第23話 得物の慣らし
学校では、いつもミカの学生が使っている訓練場があり、だいたいそこに集まっているのだが、トタイが走り込みをしているだけで静かなものだった。
「よう、エンス」
「おーう、お前だけか」
年齢が近いこともあって、実際にはエンスが一つ下だが、お互いの距離感は近い。ほかの二人は年上であるし、文句をあまり言わないタイプだ。会話が弾むことは、ほとんどない。険悪な間柄にはなっていないが。
「また走り込みかよ」
「一番単純で、一番効率的な基礎訓練だろ?」
「そりゃそうだけど、程度にもよるな。本当は吐くまで走った方が良いんだが、一人でやるもんじゃない」
「――」
「なんだよ」
「あ、いや、最近来た、教室は違うけど臨時教員が同じことをさせてたから」
「はは、一発目か?」
「そうだ」
「で、本人は平然な顔で並走でもしたんだろ。学生のうちはともかく、現役の連中なら誰だって頷くさ。自分のペースを作る、相手のペースに惑わされない。その上で、一定以上の持続力を作る――戦闘の基本だぜ」
「だからって、限界まで追い込むのか?」
「やられた当人たちに話を聞いてみろよ、思ってたよりも走れたと言うだろうぜ。限界ってのは、自分で決めるとすぐそこにあるのに、必要に迫られると案外、長くなるもんだ。――その先には、死が待ってる。見極めは重要だ」
「死ぬ、か。……やっぱ、そこが俺らはわかってねえんだろうな」
トタイは水のボトルと、タオルを手に取った。
「で、七日に一度くらいは顔を見せようって話だっけ?」
「仕事は落ち着いたよ。ほかの連中はあれか、休暇で実家か?」
「ほとんどはそうだ。俺は実家に居場所なんてねえから残った」
「実家があるだけいいじゃないか、いずれ感謝する時もある――そのくらいの気構えで良い」
「……そんなもんか?」
「そんなもんさ。ミカさんは?」
「予定は聞いてないけど、まだいるみたいだぜ」
「そりゃ良かった。来ないようなら探しに行くか」
「先生に用事かよ……ん? 得物、買ったのか?」
「おう、ようやく完成したんだ。慣らしに付き合ってもらおうと思ってな」
「お前なあ、慣らしのために先生を使うなよ……」
「あ? そのために教員がいるんだろ。つーか、ミカさんとやり合うためにこの学校に入ったんだぜ、俺は」
「そういや、試験教官がミカ先生だったとか言ってたっけ。最近じゃ先輩たちのアドバイザーだもんな、お前」
「真面目に冒険者になろうって努力してるんだ、多少はな。そういうトタイも、前から気になってたが、得物は持ってないんだな」
「あー……いろいろ試してる最中だ。どうもしっくりこない」
「ふうん? 素手は」
短く、トタイは息を落とす。
「メリットがあるか?」
「ない――と、見限るのは学生ならではだな。現役なら、それでも生き残る道筋を見つけるものだ。素手も含めて、あらゆる得物を一通り使え。錬度は、理想を言えば本職には敵わないが、そこそこやり合えるくらい」
「それって本職には勝てないってことだろ」
「勝ち負けにこだわるな。少なくとも俺はそうしてる。一歩、外に出れば死ぬか生き残るか、殺すか殺されるか、だいたいその二択だぜ。そして、敵は人間か、それ以外だ」
とりあえず、座るように言って落ち着かせた。
「座学だ。たとえば、手のひらサイズの石が落ちていた。これを武器にするなら、どうする?」
「大き目のサイズなら、だいたいは投げるだろ」
「つまり投擲技術。正しく、その石を武器にしたいなら、
「ナイフ……いや、限定的な突く技術」
「そうだ、その意識だ。まずお前は、日ごろからそういう意識を持て。特に日用品や、自然物。そういったものをどう得物にして、それを扱うのにどういう技術が必要なのか」
「おう」
「それと、人体の急所は知り尽くしておけ。これに慣れると、人と対峙した時、意識することなく急所が見えるようになる。そうだな……いっそのこと、自分のあらゆる攻撃は急所だけに限定しちまえ。それ以外はハズレで、失敗だと考えろ。そうすれば、石を投げるだけでも充分に活用できる」
「目とか喉とか、そういう当たり前じゃない部分もか」
「実はな、人間の急所ってのは調べれば山ほど出てくる。特に鼻を中心とした縦のライン、もちろんそれ以外にも。あとで本を貸してやる」
「……あんまり、そういう意識はしたことがなかったな」
「俺は確かにナイフを使うが、すべての状況で常にこいつを使うわけじゃない。いずれお前も知るだろうけど、戦闘ってのは何も、相手と対峙してからスタートじゃないんだぜ」
「わかった。いや、わかったのはとりあえず、武器の意識と、扱う技術。それと急所。この三つだな?」
「おう、それでいい。戦闘開始直後に、足で砂を引っかけて飛ばされても、文句を言わなくなる」
「あー……俺ができる、やろうとするってことは、相手もやるかもしれねえってことか」
「まあな。ちなみに、やろうとしたらミカさんは気付いたぜ。試験だからやらなかったけど」
「すげえな。やろうとするお前も」
「だからやってねえって。反応するかどうか試したんだ」
「そもそも選択肢にねえよ、そんなの」
「これから見つけろ。じゃあトタイ、貸出だ」
ジャケットの内側に手を入れる素振りで、次元書庫から一般書を取り出す。
「貸出日数は、今日を含めておおよそ十日。期間が切れればこの本は俺の手元に戻るが、まあ、あまり気にするな。貸出対象はトタイ、間違いなかったら受け取れ」
「間違いねえよ、なんだそういう契約か?」
「図書館で本を借りる時も、自分の名前を書くだろ。同じことだ」
「なるほどね。じゃあありがたく、借りるぜ」
「おう」
本を渡せば、念のためとタオルで手を拭き、ページをめくる。中身は人体の急所と、血管や神経の流れなどが細かく記されているもので、先代が読んでいた本だ。
十日という期限も、魔術書ではまだ無理だが、一般書なら負担が軽いことも検証済みである。
「……なあ、ちなみにこれ、お前は読んだのか?」
「確認の意味で、一通りな。急所を知ってるってことは、逆に、急所を外せる。拷問や見せしめなんかにも使えるぜ」
「物騒な話だなあ……」
トタイは、こう言って良いのかわからないが、真面目だ。先輩へのリスペクトも、エンスへの態度も、自分自身のことも、真面目に考えて、真面目に受け取っている。悪い言い方をしたら損をするタイプだろうが、本人は苦にしていないようだ。
だが、真面目を通り越して、頭が固くなるのは問題だと、いずれ話してやろうと思う。
今はまだ、あれこれ手を出して、やりたいことをやる時間だ。ゆえに、まだ実戦は早い――。
と。
そこで刀を佩いたミカがやってきた。
「よう」
隣に、少女を連れて。
「エンス、来てたの」
「相手をして貰おうと思ってな――そいつは?」
「ほかの教員が見てる子。休暇に入ったから、連れてきた」
「ああ、家に戻らない学生の一人か、なるほどね。俺はエンスだ」
「ニルエアよ、よろしく」
「――ニルエアさん?」
本を閉じて、トタイが立ち上がった。
「お前知ってんのか」
「一方的にな。つーか、学内ランクのトップ10くらい覚えるだろ」
「あ? なんだそのランクってのは」
「おい……校内ランキングも?」
「知らん」
「戦闘系の学校がそれぞれ、戦闘による学生のランキングを発表してるんだよ。学園都市全体と、学校内の二種類。確かニルエアさんは学内九位だったか?」
「うんそう、一応ね。運が良かったのもあるけど」
「俺と同い年だからな、覚えてたんだ。確か冒険者の資格も取ってただろ」
「あんまり依頼は受けてない」
「へえ……」
そういう遊びがあった方が盛り上がるんだろうなと思ったが、あえて言わないでおいた。
「ん……ニルエア、相手してやって」
「へ? あたしが?」
「そう。やれ」
「いいけど……そっち、エンスもそれでいいの?」
「おう、まあいいんじゃないか」
腰にあるのは二振りの剣。といっても、長剣と呼ぶにはやや短い片手剣が二つだ。どう戦うのかは知らないが、やってみても悪くない。
九位。
それがどの程度なのかも、知っておくべきだ。
「ニルエアは真面目にやること。腰の抜いていいから、本気で」
「え、いいんですか、先生」
「問題ない。……でしょ?」
「怪我が怖くて訓練できません、なんて言ったことはねえよ」
「うん。エンスは怪我させないこと。目いっぱいの手加減をすること。術式を使わないこと。あと本気を出さないこと」
「はいはい、わかってる。学生相手に無茶はしねえよ」
「あーニルエアさん、すぐわかると思うけど、冗談じゃなく本気でやった方がいいぜ。俺もこいつの戦闘は見たことはねえが、危険人物ってのは知ってる」
「んだよトタイ、その危険人物ってのは。俺をそこらの
「それを今から見るんだろ」
「言うねえ。よし、じゃあかかってこいよ、ニルエア。それとも、開始の合図がないとできないか? まずは一撃を与えて、場所の誘導方法まで懇切丁寧に教えた方が良いか?」
「はいはい、あくまでも訓練だからね」
右の剣を引き抜き、まずは軽く一撃。これを見切りで回避しながら、距離を取る。エンスが退いたぶんだけ踏み込み、今度は突き、これも見切り。
最初から本気ではなく、初対面ということもあって、ニルエアは軽い動きで探りを入れ、どこまで本気でやって良いのかを判断する。怪我をすることが当然であっても、致命傷や、後遺症のある攻撃をしたくはない。
ただ、七割くらいは行けそうだなと思って、中央付近まで移動してから、腕をクロスするよう左の剣も引き抜く。
その時点で、エンスも太もも付近にあるナイフに指を引っかけ、軽く放り投げるようにして回転させると、空中でキャッチした。
――曲芸か?
トリッキーな動きには注意が必要だなと、意識を改め、踏み込む。
振り下ろしの一撃が、空ぶった。
「――っ」
一瞬の動揺、視界の隅で、いつの間にか抜かれていた左のナイフが、エンスの手元でくるりと回転するのが見えた。
大きく距離を取るため、バックステップ。間合いの外、さらにもう一歩離れて、大きく息を吐き、また吸う。
やられた、いや、やられていた。
ニルエアも両手で二本を扱うから、わかる。左手がナイフで遊んだように見えたが、あれは、攻撃できたけどしなかった合図。実戦なら、首を取られていただろう。
何が起きた?
わからない。わからないが、確実に当たると思われた一撃が、逸れた。逸らされた? なんの違和もなく、音もなく、ただ空を切ったなんて、まるで素振りをした時のようだ。
汗が滲む。
このところ、戦闘に関していろいろ考えていたニルエアだが、その全てを忘れ、足元に術陣を展開する。
速度で圧倒するのが、基本スタイルなら、それで挑もう。
そこから十五分ほど。
ほとんど移動しなかったエンスに対し、ニルエアはただの一度も攻撃を届かせることはなかった。
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