第25話 過去の足音

 まだ開店していない酒場で、エンスはミズノと名乗った男とカウンターに座り、店主には酒だけ用意してもらい、会話をすることにした。

 年齢的には、もう三十を越えているらしいが、まだミズノは若く見える。

「アキコ本人が乗り込んでくる、そう思ってたんだけどな」

「ぼくだって師匠には、自分で行けと言ったさ。今のぼくは弟子もいるし、いろいろ面倒ごとを抱えてもいる――つっても、そりゃ弟子の面倒だけど。ただ、まあ、複雑な顔はしてた」

「へえ、たとえばどんな」

「ぼくから見た感じ、逢いたい気持ちは強そうだったな。でも、逢いたくねえ感じもあって、逢えない理由もあるみたいな。よくわかんねえけど、ミリさんやキリュウさんとは違うんだろう」

「誰だそれ」

「知らないのか? 師匠の昔の友人だから、あんたと同じだと思ったんだけど」

「あー……」

 たぶん、それは。

「俺が死んでからだろうな、それは。どこまで聞いてる?」

「師匠が傭兵団ヴィクセンに所属していたこと。生前の知識があるってのはぼくも同類だが、たぶんその関係者だよな? 師匠は昔の知り合いってだけ――あ、そうそう、返事だけは貰ってた。泳げるけど、必要に迫られないとやらない、だそうだ」

「へえ」

「師匠って泳げなかったのか」

「おう、まあ海が近くなかったのもあるけど、泳げねえのは問題だろ? ちょっと深い滝つぼに落としたら、あいつ溺れてなあ。ちゃんと助けたんだがそれ以来、水場を嫌うようになっちまって」

「あんたが原因かよ」

「わかりやすい伝言だろ? どういう経路を移動したのかは知らないが、本人に伝わればそれでいい」

「あんたにも、逢えない理由があるのか?」

「それほど大きくはねえよ。見ての通り、学生をやるくらいにはガキだし、かつての錬度に戻すのにも時間はかかる。加えて、逢いに行くのにも――ちょっと、今の俺じゃ足らないだろ?」

「さすが……ってところか。師匠はあんま、昔の話はしねえから、良ければ聞かせてくれよ」

「そいつはいいが、アキコは今、どうしてんだ」

「山奥に引きこもって自給自足の、のんびりした生活をしてるよ。――マンドラゴラに囲まれて」

「マンドラゴラ……魔術触媒としちゃ有名だな。確か欠点は、生産者の性格が反映されるところだろ。自死を誘いやすくて上手くできねえって本に書いてあったのを覚えてる。その点でアキコなら、上手く適合してるってことか」

「師匠は、いつ死んでも受け入れるような……死にたくないとは思わないけど、死にたいとも思わないみたいな感じだとか言ってたけど」

「俺ら傭兵はな、基本的に命を対価にして仕事を引き受けることが多いから、いちいち気にしてられねえ。一度でも、この金に自分の命が釣り合うのか? そんな疑問を抱けば、命の金額を決めちまえば、そこで終わりだ。人はあっさり死ぬ。病気でも事故でも仕事でも、明日にはいつも通りなんてことはねえ。死ぬのは当然だ、世界ってのはそういうふうにできてる。けど、死を望むのは違うだろ」

「あー……そう説明されりゃ、なんとなくはわかる」

 ただ、そう割り切れる異常さも、今のミズノにはわかった。

「聞き流していいぜ? 一番最初に死んだ俺が癒える台詞じゃねえよ」

「――そうなのか?」

「おう。俺と、もう二人で始めた傭兵団だが、最初から俺がいろいろ手ほどきはした」

「団長か?」

「まさか、そんな面倒なことは、ほかのやつにやらせた。まあ当時から、そうなることはわかってた」

「……気持ちがわかる、とは言わないけどな。ぼくは病気だった」

「死ぬ直前くらいまで誤魔化してたから、気軽に再会ってわけにもいかねえよ。どんなツラしてりゃいいんだってな」

「あー、そりゃすげえけど、悪いのはあんただろ」

「ははは、まあな。アキコはガキの頃に戦場で拾って、俺らが育てた。あー、その時にはもう副団長の女がいたから、四人だったかもしれねえけど。まあた、あの女が筋肉主義の鉄砲玉で、細かい作業とか準備、交渉やらなにやら俺がやってたから、丁度良い、アキコにやらせよう――そう思って、あれこれ教えてらああなった」

「……短気なのも?」

「ありゃ性格だ。可愛いもんだろ」

「いや」

 言って、ミズノは周囲を改めて見渡して、一息ついて。

「可愛くはねえよ、怖いだろ、何度ぼくが蹴り飛ばされたと思ってんだ……」

「もう長いのか?」

「十五年くらい。まだ勝てる気はしねえ」

「それなりに実戦を経験してるみたいだが、まだ俺らと比べればだいぶ差があるからな。技術をどれほど詰め込もうとも、どう使うかは経験しかない」

「師匠にも言われたよ。実戦経験の場が少ないってのも。――実際にぼくが抜く前に対応された」

「正面からやり合えば、技術的にお前の方があるだろうぜ」

「そうか?」

「知識はともかく、技術はそうだ。今の俺じゃ肉体的に再現できないものが多いからな」

「ああそうか、元通りってわけじゃないからな。師匠も見た目は違うとか言ってたっけ」

「俺も違うな」

「ただ、ミリさんやキリュウさん……師匠は同じ傭兵団って言ってたけど、その人らは変わらなかったらしい」

「ふうん? 今は、あまり興味がない話だ」

「ぼくがいた世界は、たぶんそっちとは違うとか、そういう話も?」

 エンスは小さく肩を竦める。

「知ってどうする」

「そりゃそうだけどな。……銃器はどうしてる?」

「使ってねえ」

「そこそこ弾薬の製造は回ってるみたいだし、ぼくも一通りやらされた」

「ああ、理由はわかったか?」

「いや……ぼくには合わないってのは理解したし、使えるってことは確認したが」

「自分が使えるようになるってことはな、相手が使う時に対応できるんだよ。知っているってのは、アドバンテージだぜ? 俺が、直刀を持ち出した手合いに対応できるようにな」

「なるほどなあ。今にして思えばってやつか」

「教会とは事を構えていないんだろ?」

「ありがたい話でな、うちの周辺は影響力が低いから、そういうトラブルはねえよ。ぼく自身もあまり興味がない」

「俺はいずれ敵に回すぜ」

「世界規模だぞ」

「信仰自体は嫌ってねえよ。ただ、信仰を理由にする連中が許せないだけだ。まだ先の話――具体的には、アキコに逢った先の話になる」

「逢いに来るのか?」

「本人には言うなよ、まだ先の話だ。大陸間移動の懸念もまだある」

「――知ってるのか、いや、当然か」

「運が良かったのさ。今まで魔術師の弟子ってかたちで生活してた」

「魔女の宴」

「おう」

「ありゃ師匠の、アキコさんの師匠って人が作ったとか聞いたことがあるぜ」

「へえ……そりゃ良い出逢いに恵まれたな。状況が許さなかったが、傭兵なんて必要に迫られて荒事をするヤツばかりだ。べつの生き方ができりゃ、その方が良い」

「……、氷の大陸にある、クロハって街を訊ねてくれ」

「そこにいるのか」

「厳密には、その近くに魔物が多くいる山がある。その奥にひっそりと住んでるぜ。まだ俺じゃ、正面から突破はできねえ」

「ふうん? 諒解だ、覚えておこう」

 さてと、言いながらエンスはグラスを傾ける。

「お前は魔術師なんだろ?」

「まあな。最初は魔女の宴の人に拾われて、師匠のところに預けられたんだよ。魔術に関してはここ数年で本腰を入れてるが、それまでは体術を教わった」

「系統……魔術特性センスは?」

人形師パペットブリード。作る方も操る方も――と言いたいところだが、どっちかっつーと作る方に主体を置いてる。マンドラゴラを人型にするのは成功したよ」

「んー、触媒としての適性に疑いは持たないが、そりゃアキコの性格が反映されてんのか?」

「でけえカブみたいな野菜状態で動くし、話すからな。そういう意味では親和性を少し考えた、人型の何かがありゃそれでいい。肉体の改変というより、浸食で、魂のかたちはもうあるから、器だけ作る――そう難しいことじゃなかった」

「そう聞けば、条件自体はもう揃ってるようなもんか。それこそ部位欠損したから義手なんかを作ってやるのに近いか?」

「似たようなもんだ」

「俺は魔術師じゃないし、詳しくはわからんが、お前が目指してるのはどういう人形師だ? ほら、自動人形オートマタとか戦闘人形コッペリアとか、区別があるんだろ」

「どんな人形師も、目指すのは最高の人形だ。こいつは素体って意味合いが強いし、それを使うのは別の魔術師になる――が、まあ、ぼくとしてはどうかな、戦闘人形を作ってみたいとは思ってる」

「へえ、そりゃまたどうして」

「見ての通り、ぼくは戦闘が苦手でな」

「ああうん、それは気付いた」

 それでも、ミカとサヤでは少し届かないとは思うが。

「独立して動く戦闘人形に、今のぼくの持ってる戦闘技術を教え込めば面白いかなと」

「人間じゃないんだな?」

「魂の創造は、かなり危ういし、ちょっと思いつかない。あーAIってわかるか?」

「おう」

「あのシステムを組み込もうと考えてる。学習するし、こと判断力に関しては適切なパターンを照合するだろ。汎用性って点は目を瞑るとしても、そこそこ行けるんじゃねえかと」

「AI任せだとAIに突破されるくらい貧弱になるんだけどな」

「知ってる。これは言葉通り、ただ知ってるだけだ。電子戦の知識なんか持ってねえ一般人だったからな」

「疑似人格を作った上での戦闘人形か」

「理想はな」

「今のお前にとって、人形を作る方か、AIを作る方か、どっちが問題だ?」

「どっちかって言えば、AIだな。人形の方はまあ、いくつか当てもあるし、経験もある」

 なるほどなと言いながら、エンスは目録を取り出し、ぺらぺらとめくる。

 この時代に、そんな魔術書があるとは思えないが、先代、あるいは先先代せんせんだいなら可能性はあるし、既にエンスはそういう本を読んでいた。

 ただ、さすがに一万冊以上も読んでいると、すべてを覚えるわけにはいかず、目録によって記憶の蓋を開く動作が必要になる。

「すぐ行くのか?」

「急ぐ用事はねえよ。こっちは長期休暇で学生も少ないんだろ? サヤとミカとも久しぶりに逢ったし、最低でも十日くらいはこっちにいるぜ」

「じゃ、とりあえずは五日にしとくか」

 言って、次元書庫から本を取り出す。

「ミズノ、この本を五日、貸し出してやる。魔術書に嫌われなけりゃ、五日後には自動的に俺のところへ戻ってくる」

「魔術書の、貸し出し……?」

「それも司書の仕事ってことだ。わざわざこっちまで足を運んで、伝言だけじゃ徒労になっちまう。報酬の用意くらいはするさ」

「五日か、まあ、とりあえず受け取っておく」

「望む情報じゃないかもしれないが、役に立つだろう。あとは相性と、お前の努力次第。それと、厄介な魔導書があるなら俺に言えよ。無力化もできるが、俺が保管ちしまうから内容は読めないけどな」

「へえ――魔術師じゃないんだろ?」

「おう、せいぜい便利に使うくらいだ。ある程度の改良はできるが、読んだ魔術書を利用してる。簡単に、わかりやすく言うなら、魔術構成そのものを魔術書に頼ってる感じか」

「……戦闘で使うには、かなり制限がかかるな」

「その通り、まず使おうとは思わないし、使えても一種類。だから俺ができるのは、罠を張るくらいなもんだ。たとえば? 爆破系の術式を三ヶ所に配置して、同時に起爆するような術式を隠して布陣する、とかな」

「――なるほど? お偉いさんがここに集まって来てるのは、それが理由か。よくやるもんだ」

「示威行動ってのは、やり方を間違えれば煩わしいもんだぜ。特に、ろくな戦争を経験したことがない連中はな」

「戦場にだけは行くなって、師匠から言われてるよ。二度ほど体験はしたけど、保護者付きだし、単独じゃ難しいってのも自覚してる」

「二度あるだけ良い方だ。この周辺じゃ大きな戦争は百年くらいないみたいだしな」

「戦場が恋しいか?」

「まさか。争いの種なんて、どこにでも転がってる」

「それもそうか」

 グラスを飲み干したエンスは、本を渡してから立ち上がる。

「俺も基本的には、学生としてここが拠点だ。帰省の予定もないし、帰る時くらいに顔を見せろ」

「諒解だ。――ああ、最後に一つ」

「ん?」

「師匠によく尻を蹴り飛ばされるんだが、ありゃどうにかなんねえか?」

「蹴られる回数は減ってんだろ? 避けられるとわかってるなら蹴らないし、当たるとわかってるから蹴るんだよ」

「じゃ、そのうちになくなりそうだな」

「そうかもな」

「おい?」

「あいつの性格が以前と変わらねえ短気なままだと、お前が避けた瞬間からマジになるぜ?」

 言えば、苦虫を噛み潰したような顔をしたミズノは、軽く手を振った。

「聞かなかったことにする」

「はは、賢いじゃねえか」

 どうやら。

 こちらに来ても、懐かしい相手の性格は変わっていないらしい。

 それを嬉しく思いながら、エンスは支払いを済ませて店を出る。今日は良い天気だ、気分も良い。陽の当たる場所で、読書でもしよう。


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