第16話 目覚めは寒さと共に

 寒い――。

 陽光の届かない建物の隙間、風を少しでも防ごうと不格好な板を立てかけ、体温が逃げないよう小さく縮こまり、ぼろ布を躰に押し付ける。

 なんだ、こんなところは生前と変わらないじゃないかと、エンスは小さく笑った。

 よくよく見れば、そろそろ陽も沈む頃合いだ。一度立ち上がり、大きく伸びをして、躰の感覚を確かめる。

 体力はなさそうだ。食べるものにも苦労していたのだろう、派手は動きはできそうにないが、躰の仕組みそのものに変化はない。

 一歩、二歩、腕を伸ばす、引く、そういう簡単な動きで状態を把握した。

 人の気配が強いのは、おそらく大通り。ならば自分はスラムにいると考えて良いだろう。そちらはおいおい、情報を集めて確かめよう。

 五歳くらいの年齢だが、今まで何をしていたのか、そんな記憶はない。エンスとして、生前の記憶が塗りつぶしたと考えるのが妥当だろう。だから気にしないようにした。

 割り切りは大事だ。あと損切りも。


 夜になる前に行動しよう。


 スラムにいるような人間は、大きく二種類にわけられる。幹部クラスはさておき、子供の場合は逃げてきたか、行く場所がないかの、どちらかだ。

 生前のエンスは、前者だった。そして、後者だった二人と出逢い、出ていく決意をしたのだ。

 今は一人。

 誰かの協力は期待しない。


 ふらりと、エンスは大通りへ。渋滞するほどではないにせよ、そこそこの人通りがあるのならば、全員の死角を縫って動くのは難しい。こちらは身なりもひどい子供だ、どのくらいの差別があるかは知らないが、見つかって良い想いをするとは考えにくい。

 だから、隠れるのを前提として、エンスは人通りに

 視界に入っても、気付かれないように、雑踏の一部になってしまえばそれでいい。長い時間は無理だが、少し歩いて反対側の路地に向かうくらいなら、ほんの十数秒だ。

 建造物は、それほど高くない。せいぜい三階建てくらいなもので、それも数が多いわけではない。ぱっと見た感覚的には、建物は中世くらいで、服装はそうでもないか。

 通りの広さから、それなりに発展している街だ。あるいは国、城下、そうでなくとも何かしらの組織があるくらいの大きさだと考えて良い。

 手元の財布を見れば、数種類の硬貨。紙幣はない――電子通貨に慣れていたエンスにとっては、ぱっと通貨価値を見抜けなかった。

 ただ、金貨は千、銀貨は百、銅貨は一と、数字が描いてある。

 なんとかなるかと、盗んだ相手には心の中で謝罪しておいた。

 エンスはそのまま移動し、できるだけ高級ではない店、おそらく古着を扱っているだろう店舗を探し、発見する。

 何にせよ、まずは服装からだ。


 舌打ちをしながら、店内に入る。

「チッ、クソッタレが。ああ店主、こんな服装で悪いが、適当に俺が着れそうな服を見繕ってくれねえか」

 一直線にカウンターへ向かい、横目で服の値段を見つつ、百と描かれた銀貨を二枚、やや叩きつけるように置く。

「……なんか、事情でもあるのかい」

「事情? 聞かない方が良いぜ、店主。……なあにが世間を学べだクソ親父、身ぐるみ剥いで放置しやがって。嫌な目は向けられるし……殴られないだけマシってか」

 店主は服を探しながら、苦笑したようだった。

 足で床を叩くよう、イラつきを隠さない。これで勘違いされたことだろう。

「無茶なことをする御仁もいるものだな?」

「愚痴に付き合ってくれるのか? ここにゃ酒もねえのに?」

「はっはっは、上手い返しだ。ほれ、こんなんでどうだ?」

「おう、見た目はどうでもいいさ。着替える場所はあるか?」

「そこの仕切りの奥」

「おう」

 エンスは手早く着替えを済ませる。袖の長い服だ、加えて足も隠れている。シャツの上に一枚羽織れば、違和もない。

 いや。

 置いてある鏡で顔を見れば、まだ、見知らぬ他人のような気がする。それが違和か。

 ため息を落としながら出れば、店主はにやにやと笑っている。

「ちょっとは落ち着いたか?」

「ああ、悪いな」

「その布切れはこっちで片付けておくけど?」

「ん――いや、いい、持って帰る。あの野郎にこの服を着させてやる」

「はっはっは、面白いやつだ。ほれ釣り」

「ありがとな」

 深呼吸を一度して、ひらひらと手を振って外へ。

 ――これで、気兼ねなく大通りを歩ける。手にしていた布は、離れた場所の路地裏にあったゴミ捨て場へ。念のためだ、証拠品にならなければそれでいい。

 金銭感覚もざっくりとわかったので、今度は書店へ。生前では電子書籍の配信しか買ったことがなかったので、紙の本が並んでいると感慨深い。

 まずは歴史書、ほかには戦術書と、基本魔術読本、最後の一冊は旅行雑誌。

 購入した本を片手に、安宿を探す。人の目は気にするが、大通りを隠れずに歩けるのは気楽なものだ。店じまいをしそうな露店で、食べ物を買うのも忘れない。

 ただ、時間的にはぎりぎり。そろそろ陽が沈むから。

 宿に入り、がらんとした入り口にはテーブルが並んでいて、エンスは少し足早にカウンターへ。

「部屋、空いてるか?」

「空いてるよ。……ワケアリかい」

「いや、そろそろ陽が沈むだろ。その前には宿を決めろって教えで、ちょっと急いでたんだよ」

「良い教えだ。うちは朝食あり、一泊200ラミルだ」

「――おう、じゃあ」

 驚いた。

 まさか、生前と同じ通貨単位を口にされるとは。

 もっともかつては、世界共通電子通貨単位ラミルだったが。

「十日ぶん頼めるか?」

 千の単位である金貨を二枚出す。

「金があるなら文句はないよ。踏み倒そうとするヤツよりは、よっぽどね」

「そんな真似はしねえよ……」

「名前は?」

「リックだ」

「記載しな。朝は九時までに降りてこないと、朝食は抜きだよ。すぐ部屋に水を用意するから、それで躰を洗いな。朝食の時に回収して、新しくしておくから」

「あいよ」

 記帳のためペンを持てば、そこに書かれているのが共通言語イングリッシュ。とっさに使ってしまったが、かつての仲間の名前でもあるRickを記す。

「二階の右側、奥から二番目だよ。外に出る時は、鍵をここに預けること。いいね?」

「わかった。しばらく頼むよ、姉さん。これはついでだけど、まだ空き部屋は?」

「あるけど、なんだい」

「俺の保護者っつーか、監視……まあ、知ってるやつがもう一人、来るかもしれねえから。たぶん、こっそり後をつけてると思うんだけど、そりゃ俺の事情だ。気にしないでくれ」

「そうかい」

 鍵を受け取って二階へ行き、きちんと扉の数を見て部屋へ。

 トイレもある、十畳間くらいか。持っていた本と食料はベッドに投げ、トイレとベッドの下を確認し、部屋には椅子が一つと、ベッドの横にサイドテーブルがあり、そこには花瓶と花があり、清潔感もあった。

 しばらくすると、大き目の桶を少年が持ってきたので、礼を言う。カウンターにいた女性の息子だろうが、会話はなかった。お互いに事務的だ。


 ――さて。


 躰を拭く前に、窓を開ける。こちらは裏通りが見える部屋だが、あまり気にせず、右手を出して手招く動作をしてから、外へ向けて声を投げた。

「表から入って来いよ」

 それだけだ。

 服を脱ぎ、下着になってから躰を拭う。さすがにあんな路地にいたから、体中が埃まみれ。匂いがそれほど強くないのは、食事もそうだが、運動をしていないからか。

 改めて服を着る頃、タイミングを見計らったようにノック。

「いいぜ」

 言って、エンスはベッドに腰掛け、食料に手を伸ばす。

 入って来たのは女性だ。今の自分は小さいから、入り口のサイズから比較して、それなりに身長が高いのだと認識した。

 花瓶と本が近くにある。

 今は、それで充分だ。

「扉を閉めろ」

「軽く結界を張らせてもらうよ、よくあたしに気付けたね?」

「術式で姿を隠してただろ、あれの欠点を知らねえのか? 隠し方がどうであれ、それが術式である以上、魔力波動シグナルだけは垂れ流しだ。俺にとっちゃ、ここにいますと合図しているようなもんだね。――初歩だろ、こんなのは」

「――この大陸では、そういう魔術を扱っちゃいないんだよ」

「なら何が魔術なんだ」

「……だいたい事情はわかってきた」

 吐息、彼女は入り口に背を預けて額に手を当てた。

「ああ、あたしに敵意はないよ。あんたが路地にいた時にね、存在がズレていたのを見かけたから、気になって尾行してただけだ」

「存在がズレてる?」

「あたしは特殊な次元式か何かかと推察したが、あんたは無自覚かい?」

「いや、想像はつく」

「まず、あたしから説明するよ」

「俺の返答を期待するなよ?」

「いいさ、わかってるよ」

 いずれにせよ、彼女はこのまま、さようならとは言わない。そのくらいにエンスの現状は危ういからだ。

「現時点で、魔術と呼ばれるものは基本的に、全て術陣を展開する。そして、全て改良はできない」

「――は? そりゃ魔術じゃねえだろ」

「そう、あたしらは区別するために、今あるものを魔術スキル、自分で扱うのを魔術と呼んでる」

「スキル?」

「魔力を使って、相性が良ければ誰でも同じ結果を出せる、便利なヤツさ」

「ああ……そいつは、蛇口をひねるようなもんか」

「捉え方はいろいろだよ」

「だったら、魔術書の類もねえのか」

「――あるには、ある」

「一部が秘匿してるって捉えておけばいいか」

「まあね。一応、あたしらみたいなのをネクスト、つまり次のステージに移った魔術師だと表現するヤツもいる」

「俺は魔術師になったつもりは、ねえけどな」

 自分は司書だと思いながら、ぽんと右側にある本に手を乗せたら。


 本が消えた。


「……あ? あー、ちょい待ってくれ、よくわからんことが起きた」

「消えたな」

「消えたんだが……」

 吐息を落とし、警戒を解除しつつ目を閉じる。自分の深い部分に意識を落とせば、繋がりが感じ取れた。

「ああ、そうか、うん」

 繋がりは三つ。

 一つは、本棚。こちらには直接、手が届かない。

 もう一つは、たぶんカウンター、そう、サイドテーブルと同じ、未読本を置く場所。こちらには、今しがた購入して消えた本と、追加で一冊の五冊を感じ取れる。

 最後の一つは、前任者の書庫。こちらには手が届くけれど、取り出せるのは一冊だけになりそうだ。他人の領域には、あまり深く踏み込めないらしい。

「――丁度良い」

 目を開けば、彼女の位置は変わっていない。

「あんたを多少、信頼するから、ちょっと付き合ってくれ。検証だ」

「内容によるね」

 難しいことじゃないさと、笑いながらエンスは椅子を勧めた。

「わかってると思うが、俺にゃ生前の記憶がある。こいつは珍しいことか?」

「それなりにな。同時に、面倒もある」

「具体的に」

「神の落としものなんて言われてるんだよ、あんたみたいなのをね。右も左もわからず、力を持て余してるみたいなやつを――教会が保護してんのさ」

「教会? 保護? ああ、知識の保護か」

「あんた、嫌な想定をするね」

「違うのか」

「合ってるから厄介だ。直接的な危害は加えていないにせよ、あんたは知ってるかわからないが、拳銃ってやつの生産も極秘でやってるよ。出回ってはいないが、存在は知られてるから、極秘なのは生産って部分だけ」

「なるほどね」

 そうか、教会かと、エンスは怒りの感情を理性で抑制する。だがそれは、自らの内側から足元に伝い、じわりと滲みだす。

 それを。

 人は、殺気と呼ぶ。

「因縁でもあるのかい」

「生前に、少し。信仰を理由に何でもしてる連中がいるってのは、どこでも変わらねえな」

「全てがそうじゃないけどね」

「わかってる。――さて」

 エンスは、一冊の本を手元に取り出す。それは前任者の書庫にあった本であり、適当に開けば、なるほど、これは魔術書だ。

「確認をいくつかするぜ?」

「なんだい」

「あー、この本は蓄積ヘキサに関連する魔術書だ。特に衝撃の蓄積、解放なんかを主点に書かれてる――ここまでは問題ないか?」

「疑問はないね。あるとしたら、あんたがそんな本を持っていること自体だ」

「読み聞かせは可能か。じゃあこれは?」

 両手で開いて見せるが、彼女は首を傾げて。

「背表紙を見せられてもわからん」

「なるほど? ちなみに今見せたのは、きっちり中身なんだけどな。あんたが魔術書に嫌われてる可能性は」

「あるかもしれないね。……そういう知識もあるのかい」

「魔術書に相性があるって話くらいは、最低限の知識だ。……ま、今はこんなところか」

 本を閉じれば、自動的に手元から消えた。感覚的にわかることもあるので、改良も可能だろう。そちらは時間をかけてやればいい。

「俺は司書だよ」

 先ほど買った歴史書を取り出しておく。

「ところで、警備っぽい連中はともかく、武装してる連中はなんだ?」

「冒険者だろうね、そういう制度がある」

「冒険者ぁ?」

「なんでも屋だよ、そう捉えておけばだいたい合ってる。ああそれと、魔物もいる」

「ああ、そういえば、魔物図鑑なんてのを本屋で見かけたが、ありゃ現実にいるのか」

「いろいろとね。あたしもそう詳しくはない」

「敵か?」

「いいや、いつだって人間の敵は人間だ」

「そこは変わらんか」

「これからどうするつもりだ? 盗みで稼ぎシノギを出すのは感心しないよ」

「今回はしょうがねえだろ。金銭感覚もわからねえ」

「冒険者、商人、それから一般人の分類で、カードを登録できる。ある種の魔術品――で、通じるか?」

「おう」

「一万以上の金はカードに数値として登録され、それを取引するのが一般的だ」

「一般人の場合、発行はどこだ?」

「この大陸に銀行はないからね、――教会だよ」

「チッ」

 今度は、殺意が漏れなかった。

「ま、お門違いってやつかもしれねえけどな。とりあえず三日は、本を読んで飯を食う。さすがにこの躰じゃ栄養が足りてねえ」

「その後は」

「貧民街の内情調査だな。どうせこの街には、軍か何かのでけえ組織が居座ってるだろ」

「この街が所属してる国の、兵士なんかの育成期間はあるね」

「……孤児を使って、特殊育成でもしてそうだな?」

「あたしの調査はまさにそれだよ」

「まあ、良い商売だとは思わないけどな」

「――驚かないんだね?」

 そうかと、エンスはそこで一度黙り、苦笑した。

「まだ、あんたを信頼してねえから、詳しくは話さないが、俺にとっちゃそう珍しい話でもないんでね。もちろん、強化の度合いにもよるが」

「度合いって?」

「人間の強化度合いによって、寿命が決まるのさ。一概に、全部そうだとは言わないにせよ、わかりやすい基準だ。二十年くらいの寿命の目安なら、そこそこ良い商品だぜ? 軽い洗脳で、購入者との主従関係を結ぶから、取り扱いは少し面倒になるにせよ、即戦力を得られる」

 この場合、愛情を基準にしてやると裏切りが発生しにくい。ただ、主人のために尽くす度合いそのものは、商品の個体に依存する部分が大きく、時には主人の邪魔になることもある。

「ただし、集団行動ができないって点だけは、どうしても改良できなかったらしい」

「人間を商品にすることに、嫌悪感はないのか?」

「孤児なんてな、就職先があった方が嬉しいもんだぜ? 少なくとも、商品になれば生かされる。そのぶん、金額も高いが」

「……なるほど、無理やりでなければ、ある程度は許容するもんか。けど金の動きを洗っても、上手くいかない」

「あ? 目の前の数字に囚われてんじゃねえのか? まっとうな取引じゃないんだ、当たり前に金額は動かねえよ」

「それはそうだけど」

「一番簡単なのは、指定店舗での買い物だぜ。もちろん複数店舗が存在するし、その金が巡りに巡って研究所に落ちるようになってる。流れを追うってのは、そういうことだ」

「難しいことを言うんだね」

「簡単なことじゃねえよ、当たり前だろ。ちなみに、念のため聞いておくが、どのくらいの強化かわかってんのか?」

「あたしが気になったのは、魔術師を作ってるって情報さ」

「ふうん? 俺が知る限り、最大強化をすると人間の寿命は十五分に凝縮される」

「――は?」

「それに限りなく近しいのとやり合ったこともあるが、二度はご免だな。生前でも、そこまでの商品を作る組織は、国家そのものが敵視していた」

「そうじゃない、なんだそれは、想像もできない」

「想像ねえ……思い出したくもねえな。スイッチ一つで十五分使い切り、商品はそのまま死ぬ。しかも、スイッチ入れるまでの維持に大量の薬が必要になるから、高額なんて一言で表せねえ金がかかる。現場に投入して、生きて帰ったやつはいねえよ――どっちも、な」

 ある種の災害であり、爆弾だった。

 通称は生ける屍リビングデッド――文字通り、彼らは生きながらに死んでいる。

「仮にそこを目指し、真に迫ってんなら、俺が潰すぞ」

「安心しな、そうでなくともあたしは潰す寄りの人間だよ」

 言って、彼女は立ち上がった。

「一応、監視するから、そっちからの攻撃は勘弁してくれ」

「いいぜ、好きにしろ」

「三日、大きく動かないでくれれば、助かるよ」

「おう。じゃあ、またな」

 また、という言葉に彼女は、小さく笑って部屋を出ていった。

 さあ、まずは食事を済ませよう。それからこの世界の常識というやつを――。

「ん?」

 はて。

って、言ってたな……?」

 たった一度も世界と言わなかった。

 何か理由があるのか、これから知っていこうじゃないか。


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