第7話 その手を染めるもの その心を占めるもの
家に戻るやいなや、クラージュは大きなざるを水場に持ってきた。
「それじゃあ採ってきた果物を軽く洗ってくれる?」
ロッテは頷き、クラージュから笊を受け取った。
「結構つぶれやすいから、気を付けて洗ってね。」
クラージュの言葉にロッテは少し不安を覚えながら頷いた。
籠から少しづつ、赤い果実を水で優しく洗う。本当に見事に赤い色だ、赤い宝石を彷彿とさせるほどの。
「ジャムかー、あれってどうやって作るんだろう。」
自分の頭の片隅にはあった。あれはたしかいちごのジャムだったか。赤くて甘くて、バターを塗ったパンの上に更にジャムを塗って、それを頬張ったらしょっぱくて甘くて、とてもおいしかった。
でもそれはとても断片的で、その時の風景を思い出そうとすると、またしても靄がかかってしまう。
思い出さなきゃいけないはずなのに、思い出せない自分に苛立ちを覚え始めた。
その時だった。
知らないうちに左手に力が篭っていたようだ。ロッテは手に持っていた果実を無意識に潰してしまった。
「うわ!やっちゃったぁ。」
ロッテが慌てて手を開くと、赤い果実の果汁がロッテの手を染めていた。赤い果汁はそのままロッテの手首へと伝っていく。
その瞬間、ロッテの左手首には無数の切り傷が浮かんだ。ロッテの血の気が引いて行く。
「あ、洗わないと…。」
ロッテは流水で果汁を洗い流そうとする。ところがその切り傷は消える気配がない。
「何、これ…。なんなの…?」
次の瞬間、ロッテを激しい頭痛と眩暈が襲った。
クラージュを呼ぼうとしたが声が出ない。ロッテはそのままその場に倒れこみ、意識を失った。
どれほどの時間が経ったのだろう。
とても甘酸っぱい匂いで目が覚めた。
「ロッテ!!大丈夫?」
クラージュはとても心配そうにロッテの顔を覗き込んだ。
「クラージュ?あたし…」
ロッテはゆっくり起き上がった。頭痛と眩暈は収まったようだ。ただまだ、頭がボーっとしている気がする。
「水場で倒れてたからびっくりしたよ、とりあえずベッドに運んだんだけど、このまま起きないんじゃないかって怖かったよ。」
よく見るとクラージュの目が赤い。この狼男は本気で心配していたようだ。
「何かあった?」
クラージュが尋ねると、ロッテは思い出すように呟いた。
「少しだけ、記憶を思い出せそうな気がしたんだけど結局思い出せなくて…、そしたら果物1個潰しちゃって…それから。」
ロッテは慌てて左手首を見る。しかし何も無かった。
「怪我、した?」
クラージュはまたも心配そうに尋ねた。
「う、ううん…なんでもない。」
ロッテはへらへらと笑った。その胸に一抹の不安を残しながら。
「とりあえず、何ともないなら良かったよ」とクラージュはロッテの頭を軽く叩く。
「そうだ!こんな時こそ甘いものを食べよう。ジャムが出来上がったんだ!持ってくるよ。」
「あ、待って私もそっちに…。」
ロッテがベッドから出ようとすると、クラージュに制止された。
「ダ・メ。大人しくしてなさい。」
少しだけ凹んだロッテだった。
甘酸っぱい香りがだんだん近づいてくる。
「はい、どうぞ。」
ロッテが食べやすいようトレーに持ってこられたのは、軽く焼いたトーストにバターが塗られていた。
その傍にはまだ温かいクランベリーのジャムが添えられていた。飲み物は暖かいミルクだった。
「いただきます。」
ロッテはジャムを塗り、一口齧る。甘酸っぱさと少しの塩気が口の中に広がった。
「美味しい。」
ロッテは呟く。
「涙が出るほど美味しいの?」クラージュは少しだけからかうように言った。
「え?あ。」
ロッテは少しだけ涙を零していた。その理由はわからないけど、とりあえず二人の中で涙が出るほど美味しいから、ということにしておいた。
「そうだ!クラージュまた作る時があったらジャムの作り方教えてよ!」
「勿論いいよ」
クラージュは紅茶を飲みながら、ロッテを見て微笑んだ。
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