第20話 魔女の宴と書庫の司書
精神的に疲労もしたが、彼女が帰ってくるまでは本を読むことにした。先代の司書が使っていた書庫から引っ張り出した魔術書だ。
どうやら先代は、その魔術書の蒐集をしていたらしい。一般的な本はまだ見つけてはいない。あるにはあるだろうが、少なくとも手を伸ばして触れた先には、存在していなかった。
しばらくして戻ってきた彼女は。
「おい、まさか食べられないものがあるとか、言わないね?」
「なんでも食うぜ」
「じゃあ、もうちょっと待ってな」
「あいよ」
食事ができるまで、まだ本を読んで良いらしい。
試してはみたが、実際にエンスが完読する必要はない。それこそ、最初からざっと、ぱらぱらと本をめくって最後まで行けば、それはもう、読んだ判定になり、本棚に収まる。もちろん目録に登録されるため、その本が魔術書ならば、内容の術式を一時的にではあるがエンスも扱える。
しっかり読んでも、知ることはできるが、理解には及ばない。
だがエンスは司書であるし、本は好きだと知ることができた。可能ならば、できる限りはきちんと読みたい気持ちがある。
作者の気持ちを読み取るなんて、物語ならともかくも、作者のメモに限りなく近いような魔術書はうってつけだ。
とにかく面白い。
かつてはこんな時間が取れなかったが――それを悔いるほどである。女を抱くよりも良いかもしれない。
会話は、食事と一緒に始まった。
「味に文句は言うなよ」
「充分だ。肉と野菜の比率も悪くねえ」
「……おい、炒め物とはいえ早いな」
「これでもゆっくりなんだけどな」
軍人は、早飯、早寝、早起き、トイレの早さもそうだが、とにかく早い行動が好まれる。エンスは軍人ではないにせよ、時間に追われることの方が多かった。
加えて、生前はあまり味が感じられなかったのも原因だろう。
「しばらくは、あたしが面倒を見てやるよ」
「そりゃ助かる」
「でだ、あーどっちが良い? あたしの話か、あんたの話か」
「そりゃお前の話だ」
「だろうね。まず、あたしは魔女の
「そいつは世界規模か?」
「――あんた、目端が利くね」
「どーも」
まずはその話かと、彼女は足を組むと、食べ物を口に入れ、少し考える。久しぶりに自分で料理を作ったが、まあ、食べられないことはない味だ。
「人間の生存圏って意味合いじゃ、今は三つの大陸がある。ここは狐の大陸、ほかに蛇、氷。ただ現状、大陸間の移動はできていないし、そこに住む人の大半はそれを知らない」
「だろうよ。で? 知ってるのはどのあたりだ?」
「やれやれ……大きく三つだ。どの組織も、全員が知っているわけじゃないけど、まずあたしら魔女の宴。それから教会。最後に、正式名称はないんだが、一族ってのがいる」
「あ? 一族がいる? それとも、一族と呼ばれる者がいる?」
「ちょっと面倒な話だけどね、連中は総合した名称がない。集団として……あー待て、こいつは最初からにしよう」
「おう」
「まず連中は、最低限の戦闘可能な体術を幼少期に仕込む。これは誰でも同じ。で、そこからそれぞれ、専門分野にわかれて特殊技能を磨く。ここまでの経歴で、まあ、一族とか、衆とか名称がついたわけだが……戦闘は
「黄昏衆、あるいは黄昏一族ってか。ふうん? 雇う側は個人だが、連中にはそれぞれ繋がりがあって、利用される側にはなっているが、あくまでも自分が選んだものであって、利用する側に限りなく近い――が、そのぶん、裏切りはない」
「よくわかるね」
「ああ、そういう職種を知ってる」
かつては、執事や侍女がそうだった。
屋敷を管理し、屋敷を守る侍女。主人を置き、主人のために尽くす執事。戦闘技能、情報収集からの先読み。個人で完結し、あらゆる技能を持つのにも関わらず、一つの目的にそれを収束させる、とても厄介な人種だ。
儲けの七割は執事に渡せ、という格言があるくらいに、彼らは恐ろしかった。同業者に対する汚職の処罰も、かなり厳しかったと聞いている。
「つまり、本人たちが名乗らないし、名乗るものを持ってないって話だろ? だから勝手にこっちが分類して、名称をつけた」
「そういうことだ。どの大陸にもいるし、慣れればぱっと見てわかるが、口出しするのは野暮ってやつさ」
「理解した。続けてくれ」
「あたしのことだったね。魔女の宴は、いわゆる魔術師たちの組織だ。今風に言えば、ネクストの集まり。正しく魔術を学ぶ者の集団――で、あたしらは国家に所属しないことを決まりとしている」
「利用されるのを恐れているのか?」
「その認識で間違いはないよ。世界的に見ても、魔術の研究はあまりにもお門違いだ。これは――いや、原因に関してはいずれ話してやろう。ともかく、技術発展に関与はしない。良いことかどうかは別にしてな」
「そんなことよりも、研究を優先したいんだろ、お前らは」
「ははは、それは正しい」
ご馳走様と言って、エンスはフォークを置く。
「だが、組織なら立場もあるだろ」
「あたしは好きにやってるさ。……で、あんたは?」
「俺の話か」
「わかってるだろう? 強要はしないけど、警戒してるのはあたしも同じだ」
そう、当たり前のことだ。エンスがまだナイフを手元に置いてあるのと同様に、彼女もまた、エンスを警戒している。
「そうだな。生前の俺は――まあ、傭兵だった」
「傭兵?」
「こっちじゃ聞かないのか?」
「戦闘職なら冒険者がぱっと浮かぶし、兵士とも違うんだろう?」
「それなりにいろいろやったが、戦場の露払いってイメージは強いだろうな。傭兵団にも種類がある。俺たちは少数で――あー、まず、大きな国が戦争を始めた。軍を動かすとなると、今ならどんな感じだ?」
「単純に考えれば、中間地点で兵士たちがにらみ合い、戦闘を始めるだろうね」
「基本的に、あくまでも基本として、俺たち傭兵は、戦争が始まるよう手を回すことをしない。やってる連中もいたけどな。こっちもわかりやすく言うと、じゃあ近隣の住民の避難をさせよう。特に小さな村なんかは巻き込まれる可能性がある。だが軍は動かせない、前線でにらみ合うのが仕事だからだ。そこに俺たちみたいな傭兵が送られる」
「……戦争中に、人を助けたり?」
「金を貰って、それが仕事になるのなら、かな。補給の手伝いなんかもあるし――雑事全般、そう思っとけ。暗殺に手が足りないからって、頼まれたこともあるけどな。使い捨てにされることもあるから、こっちは仕事を受けるかどうかって話の方も重要だ。もちろん信用も」
「荒事のなんでも屋みたいな感じかい」
「だいたい合ってる。この左足だって、こうなるだろうって予想はしてた」
「生前なら平気だったのか?」
「そんな特殊なことはしてねえよ。だから治ったら、多少は躰を動かさないとな。年齢相応の運動をしとけばいいって感じにするつもりだ」
無理をすると。
そのツケは、あとでやって来ることを、エンスは嫌というほど知っているから。
「今の俺は司書だ」
言って、書庫から本を取り出す。
「魔術書ってのは、どれくらい出回ってるんだ?」
「希少性の話かい」
「そんな言葉が出るくらいなら、だいぶ有利に進められそうだな。まあバランスを考えれば、俺の方が世話になるんだから、トータルでは俺の不利か。最初に言っておくが、面倒な交渉をするつもりはないぜ」
「ん、ああ、そうかい。あたしはあんたの術式が気になってるけどね」
「それに関わる話だ。頼みたいこともあるが、ともかく俺から差し出せるものもある。これは検証の続きでもあるが――俺は司書だ。つまり、魔術書を貸し出せる」
「あんたが持ってるものを?」
「そうなるな。詳しくはやりながら確認するが、魔術についても教えてくれ」
「そうだね、この際だからちゃんと教えた方が良さそうだ。特に理論だね」
「おう。……うん、つまりは師匠か。そりゃいい」
「は? あんたみたいなのを弟子にしたくはないね」
「そうか、そりゃ良い。これからは師匠と呼ぶことにしよう」
「…………」
本気で嫌そうな顔をしていた。そのうち慣れるだろうと、エンスは気にしない。
「俺は、一冊を読むのに一日あれば事足りるが、内容を理解してるわけじゃない。目は通しているし、だいたい覚えているが、完全でもないんだが、師匠みたいな魔術師が読むとなりゃ、時間がかかるものか?」
「……、はあ、そうだね。魔術書には意思がある、つまり好みがある。あたしが嫌われれば、そもそも読めないけれど、読める前提で言うのなら、何年経っても必要だよ」
「なんで」
「一度で全てを読んだとしても、読み解いたとは言わないのさ。こいつはよくある話だけどね、何度も何度も読み返して、理解できたと思ってからさらに深堀りして、しばらくしたら手元から魔術書が消えた。だが数年後、またその魔術書は手元に戻ってきた。懐かしい、久しぶりだ――そう思って開いてみると、以前と同じ内容なのに、知らなかった発見が必ずそこに記されている」
「あー、錬度の問題ってやつか。今この時点では六割がた把握できるが、歳月の積み重ねによる錬度の上昇で、今度は八割くらい把握できるようになった――それを、魔術書側が判断した」
「判断したのは、数年は手元を離れないと成長しないって部分かもしれないけどね」
「そこらへんも検証だな……」
「拘るね?」
「自分のことを、まずは、自分で把握することが必要だろ」
「なるほどね、それがあんたの生き方か」
「そういうことだ。あとで、あんたの持ってる魔術書を、なんでもいいから一冊貸してくれ。それと、こっちは時間がかかってもいいから、魔導書が欲しい」
「――厄介だね」
「だから、数年後でも構わない。可能なら、箱庭を作る術式関係の魔導書がいい。かなりの高確率で、俺の書庫は魔導書を喰える」
「確かか?」
「おう。検証二割ってところだ」
「……わかった、しょうがないね。ただ時間は本当にかかるよ」
「忘れられていなきゃいいさ。ところで、あんたの特性は空間系でいいのか?」
「いや」
そこで、彼女も食事を終えた。
「転移式は据置でしか扱えないよ。あたしが作ったわけでもない。多少の知識はあるけどね。あたしの
魔術とは、世界における現象を再現する技術だ。しかし、現象は多すぎるゆえに、各自が得意分野を持つ。その、得意なものが、魔術特性と呼ばれている。
あくまでも得意、苦手であって、それは可能、不可能ではない。
ただ――。
「チッ」
思わず、エンスは舌打ちをする。
「――
「なんだって?」
「ああ悪い、嫌な思い出があってな」
「言っちゃなんだが、あまり戦闘向けじゃない特性だし、それほど珍しくもないだろうに」
「それはお前の認識か? それとも、お前らの認識か?」
「どっちかと言えば、あたしら、魔女の宴としての認識だね。何かに属性を加えるなんて、大なり小なり魔術師なら誰でもやってるし、攻撃的なものよりも補助的な意味合いが強い。あたしが姿を消していたのだって、
「……視野が狭いのか? それとも、ここじゃ戦闘そのものが少ないのか」
「望んで魔物を狩るのでもなければ、人同士の争いは少ないよ。あるところにはあるけどね」
「俺が生前に戦った
「想像はできないね。厄介な手合いだったんだろう?」
「あいつが食べるものは全て無害だったし、壁を歩くことだって可能だった。戦闘で厄介だったのは、壁と天井、それと足場だな」
「……わからないね」
「そりゃ俺の台詞だぜ、何がわからないんだ? 壁に地面、食べ物に無害、空気に壁、天井、足場、あるいは石に爆発――そうした属性を付加してんだろうが」
「――」
「戦闘で重要なのは、できることじゃない。それを使って何をするかだ。そういう意味合いじゃ、あいつは戦闘の組み立てが上手かったし、何をどうやれば相手、つまり俺らが噛み合わなくなるのかを知っていた。手数自体は問題じゃないんだが、遊び感覚であれこれやられると厄介だ」
「そうか、だから
属性それ自体を移動させ、付加させる様子を、遊びにたとえた通称である。
「戦場にいた魔術師が例外かもしれねえが、できるのは確かだ。こいつは噂話くらいだが、刃物を作ることに特化した魔術師は、逆に、そのためならばあらゆる特性を扱うことが可能だってな」
「……今は、飲み込んでおく」
「それは魔術師であるお前の判断だ。さて、とりあえずは二日だな」
エンスは書庫の中から、読んだ三冊のうち、一冊の魔術書を取り出す。
「たった二日じゃ、急ぎ足でざっと読むしかできないよ」
「悪いが検証も含めての話だから、我慢しろ。師匠だから、何がどうなったのかのあとで話す。どのくらいの魔力を消費したとか、詳細をな」
「わかった。長い付き合いになりそうだね」
「そうなってくれりゃいいな」
こうして、二人の生活は始まる。お互いに利用できる部分があったことが、長続きした要因とも言えるし、深く立ち入らなかったことや、見た目と違ってエンスの精神年齢が高かったことも一因だろう。
エンスが学園へ行くまで。
もちろん、今後も二人の付き合いは続くようだ。
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