第2話 これってなに?

 わたしが十歳になったとき、ママは言っていたの。

「結婚ってね、女性の夢よね。だってパパと出会ったママは最高に幸せものだもの」

 なんてね。

 朝とれた蜂蜜みたいにとろりとした笑顔でママはわたしに口にしていたわ。

 いかに結婚がいいことなのか。

 パパが素晴らしい人かって。

 わたしも、憧れたわ。

 素敵な恋と冒険。けどね、十歳のときにママが死んで、わかったの。

 現実とロマンは違うって、ママの仕事をわたしは精一杯こなしたけど、失敗つづき、パパはママを亡くした悲しみを一人で背負って冒険に出ちゃう。わたしはその間、ずっと家で一人だった。さみしくて、つらくて、かなしくて、だから誠実で、謙虚、冒険なんてせずに家にいる相手を見つけようと決めたのよ。

 だのに。

「あの人は、あと一か月もかえってこないのね」

 結婚して、はや三か月。

 わたしは、一人、大きな城にいた。

 あの悪夢のような結婚式の翌朝から彼は貴族のお仕事で出ていったきり、戻ってこないの。

 人間の貴族っていうのはこんなにも家をあけるものなの?

 邑から出ることも稀で人間についての知識はあんまりないから驚いた。

 貴族というものは勤勉らしい。ううん、そもそも人間というものは勤勉で、短命だとは聞いたわ。わたしたちのボビットとそう変わらないのに彼らはわたしたちよりもずっと冒険しない、勤勉な生き物だってパパが言っていたっけ?

 ま、おかげでわたしは大きな城で、女主人としていられるんだもの。ただし、ここの城、メイドとかそういう人たちがほぼいない。唯一いるとすれば……


「ねぇ、ルーフェン」

「はい」

 肥料がいっぱいまかれたみたいな土の肌に、夜みたいな黒髪をうねうねとさせた、頬に太陽のような入れ墨をいれたルーフェンはこの城の使用人兼わたしの護衛、らしい。いつもつかず離れずわたしのそばにいる。

 彼は粗末な服を着ていて、わたしは戸惑う。

 人間の貴族って人は、使用人にきちんとした服も与えないの? 彼は麻の服にズボン、どうしてかいつも茶色のマントを身に着けている。なんでって聞いたら、これが一番動きやすいし、ばれないで済むからと答えた。ばれるってなにが? と思ったけど、冬の湖みたいに揺らぐことのない青い瞳にわたしは言葉を飲み込んだ。なんとなく、あんまり立ち入っちゃだめだと思ったのよね。だって、仮にもわたしは女主人で――人間について知らなさすぎるっていやかなぁと思って。

 毎日わたしとルーフェン、そして

「わん」

「シャロンもいたの」

 元気よく、ふわふわの毛をなびかせて駆け寄ってきたのは狼のシャロン。

 灰色狼の彼女は、普通の狼よりもずっと大きい。わたしよりも大きくて、人間の成人男性の腰ほどの高さを誇る。彼女が二足歩行したらルーフェンより大きいわ。

 思いっきり体当たりを食らって床に倒れる朝の挨拶を受ける。けどいいわ。親愛の証だし。

 シャロンの頭を撫でて、額をこっつん。

 おはよう。

 今日も一日、わたしたち三人でがんばりましょう。

 わたしの夫は仕事でいない、使用人もいない。

 シャロンの頭をよしよししていると視線を感じる。

 ルーフェンは自分からしゃべらないけど、そのきつい視線は雄弁だ。

 うう。

 よし、けど、こういうとき、女は度胸よ!

「ハンバーガーってなんなのかわかる?」

「はん?」

「ハンバーガーとフライドポテト」

「……知らない」

 そっかぁ。

「それは一体なんなのですか」

 遠慮がちに ルーフェンが聞いてきたのにわたしはそれがね、と声を出した。

「あの人が寝言でいってたの」

 あの人、そう、わたしの旦那様で結婚した一日目のあとからまったく会ってない某件の人である。

 結婚、わたし、結婚したのよね? と思わず首を傾げちゃうんだけど、ちょっと早めに目覚めたときにあの人がぼそぼそと何か言っているのを聞いた。どれどれなんだろうと耳をすませると

 ハンバーガー、フライドポテト……なんて呟いて、口がもごもごと動いている。これはもしかしなくても食べ物のお話かな?

 彼がいなくなってから、わたし、考えたのよ。

 食べ物で彼の心を釣ろう!


 この結婚が当人の気持ちなんてがん無視したものっていうのはわかってる。

 わたしだって馬鹿じゃない。

 お見合い結婚もあるってことぐらい知ってる。

 ホビット族はロマン主義者だから基本は恋愛結婚。春になると、みんなお祭りをして相手を見つけるの。けどあいにく、わたしみたいな堅物は結婚相手を見つけられない。

 そうこうしていたら二十歳をすぎちゃったのよ!

 平均的に結婚年齢は十五歳のホビット族のなかでダントツの行き遅れ!

 だからパパは案じたのよ。

 こんな行き遅れの面白味もないわたしには勤勉な人間相手がいいんじゃないかって。

 他種族だと、子供はできづらいとか寿命の違いはあるわよ。けど、それでもいないわけではないのだし。

 災いの門が開いてからは特に多くなったの。

 パパはホビット族の邑を守る村長だから、余計に決めるべきことが多いのよ。なんたって、パパが村長のときに災いの門は開いて異世人<アーシアン>たちはくるなんて事件は起こったから、ずっと山のなかで暮らしていたホビット族も本当の意味でこの土地を支配する人の国の傘下にはいることになった。ふるいふるい、むかし、盟約をしていたけど、それをさらに強化したとかなんとか……

 わたしたちのできることなんてたかだか知れてる。うたっておどれるくらいだもん。

 それだけだといつ次に異世人<アーシアン>が戦争をふっかけてきたときに切り捨てられるかわからない。

 だってわたしたち、うたっておどれるくらいしか能がないのよ! 戦争になったらうたっておどってただの囮じゃない!

 

 人間の貴族と結婚。

 これってわたしたちを守ってくださいよっていうためのものなんじゃないかって……つまり、政略結婚。

 人間にホビット族の平均結婚年齢なんてわからないんだろうし、わたしたちの見た目はずっと幼いこども、みたいなものだから余計に行き遅れのわたしを押し付けても問題ないと思ったのかしら、パパったら!

 彼がいない三か月、暇で暇で暇すぎて趣味のロマン小説を読み返して、結論が出ちゃったのよ!

 ロマンは自分にはなくていいけど、嫌いじゃないの。その、人間やエルフ、ホビット族の書いた本はちょこちょこと読んでいたのよね。夢は見るのは自由でしょ! 冒険の記録書は面白いし、はらはらするし、最近は女流作家の書いた恋愛と冒険、素敵だわぁ。最近のはやりは政略結婚もので、二つの国のお姫様と王子様が互いに嫌っていると思いながら国のためにって結婚したんだけど、実は愛し合っていたとかいう物語! 

 現実はそんな甘くないことはわかっているわ。

 わたしの場合は、他種族だし。

 お城は大きいけど、使用人がいないっていうのも――ちなみにごはんは通いのコックさんとメイドがいるんだけど、これ、下町の宿のお二人がきてくださってるの。なんで知ってるかっていうと、暇すぎて聞いたら教えてくれたの。急ぎで雇われたっていうのよ。どういうこと? けど、それについてはルーフェンは口をつぐんで応えてくれないし、あんまり根ほり葉ほり聞くべきじゃないのかしらと首を傾げちゃう。

 まぁ、とにかく、政略結婚としてもまずは好かれなきゃ。

 わたしがちゃんと好かれないと今度戦争が起こってホビット族のわたしたちは、うたっておどって囮コースまっしぐらじゃないのよ~!

 けど、好かれるにしても本人いないからどうしたらいいの?

 今までのロマンと冒険の書物から集めた知識を総動員して、愛のイベントは無理だなぁと思ったわたしは誠実さと謙虚さと勤勉さから思いついた。

 そうだ、ごはんだ!

 胃をつかめばいいのよ。

 男の人は食べ物に弱いはず。パパなんてわたしのシチューが大好きで冒険から帰ってきたし、ママもいっていたわ。男の人を家につなぎとめるにはすばらしいごはん!

 次に彼が……サーシャが戻ってきたとき、ご馳走をたっぷり出したらいいんだわ!

 けど人間族のご馳走ってなにかしらと悩んで、ようやく答えにたどり着いたのよ。

 彼が寝言で口にしていたご馳走!

 ハンバーガーとフライドポテト!

 これを作るしかない!

 けど、これってなに!

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