第2章 その心に触れるモノ

第5話 黄昏の朝

「…ッテ、ロッテ」


暗闇の中で、彼女を呼ぶ声がする。


「んん…。」


ロッテはうっすら瞼を開ける。


そこには、少し困った顔をしたクラージュの姿があった。


「おはようロッテ。」


「おは…よう、ございます。」


まだ寝惚けているのか、ロッテの返事は虚ろだった。


「顔を洗っておいで、ご飯の支度が出来ているから。」


そう言われた瞬間、ロッテは飛び上がった。


「え?!す、すいません…。」


暫くここにいるといい、そう言われて明日からは少しだけでも何か手伝おう。


そう思って眠りについたはずなのに、この様である。


 ロッテは少し落ち込みながら、外の水汲み場で顔を洗うことにした。


「あれ…?」


扉を開けた瞬間、ロッテは目を疑った。


眼の前に広がる森の中は、黄昏の色に包まれていたからである。


「…あたし、もしかしてとんでもなく寝すぎた…?」


一瞬の思考回路に青ざめていると、クラージュはロッテに声をかけた。


「いや、ここの森は夜が来るまでは、ずっとこんな空だよ。少しだけ、寂しいよね。」


クラージュはロッテにタオルを渡しながらつぶやいた。


 『黄昏の森』と呼ばれるにふさわしい理由であった。しかし何故黄昏がこの森を包んでいるのか、それは「僕にはわからないんだ。」とクラージュは答えるだけだった。


(そもそも、青空なんてずっと見ていないような気がする。)


ロッテは顔を洗いながらも、少しづつ、記憶をたどろうとしていた。


 やんわりと、やんわりとは景色は浮かぶのだ。ただ、それでも、自分の記憶につながるものは一切ないのだから。


「気を落とさなくていいよ、あんまり一気に思い出そうとしたらロッテが疲れちゃうよ?」


クラージュ手製のトーストとたまねぎのスープ、そしてふわふわのスクランブルエッグにこれも彼の作ったベーコンが食卓に並んだ。


「クラージュはすごいね。」


「どうして?」


ロッテの言葉に、クラージュは純粋に疑問を投げかけた。


「私、こんなに美味しい料理作れないし、何も作れない…。というか自分が何ができるのかわからない。」


少しだけ悲しげに、ロッテは食卓を見つめる。


クラージュはその様子を見て穏やかに笑う。


「僕だって、最初の頃は全然うまくいかなかった。何かをやろうとして失敗することが多かった。


それでも、出来るようになりたかった。自分の為もあったけど、いつか誰かをこうやって出迎える時が来るだろうと思ってたから。」


だから君がきてくれて、僕は本当は嬉しいんだよ、と困ったように笑っていた。


その笑顔を見てロッテは、少しだけ心が痛むのを感じた。


(私も…、クラージュみたいになれるだろうか)


「あ、冷めちゃうから食べよう!いただきます。」


彼の言葉にハッとして、ロッテも「いただきます。」と言いながら料理を口に運んだ。




クラージュの料理は、やっぱり美味しい。




優しくて暖かくて、自分の心の隙間を少しだけ埋めてくれるような、そんな味がした。




「ごちそうさま!」


「あ、クラージュ!食器は私洗うよ!」


「え、いいのかい?」


「せっかくごちそうになってるのに、何もしないなんて出来ないよ。」


ロッテは笑いながら言った。


「うん、じゃあお願いしようかな。もしなにかあったら、呼んでくれるといい。」


「うん。」


ロッテは食器を運び始めた。


 シンクへ向かい、食器を洗い始める。すると不思議なことに食器を洗うのが楽しいのだ。


(あれ?なんでだろう。)


今まで覚えたことのない気持ちに、ロッテは疑問を浮かべながらもあっと言う間に食器を洗い終わってしまったのだ。


「わぁ、すごい綺麗に洗ってくれたんだ。ありがとう!」


クラージュが皿を1枚手に取りながら感心してお礼を言った。


「えへへ、なんだか食器洗うの楽しくて。」


ロッテがそういうと、クラージュはそっと頭を撫でた。


「僕もそうだったんだよ。料理も、掃除も、やってるうちに楽しくなった。不思議だよね。」


クラージュの言葉に、ロッテも嬉しくなった。


「ロッテはさ、自分に自信がないみたいだけど少なくとも、何もできないことは無いよ?」


「そう、かな。」


クラージュの言葉にロッテは戸惑った。


「あんまり張りつめ無くていい、ここにはおだやかな自然と僕くらいしかないから。」


だから安心していいんだよ。というクラージュの言葉が、何の記憶も無いはずのロッテの胸に深く沁みた。




どうしてこのオオカミは、こんなにも優しいのだろう。


どうして、私をこんなにも優しく包んでくれるのだろう。




その答えは、今のロッテには未だわからないままだった。

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