立ち入り禁止になっている商業ビルの屋上に二人はいた。片方――中学生くらいに見える少年だった――は、ほとんど四つん這いになって熱心に下を覗きこんでいる。もう片方は村雨だ。こちらは両手をポケットに収め、悠然と眼下の光景を眺めていた。


「すごい! すごいよ!」


 少年は暑さだけが原因とは思えない赤に頬を染め上げている。


 緑化公園から始まった破壊は目下の駅前通りを通り過ぎて南北に延びる中道通りを飲み込み、それと交差するように作られた新道へ至らんとしていた。そこまで行けば駅を完全に包囲する形となる。予定ではそれを足がかりに戦力を二手に分け、町々を南北に分断する線路沿いに進ませて主要駅を制圧していくことになっていた。


 もっとも、少年の頭にそこから先の具体的な絵図はない。ただ、そんなすごいことをすればなにかが成るはずという予感があるだけだった。


「本当にこんなことができるだなんて。村雨さん、あんたの言うことを聞いて良かったよ」

「俺は詰まっていた物を通るようにしたまで。感謝される謂われはない。むしろ、こちらが感謝しているくらいだ。なかなかに面白い見ものになった」


 屋上を吹き抜ける風に強い癖のかかった髪をなびかせながら村雨は答えた。低音の楽器を思わせるその声色に、うっとりと聞き惚れるように少年がほうと息を吐き出す。


「まさか強く想像するだけで良かったなんて。思ってもいなかった。自分があんなものを生み出せるって知ってたら、あいつらの好きになんてさせなかったのに」

「これからは違う」と村雨が言った。

「そうだよね。これからはあいつらの言うことなんて聞かなくていいんだ。それどころじゃない、大人たちだって俺の言うことを無視できなくなる。そうなったら面白いぞ。俺の言うことがニュースになったりして。それでみんなが右向いたり左向いたりするんだ」

「強く念じ続けることだ。そして、知っておくことだ。思うことは現実になる。それさえ腹の内に抱えていればお前の怪異は不滅、この軍団はもっと強くなる」

「俺の思い通りに?」


 少年の言葉をひとつ頷いて肯定してから村雨は踵を返した。どこに行くの、と急に心細くなったような声が追ってくる。肩越しに少年を見やって村雨は答えた。


「お前の怪異のところだ。万一の可能性だが、雛に壊されでもしたらつまらないからな」

「雛って、あんたと同じ力を持ってるって奴だろ? そいつ、強いの?」

「強いか弱いかというのはこの場合当たらない。問題はなにを想像するかだからな。安心しろ、あれは小心だ。俺ほどのことは起こせない」


 そうなんだ、とよくわかっていない口調で少年は言った。そんな稚気を置き去りに、村雨はコンクリートを蹴った。空調機やタンクを足がかりに跳んで緑化公園のある南西の方角を目指す。空へ飛び上がろうと深く体を沈めた時、こんな呟き声が聞こえた。


「絶対勝とうね。俺、もう負けたくないんだ」


 しかし、その時には既に村雨は少年自身から興味を失っていた。翼もなく足がかりもないというのに虚空に身を投げ出し、即座に手足に絡みついた風が体を運んで行くに任せる。ごうごうと耳元で音が鳴ると共に、遠目に見えていた緑が近づいてきた。その緑の向こうにふと興味を引かれて村雨は目を西へ転じた。緑化公園とその正面に立ち並ぶ店舗群の先、わずかな緑地を置いて住宅街へ切り替わる町並みがあるあたりに黒色の霧が舞っていた。しばしの思考、宙空での停滞――けれども、彼は結局それから目を逸らすと濃い緑のわだかまる川べりへ降りることを選んだ。



 遊園地か玩具屋のほうが似つかわしいファンシーなハリネズミが、その柔らかそうな双腕を振りかざして飛びかかってきた。大きさは片手で掴めるほどと小さいが、その丸い手の先には鋭い爪が五本輝いている。なによりそれが十何匹で群れを作って襲ってくるとあっては避けないわけにもいかず、弓月はその場から飛びすさりながら黒霧を操った。構わず突進してくるハリネズミたちが霧の中から現れた牙に次々と食い破られる。腹を裂かれたもの、頭をかみ砕かれたものと様々だったが、彼らは共通して血肉のかわりに中綿をさらけだした。本来の体積以上に膨らんだ綿の塊を霧のひと薙ぎで弾き飛ばす。


 怪異同士の戦いは基本的に不毛である。相手を倒すにはその存在に必要なエネルギー――弓月や全は妖気と呼んでいる――を散らしきるか、相手が致命の一撃と思うほどの打撃を一度に与えるかしなければならない。


 そうでなければ――弓月は空に放り上げた綿の塊を見て低く唸った。まるで映像を高速で逆回しにしたように、ハリネズミたちの傷が癒えていく。飛び出ていた中綿も元通りきちんと収まり、たわんでいた表皮がもとの張りを取り戻した。


 正直に言って、相手にするのも面倒くさくなり始めていた。背後から近寄ってきた血まみれの人間のような怪異を蹴り飛ばす。異様に青い肌を蜘蛛の巣の如く枝分かれした血管で覆った怪異は、言語化しがたいうめき声をあげて吹っ飛んでいった。が、こちらもすぐに立ち上がって再び向かってくる。ハリネズミもカシャカシャと爪を鳴らしてやる気満々だ。この場においてあまりやる気がないのは弓月だけらしかった。


 住宅街を車で抜けようとした弓月だったが、いくらも行かないうちに足止めを食ってしまった。怪異の群れと遭遇したのである。爆音の原因かとも思ったが、見渡したところその手の怪異がいなかったので弓月はアクセルを踏み続けることにした。通常であれば車で突っ込んだところで怪異にも車にもダメージはない。人の目に見えない怪異たちは質量があるようでなく、存在するようで存在していないのだ。車を進ませたところで怪異たちの体を文字通りすり抜けるだけ、お互いに何の影響も与え合わないはずだった。


 ところが、アクセルを吹かせた車は群れに突っ込むなりつんのめるようにして停まった。フロントガラスの向こうでは、大蛙が相撲の突っ張りよろしく車の鼻先に手をついている。蛙の左右にいた怪異たちがわあっと歓声をあげて車に打ちかかってくるまで、そう時間はかからなかった。愛車がべこべこに凹んでいく悲鳴を聞きながら弓月は悩んだが、結局はそれを捨てて先を急ぐことを選んだ。


 そういうわけで怪異たちをちぎっては投げちぎっては投げしながら、ようやく住宅街を抜けて大通りへ通じる道まで前進してきたのだが、怪異たちは呆れるほど諦めが悪かった。通常なら簡単な脅しをかければ裸足で逃げだすような怪異までもが果敢に飛びかかってくる。そのたびに払ったりかみ砕いたりするのだが、なお諦めないのだから手に負えない。いっそ、大技を放ってひと思いに消し飛ばしてやろうかとさえ考えるのだが、そのたびに浮かぶのは志朗の悲しそうな顔だった。人間を多少どうこうしても顔色ひとつ変えない志朗だが、怪異が傷つくとたとえそれがほんの擦り傷で立っても自分が傷ついたような顔をする。小物一匹でもそんなふうに扱うのだから、それがこの何十匹の群れとなるとどうなるかは目に見えていた。


 盟友殿がいたらとちらりと頭をよぎったが、即座に連想されるのは高笑いしながら雑魚どもを塵になるまで焼き払う姿である。頭を振って打ち消しながら、弓月は襲いかかってきた大蛙を霧で捉えて投げ飛ばした。その隙を狙ってくるハリネズミを蹴り飛ばす。弾き飛ばされたハリネズミはほかの怪異を巻き込みながらサッカーボールのように跳んでいってアパートの壁にぶつかった。ついに目を回したのかぐでんと腹を上にして横たわっているが、ハリネズミはその一匹だけではない。続けざまに振るわれる爪を避ける。が、いくらかは避けきれず、ズボンの裾が鋭く切り裂かれた。


 駅にいるという志朗は今どうしているだろうか。里莉との話を終わらせて、自分がたどり着くのを待っているかもしれない。あるいは自分と同じように怪異に襲われている可能性もある。カラスの雛だと相手が知っていれば争いは回避できるだろうが――なにせ、しっぺ返しが強烈だ。相手はあの盟友殿である――そうでなければ、独りで逃げ回っているかもしれない。


 考える間にもめげない怪異たちが襲いかかってくる。彼らの体の一部からは細く長く緑色の光の糸が延びていた。妖気の糸、誰かがその糸を通して彼らに力を分け続けているのだ。傷つけても傷つけてもキリがないのにはこれも関係している。


 彼らを退けるにあたって、気持ちを挫くということは既にこうして試している。それでも闘争意欲が萎えないとあっては手はひとつだ。しかし、それは志朗の意志に反することを意味する。迷ったまま怪異を打ち払い続けていた弓月だったが、ついに決心して拳を握りこんだ。


 己にとって真実大切なものはひとつだけだ。


 心を決めるなり弓月は黒霧を頭上にまとめ上げた。中にひしめいていた牙が渦を巻いて霧の中を昇っていく。やがてそれは巨大な狗の頭に変じ、眼下の怪異たちに向けて唸り声をあげた。ビリビリと周囲の家の窓硝子が、電線が震える。


「志朗様のため、退いてもらおうか!」


 その瞬間、住宅地に闇が落ちた。悲鳴すら飲み込んでそれは怪異たちを飲み込み、食らい尽くす。狭い路地からあふれた闇は道の形に十字を描いたかと思うと、やがてするすると潮が引くように収まって主のもとへと返っていった。狗が見下ろす眼下には弓月以外、もはや誰の姿もない。


 眉間に深く皺を刻んで周囲を見渡したあと、黒霧を収めて弓月は走り始めた。大通りはもうすぐ目の前だ。そこを北上すれば五分とかからず志朗と合流できる、そのはずだった。


   *


 里莉が斬りかかっていった途端、まるでとんでもない裏切りでも受けたかのように怪異たちは騒然とした。初太刀を避けた牛頭の怪異がなにか言おうと口を開く。そこへ里莉は迷うことなく再度刀を落とした。間合いを見誤ったそれは牛の鼻先をぱっくりふたつに割るに留まったが、しかし、なにか効果はあったらしい。みるみるうちに牛頭の鼻が色をなくして形をなくしたかと思うと端から宙にほどけていき、やがて赤黒い断面をさらした。鼻先をなくした牛頭が丸見えになった舌をひらめかせながら慌てて後退る。


「さあ、かかってきなさいよ」


 太刀を正眼に構え直し、里莉は十字路に居座る怪異たちに言った。もちろん、彼女に武道の心得などないはずだ。一キロ以上ある太刀をまともに持てたとしても、通常ならばやたらめったら振り回す以外に戦うすべなどない。しかし今、彼女にはその名を通して支える人間がいた。志朗ができると願えば、その影響を受ける里莉にはできるのだ。一方でそれは瑠々の想像が薄れていっているということでもあったが、極力考えないようにしてか、里莉はその点について説明しようとした志朗を制した。


「今はここを収めることが大事。それ以外は考えないことにしましょう」


 そう言った里莉をまぶしく見て、志朗はじゃあと緑化公園のことを教えたのだった。怪異たちの拠点があの領域であることはたしかである。それを潰せばなんとかなるかもしれないと言う判断だ。それには十字路を突破しないわけにはいかなかった。


「誰も来ないなら、こっちから行くわよ!」


 斬りかかった里莉にあの花女が手を上げて叫んだ。


「待て! お前は怪異であろ!?」


 構わず里莉は近くにいた鎧武者――兜をかぶっていて正体は判然としなかった――の小手を叩くなり刃を跳ね上げてその首を落とした。斬られた首から血しぶきのかわりに薄い緑の煙をあげつつ、鎧武者は一歩二歩と踊るように足取りを乱した。斬られた頭のほうは地に転がり、これも斬り口から煙を噴き上げながらわめいた。


「なにをする! おのれえっ!」


 頭が自ら転がったかと思うとボールのように跳ね上がる。里莉はさっと素早い動きで後退してそれを避け、飛びかかってくる頭を両断した。再び煙があがる。頭は今度こそ色も形もなくしながら消えていき、同時に残された胴体のほうはどっと音をたてて膝をついた。そのまま、前のめりに倒れるとともに端から消えていく。怒り狂った骸骨武者が里莉の背後で刀を振り上げた。が、それよりコンマ数秒早く声が響いていた。


「其は堅き盾、とおす者なき守りを!」


 ガチンと鋼同士が食い合った時には、骸骨武者は突如として突き立った金属壁に前後両方から挟み込まれて身動きが取れなくなっていた。怪異たちのざわめきが大きくなった。


「立ち塞がるというか、雛!」

「おのれ、カラスのこと思うておれば! 所詮は人間か!」


 打たれたように志朗は目を細めたがそれだけだった。かわりに雄叫びをあげた里莉が怪異たちに突っ込んでいく。


「来るか!」


 花女が薙刀を構え、里莉の踏み込みを狙って大きく足元を薙いだ。が、その時には里莉は地を蹴っている。たん、と軽い靴音とともに一度薙刀の柄に着地し、次の一手で花女の首をはねた。バラバラと花弁が散り落ちる。全ての花を斬り落とすことはできなかったがそれでも十分な効果があったらしく、花女は薙刀を取り落としてうめき声をあげた。里莉はそれには構わない。二歩目のつま先でその揺れる肩をすでに捉えている。血迷ったのかなんなのか、花女ごと斬る軌道で怪異の一人が刀を振るったがそれも空を切った。肩を足場代わりに飛び上がった里莉は、宙空でひらりと身を捻ると逆さ落としにその怪異の頭へ刃を落とした。続けざまにふたつの体躯が崩れ落ちる。音をたてて歪んだボンネットに着地した里莉が、どよめく怪異たちを睨んで再び太刀を構えた。


「退くならこれ以上はしない」


 低く志朗は告げた。怪異たちの何人かが惑うように頭を揺らす。が、イタチともカワウソともつかない頭をした怪異が、彼らを叱るように槍の石突きを鳴らした。びくりと怪異たちが震え、手に手に持った得物を構える。


「そう、それじゃ容赦しないわ」


 とんとん、とつま先でボンネットを叩いたかと思うと里莉は飛び出した。高く跳んだ彼女めがけて槍の穂先がきらめく。


「其は翼! 自らを由とする風!」


 志朗の声がしたと同時に、里莉の背からトンボのような透明な翼が生えた。繰り出された穂先があえなく宙を掻く。それを笑うように拍子を遅らせた里莉が集団へ突っ込んだ。通り抜けざまに胴をひと薙ぎ、着地するなり低く構えて慌てる足元を一閃、崩れたところへ斬り上げる。ひらりと身を翻して後続の攻撃を剣先で払い、空いた胴を一突きした。一瞬動きが止まった彼女を刃が狙うも志朗が許さなかった。


「其は槍! 地中より這い出るあぎと!」


 がいんっと間抜けな音が響き渡った。落ちてくる刃を弾いたのは、地中から唐突に突き出た鋼の棒だ。体勢を崩された怪異が弾かれた刀を再度振ろうとする。それより早く、太刀を胴から抜いた里莉が鋼の棒ごと怪異を斬った。その背後をイタチ頭が狙うも、再び呼び出された鋼の壁がそこに立ち塞がる。鈍い音をたてて槍の穂先が壁とぶつかり、イタチ頭は焦ったように柄を揺すった。勢いのあまり抜けなくなったらしい。そこへ影が落ちた。我に返ったようにイタチ頭が顔を上げた時には、もう目の前に白刃が迫っている。


「ま――」


 その一音を最後にイタチ頭は崩れ落ちた。緑色の煙がそこここで上がり、十字路を満たし始めていた。怪異たちはそれでも十字路を守ろうと、潰れた車の前で一塊になっている。駆け寄ろうとした里莉の肩を志朗は叩いた。


「翼、使って」言うなり集団に向き直る。「其は堅き盾、とおす者なき守りを!」


 次の瞬間、怪異たちは宙を舞っていた。密集していた彼らの足元に金属壁が突き立ったのだ。勢いのまま跳ね上げられた怪異たちに事態を把握できたのかどうか。おそらく、動揺した時にはもう終わっていた。なぜなら、透明な翼を震わせた里莉が目の前で太刀を振りかぶっていたのだから――。


 

 ビル風にまかれて緑の煙は薄れつつある。炎上する車はそのままだが、これはこのままにしておくほかなかった。炎を避けて里莉が潰れた車の壁を乗り越える。鈍い動きで志朗はそれに続こうとし、里莉に手を差し伸べられて苦笑した。引っ張り上げてもらい、なんとか車の屋根によじ登って目を瞠る。


 横転した消防車、それに鼻先を食い込ませるようにして停まっている救急車があった。その後ろには数珠つなぎになった車が、いずれも放置されたのか、運転席や助手席の扉を半開きにしたまま停まっている。


 怪異の影はぽつぽつとしか見えない。取り残されたものたちだろうか、それとも元からこのあたりに棲んでいた怪異だろうか、立ち食い形式の店先に頭を突っ込んでなにかむさぼり食っている様子のものや、どこかの商店から奪ってきたと思われる服を体に引っかけて遊んでいるものなどがいたが、どう見ても戦意を持っていそうではなかった。


「無事にたどり着けるかしら」里莉が言った。「あんまり争いたくないのよね?」


 志朗は無言で車の屋根から滑り降りた。軽く跳んで里莉が続き「あっ」と声をあげた。体を捻って不思議そうに背中を見ている。そこに生えていた羽がちらちらと暖かな光の粒になって消えていこうとしていた。


「そういえば、教えてもらってないのにどうすればいいかわかったの」


「それと同じだ」と、志朗は太刀を示して答えた。いまだに理屈を正確には把握していない里莉は、わかったようなわからないような顔をしたまま頷いて太刀を鞘に収めた。どちらともなく走り始める。ところどころに見える怪異たちは、やはり志朗たちに襲いかかってこない。どころか、見送るように手を振っているものまでいた。


 やがて、左手に緑の塊が見えてきた。入り口にはアーチ型の看板が立っていたはずだが、遠目には見当たらない。通り過ぎざまに横目で見ると、無惨にも足元からへし折られていた。里莉もそれを見たのだろう。走りながら「すごい力」と呟いた。アーチを支えていたのは金属のポールである。根元には煉瓦造りの四角い足がついていたが、こちらは無事のようだった。


「怪異ってみんなこうなの? 私もやろうと思えばできるのかしら」

「俺か、相葉瑠々が、そう考えてればな」


 すでに上がった息を吐き出しながら志朗は答えた。運動音痴は伊達ではないのだ。たった二百メートルくらいを走っただけだが、完全に顎が上がってしまっている。川まではあと六百メートルほど走らなければならない。しかも里莉とはコンパスの差がありすぎた。かてて加えて彼女は怪異である。基本的に疲労というものを知らない。


 羨ましいような悔しいような気持ちで走っているうちに、脇腹が痛くなってきて志朗はついに立ち止まった。気づいた里莉が軽快に後戻りしてくるのがまた悔しい。


「どうしたの?」


 そう言った里莉は息ひとつ乱していなかった。生物らしい反応といえば、額に浮かんだ汗くらいのものである。


「ちょっと、運動不足がたたっただけ」


 膝に手をついて大きく深呼吸して、志朗は今度は歩きだした。里莉が心配そうに眉を絞って見てくるのがなんとも情けなかった。川まではあと五百メートルと少しくらいか。苦しい息づかいを繰り返す志朗を笑うように、どこか遠くで鳥がカナカナカナと鳴いた。

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