第2話 入学試験
リック・ネイ・エンスは十三歳になったことにより、学校へ通うこととなった。
というのも。
「ちょい出る」
「わかった。俺は学校に通う」
なんて、師匠が気楽に出かけるなんて言って、一年以上は戻ってこない雰囲気だったから、じゃあこっちも気楽に言ってやろう、という会話が、どういうわけか成立した結果でもあった。
そもそも、司書という役割を持っているものの、エンスは基本的にじっと部屋の中で本を読むような性格ではない。どちらかといえば、外に出て躰を動かしていた方を好む。
だからといって、読書が苦手でもない。過去、つまり前世にも、エンスは本を読んだことがなく――かつては紙の書物が少なかった――初めてのことだったが、それはそれで面白い。
さて。
この年齢になると、基本的には学校へ通うことが多い。地域によって違いも出るし、たとえば大規模農家などの場合、人手という観点から学校よりも仕事をしろと、そういう流れもあるのだが、それはもう将来の仕事が手にあることでもあり、仕事をするために、その選択肢を増やすために学校へ通う必要はない。
ただこの地方には、学園都市ファンフルーテンがある。
他国からも大勢がここに集まり、内部には多くの学校が存在し、それぞれ学びたいところへ通う。もちろん寮なども整備されているので、生活は楽だ――が。
それなりに金はかかる。無料ではない。
ただ、いわゆる奨学金のような制度もあるし、それほど大金ではないため、エンスは適当に稼いで支払おうと思っている。無理ならそれでいい、という割り切りができてしまうのも、強みだろう。
学園都市に到着してすぐ、まずは試験を受けることとなった。
入学試験だ。
これは、最低限の入学資格を問う――というよりも、自分が得意なこと、どんな学校に入った方が良いかの相談会を含めた試験だ。逆に考えれば、各学校からのスカウトの場でもある。
初日は筆記試験。
こちらは選択制であり、最低限なら読み書きができるかどうか。商売関係なら計算や帳簿に関連する問題があり、戦闘系でも騎士のようなものから、冒険者の魔物知識のようなもので、とにかく幅広い。もちろん魔術の研究もあるが、ここでの魔術はエンスがやっているようなものとは違うので、選択はしない。
エンスの選択は、冒険者、商売、食品農業、料理、建築の五つ。どれも多少の知識を持っていたので、七割以上は解答できた。
翌日には、技能試験がすぐにある。
受験人数が少なかったのか、何か効率化をしているのか、よくわからないが翌日に会場へ向かえば、先日の筆記試験を返却される。そこで。
「五つも受験する人は珍しいですね」
受付の女性に言われて気付く。
確かに、せいぜい選択するのは多くて三つだ。しかも、似ている種類を選択するだろう。たとえば、冒険者と騎士、これはどちらも戦闘技能だ。魔術師もあるいは、その中に入るだろう。そして大半はもう、目指す先を決めているので、一つで済む。
試験結果を持って、エンスはまず建築の試験を受けるため、運動場へ行くと、既に数人が作業をしていた。
「おう、建築だ。そこにある木を一本やるから、加工しろ」
「ああ、なるほど、そういう試験か。道具もたくさんあるな……俺は辞退する」
建築の筆記結果を見せれば、教員は手元の資料で確認する。
「リック・ネイ・エンス」
「おう」
「いいのか?」
「道具の使い方もわからねえよ」
「一応、それを教えるための建築なんだが」
「試しに受けただけだ、気にしないでくれ。建築物の立体把握が得意でな、さすがに作ろうって技能は難しい」
「そうか。ほかにもあるのか?」
「おう、あと四つ」
「多いな! じゃあ遠慮なく、うちでは落第扱いにしておくぞ」
「頼んだ。次は農業だ」
「それなら、この校舎の裏庭でやってるよ」
そのまま裏庭では、食品農業の試験として、土の配合を行っていた。
なるほどと頷き、エンスは建築と同じような説明をして、辞退しておく。
建築、農業に関しての知識が欲しかったのは、事実だ。生前のエンスは、銃後の復興でよく、破壊された建築物の撤去をやっていたし、彼らが畑を整えてまず、生産性の高いじゃがいもを植えるのが定番だった。
もっと効率の良いものがあればと思いながらも、復興が本業でもないため、ずっと後回しにしていたことが、少しの後悔があったのだ。これからも情報は仕入れるだろうけれど、自分が作るのとはまた、違う話だ。
続いて建物の中に入り、料理へ。こちらはレシピを渡され、それを作る試験だったので、受けることにした。
思い出すのは、いつだって粗食だ。硬くなった干し肉や、乾きすぎたパン、それと口の中の水分をすべて持っていく、ほのかに甘いクッキー。加えて、水に溶かすタイプの美味くもないスープ。
戦場では火が使えなかったので、そうしたものしか補給できず、精神的な活力を得るのに苦労したものだ。その改善をしたい気持ちから料理を選んだが、なるほど、これは面白い。
普段は師匠に食事を作らせていたが、その理由は、エンスの料理が大雑把だからだ。煮るか焼く、あとは味付けを決めればそれでいい。不味くはなく、腹には溜まるが、あまり満足しないような料理だろう。
レシピ通りに作れば失敗しない。あとは、そのレシピをどれだけ持っているのか、アレンジできるのか――。
いや。
これも趣味の範囲にしておくべきだと、エンスは作り終え、食べてから料理試験に関しても断った。
司書が、料理人を兼業するのはさすがに難しすぎる。
続いては商売へ。
こちらは、用意されている品物を、いくらで売るのか、そういった仮定のもとに、どういう行動をとるべきなのか、そんな試験だった。
しばらく聞いてみれば、付加価値をつける方法や、生産体制の確保、ほかの地域にまで足を運ぶ手法など、さまざまだ。
個人ならば、付加価値をつける前提で加工を行おうとする。旅商人ならば、移動にかかる時間とリスクの計算。大手商会ならば、商品の流れを含めたシステムの考察。
立場によって同じ商品であっても考え方は変わるものだ。
金を稼ぐこと、それは生活と直結する問題である――が、しかし。
生活するために稼ぐ、なんて意識を持ってる者はほとんどいないように感じた。
だから、やはりここも辞退する。
本命は冒険者だ。
生前に引っ張られてはいるものの、エンスは戦闘をすること、そこに命を賭けることを好んでいる。自分が誰かを守るような騎士になれるとは思ってないし、守れるのだってせいぜい、両手を広げた範囲くらいなものだ。
昼食の休憩を挟み、訓練場に行けば、それなりの人数が試験を受けていた。
まずは試験官らしき人物に、筆記の結果を見せる。
「軽く戦闘をしてくれれば、それでいいぞ」
「観客が多いんだな? 試験内容は理解したが、怖くて仕方がないから、落ち着くまで見させてくれ」
「――ははっ、どこがビビってんだ、お前は」
「見えないところさ」
さてと、腕を組んで壁を背中にして、全体を見る。観客は各学校の教員だろうことはわかるし、試験の形式は対一戦闘――いや、戦闘とは呼べないか。
二つが同時進行しているが、あくまでも受験生が挑み、相手が受ける。相手側はおそらく戦闘メインの教員だろう。
基本的には木剣を使っているので、最悪には至らない。これも、勝つことを望まれているわけではなく、あくまでも現時点でどのくらい動けるのかを確認しているだけ。
試験を受ける側の錬度は、ちらっと見ただけで度外視した。ヒヨコ同然の相手を見比べたところで、楽しいくもない。観客にも一人くらいは紛れているが、戦闘ができる教員はほとんどいなさそうである。
そして。
相手の教員側が交代したタイミングで、すぐにエンスは腕をほどいて背中を壁から外した。
「よう、落ち着いたぜ。そっちの短い、ナイフみてえな木剣をくれ」
「くれ、じゃねえよ。持ってけ」
「それもそうか」
交代したばかりの相手は、狐族――しかも、黒狐族だ。
この狐の大陸では、かつてから黒狐族は、あまり恵まれていなかった。スキルが使える時代であっても、黒狐は使えず、生活スキルもないものだから、扱いはそれほど良くなかった。
しかし、虐待されていたわけではない。スキルが使えずとも、使わない仕事もそれなりにあったから。
「よろしく」
「ん」
背丈は、それほど変わらない女性である。まだ十三歳なのだから、最低でも前世くらいには慎重が欲しいというエンスの願いは叶う――と思いたいけれど。
対峙し、くるりと木剣を手元で回して握り、ぴたりと足を止めた時点で理解した。
これは正面からやり合う相手ではない。
「二手……いや、三手か。悪い、ちょっと待ってくれ」
くるりと背中を向けると、木剣をもう一本借りる。
もしも彼女が敵になったら、エンスはまず、人質を取ることを選択するだろう。ただし条件付きで、彼女が目の前にいることが大前提だ。
目の前で殺す、もしくは相手の殺させる。これで一手。
さらに、屍体を壁にして相手の動きを制限できて、かつ、彼女の心情が――いや、感情が狂えば、二手目。
首を斬って相手へ投げるくらいのことをしても、三手目には届かない。
そのくらいの状況を作ってようやく、今のエンスとは互角くらいなものだろう。現時点では、それだけの実力差があった。
逆に言えば、遠慮はいらない。
「待たせた、――やろうぜ、ねえちゃん」
「うん、おいで」
左手をだらんと下げ、逆手に持ち替えてナイフを腕で隠し、右手は順手のまま。
つま先に力を入れた瞬間、相手は嫌そうな顔をして横にズレた。それを見てエンスも、小さく肩を竦めた。
土を蹴って目つぶしを見抜かれ、もうやらないと示す。
右足を大きく後ろに下げる動きで、姿勢も低くする。この時、靴の裏で地面を擦るが、大したことではない。
接敵する。
いつの間にか順手に持ち替えていた左のナイフで斬る、目元、回避と同時に下から来る相手の攻撃に対し、右手のナイフで逸らして。
「――チッ」
舌打ち、足の裏をまた地面で擦りながら、左のナイフで木剣を思いきり弾く。
やはり、まったくもって、足りない。
攻防一体。
これは得物を二本持とうが、一本だろうが関係なく、戦闘における一つの理念である。より見ていてわかりやすいのは、エンスのような両手を使うパターンだろう。つまり、左手で攻撃なら、右手で防御、である。
しかし、錬度の差がそれを許さない。
こちらから攻撃するのならともかく、彼女の攻撃に対し、受け流し、弾く。この二種類が必要であり、弾いた後の隙に攻撃できるだけの余力が持てず、その隙をエンスの防御や、姿勢を正す時間に使わなくては均衡が保てない。
だったら、どうする?
――盤面から変えるしかない。
どう足掻いたって、彼我の差は埋まらない。このまま続けたところで、どうしようもないのが現実だ。
一息。
ふうと息を落としながら距離を取り、仕切り直す。肩を回し、自分の呼吸がまた上がっていないことを、エンスはじっくりと確認した。
彼女が本来の得物を持っていないことで、まず一手か。エンスは手に馴染んだ得物をまだ所持していないので、そこは度外視しておく。
殺しなし――これは同条件。彼女もエンスも、それによってある種の攻撃を封じられている。
ならば、手加減していることが、一手と考えてもいいか。
今の戦闘を見る限り、この二手でもまだ、差は生じたままで、覆らない。
右手のナイフを隠し、また戻す動きに反応して、今度は彼女が踏み込もう――として、上半身を前後に揺らすようにして、ぴたりと停止した。
三手目。
戦闘の中、靴の裏を使って地面に描かれていたのは、
彼女にそれが理解できたかどうかはわからないが、術式だと認識できた時点で足は止まる。
だが、彼女は膠着を作らない。
自然体のまま、姿を見失うほどの高速移動、そこに速度を上乗せした攻撃――やはり、エンスはそれを逸らして弾く。
上からなら、横に逸らして横に弾き、横からなら上に逸らして横に弾く。
出入りも一瞬だ。
描いた文字式の中に一歩を踏み込み、攻撃が同時、一息の間もなく元に位置に戻る。
それを三度繰り返し、エンスは軽く両手を上げた。
彼女の動きが一瞬だけ止まる。
両手からナイフが落ちる――視線はお互いに向けたまま、けれど彼女は、右手のナイフの方が早く落ちることを意識した。
エンスは右側のナイフが落ちる前に蹴り飛ばす、そのまま右足を大きく前へ出して低姿勢、落ちきる前に左手がナイフをキャッチ。
踏み込み。
移動。
彼女は飛んできたナイフを、一瞬だけ考えて剣で弾いた。
いずれにせよ、エンスは間に合う。
弾かれたナイフを右手で掴み、あえて左手は開いて見せる。そこにナイフがない。
そして結末が訪れる。
彼女の背後にいたエンスは、自分の背中に木剣の切っ先が当たっているのに気付き、両手を上げた。
そして彼女は。
交差した瞬間、首に当たった木のナイフが間違いなくあり、けれど手を離したからそのまま地面に落ちたことを認識している。
「降参だ。試験としちゃ、こんくらいでいいんじゃねえのか?」
「……そうね」
「あと二手は必要だな」
ゆっくりと、足元に落ちているナイフ形の木剣を二つ拾ったエンスは、改めて彼女と向き合った。
「あんたに教わるなら悪くねえ。俺はエンスだ、手配できねえか?」
「私の指導?」
「そうだ」
「……いいよ。とりあえず一年ね? 戦闘系の学校で、私の指導を受けてるのが三人いるけど」
「おう」
「じゃあ五日後に、学校で」
「入学手続きな、諒解だ。お疲れさん」
「――コレは?」
軽く足をとん、と地面を叩いたので、エンスは笑う。
「落書きに大した意味なんてありゃしねえよ」
そう言って、ナイフを返したエンスは、その場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます