第11話 姉はニルエア・ワロンヌ

 ぼくの姿を捉えた姉、ニルエア・ワロンヌは小走りにやってきて、テーブルに両手をつけた。

「ディア! あんたどうしてこんなところにいるの!?」

「ああうん」

 事情を説明しないといけないけど、面倒だな。

「ああ、ミカさん、お疲れ様」

「ほんとにね……なんで授業中なのにいないの。あちこち移動しても見つからない」

 それはぼくの不運が関連している。他者への影響は緩和されてるけど、なくなるわけじゃない。

 ぼくが、姉さんに用事があって、姉さんがぼくに逢いに来る。

 これが確定している以上、ぼくの不運は誰かにも影響してしまうのだ。

「姉さんも座ったら」

「え、ああ、……うん、そうする」

 四人席で丁度良かったのかもしれない。

「最近はどう」

「あ、うん、ついに冒険者になったよ! しかも学生の中じゃ早いほう!」

「それはおめでとう」

 左手を出したら、首を傾げられた。

「ギルドカード」

「ああ」

 一度立ち上がり、スカートのポケットに手を伸ばす。

 そういえば、学生服は初めて見たな。腰には短めの剣が二本、伸縮性の高い服だが色合いはそれなりに可愛い。機能性重視と、見た目を両立させた感じか。

「はいこれ」

「うん」

 刻まれたマーク、刻印なのか紋章なのか呼び方は知らないが、商業ギルドとは違うもので、裏側には何もない。

 さて。

 内部構造が同じなら、術式を変える必要もない。

 中身は……うん、姉さんの名前もある。ランクF? ああ、ランク制度だったっけ。ええと、依頼履歴は――。

「へ?」

「ん? ――ああ、忘れてた。内緒で」

 大した仕事はしてないところを見るに、学園側とギルド側が契約して、初心者用の――いうなれば、授業用の仕事を斡旋したのかな。少ないけど依頼料も入ってる。

「サヤ」

「いやできないってば。解析するのにも現物はないし。ディアはどうやったの」

「……? 鍵はある。だったら鍵を入れる場所も想定できる」

 カードは返した。

 うん。

「これはぼくのカード。商業ギルド」

 とりあえず情報を表示させ、冷たくなった珈琲を飲む。味が良いから、冷めても美味い。

「稼げるようにはしたから」

「――」

 無言のまま、姉さんは立ち上がって周囲を見渡す。

「ちょっとディア、はいないの?」

「ああ、いないよ、もう帰ったから。だからこっちまで来た。旅でもしようかと」

「待って、待って。ちょっと整理するから待って」

「うん」

 なんだろう、べつにいいけど。

「どこに行ってたの」

「……森?」

「そうじゃなくて」

「村からここまで二ヶ月くらい。そのうち一ヶ月は森の中」

 街道を走る共用馬車に乗れば、三日くらいだけど。

「ダークハウンドを八匹ねえ。術式の完成度から見ても、そのくらいはやるわね。でも消してちょうだい? さすがにコレはあまり良くないでしょうに」

「うん、不可視化するのを忘れてた」

 いずれにせよ、こんな目の前でやるんだから、魔力波動シグナル感知キャッチされるだろうし、相当な隠蔽術式を使わないといけなくなる。

 隠すだけなら簡単だが、のは、難しい。

「えっとディア」

「なに」

「確認だけど、ダークウルフを討伐したの?」

「うん。襲って来たから」

「……だよね、うん。ディアなら襲われるよね。一人でやったの?」

「うん」

 ぼくしかいないから。

「これから、どうするつもり? 学校に入る……ってのも現実的じゃないでしょ。あたしに逢いに来たのはわかったけど」

「決めてない。旅には出ようと思ってる」

 人と関わるのは恐ろしいが、しかし、人から奪うことでしかぼくは正常になりえない。

 ただ。

「姉さん」

「ん?」

「問題は?」

「あー……まあ、多少は。学校の中で大なり小なり、生活してればトラブルもあるから」

「なんの話かしら」

「サヤ先生、ええと、事情は聞いてましたか?」

「それなりにね」

「タイミングがあるんです。この子は一人でいる時より、こうやって人が集まっている時の方が、当たりを引く――じゃない、芋を引くんです」

 何かが起きる。けれどぼくは、その何かはわからない。予知能力者じゃないんだから、誰だってそうだろう。

「……そういえば二人は」

「ああ、私たちは学園に雇われて、主に戦闘を教えてるの。……ほかに理由もあるけどね」

「うん。知り合いの王国の娘がいる」

「ちょっとミカ」

「黙っててもしょうがない。あ、ニルエアは黙っておくように」

「わかりました」

「どこのだ」

「ファズル王国」

「そうか」

 隣国か。それなりに近いとは言わないにせよ、何か事情があるのだろう。

 ぼくは世間知らずだが、ファズル王国の名前くらいは知っているし、戦争をしているとか、そういう話も聞いたことはない。

 事情、ねえ。

 巻き込まれるのは確定としても、準備だけはしておこう。何が起きるのかわからないなら、それこそ、できるだけ、可能なことは全部だ。

 まあ、いつもしてるけど。

「姉さん、手合わせしてみるか?」

「――え。なにそれ、自分から動くってこと? というか嫌なんだけど、ディアと戦うの」

「なんで」

「あの女の訓練を受けてるのを見たら、誰でも嫌がるっての! あたしが帰郷するたびに目にしてたけど、いつもあんた死んでたじゃない!」

「ちゃんと蘇生してくれた」

 じゃなきゃぼくは生きてない。

 しかも、蘇生されたあとは説教が続くから、死んでも大丈夫だなんて思ったこともないし。というか死ぬって痛くないんだよね、あれ。めちゃくちゃ怖い。

 いやまあ、実際には仮死状態みたいな感じだったらしいけど。

「それをやることのメリットは」

「待ってミカ先生、待って。それ聞くとやりそうで嫌」

「問題が浮き彫りになる」

 たぶん、だけどね。

「つまり、あんたを利用しろってことか」

「できるなら」

「影響はどのくらい」

「抑制してるから、それほどでもないけど、想定はできない」

 いうなれば、これは。

「逆転の発想。ぼくが巻き込む」

 捉え方の違いだ。いつもはぼくが巻き込まれるんだけど、その影響を周囲にどうだと、見せる感覚に近い。

 いずれにせよ、ぼくと関わったこの二人、いや姉さんも含めて、周囲には何かが起きるはず。遅かれ早かれ、ぼくの運の悪さが、影響を及ぼす。

 何かが起こるには、きっかけが必要だ。ぼくが来たことによってそれが早まるか、遅くなるか――うん。

 よくわからん!

 ただ村では、まあ、何度か経験している。

「……観客が増えてる」

 ぼくの呟きに、二人が反応し、サヤさんが舌打ちをする。

「これ、私がとってる宿。何かあったら来て」

「わかった」

 ミカさんが教えてくれたので、ぼくも今使っている宿の名前を伝え、二人は席を立ち、学校の中へ。

「うん、あたしらも移動した方がいいかな?」

「そうだね。とりあえず、ぼくの宿に行こうか」

 姉さんは運が良い。

 だから、大きなトラブルを迎えることはないだろう――そう思っていれば、上から何かが落ちてきて避けても、なあに、この程度ならと、気楽なままいられる。

 姉さんは間近にして、久しぶりだからか、ちょっと引いてたけど。

 宿に到着してからは、一階のスペースにあるテーブルを使うことにした。食事の提供はないけれど、持ち込みは問題なく、待ち合わせなどにも使われる歓談スペースだ。

 念のため。

 結界を張って、一息。

「ほんとにいないんだ……」

「先生たちはもう帰ったよ。家に戻る気はなかったから、姉さんに挨拶しようと思ってね」

「じゃあ予定もなしか」

「まあね。姉さんは学生を楽しんでる?」

「うん、あたしはね。そろそろ将来のことも考えないといけなくて、どうしようかなとは思ってるけど」

「冒険者になったんだから、学校じゃ姉さんは強い部類なのか?」

「そりゃね。ディアとは戦いたくないのも本音だけど」

「そう? ……ぼくにはよくわからないな。姉さんがどのくらいで、学生の錬度がどうなのか」

「あーそりゃ知らないよね、うん。それも含みで、勝負したいってことか」

「まあね」

「はっきり言っていい?」

「なに」

「ミカ先生やサヤ先生ってさ、教える側なのよね。こういう感じがいいとか、どうした方が良いとか――あくまでも、指示だけ」

「そうなのか」

「あたしらは弟子じゃないからね。やるかやらないかは、あたしらが決める。先生同士が戦うことも、ほとんどないかな。特にあの二人は冒険者ギルドからの出向だからね」

「うん。……それがどうかした?」

「明らかに実力者だとわかるよね?」

「そりゃまあ、学生に教えられる立場にいるんだから、学生が簡単に超えられるような相手じゃないだろうね」

「見てどう思った?」

「感想? んー……どうだろ。ミカさんは刀を持ってたし、サヤさんは術式主体だけど接近戦闘っぽいかな。ぼくにはそのくらいしかわからないよ? 姉さんが軽めの剣二本を使って戦うんだろうって思うくらい。そもそも比較対象がいないから」

「そっか。じゃあ、そういう実力者の先生が、ちょっと真面目に手合わせしようかって目の前に来たら、絶望的な気分になるのはわかる?」

「ああうん、普段教えてくれてる人が、得物を抜いたら怖いかもね。ぼくも最初はそうだったよ」

「それが特殊なことだって、覚えておいて? でね? あたしはまさに、今、そういう気分なわけ」

「なんで」

「あんたと戦うことになったから」

「……、姉さんには、ぼくとあの二人が同列に見えてるってことか?」

「その通り」

 そんなものかな。

「ぼくにはよくわからないよ」

「あたしだってわからないけど、あの訓練を見た身としては、冗談じゃない」

「がんばれ」

「ね、たぶん先生たちは手配するだろうし……なんかある?」

「本を読みたい」

「あー……ん?」

「――」

 姉さんを片手で制し、ぼくは入り口を確認する。テーブルに座る時、特に室内では入り口が見える位置に陣取るのは、そう教わっていたからだし、姉さんが気にしなかったのも含めて、普通は何も考えないものなのだろう。

 ともあれ。

 知っている顔だった。というか、ぼくと取引をした女性店主だ。

「サノさん」

 何かあったのか、ではない。何があったのだろうかと、ぼくは問題を前提に考えてしまう。

 けれど。

「ああいたね、ちょっといいかい」

「どうぞ」

「あんた、ユキノソウの手持ちはあるか」

「少量なら。ただ乾燥させてある」

「譲って欲しい、最低で二万だ」

 そもそも、格納倉庫ガレージの術式は三次元式の格納だが、中身も当然のように時間経過する。いや、基本的にどんな術式を構築したところで、時間を逆行することは不可能であり、ましてや、停止なんて大それたことは不可能だ。

 時間とは、常に進むものであり、それを阻むことはできない。それが世界法則ルールオブワールドだ。

 魔術とは、世界法則の内側で作られるものである。であるのならば、改変など、できるはずがない。

 だから生ものである薬草などは、基本的に乾燥させて持ち歩く。ぼくの場合、たとえば依頼で採取を頼まれたのならば、最初から格納倉庫に入れようと思わない。

 細い麻紐で束にしたものを二つ取り出せば、彼女は一緒について来た小柄な男性に見せる。

「――充分です。これなら二万五千、二つで五万は出します。よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「支払いはここでやるよ」

 どうやるのかと思えば、サノさんはあの箱のような装置を持っていて、相手のカードを入れて操作をすると、すぐに。

「あんたは患者のところへ行きな、時間との勝負だろう?」

「はい。すみません、自分はここで失礼します」

「うん」

 緊急の患者か……ユキノソウは、大雑把な効果として身体能力の低下、麻痺、つまりは麻酔のような効果が出るから、何と複合させるのかで結果も変わるけど、うん、悪用するような人じゃなさそうだ。

「カードを寄越しな」

「これ」

「現金はいるかい?」

「いや、必要ない」

 昨日の取引分の金は持ってるし、これから使う予定もない。

「でも、どうしてぼくに」

「勘さ」

 彼女は手続きをしながら、言う。

「あんたはツイてない、なんとなくそれはわかった。けど結果を思い返してみて、私はどうだった? 珍しい代物を手に入れた、顧客との繋がりもできた。こんなにツイてる日はないと思うくらい、良いことばかりだ。つまり――逆転の発想をした」

 一応、内容の確認を促され、取引の記録がついているのを見て頷けば、カードはぼくの手元に戻ってくる。

 けれど、そんなことよりも。

「逆転?」

「そう、あんたがどうであれ、深入りしなきゃツイてるのはむしろ、私じゃないのか? あいつにユキノソウの在庫を聞かれた時、勘であんたなら持ってるかもしれない、そう思えた理由付けは、こういうことだ」

 誰が持っているのかは、わからない。けれどぼくがツイてないなら、逆に、周りの人はツイてる。

 困ったから声をかけてみよう――ぼくがやったら、何の成果も得られないそれも、絶望的に無意味なそんな行為も、ぼくの周囲にいた人がやれば、ツイてる、つまり、良い結果が得られる?

「――そういう、使われ方は、初めてだ」

「あんたを使ったなんて思っちゃいないさ。ただ、当てのある誰かの中で、もしかしたらと思っただけのことだよ。気分を害したならすまないね」

「いや、急ぎだったんだろう、構わない」

「そう言ってもらえりゃ助かるよ。――邪魔したね、また素材があるならうちにおいで」

「ああ」

 そうか。

 ――そうか、そうか。

 相対的に、ぼくが不運を被る代わりに、周囲の運が良くなる可能性は、今まで考えなかった。だって、誰もがぼくの不運を利用しようとしていたから。

 これは、根本的な部分で考え直さないといけないな。

 不運が伝播する、これも間違いじゃないけど、でも――逆にぼくが吸い取っている?

 いや、いや。

 あくまでも相対的な話だ。たまたま……チッ、またこいつか。

 たまたま、ぼくに手持ちがあっただけ? それをたまたま、彼女が感覚的に選んだ? もうその時点で、彼女にとってはラッキーじゃないか。

「ディア?」

「ああ、ごめん、大丈夫。ちょっと考えてただけ。運が良いだの悪いだの、よくわからない話だ」

「あんたが言うと、現実味があるというか……それはそれとして」

「うん」

 なんの話だっけ。

「本が読みたいなら図書館ね」

「ん?」

「学校の中じゃなく、どの学校でも使える共用図書館があるの。学生ならだれでも――無料で使える施設みたいな」

「へえ、そうなんだ」

 図書館ね、どんな本があるのか知らないけど、そんな施設があるんだ。

「手合わせが済んだら入れるよう、先生たちに言っておくよ」

「ありがとう」

「……あー、嫌だなあ。ちゃんと手加減してよね」

「うん、たぶん」

「たぶんってなに」

「手加減なんてしたことないから」

 そもそも、ぼくは先生たちを相手にする日常を過ごしていたし、加減できるほど近づけたとも思っていない。いつもされる側であって、する側ではないのだ。

「……両親は相変わらず?」

「じゃないかな? 挨拶もしてないから」

「まあ、それもしょうがないか。あたしにしたって、ディアがいないなら長期休暇に帰る必要もないだろうし」

 悪い親ではないと思う。

 少なくともぼくたちは、親に対して恨みなどは持っていない――が、何かをしてやろうという興味も持たないくらいには、無関心だ。

 生んでくれたことに感謝するなら、家から放り出したことで相殺だろう。

 まあ。

 親にだって生活はあるのだから、そんなものかもしれないが、ぼくは同じことを自分の子供にしたいとは思えない。そもそも村の中で別居してるし、よくわからん。

「姉さんは冒険者に?」

「どーだろ、わかんない。戦闘は好きだけど、いや、好きなのは試合なのかな。就職先はいろいろあるし――友達から誘われてるところもあるから」

 なんか、姉さんは決めたがってるように見えるけど、金が稼げて、生きていけるなら、何だって良いと思う。これはぼくがおかしいのかなあ。

「学校に入るつもりはないの?」

「どうだろう。一度くらい集団生活をしておいた方が良いって言われてたけど、ぼくの影響がどこまであるのか、そしてどうなるのか、ちゃんと確認しておきたい」

「確認なんてできるとは思えないけど、まあ、気持ちはわかる」

 そうだね、その通り。

 運なんて目に見えないもので、影響が出たところで毎度違う結果が出るようなものだから、累計をとったって当てにはならない。

「それでも試しておかないとね。姉さんから見て、魅力はあるの?」

「――どうだろ、一長一短。嫌じゃないけど、それ以外に道もあったのかな、と考えることくらいはあるよ。将来の幅は広がった」

「ふうん? 姉さんが楽しめてるのなら、それでいいけど」

「自分の心配をしなさいよ、あんたは」

 それもそうだ、その通り。

「あ、そろそろ行かないと」

「午後からは各自、外で実地研修だったか」

「あたしはだいたい学校内部で訓練だけどね。じゃあまた――あ、ちゃんと出ていく時には、改めて声をかけてよ?」

「わかった。ぼくはそれほど薄情じゃないよ」

「そうあって欲しいけどね」

 さすが、姉さんはよくわかってる。いつやるのか、日時を一度も口にしなかった。

 ぼくに対しては、予定を決めない方が良いから。

 だからぼくも、覚えておく程度で丁度良い。

 ……姉さんが、元気そうで良かった。


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