第29話 鍛冶屋と酒場へ

 さらに半年後、エシャが街の外に出て二泊の訓練をするということを耳にしたリックは、自分も参加表明をした。

「というわけだ」

「うんリック、よくわからないけれどその左手はなんだろう」

「姉さんの訓練に同行するから、ナイフを一本買ってくる。小遣いをくれ」

「ナイフならあるよ」

「父さん、店に行って現物を見て、選んで買う。――それが楽しいんだろう?」

 言えば、驚いたように目を丸くして、やがて彼は苦笑した。

「そうだね、うん、僕もそれには同感かな。わかった、多めにあげるから必要なものがあったら買うといい。一人で行くのかな?」

「必要なら姉さんと行こう」

「うーん……いや、一人で行っておいで。場所を教えるから、僕の名前を出すように」

「わかった」

 金貨五枚、かなりの大金だ。

 なるほど、どうやらこの金を何に使うかあとで聞いて、リックがどうしたのかを知りたいらしい。

 ――ならば、遠慮もいらないか。


 昼食を終えてから、念のため姉に伝えて外へ出た。


 伝言もなかったのだが、一人で勝手に買い物をして、あとで一緒に行きたかった、などとゴネられるのを回避しただけだ。

 街に出るのは初めてではないが、食料品の買い付けや母親の買い物以外で出るのは初めてになる。

 この街には大きな教会があり、信者も多い。国に所属はしているものの、国家の拠点はなく、軍人が出歩いている様子もない。また、貧民街もないのだから、良い街なのだろう。

 とりあえず、父親に教えられた店舗へ向かい、中へ入る。展示品の多くが剣であり、中には大きな斧まであった。品ぞろえはそれなりに良いらしい。

「いらっしゃい。危ないから、やたらと触らないようにな」

「おう。フーリュの息子で、リックだ。あんたが店主か?」

「見習いってほどじゃないさ。ただ、作ってんのは俺より師匠の方が多い」

「ふうん。オーダーは受け付けてんのか?」

「ある程度はな」

「とりあえず、この三本をくれ」

 タルというか、桶のようなものに無造作に入ったナイフを、適当に三本引き抜く。今のリックにとってはやや大きく感じるが、どうとでもなるだろう。

「一本は持っていく、二本は俺の家に送っておいてくれ」

「ガキに武装させるのはグレーだぞ」

「こっそり隠しておくさ」

 金貨を一枚、カウンターに置く。

「それで、オーダーの話はあんたにしたらいいのか?」

「あー……ま、じゃあちょっと待ってろ。親父! ちょっと来てくれ!」

「なるほど? いわば、修行中ってやつか」

「まあな。多少は商品を作れるが、独り立ちするほどの技術はないし、客を取ることは禁じられてるのさ」

「俺みたいなガキでもか?」

「例外はねえよ」

「――おう」

 奥からやってきたのは、おおよそ五十ほどの年齢に見える男だ。やや小柄だが体格が良く、首にかけたタオルで汗を拭いながらやってきて――そして。

 リックと目が合うと、ぴたりと一度、足を止めた。

 そして一歩。

「おい、休憩して来い」

「――わかった」

 よくあることなのだろうか。彼は不満も言わず、カウンターにあった煙草を片手に、外へ出た。

「客は来ない。――お前、術式を使えるな?」

「探りを入れたのはあんただろ。俺はそれを振り払っただけだ」

「魔術スキル、ここらじゃ当たり前に使ってる魔術は気持ち悪いだろう」

「そこまで気にしちゃいないな。ただ、魔術水は気持ち悪くて吐き出した。その上、腹も壊す。二度は飲まない」

「ああ……じゃあ、お前がフーリュの息子、リックか。話は多少聞いてる。お前が体調を崩した時には慌ててたし――それ以降、何をやってるかよくわからんってな」

「そのうち、親父には魔術の解除を見せるつもりだ」

「簡単だろ」

 その通り。

 彼らが扱う魔術には、必ず陣が出現する。それは構成を常に表に見せているようなもので――そこに、泥水を一滴垂らしてやれば、魔術は成立しない。

 どうであれ。

 術式と呼ばれるものは、それだけ繊細なものなのだ。

「で、特注か? このナイフはなんだ」

「今度、外へ狩りに行くんだよ。姉貴に同行するかたちだが、理由をつけて金も貰った。ま、一時的に使えりゃそれでいい。頼みたいのは折りたたみナイフだ」

「あ?」

 視線は、カウンターの横にあるバスケットへ向かう。そこに折り畳みナイフが六つほど入っているからだ。

「難しいことは言わねえよ」

 そのうちの一つに手を伸ばす。身長はそこそこ伸びてきているのは、ありがたいと思うべきだろう。

「ロック機能は外してくれ」

 力を入れてナイフを出すと、ほぼ真っすぐになったところで、カチリと音がして固定される。補助武器にもならない、それこそペーパーナイフよりも少し切れるくらいなものだろう。だから彼も、疑問を浮かべたのだ。

「刃渡りは12センチ、ミリ単位での誤差は気にしない。ロックはしないが、ナイフの開く角度は120度。刃の方を下に向けた時、ゆっくりと自然に開くくらいには、緩くしてくれ。それから手元、柄尻に当たる部分は開けろ。――ここまで言えば、わかるよな?」

「ナイフは緩やかな曲線を描く姿にしろ、か?」

「可能なら黒色で、だ」

 彼は、視線を逸らし。

「――えげつねえな」

 小さい呟きを足元に落とした。

「神の落とし物か?」

 教会では、転生者のことをそう呼ぶ。

「言われたのは初めてだが、なんのことかよくわからんって答えは用意してあるぜ」

「いやいい、追及はしないし、お前の態度は正しい。教会に捕まっても、待遇は良いが、情報を抜けるだけ抜かれて、監視もつく」

「俺自身はべつに、信仰を含め、教会を悪く思っちゃいないが、な」

「そうか」

 なるほどなと、彼は頭を掻き、その手をそっと、自分の首に触れた。

「手首の返しだけで開いて、首を狩り、そのままポケットに入れれば済む――ある種の暗器か」

「体術の延長だ。それに対人特化だよ、それ以外じゃ使わないし、骨は避ける。首だろうが腕だろうが、な」

「ああ、違和があると思えば、まだ鍛錬中か」

「そりゃそうだろ……こんなガキのままじゃ、部位鍛錬なんかできやしねえ」

「ほかに注文は?」

「黒色はおまけだが、できりゃ折り返し鍛錬で三枚くらい金属を重ねてくれ。硬く柔らかく、だ」

「手間のかかる話だが、試作ならそう時間はかからんだろう。もちろんフーリュには内緒だな?」

「意図に気付かれると厄介だ、黙っておいてくれ」

「一応聞いておくが、標的がいるわけじゃないんだな?」

「暗殺がしたいわけじゃない。――敵に、容赦をしないだけだ」

「……いいだろう、引き受けてやる。ただ一つ目で完成すると思うなよ」

「なんだ、本腰を入れてくれるのか。ありがたい話だが、使用感をどこまで求めるかによって話は変わるぞ」

「馬鹿言え、信用も信頼もしないが、見極めも責任も覚悟もできなきゃオーダーなんか受付けねえよ」

「それもそうか。じゃ、ナイフは一本持っていく。残り二本はうちに送っておいてくれ。一つ目の試作品はいつ頃だ?」

「一ヶ月」

「そのくらいにまた顔を見せる。一人で出歩けるようには、まあ、なるだろうからな……」

「そっちの事情は知らんが、また来い」

「おう、頼んだ」

 ナイフを手にすると、やや重く感じるのが不思議だ。かつては軽くて小さいから扱いが容易いと思って使っていたのに。

 店を出る時、若い男には一声かけておく。簡単な挨拶だけだ。ナイフは腰の裏に隠しておく。ベルトに差し込み、上から服で見えなくなるようにする、簡単なもので、慣れた人ならばすぐ見抜くだろう。


 ――さて。


 次に向かったのは酒場だ。といっても、街の中には複数あるので、店構えを見て選ばなくてはならない。

 冒険者御用達は、まず除外。できるだけ内部の人間が使うようなところが良いけれど、工場が集まっているような騒がしいところは、似ているが違う。

 立地が悪くない場所――酒場をやろう、そう考えても簡単には取れないところだ。

 あとは、中に入った時の第一感が、少し高級そうならば良い。もちろん、完全に高級な店では目的と合致しない。

 当たりを引いた。

 いくつかピックアップしていたうちの一つだが、丁寧に掃除をされた店内はまだうす暗いものの、雰囲気が落ち着いており、棚に並べられた酒やグラスも丁寧に扱われているのがわかる。

「――まだ準備中ですよ」

「そうか」

 カウンターの中で作業をしていた男に声をかけられたが、そのままカウンターに向かい、少し高い椅子に飛び乗るようにして座る。

 改めて、ぐるりと店内を見渡す。カウンターはもちろん、テーブル席もあり、奥には簡易的な仕切りのあるテーブルが二つ用意されていた。

「良い店だ」

「……」

 返事はなかったが、しばらくするとホットミルクが目の前に置かれた。

「用件は何でしょう」

「ああ、大したことじゃない。ここらの元締めに用事があってな、どこにいるんだ? お前は売り上げアガリの何割かを上納してるだろう」

 返答はない。

「おそらく、元締めは一人のはずだ。何しろ、一番上にいるのは――どうせ教会だ。連中は信仰ならともかく、一般的な商売に口を出せる部類じゃない。思いついたとしてもできないのが、連中の生き方だ。つまり表向きの繋がりは限りなく消したい……となれば、各部署、たとえば娼館、工場区、貴族、そういった個個こことの繋がりを持つよりも、それらと繋がりを持った誰か一人を作った方が、安全性が高い」

 返事は――。

「私にはよくわかりませんが、よく考えていらっしゃる」

 笑いもせず、かといって驚きもせず、淡淡たんたんと彼は口を開いた。

「そういえば、賭場には行きますか」

「いや」

「治安が悪い、子供の頃はよく言われますが、現実的に治安が悪ければ商売になりません。ただ、賭場に直接入るのは、あなたの見た目では問題もあるでしょう。まずは事務所の場所を訊いてみてはいかがですか」

「なるほど、筋は通した方が良いな。――ちなみに、娼館は情報が集まるか?」

「さて、何を比較しているのかわかりませんが、賭場から少し離れたところに、この街で一番大きい娼館がありますね」

「なるほどな。ご馳走さん」

 ホットミルクを飲み干し、カップの下に金貨を見えるように挟む。

「また来る」

「ええ、今度はぜひ、開店している時にでも。ああ失礼、一つだけ」

「ん?」

「あなたなら、わざわざうちに来る必要はなかったのでは?」

「はは、それは当たりだ。けど、繋がりを持っておいて損はない。お互いにな」

「そうであることを祈ります」

「泣きつくような真似はしないさ」

 ただ、結果的に迷惑をかけることはある。どうしたって人は、誰にも迷惑をかけずに生きることができないからだ。

 まだ夕方には早い。

 天気も悪くないし、さすがに夕食までに戻らないと心配される。とっとと用事を済ませよう。


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