第16話 予言の手紙

 裕星は訳がわからず、その手紙を受け取り封を開けた。

 手紙には便箋が一枚入っており、ぎっしりと文字が書かれている。

 裕星は車内灯を付けて読み始めた。



『海原裕星さまへ   

 先日は大変お世話になりました。そして美羽さんにもどれだけお世話になったか分かりません。私がこちらに来てそちらではたった一日ですが、あれから私は何十年もの月日が経ってしまいました。

 あの時は、私の許婚の田村健一郎のことを調べてくださって本当にありがとうございました。


 当時、ひ孫にあたる翔太から健一郎は他の女性と結婚して幸せに暮らしているということを聞きました。


 あの時、私は過去に戻りましたが、決して悲観したり過去を変えようとしたのではありません。


 美羽さんが最後に泣きながら私に訴えていたことが何だったのか、あの時は分かりませんでした。でも、今になって分かる気がしたのです。


 私は元の時代に戻っても健一郎さんとは逢いませんでした。健一郎さんが生きて帰ってきた。それだけで十分幸せだったからです。


 カフェも若いご夫婦が引き継いでくれていて、その上、息子を育ててくれていることを知り、息子にも会わずそっとその土地を離れました。

 私はそれから5年後、別の土地で新しい人と出会い、結婚して何十年も幸せに暮らし、やっと今この手紙を書いています。


 あの未来の日付を覚えていて本当に良かった。素晴らしい時間の旅でした。あれがあったからこそ本当の幸せが分かったのです。


 どうか間に合いますように。海原さんに届きますように。これを遺言にして、この日付にひ孫にもっていかせるようにいたします。


 最後に、美羽さん、本当にごめんなさい。実は、未来の健一郎さんにも逢うつもりはありませんでした。だって、誰だって老いぼれた姿なんて見せたくないでしょ?

 ですから、過去だろうが未来だろうが、運命に逆らわず幸せを掴みたいと思ったのです。


 あなたの大切な裕さんはちゃんと存在してますか? 私の大切な健一郎さんの大切なひ孫なんですよね? やっと分かりました。

 ですから、私自身のひ孫のように思っています。


 大切な二人が未来で結ばれますように命の限り祈っております。 これを遺言とさせていただきます。   

 高野幸恵(旧姓 小林)より』






 手紙を読んで、美羽はポロポロと真珠のような涙の粒をとめどなく零した。


「幸恵さんは知っていたのね? そして、この手紙を遺言として今日の日に届けてくれるなんて、なんて素敵な人だったのでしょう。ご自分と健一郎さんとの幸せを私たちのために諦めたの?」




「いや、俺たちのために諦めたんじゃないよ。未来で立派なカフェを受け継いできた息子やひ孫の小林のためにも、自分の子供の未来の幸せのためにもしたことなのかもしれないな」



「幸恵さんは自分より家族の幸せを叶えたのね」



「ああ、もし自分が子供を引き取っていたら、女手一つでは食べていけなかった時代だからな。

 それでもし店が潰れたら、未来に繋がっていた自分のカフェは他人に渡ってしまうことになる。息子や孫たちにあのまま継いでもらいたかったのかもな。大切な思い出と家をな」




「――きっとそうね。はあー、力が抜けちゃった。裕くんがいつ消えてしまうのかと思っただけで、生きた心地がしなかったわ」



「おいおい、お前ら、さっきから俺のこと放っておいて、イチャイチャすんなよな! 訳がわからないけど、とりあえずこの手紙を渡したことに意味があったんだな?」

 小林がいることをすっかり忘れて話し合っていた二人は、思わず顔を見合わせ笑い合った。







 裕星たちが小林のカフェに戻ると、小林の祖父が珍しくカウンターに出てコーヒーを淹れていた。

 80歳近いと思われる小林の祖父は、少し腰は曲がったものの、色白で背が高く、物静かでどことなく健一郎の面影があった。


「やあ、いらっしゃい。海原くんはいつ見てもいい男ですね」と優しく微笑んだ。


「健二じいちゃん、俺たちどうやら親戚だったみたいだぜ。今になってこいつと俺が繋がっていることに気付いたんだ。じいちゃんは知ってたのか?」




「ああ、そんな気がしてたよ。わしの母親が残した写真には親父がいつもいたからなあ。海原君そっくりだった。

 親父は生命力の強い男だったそうだし、きっとどこかで家族を作ってると思っていたよ。


 しかし、わたしは母親とはとうとう会えなかったが、育ててくれた義理の両親には感謝の気持ちしかない。

 人はどこで生まれたかよりも、信じられる人間に育てられたかだと思ってるよ」とニコニコしながら、サイフォンから二つのコーヒーカップに淹れたてのコーヒーを注いだ。



 小林はそのコーヒーを受け取り、カウンターに座った裕星と美羽の前に出してくれた。



 美羽が香ばしいコーヒーを一口飲んで、カフェの内装をぼんやり見回していた。


 古いがしっかりとした木造の作りで、この先何十年でも持ちそうなほど大きな太いはりが天井に施されていた。


「立派なカフェですね」

 美羽が言うと、小林の祖父が、「そうでしょ? ここは母が祖父母の遺産で壊れた実家を立て直して作ったものだそうです。

 わたしが引退して孫が継いでもまだしっかりした造りのお陰で、何十年ももつように出来ておる。子孫のわたしたちへの愛情を感じますね」と呟いた。



「きっと幸恵さんもどこかで幸せに暮らしたと思いますよ」と裕星が言うと、「そうだといいですね。私の父親は特攻隊でしたが、あの当時の特攻隊で生きて戻ってこられた人はほんの少数だったんです。母は父を待てなかったのではなく、死ぬまで待ち続けていたと思います。


 あの時の特攻は志願だと言われていますが、実はそうするしかない強迫観念で上官に追い詰められていたそうですね。死ぬことをいとわないとか、国のために命をささげるなんて綺麗ごとを考えてる暇もないくらいに。


 だから、生きて帰りたいと願っていた父親を僕は誇りに思いますよ。きっとまだどこかで生きているだろうね。まあ、死ぬ前には一度会ってもいいかなと思いますけどね」


 小林の祖父がサイフォンを掃除しながらしみじみと言った。



「会えますよ。もし会いたいと仰るなら」裕星が言うと、「いいえ、もういいでしょう。亡くなった育ての両親に対して失礼になるからね」とフッと笑ったのだった。









 その時、カフェの扉についている銅の鈴がカランコロンとなって扉が開いた。

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