第3話 『黄昏の森』
そう尋ねられた彼女は、まず自分が何者なのかを伝えようと思った。
思考の海を巡らせる。私、私は…。
ところがいくら考えを巡らせても、自分が何者なのか記憶が見つからないのである。
その様子を見た彼が訪ねた。
「もしかして、自分の【名前】がわからないのかい?」
彼の優しい声と眼差しで問われた時にわかった。そうだ、私にも【名前】があるはずなんだ。
でも、わからない。思い出せない。
「ごめんなさい…」
うつむいて謝るしかできなかった。自分を快く迎え入れてくれて、自分と交流を図ろうと心優しく訪ねてくれた彼に対して、ただただ申し訳ない気持ちが溢れるだけだった。
そんな彼女に対して彼は言った。
「やっぱりそうか」
彼の発言に彼女は思わず顔をあげる。そんな彼女を見つめながら、彼は諭すように説明を始めた。
「この森の奥、つまり僕が住んでいるこの場所は普通の人は到底たどり着くことが出来ないんだ。
何故なら皆帰る場所があるから。帰ろうとするんだ。でも君はそれをしなかった。僕の所まで来てしまった。だから君はまだこの『黄昏の森』からは出ることが出来ないと思う。」
黄昏の森。それがこの森の名前だった。気が付いたときに黄昏の空を見上げ森の中に居た彼女は、
そんな不可思議な話を何の疑いもなく信じた。
自分の事が何一つ思い出せないことは、彼女にとって何よりの真実だったから。
「僕にできるのは、君が自分の事を思い出せるようになるまで面倒見ることくらいかな。」
大きな尻尾を振りながら、少し嬉しそうに話す彼に、彼女も思わず笑みをこぼした。
「できるだけ、迷惑かけないようにするね。」
そう言った彼女に彼は言った。
「何を言ってるんだい。今日から君は僕の【家族】だよ。だから迷惑とかそんな事思わなくていいよ。」
彼のその言葉に、胸につかえていたものがすっと取れた気がした。
「それじゃ、よろしくね。ええと…」
彼女が困惑しているのをみて、彼は答えた。
「クラージュ、僕の【名前】だよ。 君の【名前】も考えないとね。」
彼は少しだけ「うーん」と唸った後につぶやいた。
「ロッテ…、うん、僕より小さい女の子だから君は今日からシャルロッテ、愛称はロッテだ」
まるで名付け親になれたことが心から嬉しいように、彼は彼女に【名前】を与えた。
私が小さいのじゃなくて、クラージュが大きいような気もするんだけど、と少しだけロッテは苦笑いをせざるをえなかった。
こうして『黄昏の森』に迷い込んだ彼女、シャルロッテと『黄昏の森』に住む心優しき狼男クラージュの穏やかで優しくて、そしてゆくゆく訪れる別れに向けての物語が幕を開けたのである。
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