第26話 七尾の狐
ミズノがやってきて、十日ほど経過して彼は去っていった。
旅人のようなものだ。十日も滞在したのならば長い方だろうし、話すべきことは話したし、見送りも大げさなものは必要ない。また逢おう、その一言で済む。
ただありがたいことに、ミズノとの会話で思い出したことがあり、ようやくエンスは魔女の宴の息がかかった店舗に向かった。
その店は、いわゆる加工屋だ。魔物を解体したあとの素材を商品にする店舗になり、冒険者の装備品でも、主に服飾の系統を販売している。
入ってみると、受付には若い男が立っていた。
「よう、店主はいるか?」
「――なんだお前は」
「何って、なにが」
「学生……だよな?」
「おう」
「あ、いや、悪い。おーい客だぞー!」
「聞こえてるよ」
奥から出てきた女性に、エンスはポケットから取り出したペンダントを放り投げる。
「……裏へ来い。お前は店番してな、聞き耳は立てるんじゃないよ」
「はいよ」
受け取った女性の判断が早くて助かった。面倒がない。
裏は素材置き場になっており、そのさらに奥にある控室のような場所へ案内された。
「話は聞いてるよ。まさかリリニェに弟子とはね」
「あ? ……ああ、師匠の名前か、随分と可愛らしいな」
「あんたね、名前も知らずに弟子をやってたのかい」
「師匠と呼んで久しいからな、忘れてた」
彼女は椅子に座り、エンスは立ったままだ。
「窓口としてそれなりに手を貸すつもりだったんだが、あんたもう一通り済ませてるだろう」
「親の手を借りるほどのことはねえよ、何言ってんだ。だいたい、師匠が家を出るって言うから、俺もこっちに来たんだぜ」
「リリニェの方は、なんでも、魔術を水にして飲むことで覚える――なんて地方にいるらしいね」
「――気持ち悪ぃな」
「ま、リリニェは
「詳しく聞いてないんだが、そもそもあんたらは、各地に散ってるのか?」
「あー……まあそうだね、あたしみたいに店舗を構えてるのが半数、残り半分は引きこもっての研究ってところさ。あたしは魔術品を作るからね」
「商売も含めて、現地での窓口みたいな扱いか。師匠みたいに各地を歩くのは珍しいわけだ」
「戦闘系の魔術師は、戦闘指南みたいに魔術を教えてることもあるけれどね」
「そのあたりは個人に裁量があるのか?」
「厳しい組織じゃないよ、単なる集まりだ。馬鹿もいるけどね。とりあえず、リリニェからの伝言が一つ」
「師匠から?」
「そのまま伝えるよ。調査先で弟子に、つまりあんたに似た人物を見つけた」
「俺に似たって、何がだよ……」
「それは知らんよ。ただ、リックって名前らしい。心当たりがあるなら、伝言を寄越せと、そこで終わりだ」
「ふうん」
ああ、でも、――そういえば。
きちんと名乗ったことはなかったけれど、確か最初に使った偽名がリックだったような気がする。宿屋の台帳に書いたような記憶もあるが、勘違いかもしれない。
「じゃ、こっちから俺のフルネームを使っていいと、伝えてくれ。あー俺の名はリック・ネイ・エンスだ。エンスでいい」
「あんたも名乗ってなかったのか、どういう師弟だ。まあいいわかった、伝えておく。……この騒ぎ、あんたかい?」
「その話を聞きに来たんだ。何が起きたんだ?」
問えば、小さく吐息が落ちた。
「簡単に言えばあれは、式陣だよ。罠と同じだ、三ヶ所に対して事前に準備をしておいた」
「気付かれないもんか?」
「きちんと隠してあったし、今の
「ああ、誰がやったのかはともかく、何をやったのかまでは隠してねえよ」
「あんたがやったんじゃないか……」
「やってない、とは答えてないぜ。それにあの程度で問題になることがおかしいんだ。そのくらいのリスクは払ってることを、自覚しとけって話だ」
「面倒ごとに首を突っ込んでたら、引き抜いてくれと言われてるんだけどね」
「もう終わったことだぜ。二度目はねえよ、面倒くせえ」
「そうありたいものだね。何かあったら顔を見せな」
「おう。あんたも魔術書が入用なら相談しろ。司書として相手をしてやるよ」
「――司書?」
「場合によっては、魔導書の無力化もな。お試しをさせてやるほどの間柄じゃない、その気になったら連絡をくれ」
「はいよ。あんまり迷惑をかけるんじゃないよ」
「できるだけな」
それだけ言って、店を出る。
最初に逢った時もそうだったが、誰かの指令があって動いているわけではなかったらしい。実地調査が趣味と言っていたが、魔術師としてはそれほど不思議な行動ではないだろう。
本にある情報の重要さも、自室で研究する大事さも知っているが、現場での経験が生きることもエンスは知っている。生き方はそれぞれなので、口出しはしないが。
さて。
今日は学園の図書館にでも行こうかと考える。というのも、曇り空で雨の気配がするからだ。行軍でもなし、雨の中を移動する利点が欲しい状況でもない。
――ぴたりと、足を止めた。
続いて落ちた吐息、エンスは頭を掻く。
いつもならば、そもそも反応などしなかった。まだ距離があるとはいえ、エンスが立ち止まってしまったことに、相手も気づいているはず。他人の振りはもうできない。
しばらく待っていると、三人の女性がやってきた。
一人は見間違うこともない、ミカだ。その隣には同じく、黒色の狐がいて、もう一人は知らない顔であるが、関係者か。
ミカがいなければ、足を止めることもなかったのだけれど。
「――エンス?」
「よう、ミカさん。外で逢うのは久しぶりだな。冒険者ギルドが最後だった気がするぜ」
「うん、だいたい学校ね」
「こっちの女性は?」
「ああうん、私の母親」
「クロ」
「エンスだ」
威圧はないが、存在感がある。特に七本の尾が術式によって隠されているが、小柄な体格なのに小さく見えない原因だろう。魔力量が多いのか、自然に垂れ流されている魔力が
正面から対峙したら、おそらく十手以上。
条件を揃えるなら――。
「ミカ」
「なに?」
「この子と敵対だけはしないように。――私でも危うい」
エンスは小さく笑った。
「冗談だろ、こっちから敵を作るような真似はしねえよ。素直に言うが、あんたが単独だって前提でなら、準備に七日、場所への誘導で三日くらいかけて、俺ともう一人いる前提でぎりぎり、三割くらいは全員死ぬ可能性を回避できるってレベルだぜ」
「ミカ、わかった?」
「うんわかった。それがどんだけ細い可能性でも、できるのは怖い」
「やらないに越したことはねえよ……」
死の覚悟なんて言葉は使いたくないし、そもそも考えないが、もし実行したらエンスにそこから先はないだろう。
「普段ならスルーするんだが、ミカさんがいたからな。そっちの人と一緒に、演習の事故に関しての話か?」
「そう、私は護衛」
「そっちの邪魔をするつもりはねえよ。サヤさんも関係者なんだろ」
「うん」
「じゃ、俺からの質問は一つだ。クロさん」
「なに?」
口の端を軽く上げて、笑みを表現して。
「九本じゃないんだな?」
問えば。
「うん、そういう面倒なのは嫌い」
すぐ返事があった。
「深入りするつもりはないが、代わりがいるなら安心だ。じゃあなミカさん、またいずれ手合わせしてくれ。場合によっては、――クロさんでもいいぜ」
「うん」
ほかの用事もあるだろうし、長く引き止めても悪いと思い、すぐ背中を見せて歩き出す。
視線は感じたが、あえて気にしない。背中から襲い掛かってくるような相手ではないからだ。やや落ち着かないが。
しばらく歩いていると、見知った顔があった。こちらも三人組だけれど――。
「エンス?」
「ようディア」
「ああ、久しぶり……というほどでもないか。いや、助かったよ」
「ん?」
「本のことだ。かなり参考になった。おかげで普通に会話をするぶんなら、誤解もされなくなったよ」
「そりゃ良かった。……視線は感じるけどな」
「たまたま、聞き耳を立てていたり、見ていたりするからね、それはしょうがない」
「ま、あんま気にするな。本を貸したのは俺だが、内容を読み解いて自分のものにしたのはお前だろ」
「それもそうか。ああ、姉さんが世話になったみたいだ、迷惑をかけたかな」
「あ? 誰だよ」
「ぼくの姉はニルエアだよ」
「ああ、なるほど。大したことはしてねえし、俺も馴らしに付き合ってもらったから気にするな――ん、なんだ、愚痴でも言ってたか」
「うん、だいたい愚痴だったね」
「ははは、あいつにとっちゃ災難だったかもな。おう、連れはもう先に行ったぜ?」
「おっと、じゃあぼくも行こう。またいずれ」
「おう。伝言もきちんと届いてたぜ」
「うん、ミズノさんが来るとは思いもしなかったけどね。じゃあ」
考えてみれば、知り合いも増えた。
けれどまあ、どんな時でもエンスはいつも通りの日常を過ごす。
痛みのない躰で、健全な生活を噛みしめるように。
※
エンスが去ってしばらくすると、サヤとキーニャが合流した。
「クロさん!」
小走りに近づいたキーニャがクロに抱き着くと、隣にいたニーニャは腰に手を当てて吐息を落とした。
「キーニャ、そこはまずお母さんでしょう」
「え? お母さまはいつでも抱き着けるから」
「まったくこの子は……サヤ、お目付け役、ご苦労様」
「いえいえ、元気そうで良かった。今回はニーニャさんが代理で立つの?」
「本当はキーニャにやらせようと思ったけど、暇だったから」
クロから離れたキーニャは、母親のところへ。
「サヤ」
「はいクロさん、どうしたの?」
「ミカには言ったけど、エンス。あれに手出ししないように」
「――エンス? さっきすれ違ったけど、こっちが本命?」
「いい? 私でも殺されるから、やらないように」
「え、あ、うん……わかった」
そこに、合流したディアが加われば、ちょっとした大所帯。学生たちがほとんどいないため、目立ちはするが、人の邪魔にはならない。
そして、挨拶を終えて。
「エンス? 彼の本質は、司書だろう? ぼくは本を借りたが」
その言葉で、やや状況が混雑するが、結論としては触らぬ神に祟りなし、である。
――しかし。
いずれ、あるいは数年後、彼らは知ることになるだろう。
ただ一人のエンスではなく。
かつて、傭兵団ヴィクセンと呼ばれた彼らと一緒にいるエンスが、今とは比較にならないポテンシャルを発揮できることを。
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