第14話 彼の名はリック・ネイ・エンス

 あれからぼくは、おおよそ二ヶ月ほど学園都市に滞在していた。

 長い――と言って良いのだろうか。いや、その判断は難しくて、何故ならばほかに滞在した場所がないからだが、予定よりも長くなっているのは事実だ。

 というのも。

 連日というわけではないにせよ、キーニャから誘いを受けていて、ファズル王国に所属しなくてもいいから、もう少し話をしたい、というところから始り、お互いに魔術の話をしながらも、未だに彼女が持つ常時展開術式を解析できていないのが、ぼくの弱みでもあるけれど、ともかく。

 どうせならと、ぼくはサヤさんの仕事を手伝うことになった。

 ……うん、何がどうせなら、なのか知りたい。何しろ冒険者の資格も持っていないし、教員になれるわけもなく。

 そのあたりの事務的な手続きは全部任せて、とにかくやってくれと頼まれた。

 サヤさんが受け持っているのは五人。女性二人、男性三人。顔を見ればわかったが、見た目からして彼らとそう変わりない年齢のぼくが、一体何を教えるんだと、訝しげな様子である。

 わかる。ぼくだって同じ感情だ。

 けれどまあ、頼まれたからには仕方ないと思うし、ぼくも学園都市に来てから、ろくに戦闘訓練はできていないので、前向きに、ありがたいと思うことにした。

 だからまずは。

「うん、準備運動でもしよう。とりあえず走ろうか」

 文句を言われる前に、ぼくが先頭で走り出せば、彼らもしぶしぶついて来る。

「のんびりでいい、会話ができるくらい。準備運動だから」

 どのくらいがいいのか、ぼくにはよくわからなかったが、できるだけ遅くして、散歩よりは速いくらいのペースを選択する。

 実際に、それでいいのだ。

 訓練場の外周をぐるぐると走る。そして三十分が過ぎた頃に。

「おい、まだやるのか?」

「ぼくをよく見たのか? 汗一つ出ていないんだ、まだ足りていない。それとも、ぼくが平然としているのに、きみたちは、もう疲れたとやめるのか?」

 挑発的に言ってやれば、ぼくを侮っている彼らは引くに引けないだろう。

 一時間が過ぎても、まだ大丈夫そうだった。

「なに、難しいことは考えるな。右足を出したら、次は左足を出せばいい。交互にやれば人は走れるんだ。誰でも知ってる」

 そして、二時間後に脱落者が出始めた。

 まずは女性。ふらふらと揺れるように動き、つまづいて倒れる。そこにすかさず、サヤさんがバケツを用意。彼女は我慢できずに吐き、それから水を与えられ、口をゆすいで、五分休憩してから。

「いつまで休んでるの? すぐ合流なさい。まだ準備運動でしょう。それとも蹴られたいの?」

 呼吸が整う時間を与えず、すぐまた走り出す。

 三時間後には全員がそれを経験し、そして、誰も走れなくなったのを見て。

「休憩させておいてくれ」

「はいはい」

 ぼくはそこから一時間、一気にペースを上げて走った。躰を暖めるには、そのくらいしないと駄目だ。

 うん。

 懐かしいな。ぼくも最初の訓練の時はこうして走ったものだ。倒れても吐いても、水を飲む時間だけですぐ尻を蹴り飛ばされたのは良い想い出である。

「さて、少し話しておこう。おおよそ三時間、――きみたちは連続戦闘時間は十五分が限界だろう」

「……充分じゃねえか」

「そう? じゃあ、連続戦闘で十五分後に出てきた魔物に殺されても、きみは満足なわけだ。相手が一人だと思わない方が良いよ、戦闘中はね」

「チッ……」

「あんたたちは、ちょっと意識を変えなさい。万全の状態で、万全の準備で、完璧な戦闘がいつもできると思ってるから反論が出るのよ。現場じゃそういうの、――間抜けって言うの」

「ぼくはそこまで言わないけど」

「戦闘技術ばかりで、こういうことは教えて欲しいと言われなかったもの。そういうところが甘いって、自分じゃ気付けないものよね」

「じゃ、そういうことで」

 ぼくは手を叩いて、一つ音を立てた。

「準備運動が終わったことだ、手合わせといこう。ぼくは無手でやるけど、そっちは抜いて構わない。安心していい、明日は休みだ」

 どうせ、動けなくなるから。

 ――と。

 まあ、そんなこんなで、初日は実力差を躰に叩き込み、数日後からも基本的には走ることと、手合わせを中心にやった。

 何かを教えるのは難しい。だから、とにかくやって、ぼくから何かを盗めばそれでいい。細かい補足はサヤさんがやるから。

 しばらくやってみてわかったのは、それほど会話には気遣わなくて良い、ということだ。ツイてないのは相変わらずだが、周囲への影響は低いらしい。

 それと、彼らに教えるのと同時に、終わり際にはサヤさんとの手合わせをすることとなった。これがぼくにとって最もありがたいことだ。


 お互いに、術式をメインにした戦闘スタイルだった。


 勘違いしないで欲しいのは、攻撃的な術式を使って戦闘をするわけではない。

 ぼくたちは知っている。よく、よく、知っている。

 対人に派手な術式は必要ない。

 対魔物であっても、よほど特殊な手合いでない限り、術式よりも刃物を急所に差し込む方が、よっぽど簡単だ。

 この大陸で一般的な魔術スキルではなく、ぼくたちが扱う魔術は、大きく三つに分類される。

 簡単な方から、世界に干渉する術式、自分に干渉する術式、そして相手に干渉する術式だ。

 世界に干渉する術式は、火を出したり水を出したり、そういうわかりやすい現象を武器にするようなものだ。訓練ではお互いに木剣を持っているが、普段は水を剣のカタチで固定して扱う術式をサヤさんは使っているようだし、ぼくが使っている格納倉庫ガレージだとてこの分類に入る。

 続いて、自分に干渉する術式は、いわゆる身体強化などと呼ばれるものだが――これは、まず第一に、自分の躰の仕組みを理解していないといけない。視力を向上させようと思ったら、視力が何なのか、瞳が何を映しているのかを理解し、増幅させ、かつ、それによって仕入れた情報を、脳のどこで処理し、負担を軽減させるのか――まあ、やることは多くあるけれど、とにかく自分を知る必要がある。

 最後に、相手に干渉する術式。これは難易度が高い。

 そもそも人は、意識、無意識に関わらず、肉体という器に自身を閉じ込めているため、ただそこで生きているだけで、天然の防壁を持っている。これに干渉するには、防壁を解除するか、隙を作って、相手に届かせなくてはならない。ましてや相手が魔術師ならば、最低限の防御を自分なりに構築しているのだ。

 つまり、相手を操ることは非常に困難だ。だからあの、ええと、ぼくの迷ったあの森、リビングフォレストだっけ? あれの術式は、かなり高度な構成をしている。

 場を区切り領域を作る、これは世界に干渉する。内部にいる人間の感覚に影響を及ぼす以上、これは相手に干渉する必要があるわけだ。ただ難点としては、誰にでもわかりやすい術式だということ。

 ――戦闘には向かない。

 ではどうするのかというと、布石であり補助だ。

 相手の動きを阻害したり、術式を妨害、あるいは踏み込みの誘導――ああ、そんなもの、術式がなくたって、戦闘でやることだ。

 選択肢を広げるために、術式をあえて使う。


 それが魔術師だ。


 最初の数回の訓練は、ぼくが攻撃をしかけて迎撃されることの繰り返しだった。年齢的なものもあるだろうし、正面から挑んで勝てるとは思えない実力をサヤさんは持っている。

 ただ、しばらくすると、実際に攻撃を仕掛ける前に、見えるものがあった。

 サヤさんの動きから想定される攻撃。ぼくが仕掛けようとする意思に、サヤさんが対応する意思、そこから導き出される行動。

 実際にやらなくても。

 まるで、やっている時のような光景が、理解できた。

 学生たちは、張り詰めた空気だけは感じているが、ぼくたちが半歩、地面を擦るよう足を動かしたり、思い直したよう左右に動いたり、その程度しかやっていないことに疑問を覚えたことだろう。

 けれど、ぼくにはわかる。

 踏み込みも、攻撃も、それの対応も――ああ、そうか。

 そうか。

 これが、相手の実力を見る、ということか。

 大げさなのかもしれないが、こういうことが見抜ければ、相手のこともわかる。

 術式ありで戦闘をしたいものだ、とも思うが――。

「嫌よ、そんなの」

 拒否された。

 まあ、ぼくの魔術特性センスは、そもそも根底に魔術の解体が存在している。見た術式を解体できれば、あとはそれをベースに自分のものにもできるから、見せたくないのは当然か。

 しかし。

 まだ学べることがあるのなら、しばらくはこういう生活をした方が良い。旅に出るには、まだまだ、ぼくには経験が足りていない。


 お金の心配もあったので、しばらく外に出ようと思ったら、戻るのに一ヶ月くらいかかった。

 やっぱりツイてない。

 成果はあったので構わないが、さすがのぼくも疲れた。


 ――だから。


 加工屋に素材を持ち込む前に、とりあえず食事をしようと、酒場に入ったのだ。

 カウンターに誰もいなかったので、そちらに座り、注文をして。

 また待つことになる。どうせ忘れられるから、どのタイミングで注文をするのか探っていたら、一つ空けた隣の席に、彼が、少年が、疲れた様子で腰を下ろす。

 ――歪んでいる?

 存在がブレているというか、ズレているというか、ここにいるのに、どこにもいないような、そういう感覚が……そう、残っている。彼の周囲に、残滓として存在している?

 それなりに魔術を学んでいるけれど、こんな現象は初めて見た。

 だが。

 それよりも、ぼくは驚くことになった。

 何故ならば。彼が。


「マティーニ、ベルモット多め」


 ぼくの先生が使っている符丁を、口にしたからだ。


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