第5話 入学の挨拶

 入学手続きを終えたエンスは、一度エントランスに戻り、入り口に張ってある全体図で校舎を把握してから、呼び出されていた訓練場に顔を見せた。

 そこに。

「遅い」

「悪い、学校の全体像を覚えてた――ん? 見た顔があるな」

 つい数日前、冒険者の試験で一緒に行動した男女だ。

「エンスだ」

「ミカよ。こっちが私が受け持ってる三人……といっても、大したことは教えてない」

「ふうん? 冒険者の試験でそっちは一緒だったな」

「へえ、そう。合格おめでとう」

「どーも」

 それから、学生に挨拶をする。

 試験で一緒だった男は、タッド。女はキニン。そしてもう一人は、トタイという男だ。

 年齢的には、トタイが後輩で、一番下にエンス。タッドとキニンは最上級生らしい。

「なあ、試験も終わったし聞きたかったんだ」

「ん?」

「干し肉――あれは、監督していた冒険者から貰ったものか?」

「おいタッド、そこは正しく、奪ったと表現しろよ」

「……やっぱりか」

「それ以外に入手する方法はねえだろ」

 魔物避けの結界が張ってある以上、そもそも食料なんて確保ができない状況なのだ。もっとも簡単な方法を選んだだけ――だが、そこまで説明してやる必要はない。

「つーか、錬度そのものは低くねえのに……ミカさんは何を教えてるんだ?」

「戦闘技術を望まれた時に、望んだぶんだけ」

「なるほどね」

「お前は合格したんだろ? 俺らに何が足りない?」

「いろいろ。全部とは言わないにせよ、自分でも気付いたこともあるだろうし……まあ、警戒の仕方に関しては、悪いが笑っちまった。経験不足って言いたいところだが、実際に経験した時には死んでるだろうし、笑いごとじゃねえけど」

「……偉そうなことを言う新入生っスね」

「黙ってろトタイ、実際にエンスは合格してるんだ」

「そりゃそうっスけど……」

 笑いながら、小さく吐息を一つ。

「ミカさん、ボールか何かあるか」

「ん」

 懐に手を入れて、片手で持てる小さなボールを取り出したのを見て、エンスは口の端を軽く上げる。

 格納倉庫ガレージの術式だ。世間一般の魔術師が扱えるような代物ではない。

 ミカは少し離れたが、気にしないでおく。

「じゃあタッド、とりあえず腰のものを抜けよ」

「ああ」

「ちょうど良い、トタイと向き合って警戒しろ。あの森の感覚を思い出せ」

 言えば、剣を引き抜いたタッドは、軽く目を閉じて、開き、あの時を思い出して警戒する。トタイはそれに対し、軽く腰を落とし、嫌そうな顔をした。

 キニンはその状況を、じっくりと見ている――が。

 合図もなく。

 ただ、エンスは手にしていたボールを軽く投げて。


 ――それは、当たり前のよう、警戒していたタッドの後頭部に当たった。


「もういいぞ、力を抜け」

 転がってきた、足元のボールを拾い上げ、改めて。

「現場だったら魔物に背後から首を噛まれて、殺されてたな。厳しいことを言うぜ? タッド、お前は一体、何に警戒してたんだ? 俺には、近寄るんじゃないと言いながら、ここにいるぞと、周囲に示しているようにしか見えねえぜ」

「おい、お前――」

 トタイが文句を言おうとする、その瞬間に、背後から回転しながら飛来したナイフを、エンスは首を傾げるようにして回避し、右腕を伸ばして、通り過ぎてから柄を掴んで止めた。

「――っ」

「殺す気かよ、ミカさん。しかも避けただけじゃ、こいつらに当たる軌道だろ」

「止めたじゃない」

「そりゃな。ああ、こういう時は必ず、柄を握って止めるようにしろよ? よく、ナイフの刃の方を指で挟んだりする馬鹿がいるけど、毒が塗られてる可能性を完全に排除してからな」

「……ね、ねえ、あなた今、警戒していたの?」

「そりゃするだろ、してなきゃ死んでる。自然体でやれとは言わないにせよ、警戒のやり方ってのは覚えた方がいいぜ」

「警戒のやり方、か」

「個人差っつーか、得手不得手があるから具体例は避けるけど、自分の感覚を広げるってのは共通した認識だ。肌に触れられれば気付くだろ? だから、その肌って感覚を周囲に広げてやりゃいい。しばらくやってみて、どうしても詰まったら、また後日な」

 エンスは彼らに背を向け、ミカにナイフを返す。

投擲専用スローイングか」

「倉庫に入ってたから。普段は針を使う」

 袖口から取り出されたのは、どちらかというと棒手裏剣に似た針だった。聞けば、太さや長さもいろいろあるらしい。

「オーダーできる鍛冶屋を紹介してくれ」

「……得物か」

「折り返し鍛錬が上手けりゃ、なお良いね」

 言えば、ミカはちらりと自分の刀に目を落とした。

「高いよ?」

「出世払いだな。すぐできるわけでもないし、支払いは待ってくれると助かるぜ」

「うん。……しょうがないね」

「いや甘くねえか?」

「一応、私の担当だから」

「嬉しいね。頭の耳を触りたいくらいだ」

「嫌」

「手入れされた綺麗な尻尾を持ち出さなかったあたりは、褒めて欲しいね」

 しかも、術式で隠してあるが、三本ある。こういう狐族は見たことがない。

 少なくとも内包する魔力量は多そうだ――と思っていたら、頭を撫でられた。

「え、なに」

「褒めた」

「ああうん、そう、ありがとう……?」

 よくわからなかったが、褒められた。

「私の名前を出してもいいけど、交渉はそっちで」

「全部任せはしねえよ」

 どうやらこの学園都市にいるらしく、いつでも行けそうな場所だった。

「授業はここでやってんのか?」

「そう、教室はない。好きにおいで。私もだいたいいる」

「まあ、俺の目的はミカさんだから、その時は頼む。じゃあ今日はこれで」

「鍛冶屋?」

「いや、図書室が先。学生証がまだないから、学園の図書館には入れなさそうだから」

「……うん、いってらっしゃい」

 良い女だと思いながら、試行錯誤する学生を一瞥してから、訓練場を後にした。


 向かう先は言葉通り、図書室である。


 各学校ごとに、大小はあれど図書室は存在しており、それは学校で教える内容に偏りを見せているだろうが、それ以外に、学園の施設としての図書館がある。そちらは独立しており、どの学校の学生であっても使えるようになっていた。

 つまり、文字通りの図書館であり、蔵書も多いはず。

 期待はしつつも、まずは、こちらの確認だ。

 中には、人気が一切なかった。利用者が少ないこともそうだが、そもそも受付が存在しない。つまりここには司書もいないわけだ。

 狭いと感じるくらいには本棚が空間を圧迫しており、本の香りよりも埃の匂いの方が強い。最低限の掃除はされているようだが、本を大事にしている感じはしなかった。

 こんなものか、と思う。

 魔力波動シグナルを探っても、魔術書や魔導書の気配はない。軽く歩きながら背表紙をざっと眺めるが、戦術論、魔物図鑑などの実用書に偏ってはいるものの、料理などの本もある。

 さて。

 どうせ来たのだから何かを読もう、そう思って手を伸ばし――そこで。

「……」

 ぴたりと、動きを止めた。

 呼ばれている。

 優先事項だと判断したエンスは、改めて周囲を確認してから、一歩。

 自分の領域へと足を進めた。


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