第12話 運を喰らう者

 その日は、何か違和があった。

 姉さんと会話をして五日後、それなりに常識を知ろうと思って市場を回ったり、学生たちの動きを観察したり、部屋に戻って術式の研究をしたりと、時間に追われることもなく、のんびりと過ごしていたのだが。

 というかぼくは、いつだってのんびりだ。焦ることは良くないし、先生たちに尻を蹴られることも、ここ二年くらいはなくなった。

 悪い方に転がることが多いから、何事にも落ち着いていた方が良い。

 うーん。

 といってもだ、今まで生きてきてそれなりに運が悪い事象も起きていたんだけど、運の相対的な影響を店主のサノの言葉で気付いたよう、あくまでも今までの経験から得たものでしかなく、全てを知っているわけではない。

 ぼくの知らないとんでもない事態が発生することもあるし、逆もまたありうる。

 油断をするつもりはない、ないが、今のところその逆の事態が起きているように思う。

 そう。

 思っていたよりも、ぼくの不運が周囲に影響している場面は少ない。街を歩いていて声をかけられたり、何か物体が飛来したり、望んだ商品がなかったり、あったとしても買えなかったり、まあ、ツイてはいないんだけど。

 村にいた時のよう、ぼくの不運で第三者を巻き込むようなことは、今のところ、ない――と断言はしないにせよ、大きなものは発生していなかった。

 ぼくは。

 どうやら、それなりに人と関わって生きていけるらしい。

 じゃあ何をして生きようとか、そういうのは知らん。目標なんて決めるのは、あまり良くない。適当でいい。

 しかし何だろうな、この違和感は。

 何かが違うんだけど、体調は悪くないし、昨日買っておいたパンもべつに味が悪くなっているわけではなく、ちょっと硬くなってるけど朝食には充分だ。

 階下に行って、暇そうにしている受付の女性に声をかける。一ヶ月くらい延長するための申請だったが、あっさり許可された。

 うん。

 許可されるんだ。ぼくの行動は特に問題がないのかな? あまり良い顔をされないとか、しぶしぶとか、そういう感じもない。

 ――ああ、それとも。

 あくまでもぼくが不運なだけで、周囲への影響そのものが小さくなったのか。

 術式で抑制しているとはいえ、確かに、先生たち以外とこうして話したりするのは初めてのようなものだし、いや、ぼくのツキが安定してるのかな。

 うん、やっぱりよくわからん……。

 周囲への迷惑を、一切考えずに生活できれば楽なんだけど。

 まあいいや、とりあえず外へ行こう。


 ――雨が降っていた。


 ツイてない、とは思わない。むしろ、驚きでちょっと硬直してしまった。

 雨か。

 ようやく違和感の正体にたどり着いた。

 雨の気配に気付かなかったことが、いや、そう言うと大げさだが、ともかく雨が降っているのにも関わらず、自分が濡れていなかったことが、違和感になっていたらしい。

 村を出たのが――あるいは、追放されたのが、七歳の時だ。ぼくにしては運良く、総合的に見れば運が悪く、先生たちに拾われ、村の外にある森の中で暮らしていた。

 拾われていなかったら死んでいたから、運が良い。

 しかし、そこから八年の歳月を重ねて訓練という名の地獄を経験するのだから、運が悪い。

 ――ともあれ。

 ぼくには、家なんてものがなかった。

 先生たちに言われて、風雨をしのぐ最低限の小屋みたいなのは作らされたが、設計図を渡されたわけでもなく、寝るための布団はあったものの、雨の日には必ず、雨漏りで躰が濡れて目を覚ましたものだ。

 それにも慣れると、雨に濡れながら寝ることもできた。体温が奪われるので注意が必要だし、長時間の睡眠はできなかったが、慣れとは恐ろしいものである。

 つまりだ。

 ぼくは今まで、必ず、起きた瞬間には間違いなく雨であることを認識していたわけで。

 雨漏りもしない、隙間風もない、そんな快適な空間で過ごしていたことを、改めてすごいと思う。宿の主人にはもっと感謝しなくては。

 雨の中を歩くのは、気にならない。

 そもそもぼくは、躰全体に結界のようなものを常時展開しており、誰かに触れられることを避けるための防御手段として使っている。

 躰を洗う時は皮膚の内側ぎりぎり、普段は皮膚の表面から1ミリほど浮かせた部分を境界線にしており、雨の日はそれを服の表面にまで広げればいい。

 小賢しいことをしてんじゃねえ、なんて言って解除する先生もいないので安心だ。

 ……うん、まあ、解除されるから防御しようとして、魔術への理解が深まったのも事実なので、うん、なんかこう、あれだけど。

 だいたい小賢しいってなんだ。普通に考えて、当たり前の対処をしただけじゃないか。

 まったく。

 ああでも、やっぱり傘が多いな。雫がぼくに飛んでくるけど、問題はなし。学生たちが移動する時間帯は外してるから、普段よりも人通りは少ない。

 しかし、どうしたものか。

 ユキノソウを渡した相手の診療所への挨拶は、もう済ませてある。感謝もされたし、お互いの知識交換なんかもできて、実に有意義な時間だった。

 ぼくは不運があるため、医者の治療を受けられない。どうしたって、いわゆる医療事故というやつを、必ず引いてしまうから、常に怪我をしないことに注意を払いつつ、したとしても対処できる知識と、相応の品物を用意しておかなくてはならない。

 万全なんて言葉は、現実に当てはめられないから、可能な限りやるしかないのである。

 時間を持て余しているわけではないにせよ、せっかく外に出たのだから、のんびりと街中を散策してから戻ろうか。


 そう思っていたのだけれど。


「ああいた。ディア、こっち」

「姉さん」

 傘で顔は見えなかったのだが、近づいてすぐ相手がニルエア・ワロンヌだとわかった。

 嫌そうな顔をしてる。

「なに」

「準備できたから、学校ね」

 はて、何だろうと考えたぼくは、手合わせをすると言っていたのを思い出した。

「うん」

「忘れてたでしょ」

「その通り」

「開き直るな。まったくもう……ちゃんと手加減してよね」

「そうだね」

 やったことないけど。

「立ち合いはミカ先生がやってくれるって」

「ふうん……?」

 ぼくとしては、自分の実力の位置というか、姉さんとの差で一般的な錬度ってやつを確かめられるなら、それでいい。

「ぼくが来たことで何か変わった?」

「あんまり」

 一緒に行動しているわけでもなし、そんなものか。

 ――そういえば、学校の中に入るのは初めてだな。

 廊下は白色で綺麗にしてあるが、磨いてあると言えるほどではない。セキュリティも外と中の二段階で、ぼくは中の受付で来客用プレートを受け取った。

 うん、子供たちが集まってるんだから、ちゃんとしてて当然か。

 施設自体は、かなり広い。姉さんはここで過ごしているから把握してるだろうけど、入り口にある館内案内図を見たところで、ぱっとイメージはしにくい。

 廊下もすれ違う時にぶつかることはないくらい、広い。ぼくも注目されるということもなく、ちらっと視線を送るくらいだ。興味がないのか、それとも見学者か何かと思っているのか。

 若い子ばかりだ――と、ぼくが言っていいのだろうか。

 まあ、この頃の年齢なんて、ぼくにはよくわからないし、見た感じでは全員同じに見える。中に入って生活してる姉さんにしてみれば、先輩やら後輩やら、ぱっとわかるだろうけど。

 案内されたのは、そこそこ広い部屋だった。

「狭いんだけどね、ここ」

 ……狭いらしい。

 20メートル四方くらいの広さがあれば、充分だろうに。

「来たね、楽しみにしてるから」

「サヤさん、ミカさんも、手間をかけた」

 ほかにも四人くらい観戦がいるみたいだけど、まあ、この状況を整えるために苦労した結果だろう。何かの代価を支払い、何かを得るのは基本的なルールで、どこでも同じだ。

「立ち合いは私、ミカがやる。ニルエア、準備は」

「はい、大丈夫です。――いい? もう一度念押しするけど、手加減すること!」

「うん」

 だからやったことないんだってば。

「お互い、準備ができたら始めなさい」

 ああ、開始の合図とかはしないんだ。

 うん。

 今も昔も、ちゃんと姉さんとやり合うのは初めてだ。昔はできなかったし、先生に教わっている間は近づいてこなかったから。

「いくよ」

「うん」

 そこそこ距離を取って、姉さんは両手に短剣を持つ。といっても30センチ……いや、もう少し長いのか。刀身の幅は広いが、可能な限り薄くしてあって軽そうだ。

 さてどうしたものか。

 ――あ、そうだ。あれを試そう。

 姉さんが初動を見せるよりも早く、ぼくは両手を軽く広げ、十三枚の術陣を展開し、それを両手で潰すようにして術式を完成させる。

 ぱん、と両手が鳴ったら完成の合図。

 あの迷った森の再現術式だ。この部屋全域を包む認識齟齬――だが、思わずぼくは振り返った。

 サヤさんの隣にいる女の人。

 今、完全に弾いたぞ? 常時展開術式リアルタイムセルで常に防御してるのか?

 ――いかん。

 そうだった、とりあえず今は、姉さんが相手だ。

 改めて前を見た瞬間、姉さんは術陣を足元に展開して地面を蹴る。そして、ぼくのだいぶ左側に向かっていき、攻撃しようとした手を止めた。

「――っ!?」

 混乱のまま、視界の端にぼくを捉え、慌てて距離を取ろうと後方へ飛び、自分から壁に背中からぶつかった。

 あー……うん、そうなるのか。痛そうだなあ。

 おっと。

 ここで剣を片方投げるのか。普通ならその感覚も狂ってるはずなんだけど、たまたま、ぼくの不運と、姉さんの幸運がかみ合って、ぼくにめがけて飛来したので、右側に回避して、やや後ろ手になって柄を掴む。

 ああやっぱり、術式を解除したわけじゃなさそうだ。

 ちゃんと当たった剣の動きを見て行動するけど、姉さんは変わらずまっすぐ動けていない。

 即応はできないのか。

 いくつかの術陣が出ているところからも、魔術――いや、スキルを使っているのがわかる。

 現状、スキルの使用には、あー差別化するために魔術スキルと仮称しようか。

 術陣は必ず展開する。

 これはいわゆる、箱を開くために鍵を使う行為そのものの表明であって、開かれた箱から出てきた魔術構成が術陣に上乗せされる。ここのタイムラグはほとんどなく、見た目では術陣が出た瞬間には魔術スキルが完成している。

 ぼくの術陣はあくまでも、それに似せるためと、解析が楽だから使っているだけで、必須ではない。今展開した術式だって、構成をざっと確認するために十三枚も術陣を展開したわけで。

 似て非なるものだ。

 実働データも取れたし、そろそろ解除しよう。剣も軽く放り投げて返した。

 得物……は、必要ないか。

 一歩、左足を前に出すだけで、姉さんはびくりと身を震わせて、沈むような構えをとった。


 ――ん?


 二歩目を出したぼくは、そのまま背後を振り返る。

 扉が開いて、一人の男が入って来たからだ。

 背丈は高い、髪も長い、どこか作ったような笑顔はともかく、その白色の服装がいやに鼻につく。

「おや、失礼。邪魔をしてしまいましたか」

 懐に短剣が一本……それに、なんだ?

 思わず、本能的にぼくは右手をポケットに入れ、彼の懐に入っていた何かを、右手の中に移動させる。

 空間転移ステップの術式、次元式の一つ、その応用である。一般的には窃盗スナッチの分類になるのか。

 姉さんとの手合わせを再開するふりをして、解析を一気に進める。周囲に散らばるよう出現した術陣は、おそらくぼくにしか見えない。

 解析は、全て行わなくていい。この物品が、魔術品が、一体どのような効果を発揮するのか、まずはそこだけを明確にする。

「どうぞ、続けてください」

 ……あ。

 サヤさんがちょっと警戒してる。ふうん?

 ぼくはミカさんを見て、片手を姉さんに向けて――動かないようにする。

 いくつかの可能性があるけど、たぶん。

 ぼくにとっては面倒な方を引いたんだろうな、これは。彼女たち、あるいは入ってきた彼にとっては、どうだか知らないけど。

「――ああ」

 なるほどと、ぼくは頷き、右手をポケットから出した。

 息を飲む音が聞こえる。

 持っていたのは、手のひらサイズの宝石だ。

「部屋ごと隔離する魔術品だ。これを使えば、手で持って部屋ごと運べる」


 ――速い。


 視界の端に捉えていたはずのミカさんが、ぼくの言葉とほぼ同時に、言い放った直後にはもう、男の喉元に刀を突き付けていた。

 いつ抜いたのか、いつ移動したのか、結果から推測はできるけれど、これが初見で、ぼくが敵対していたら、防御はできたにせよ対応はできなかっただろう。

 そのくらいの速度だ。距離もかなりあったのに。

 でもまあ、そうだろう。

 ぼくの術式を一切の意識なく、完全に弾いたのは、サヤさんの隣にいる女性だ。彼女をもしも害する、あるいは確保しようと思ったら、彼女がいる場所ごと移動させるのが簡単な方法になる。

 部屋ごと圧縮して、手持ちサイズの――まあ、封印術か。

「――っ」

 彼は何かを迷う、だが。


 部屋の電気が落ちた。


 急な暗闇に視界が一切利かなくなる。

 気配で対応しようとするが、彼の存在、気配が――隠れるのではなく、消えた。

 術式にしてはちょっと反応がおかしいけど、魔力波動シグナルは感じられた。次元式などでよく見られる気配の消失に酷似。

 そして、出現位置はぼくの背後。

 何をしたのかよくわからないが――ぼくに。

 ぼくに手を出すのなら。


 


 暗くなっているなら好都合。常にぼくの躰にまとわりついているソレも、同じく黒色だから、丁度良い。


 敵ならば。

 容赦はいらない。

 ――喰え。


 黒色が彼を喰う。それを確認しながら、ぼくは前へ数歩動いて彼から離れ――そして。


 明かりが戻った時には、改めて、彼と対峙していた。

 うん。

 大丈夫、さっきと変わらない状態を保っている。もしかしたらミカさんやサヤさんは気付いたかもしれないけど、隣にいる女性を守ることを注視しているし、わからなかったかも。

 ま、どっちでもいいか。

「チッ」

 舌打ち、彼が懐に手を入れる。

「ああ気を付けた方が良い……遅かったか」

 引き抜いたのは短剣であり、ぼくの右手には変わらず魔術品がある。それを取り戻さなくてはならないのだろうけれど、でも。

 あなたの運は、運気は。

 今、最悪だぞ?

 ――ほら、ちゃんと取り出してから両手で引き抜かないから、初心者みたいに鞘を持っていたはずの左手を切ってる。

「……っ」

 しかも、小指と薬指が落ちてるし。

 ああ駄目、駄目だよ動揺したら。ほら、後ろに一歩引こうとした足が、床に落ちた血で滑ることになる。

「は……?」

 彼はそんな、呆けたような声を出しながら転び、左手に痛みがあるから無意識にかばって右側から倒れようとするけれど、そちらにはナイフを持っている。

 正解は、ナイフを手放す――だけれど、このタイミングでそれがやれるのは熟練者で、かつ、パニックになっていない時だけで。

 肩から地面に転んだ彼は、そのまま肘を打ち付け、右腕は肘の曲がる方向に強く動き、それは。

 自分が持っていたナイフで、みぞおちのあたりを突き刺す動きと同じになる。

 ――ああ。

 まったく。

 死に向かう彼に対して、ぼくが放った言葉を、姉さんや、あの二人だけは正しく受け取っただろう。

 そういうことだ。

 人は、不運である影響で、死ぬから。

「――何事ですか」

 おっと。

 今度は女性?

「一言目がそれか」

 話にならないな。

 状況を見ていないと、そんな台詞は出てこないだろう――ははは、同じナイフを懐に忍ばせているとは、笑える話だ。

 仲間ですよと、そんな証明をして何になる。

 一体何がどうなってるのかは知らないが、ぼくを巻き込んだのなら、ぼくの敵になったのなら。

 同じ結末を辿るだけだ。

 誰かが動くよりも早く、ぼくは術式を開放する。

 イメージしたのは、竜の顎。

 黒色のそれは、ぱくりと、彼女を食べて消えた。

 ん……多少は小さくなったかな? まあ、ぼくの不運の量を考えれば、誤差みたいなものか。

「ああミカさん、気を付けて、すぐ死ぬからね。懐に同じナイフがある。三日もしたら、それなりに落ち着くだろうけど――過信はしない方が良い」

「……そう」

 ぼくは小さく肩を竦めて、そちらは任せ、屍体に目を落としてから気付く。

「この魔術品もそっちで回収した方がいいのかな?」

「ちょうだい」

「うん、ついでに屍体も頼むよ。ぼくは対応しただけで、理由は知らないからね」

 何かしら二人が関係しているんだろうけど。

「さて姉さん、続けようか?」

「いやあんたね、できるわけないでしょ」

「そう? ……あ、そうか。うん、遅いかもしれないけど、キツイようなら屍体を直視しない方がいい」

「遅いよ!」

 いや、今気づいたんだから、仕方がないだろうに。

 しょうがない。

 仕切り直しにして、今度またやろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る