夏の偶然 〜海〜

「祭りの準備を手伝うって言っても、そんなに難しくないよ」

 おばあちゃんちに来て2日目。近くに住んでいた夏祭り実行委員のおじさんに具体的にやる事について説明を受ける。

「当日の屋台の設営を手伝って欲しいんだ。最近はみんな歳をとってきてなかなかうまく体が動かなくてね。だから祭り当日に来て手伝ってくれるとありがたい」

 七瀬がもちろんお手伝いします、と伝えたら、おじさんはありがとう、と嬉しそうに言ってその場から去っていった。

 ほんの小さなことでもいいから、自分が人の役に立てることが嬉しかった。

 やるからには全力で頑張ろうと思った。

 きっと楽しい夏祭りになるだろうなと期待に胸を膨らませた。


 その日の午後は特に予定もなく、勉強する気も起きなかったので、近くの海水浴場に泳ぎに行った。

 ビーチサンダルのペタペタという音が周りの蝉の声と一緒になって、いかにも夏らしい音が響き渡る。

 汗っかきの私はすぐに身体中に汗疹ができてしまう。

 小さい頃に汗疹が痒くて悩んでいたら、お母さんが私を海に連れて行ってくれた。

 海に入って体全体が塩水で濡れるのを感じながら、しばらく海を漂う。

 海から出てみると、身体中の痒みがなくなっていた。

 海を好きになったのは、この時からである。

 海辺に到着し、服を脱いで水着になる。

 実は自分の水着を持っていなかったのだが、昔お母さんが使っていたものがおばあちゃんちの箪笥の中に眠っていたので、それを貸してもらった。

 大きさはぴったりだった。

 砂浜でビーチサンダルを脱ぎ捨てて海に向かってダッシュする。

 思いのほか砂浜が暑かった事に驚いた。もう一度高かったらやけどしそうだ。

 それと同時に日焼け止めを塗るのを忘れた事に気がつく。

 真っ黒になることを受け入れて、水飛沫を上げながら海に入る。

 浮き輪も持ってくるのを忘れたが、足が届くところまでで十分だ。

 太陽の光を一番浴びている頭のてっぺんまで塩水に浸かるようにして、数秒経ってから水上に頭を出す。

 少し目に塩水が入って痛かった。

 目をぱちぱちさせて砂浜の方を見ると、たくさんの海の家が並んでいる。

 海から上がったら何か食べよう、と思いながら海の中でジャンプをしてバランスをとっていると、急に深くなっているところに足が入り、バランスを崩す。

 しまった、と思う頃にはもう遅い。

 足ががくんとなり全身が海の中に入る。

 驚いた時に空いた口から海水が入り、塩辛さが口の中に広がる。

 なんとか海の上に顔を出そうと手足を必死に動かそうとするが、うまく動いていないらしく全然上に上がれない。

 だんだん意識が遠くなり、手足の動きも止まる。

 最後に見えたのは、太陽の光に照らされた誰かの影とそこから伸びてくる手だった。


 遠くで誰かが呼んでいる。

 なんでだろう、目の前が真っ暗。


 次第に目から少しずつ光が入ってくる。

 まず初めに視界に入ったのは、心配する水瀬くんの顔だった。

「大丈夫!?」

 さっきまで海にいたはずなのに今は仰向けになっているこの状況を一瞬理解できず、咄嗟にえっ?と言ってしまった。

「宮本、急に溺れたんだよ。生きててよかった」

 今にも泣き出しそうな表情でこちらを見つめてくる。

 ああ、そうか。私、溺れたんだ。

 意識を失う前の記憶が鮮明に思い出される。

「誰が助けてくれたの?もしかして水瀬くん?」

「僕がたまたま近くにいたから引き上げたんだ」

「ああ、あの手は水瀬くんの手だったんだね。本当にありがとう」

 感謝しても仕切れない。

 危うく死ぬところだったのだから。

「お礼と言ってはなんだけど、何か私にできることないかな?」

「うーん、そうだなあ。宮本は今度の夏祭り行く?」

「うん。当日の屋台の設営も手伝う予定だけど」

「俺もその手伝いに行くから一緒に行かない?」

「いいよ。他には何かできることない?」

「今は思いつかないかな、あっ、もし思いついたらどんなことでもどんどんお願いするよ。俺、宮本の命の恩人だからさ(笑)」

「あはははっ」

 彼と過ごした時間は短いが、彼がこんな冗談を言うのを聞いたのは初めてだ。

 自分に心を少し開いてくれたのかな、そんな感じがして嬉しくなった。

 水瀬くんと一緒に私を助けてくれたライフセーバーのお姉さんに感謝の言葉を述べ、1人で海にできるだけ行かないでね、と優しく忠告を受けた後、海水浴場の駐車場に行くと、驚くことにおばあちゃんがくるまで迎えに来てくれていた。

「どうしておばあちゃんがここにいるの!?」

「知り合いから、なっちゃんが海で溺れてて、でも生きてる!って電話がかかってきていてもたってもいられなかったからとりあえずくるまで迎えに来たんだよ」

「俺の親戚が宮本のおばあちゃんの電話番号知っててよかったよ」

「水瀬くんが伝えてくれたの?本当に感謝しかないです」

 深くお辞儀をする。

「水瀬くん、よかったらお家まで車で送ってくよ」

「本当ですか、ではご厚意に甘えて」

 私と水瀬くんは後ろの席に座った。

「そういえばどうして急に転校してきたの?」

「あー、なんかこの学校でやりたいことがあって」

「やりたいことって何?」

「まあ色々」

「ふーん」

 答えをはぐらかされた、気がした。

 しかし海南高校は周りの学校と比べて、部活も学習環境も整っている。

 きっとそのどれかに惹かれたのだろうと自己完結した。

 少し沈黙が続き、気まずくなってきたところで

「着いたよ」

とおばあちゃんの声が車の中に響く。

 助かったーと思いながら、改めて水瀬くんにお礼を言って別れを告げる。

 そして水瀬くんが家の扉を開けると同時に車が動き出した。

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