第2話 手料理とぬくもり

 その姿を見たら、普通の人間は本能が「逃げろ!!」と信号を送っていただろう。


だが、動かなかった。その大きな獣を前にしても、彼女は動かなかったのだ。


何か、何かを言わなきゃいけない、しかし、言葉が出てこない。ただでさえ森の中をさまよったという初めての状況なのに、自分の身の丈を遥かに超え、しかも二足歩行するオオカミに見つめられているという、このどうあがいても非現実のような状況には、先ほどまで楽天的だった彼女もどうしたらいいのかわからなかったのだ。


 そんな思考を繰り返し、硬直している彼女を見てオオカミが口を開こうとした瞬間だった。




 その緊迫感溢れる状況を打破するにはふさわしいほど、間の抜けた空腹を告げる音が鳴り響いた。




 これにはさすがに、先ほどまでどうしたらいいかわからなかった彼女は顔を真っ赤にして余計に固まるしかなかった。


そしてその音を聞いたオオカミは先ほどと同じくらいの穏やかな声でこう告げた。


「ああ!おなかが空いていたんだね!この森に人が来るなんてこと無かったから僕も驚いたんだ 今ちょうど夕ご飯が出来たから、一緒に食べようよ」


そして、とても優しい笑顔で彼女に笑いかけ、彼女の手を取ったのである。




 それは、彼女が思い出したくてもわからなかった【ぬくもり】を教えていた。




 オオカミの家に入ると、そこは外で見た雰囲気と同じように木で出来た家特有の暖かさがあった。


田舎暮らし、なんて言葉を使うと叱られるだろうか、だがとても優しくて暖かい、彼女を招き入れたオオカミの雰囲気と合致するようなそんな屋内だった。


自然と共存し、それを楽しむかのような暮らしに、彼女も気づけば笑みを浮かべていたのである。


 「どうぞ」と食卓に招かれ椅子に座ると、そのテーブルには出来たばかりの食事が並べられた。


少し肌寒くなった森の気温を緩和させるような、暖かな料理ばかりだった。


香ばしい匂いのグラタンに肉と豆が煮こまれた料理、木製のコップには冷たい水が注がれた。


それらを見ただけで、彼が手を掛け作った料理だと彼女もすぐにわかった。


「美味しそう…」


 ここで彼女はようやく言葉を発することができた。さっきまでの緊張が嘘のようだ。彼を信用することに何の疑問も抱かなかったのである。


「ヒトの口に合うかはわからないけど、遠慮しないで食べてよ」


まるで来客に喜びはしゃぐように、彼は彼女に食事を促した。彼女は手を合わせて「いただきます」と小さく笑顔でつぶやいた。


 まだ出来たばかりのグラタンを、吐息で冷ましながら口に運ぶ。


「おいしい…」


思わず言葉が出た。


 材料にこだわりがあるわけではない。具材はじゃがいもだけの簡単なものだ。けれど自然な美味しさが、一口食べただけで口の中を広がったのだ。ホワイトソースとチーズの相性も実に良い。


だが彼女にそんな風に食事を解説する能力は無い。心の底から純粋に「美味しい」と思った。ただそれだけだった。


 だがそんな単純な事でも彼にとってはとても嬉しかったようで、彼もまた満面の笑みで


「良かった!そう言ってもらえて僕も嬉しいよ」と彼女に言葉を返したのである。




 ああ、誰かとこんなふうに食事をしたことなどあっただろうか、とても心地よいものが心を満たしていった。


そんな様子の彼女を見て、オオカミは口を開いた。


 「ところで、君は誰?どうしてこの森にやってきたの?」


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