第24話 戦闘への馴らし

 ニルエアの呼吸が整うまでは、休憩時間だ。どっかりと地面に座り込み、水を飲みながら息を荒げる彼女を見ていても、面白いものはない。

「ん」

 短い、頷きに似た言葉を合図にして、首を狩る一撃。鞘ごと腰から引き抜き、柄を軽く握って、引き抜きと、鞘を戻す動作を同時に行う居合いだ。刀を抜いて、それを攻撃としつつ、半身になって距離を取り、かつ、確実に喉笛を狙ったそれは、エンスの右手が軽く動いただけで、頭上を斬った。

 斬って、ぴたりと停止する。その時点で一歩、ないし半歩ほどは離れており、次の攻撃へ転じる溜めも作られていて、そこにミカの技術が隠れていた。

 けれど、その一撃で終わりだ。抜刀時と同じ手順で鞘に収まる。

「流し……ナイフの表面で触れて方向を変えてる。等速? 触れてるのに音がしないのは空圧?」

「ああ、まあ、そのへんだ。状況によっていくつか使い分けてるから、なんとも言えないが、技術としては受け流しで合ってる。ミカさんの戦闘スタイルだと、俺の方が有利に働きやすいな」

「うん、そうだね」

「とはいえ、実戦だったらあんま使わないんだけどな」

「エンス、その理由はなんだ?」

「あのなトタイ、そんなリスクを負うよりも、接近される前にどうにかした方が楽だろ。対人なら特にな。まあ、術式を含めた遠距離攻撃の時はやるけど――というわけで、ミカさん」

「なに」

「投擲系頼む」

「ええ……めんど。あ、じゃあ知り合い連れてくる。待ってて」

「頼んだ」

「私がいない時にやらないように」

「わかってるさ」

 相手がいないのにやることもないと、肩を竦めて見送った。

 次に口を開いたのは、ニルエアだ。

「ねえ」

「あ?」

「あたしの動きって、もしかして遅い?」

「速いだろ、何言ってんだこの人。観戦してた俺でも目で追うのが一苦労だぜ。実際やってたエンスは、どうなんだ?」

「さあ……どうだろうな? 少なくとも、速度を使えてはいないな。よくある勘違いだが、学生を相手にしてるんだろ、いいじゃないかそれで」

「よくない。弟とやった時もそうだけど、動きが単純かな……?」

「エンスはどう対処してるんだ?」

「あ? 対処法は、初めて逢った時に教えただろ」

「……――あ、そうか」

「え、なに、なんの話」

「真面目な話をすると、目で追えない速度で移動したところで、攻撃時には近くで立ち止まるんだから、最初から目で追う必要がねえって話だ」

「う、ぐ……でも止まらないと攻撃にならないし」

「馬鹿、って言えよ」

「ん、あー、そうか。速度が出てれば出てるだけ、その中でさらに速度を追加して攻撃することになるのか。最高速で移動しなきゃ速くねえ、だがその中で……ん? つーか、腕なんか動かないだろそんなの」

「だから、攻撃できねえんだよ。それこそ最適解を出すなら、槍を構えたままの突撃だ」

「躰を固定して、そのまま移動するのか、ふうん」

「無意味じゃないぜ? そりゃ状況によりけりだ。かく乱って意味合いでは一定の効果はあるし、気付かれず背後まで移動するとかな。今までそれで通用してたんだろ? だったらそれでいいじゃないか」

「むう……今通用しなかったのを反省してんだけど」

「知ったことか。でもそうだな、ミカさんと同じ得物を使う連中で、後手じゃなく先手を取る奴がいるんだが」

「ちょい待て。ミカ先生って後手なのか? 俺も入学時に先生が試験官だったし、去年も二回くらい――先輩の卒業とかで見たことあるけど、だいたい先手だったぞ」

「どう説明したもんかな……たとえば、まあ、ミカさんでいいか。同じ得物の相手、腰に刀。ミカさんが抜くタイミングは、相手が抜いた瞬間だ。つまり、抜くのを待ってる」

「おう……待つから、後手か」

「だが、実際にそのまま抜くと、ミカさんの得物の切っ先が相手の喉に届く方が速い。だから先手に見える」

「――なるほどなあ。いや納得だ。そういう見方はしたことがなかった。俺はその、結果だけ見て先手を取ったと、そう勘違いしてたってことだな?」

「どっちが良いってわけじゃねえよ、性格もある。後手から先手を取るには、まず読み、次に速度だ。ちなみに先手を取るタイプだと、得物に手をかけようとした瞬間に、喉元に切っ先が突き付けられる」

「わかるもんなのか?」

「攻め気、なんて呼ぶんだけどな。常に先手を取る――これが厄介だ。今の俺だと間に合わない」

「なにが」

「感知と迎撃さ。こいつの場合は、間合いを詰めるための速度であって、攻撃の速度じゃない。簡単に言えば、見えない速度のまま見えない攻撃をして、見えた時にはすべてが終わってる――となると、あとは気配頼りだ。読みと勘と誘いを駆使しても、突破されるだろうな」

「マジかよ。……つーことは、ニルエアさんが目指すところって、そこか?」

「目標の一つにはなるだろうな。あとは本人次第」

「ぬぐぐぐ……」

「トタイ、一応教えておく。もう一つの速さな」

「おう」

「戦闘においてもっとも注意すべきことだ。この速さってのは、よくわからない。認識の外から忍び寄るようにして、そこにある」

 トタイは、エンスを見ていた。落ち込んでいるニルエアも、座ったままだが意識はしていた。

 けれど、そう、一瞬の間が作られたかのよう、いつの間にか二本のナイフは引き抜かれており、ニルエアの目、そしてトタイの喉のあたりに突き付けられている。

「これも速さだ。まあ、認識の隙間を突くというか、呼び方はいろいろあるけどな。外から観戦してると、ゆっくり抜いたように見えるんだが、本人はそうでもない」

 そんなに速くはないんだと言いながら、エンスは自然な動作で鞘へ戻す。実際に抜いた速度も、似たようなものだった。

「それとトタイ」

「なんだ」

「今からお前に足払いをかける。しっかり力を入れろ――つっても、軽くだけどな」

「あ? まあいいけど」

 本当に軽く、トタイの右足を――ふくらはぎのあたりを、内側から蹴った。

「どうだ?」

「どうって、まあこれじゃ転ばないよな。我慢するって言うほど痛くもねえよ」

「だろうよ。もう一回、同じ力でやるぜ?」

「おう」

 同じ力で、同じやり方で、ただし今度は足首のあたりを蹴った。

「いっ――!」

 崩れ落ちそうになる躰をなんとか持ち上げて。

「――ってえ!」

 蹴られた右足を持って、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら痛みに耐えた。

「マジかよ! クソッ、ほんとに同じ力か!?」

「同じだよ。そうやって自分の躰で実感した方が覚えが良いぜ、こいつは経験談だ。本気でやるつもりなら、俺がやってやるよ。休暇中はそれなりに、こっちにツラ見せるから」

「やられるために、俺、本を読んで覚えるのか? マジでテンション下がりそうだ……ん、あれ、もしかしてお前がいつも、だぼっとした、躰のラインが見えない服を着てるのって」

「よく気付いたな」

 そこでようやく。

 紙の長い女性を連れて、ミカが戻ってきた。

「あ、サヤ先生」

「お待たせ、これ私の友人」

「サヤよ。あんたがエンスね、話はちょっとミカから聞いてる」

「ちょっとってのは?」

「今、都市運営部がごたごたしてる話とか」

「ふうん」

「で、何をするって?」

「ああ、投擲系の攻撃を頼む。俺は受けだけ」

「はいはい。じゃ、真ん中」

 言われた通り、ゆっくりと移動して、ぴたりと足を止めた瞬間にはもう、右手が太もものナイフを中指で引っかけるよう引き抜いており、振り返った時にはナイフが握られ、目の前にある30センチほどの針を逸らした。

 やり方は銃弾を逸らすのと同じで、基本的にはナイフの側面に当てて、ナイフ自体を横にする時もあれば、外側に動かすよう逸らすこともある。

「じゃ、こっちは基本的な体術の回避も含めるぜ」

「……そう。一応、当たった時にはただの水に戻るよう構成してるから」

「危機感のなくなるようなこと言うなよ。俺が綺麗な姉ちゃんにでも見えてんのか? 水を浴びて困るような服装はしてねえよ」

「それもそうね」

 一歩前に出たサヤの周囲に十本ほどの針が出現したのを見て、吐息を一つ。

「足りねえなあ……」

 投擲のセオリーは、五本とされている。つまりそれは、五本あれば確実に一本は当てられる、ということだ。

 ただ、エンスは慣れ過ぎている。

 5.56ミリの雨の中、本体を壊そうと接敵するのに比べれば、正面から十本、しかも大した速度ではないのなら、体術だけで避けられる。そのうち三本が、背後から方向を変えて向かってきたとしても同じことだ。

「おい、頼むぜサヤさん、これじゃ訓練にならねえ。速度はせめて二倍にして、数は五十から百でやってくれ」

「……」

 ようやくここで、サヤのやる気を感じたのか、エンスも左のナイフを引き抜く。

 構えはない。あくまでも自然体のまま――構えるなんて、一対一で自分よりも強い手合いと正面から戦う時だけだ。

「ミカ」

「ん、こっちの二人は気にしなくていい」


 そこから一気に、状況は加速する。


 ほぼ全方位から飛来する針を回避し、逸らす。喉の奥で小さく笑って、その中の一本をあえて弾くようにしてやれば、飛んできていた針に当たり、その針が棘の球体に変化してから、地面に落ちて水に変わる。

 同じ針に見せかけた罠――よくある手だ。この場合は構成を読むか、魔力の質で感じ取るしかない。あまり自分の躰近くで棘にすると、範囲制圧されやすい。

 さらに。

 足元に溜まった水から、にょっきりと生える針に対し、その半ばのタイミングで横から踏みつけるようにして折るのも忘れない。

 避ける、逸らす、避ける、避ける、逸らす、逸らす。

 五分が経過した頃には、エンスの口元が笑っている。

 まだか。まだ先があるだろう、そんな期待。もっとやれ、ほら狙いに来い、まだ戦術があるはずだ――。

 けれど。

 踏み込もうとしたサヤを、ミカが押さえる。

「訓練」

「……、……」

 術式が途切れることはないが、サヤが大きく深呼吸をするのを見て、二人の関係が少しわかった。

 だから、エンスは一歩、前へ出る。

 弾いて、避けて、逸らして、ただただ直進して、終わりを示した。

 これ以上はない。

 ここより踏み込めば、周囲に被害が出る。だからサヤも手を止めた。

「おう、ありがとな。だいぶ得物の感覚を取り戻せたよ」

「……ああ、うん、そう」

「やめとけ」

「うんやめといて」

「まだ何も言ってないわよ」

「やるなら二人で」

「おいおい……」

 二人がかりともなれば、封殺される可能性がかなり高い。今のエンスでは手に負えないだろう。

「ま、安易に敵にはならねえだろ。準備運動にもなったし、とりあえず予定通りミカさん、相手してくれよ」

「読み合いにならない?」

「なってもいいだろ、あくまでも訓練だぜ。手の内を全部見せるわけでもなし、だ」

「わかった」

 実際、そこからの戦闘は、トタイやニルエアではわからなかっただろう。

 お互いに顔を合わせ、ミカは両手で刀を構えるが、全身の力を抜き、切っ先もゆらゆらと揺れる。それに対するエンスも、右のナイフは握ったままだが、左手のナイフはくるりと回したり、腰裏に戻してみたり。

 隙を作っているわけではない。

 お互いに戦闘を、この先を組み立てており、どうやって一撃を与えるかを考えているし、動いている。

 動こうとしている、が正しいのか。

 そして、お互いに立ち位置を変えるよう、瞬間的に動く。

 どちらの攻撃が届いて、どちらが防いだのかも、わからないだろう。正面から対一で戦闘をしたら、自然とこうなってしまう。

 だがそれは。

 一定以上の実力があり、最低限の条件は――互角であること。

 少なくともサヤの目には。

「……あいつ、ミカとの手合わせはいつもやってんの?」

「いや」

 返答はトタイがする。ただ三人とも、戦闘から目は逸らさない。

「試験の時と今と、二回目ってところか。入学から今まで、こっちには週に一度くらいしか顔は見せねえよ。態度もそれなりにデカイ後輩だ」

「そう」

 それにしては。

「刀に慣れ過ぎてる」

「そういや、……そうだな。ミカさんが持ってるのは見てるけど、使ってるのはほとんど見たことがねえな」

 慣れている、というよりも、見切り? いや、技を知っている?

 訓練なのに、エンスは終始余裕を見せていた。教員と学生の立場が逆になったように見えているのは、サヤだけか、あるいは対峙しているミカもか。

「現役の冒険者だろ」

「知ってるけれど、ね」

 知ってはいるが、そんな言葉で片付けられるものではない。裏があると疑いたくはなるが、はっきり言えば。

 認めたくはないけれど。

 外で、敵として現れたら、全力でやっても確実に殺せるかどうかは、確定できない相手だ。

「――よし、こんなもんにしとこうぜ」

 十五分ほどやり合って、エンスの言葉で訓練は終わった。

 ナイフの表面を見て、それぞれを鞘へ。一度も斬った様子がないのに、表面だけに傷がついた得物を見せられた鍛冶屋が頭を抱えることになるのだが、それはまた後日のこと。

「うん」

「握りの部分は調整が必要だな、こりゃ――ん?」


 はじめて。

 ここに来てようやく、攻撃的なエンスの動きを見ることになる。

 それはミカでさえ、試験の時とは比較にならない動きだったと息を呑んだほどだ。

 入り口を空けて、一人の男性が入ってきた。短髪、背丈はそこそこ高く、細身――腰にはミカと同じく、刀。

 だが、その刀が引き抜かれたのは半ばまで。

 いや、違う。

 それは、直刀であり、黒色だ。

「よう、あんたがエンスで間違いないな――」

 引き抜けなかったのは、既にその時点で刀がであり、同時に逆側のナイフが、喉の下付近に切っ先が埋まっていたからだ。

「――師匠から、アキコからの伝言を持ってきた」

「そうか」

 その男の名は、ミズノ。

 かつて、ミカとサヤも出逢ったことのある人物だった。


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