二度目のはじまり

第15話 最初の光景は書庫と二人

 過去にさかのぼり、リック・ネイ・エンスの最古の記憶は、無骨な石造りの冷たい部屋の中、巨大な人物二人を目の前にした光景だ。

 何がどう、という混乱を、理性が強引に抑え込み、状況を把握する。

「おい

「なんだ」

 声を聴く限り、男女。目の前には服が見えて、おそらく自分の背丈が相手の膝くらいまでしかないことがわかる。視線を上げれば、首が痛くなるほど上を見てようやく、二人の姿を視界に捉えられるくらいだ。

「さすがに子供過ぎるだろう」

わたしだとて子供を利用するのは好まん。だが、こやつが適応したのは事実だ」

 何をもって子供と見ているかはさておき、少なくともエンスは何かに適応し、ここにいる――ならば。

「俺を利用しようってか」

 自分の声に、今度こそ、ぎくりと躰を震わせた。

 声が高い。なんだ、自分はどうなっていると手元を見て、その手が小さいことに気付く。

「――おい、あんたらは敵ってわけじゃないんだろう? 鏡をくれねえか」

「ほう」

「良いだろう、水鏡だ」

「おう、ありがとな」

 波紋一つない水鏡が目の前に現れ、改めて自分の姿を確認する。顔も違う、躰もおそらく五歳前後の未熟なものだった。

「……」

「おい、一つ聞くがまさか、お前は死んだ記憶を持っているか?」

「ん、ああ」

 そうだ。

 そうだとも。

「確かに俺は死んだはずだ」

「――はっ、はははは! おい百の、これは一体どういうことだ? どっかの誰かが世界に穴を空けたぞ!」

「笑いごとではない」

 うるさいとは感じなかったが、部屋全体が揺れるような笑い声だった。どうして平然としていられるのかと疑問を抱けば、周囲に何か結界のようなものがある。

「……俺を保護してんのか、こいつは」

「うむ、今のお主ではさすがに堪える」

「そうかい。じゃ、状況の説明をしてくれ。性質上、混乱はしねえが、大量の情報だと、さすがに今は覚えておいて、あとで処理することになるぜ」

「そうだな、自信はないが上手くやろう」

 ひょいと片手で脇の下を掴まれ、テーブルの上に乗せられた。まるで人形扱いだなと思えば、小さく笑って肩の力も抜ける。

「妾とこのはな、本を読む。見ての通り、ここは書庫だ」

「ああ……見ての通りっつーか、本は結構あるな」

「だがここにある本は、以前の司書が揃えたものだ。結論から言えば、お主にその仕事を継いでもらいたい」

「俺に?」

「そうとも」

「外の、世間の情報ってやつがなかなか手に入らなくてなあ。そこでようやく、司書がいなくなったままだと気付いた。悠長だとは言うなよ? 私たちの時間は、そういうものだ」

「……具体的に何をすりゃいい」

「それなんだが、とりあえず面倒は嫌だろう? 次にお前が来る時までに。同じような書庫を複製しておく。なんだ、ここの隣の部屋みたいなものだ。そこには、お前が読んだ本が棚に並べられていく」

「俺はとにかく本を読めって?」

「なあに、急ぐ話じゃない。言っただろう、百年かそこら、私たちには昨日のようなものだ」

「そのくらいなら」

「お主が本腰を入れるならば、部屋の模様替えや前任者の本を改めて読むこともできよう。お主が司書ならば、書庫はお主の領域だ。妾たちの方が客よ」

 なるほど。

 どうやらこの二人は、何か特殊な状況にあり、一般人に接触することさえ難しいようだ。

「わかった――が、質問が一つ」

「なんだ?」

ってのは、なんだ?」

「それよ! 良いか、本来は過去、生前の記憶を持って新しく生まれるなど、ありえない。世界の仕組みがそれを許さない――が、発生したのならば、それ相応の理由と、仕組みと、構造が必要になる。前例ができたのならば、それは」

「恒例になる」

「お前は賢いな! そちらではどうか知らんが、利用されることもあるだろう。しばらくは黙っていた方が身のためだ」

「状況や常識を身に着けるまでは、余計なことはしねえよ……いや、そうでもないか。助言は感謝する」

「素直なのも良いことだ。ところでお前は、魔術師ではないな?」

「知ってはいるが、少なくとも生前は使えなかった」

 そう、使えなかった。人ならば誰もが持っている魔力を、エンスは一切知覚できなかったから。

 原因もわかっている。だって自分の魔力だけ自覚できないのなら、それは、原因が自分にあるのだから。

「私はお前が気に入った。何か仕組みを考えておこう」

「おい夜の」

「なに、なに、簡単に、司書の機能を少しばかり増やすだけだ。すぐ死なれても困る」

「それはそうだが……まあ、妾たちにはお主の今の状況はわからんからな」

「不安はねえよ。俺にとっちゃ、ガキに戻ったからって、新しく何かが始まるなんて楽観視はできねえ。どうせ地続きだ、できることをやるだけさ」

 それに。

「生きる時間が短くても、死期が目で見えても、――楽しんだやつの勝ちだ」

「ははは! お前はよくわかっている!」

「そりゃどうも。とりあえず、試行錯誤してみるさ。司書ってのも悪くはない」

「そうか?」

「ああ。かつては、本なんて希少なもので、特に紙媒体は目にするのも難しかったからな」

 何しろ、紛争や戦争が日常的に行われ、紙媒体のものの大半は燃やされてしまい、電子書籍ばかりだった。高級品は、大事に保管されていたのである。

 こうして。

 エンスは新しい人生を歩み始める。

 かつての続きであり、そして、違う環境でのスタートだった。


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