

「それなりの立場にある人が、立場を忘れるために来客されます」

 つまり、ここで話したこと、起きたことは他言無用。

「そりゃ情報は取り放題、使ったところで知らぬこと、か。上手くやってやがる。俺も上手くやって、良い顧客になる道を探すとしよう」

 言って、カウンターに金貨を一枚置いた。

「荒事の程度は知らないが、錬度はイマイチだな。俺の窃盗スナッチは苦手な部類だ。俺の行動に気づいたあんたも、行動すべきじゃなかった」

「気付かせるための行為、でしたか」

「相手の錬度を推し量るには丁度良いし、関係性も見えてくる」

「ご助言、ありがたく。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「リックだ。魔術水の飲めない魔術師、そう言えばすぐわかるだろう」

「ええ。それでは、またのご来店をお待ちしております。ただできれば、夜の訪問は控えていただけると」

「ほかの客と鉢合わせするような真似はしねえよ」

 顔見せとしては充分だと判断し、ほかの従業員に見つからないうちに退散した。

 次が、本命だ。

 身構える必要はない。母親との買い物の時だとて、通り過ぎるだけならば何の問題もなく、それとなく観察した結果ではあるが、言われた通りそれほど治安は悪くない。

 あとは、適当に職員らしい姿で、かつ、仕事中ではない人間――休憩に入る前くらいの男を発見し、近づく。

「よう」

「あ? ……おう、なんだ坊主」

 下を向くまで一瞬の時間があったのは、仕方がない。まだ言うほど身長が高くなってないからだ。

「元締めに挨拶をしに来た、案内してくれ」

「……あのな、坊主。予約もねえのに、そんなことを急に言われたって、通るわけがないだろ」

 それもそうだ、その通り。

「だから少し待ってろ、聞いてくる――あ、おう、丁度良い」

 近くの裏口から出てきた男に手招きをする。

「なんすか、兄貴」

「この坊主が、ボスに挨拶だと。ちょっと聞いてきてくれ」

「――諒解ス」

 やはりだ。

 話が早すぎる――が、まあ、それもすぐわかるだろう。

「つーわけで、少し時間をくれ」

「おう。あんたは一服しに来たんだろう、俺に構わず吸ってきたらどうだ」

「じゃあお前も来い」

 少し離れた場所にある、生前ならプレハブ小屋なんて呼んでいただろう、小さな部屋に入る。中はロッカールームで、テーブルは一つ。パイプ椅子は四つあるが、お世辞にも誰かを招き入れる場所ではない。

「いるか?」

「じゃあ一本だけ」

 生前は吸っていたが、今世では初めての煙草に火を点ける。そして、リックはすぐ顔を歪めた。

「不味い」

「そのわりには、慣れてる様子じゃねえか」

「どうかな。それより、俺はあまり詳しくないが、ここの客は楽しめてんのか?」

「そりゃどういう意味だ」

「回収の割合の話だ」

「あー……」

 そもそも、賭場なんてのは胴元が儲かるようにできている。勝たせて帰れる客は、また来るとわかっているからこそであり、負けるのにも理由はある。良い想いを一度もしない人間が、二度と寄り付かないなんてこと、それこそ子供でもわかる話だ。

「目標設定としては七割ってところだろ。現実ではぎり六割くらいにはなるが、このくらいが安全だ」

「具体的な数値は言えねえよ。ただ……ま、娯楽として行き過ぎない範囲にはしてるし、そもそも国の管轄内で金を貸せる状況に、娯楽は含まれない。借金をしてでも遊ぼうってことは表向きできないし、俺らは金貸しじゃない」

なら、あんたみたいな処理をする人間は必要ないだろう?」

「……まあ、な」

 軽く視線を受けるが、リックは肩を竦める。

「血の匂いは簡単に消えない」

「普通は気付かねえよ」

「だったら俺が普通じゃないってことさ。それに、実力がどうのって見定めるよりも、よっぽど簡単だろう?」

「確かに、それはそうだ。弁えて遊ぶ客ならともかく、何かを勘違いする馬鹿もいるからな。俺の仕事はあくまでも、トラブルの処理だ」

「俺が客になるのは、せいぜい十年後だ。――娼館と同じでな」

「おい……あっちにもツラ見せてきたのか」

「何かあった時に頼る場所になるだろう?」

「その何かが、手に負えるものならな」

「俺を何だと思ってんだ……」

 煙草を吸い終えたくらいのタイミングで、さっきの若い男がやってきた。

「ボスが逢うそうス」

「おう、あとは俺が案内する。ありがとな」

「いえ」

 さて行くかと前へ出て、しかし彼は振り向き。

「荒事は勘弁してくれよ?」

「そっち次第だ」

 部屋を出て、賭場の奥へ。表にある明るい場所から離れて路地を通り、寮にも似た住宅を抜け、その奥にある――家、とは言えない。それこそ、大きさは違えど、先ほどのプレハブ小屋と変わらない場所だ。

 いや、それもそうか。

 わざわざ生活している家に案内などしない。

 軽く気配を探れば、六人。待ち伏せも、背後からの襲撃もそれほど心配しなくていい。退路の確保ができていない状況に、リックは苦笑する。

「どうした?」

「何でもない」

 退路を作れないなら一人で行くな――かつて、一番最初にそれを教わったのに。

 事前調査もなく入るのは、無謀か、それとも自信か、判断に迷うところだ。

 中に入れば。

「おう、キーロウ以外は席を外せ」

 低い声の男はまず、周囲にそう言い、ソファにどっかりと腰を下ろしてリックを見る。

「一応、俺がこの街の元締めを任されてる、エムだ」

「リックだ、挨拶に来た」

 一緒に来た男は出入口で立ち止まるが、少し緊張が見える。

「顔見せなんだが……どういうわけか、すんなりとここまで来れた。何があった?」

「それを話す前にだ、なあお前さん、リック、俺から質問させてくれ」

「なんだ」

「人払いをした俺の判断は正解か?」

「まあ……なんとも言えないな。被害だけなら、最小限で済むだろうが、お前自身が危険に晒される。人質としての価値は高いだろうし、事前に説明していたところで、お前を無視して何かをするのは難しい。感情の話にもなるからな」

「なるほどなあ……いや、一年と少し、だいたい二年前に、女のガキが俺のところに来たんだよ。お前と同じ、挨拶をするって理由でな。当時の俺らに言わせれば笑い話なんだが――結果として、八人も身内を殺されりゃ、挨拶に来るガキは丁重に扱えって徹底したくもなる」

「やっぱ前例があったか」

「お前も、そのつもりだったのか?」

「場合によっては」

 そうかと頷いた彼は、テーブルにある煙草に手を伸ばした。

「どこから来た?」

「鍛冶屋に行って、それから酒場、娼館に顔を見せてこっちだ」

 この質問を想定していたから、娼館を先にしたのだ。酒場が情報源だとわかると、店主に迷惑をかける可能性があったから。

「今すぐ、何かあるわけじゃない。何かあった時、相談に乗る相手くらいは欲しいだろう? そのための挨拶だ」

「――はは、迷惑をかける時があるって言ってるようなもんだぜ」

「魔術水の飲めない、魔術師の家系の俺が学校に入って、面倒が起きないと思うか?」

「学生のトラブルに俺らは関係ねえだろ」

「躾は親の責任だろう。道理のわかるガキばかりならまだしも、そうじゃないなら、世の中ってやつを教えるべきだ」

「おい……」

「その時になって、標的のお偉いさんがお前と繋がってた時の損失は、どうなんだろうな?」

「わかった、わかった、俺の負けだ。一人で勝手にやることもできるが、スマートに事を運ぶため、一声かけるための繋がりを持っておきたい――そういう認識でいいんだな」

「わかったなら、それでいい。娼館の利用もその程度のものだ」

「あんまり場を荒らしてくれるなよ」

「状況次第だが、まだ教会を敵に回すことまでは考えてない。お前らの上納は五割か?」

「寄付って言え、四割だ」

「一応、忠告はしておく。何人か、手駒を教会側に潜らせているだろうが、深入りはさせるな。連中の仕事を取って代わろうなんて、勢力の拡大を目論むのもやめた方がいい」

「――何故だ?」

「深入りした先にあるのは、教会のシステムとの同化でしかないからだ」

 かつて、同じ傭兵団だった同業者も、そういう道をたどった連中がいる。

「どこまでか、線引きまでは知らないが、深入りすればするほど、そいつは教会のルールに慣れて、教会の人間になっていく。そうなると、今度はお前らが、手駒だった相手が――言い方は悪いが、正常なのかどうかを判断しなくちゃいけない。まだこっち側なのか、それともあっち側になってしまったのか」

「常に疑いを持って対応する……そうか、以前から俺らが教会に対してやってるのと、同じことか」

「その上で、そいつらを排除すれば元通りにもなるが、そう簡単にはできない。できないなら、順化し、同化し、その先にあるのは適合だ」

「……政治やらなにやら、面倒なことを抱えて、放り投げることもできず、か」

「鍛冶屋だってそうだろう? 最初は剣を作ることに没頭してたが、生活が改善しないから商売を学んだ。いつの間にか売る方を主体に動き出せば、剣の作り方なんて忘れちまう」

「忠告、どうも。――本分を忘れず、領分を見極めろ、だ」

 大きく紫煙を吐き出し、彼は煙草を消す。

「お前とそう年齢が変わらないやつも、うちにいはいる。話しておいても?」

「関わるかどうかは俺が決めるが、挨拶くらいなら構わない」

「諒解だ。監視をつける気はないけどな……というか、なんなんだ、お前は」

「さあ? 見たままのガキだろ。過度に警戒しなくてもいい」

「お前でも八人くらいは殺せるだろ」

「厳密には、その誰かってやつも、八人くらいが丁度良かっただけで、お前らを壊滅させることだってできたはずだ。俺は面倒だからやらないが、やるなら――おっと」

 そこでリックは背後を振り返り、案内してくれた男を見てから、改めて前を見て。

「そろそろ帰らないと、門限に間に合いそうにない。悪かったな、急にきて。何年後になるかはわからないが、次もきっと、似たような感じになるだろう」

「……ああ、じゃあ忘れないよう、こっそり遊びに来い。そうだな、半年に一回くらいでもいいから、娼館と賭場、両方に」

「忘れてなけりゃ、そうするよ」

 相手を待たせるくらいが交渉としては丁度良いが、彼らにとっては心配で落ち着かないだろう。だから折衷案として、遊びに来るくらいは構わない。

 雑談でも。

 何もないことが確認できて、彼らも安心だろうから。


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