第15話 過去からのメッセージ
やっと見えてきた地蔵の祠の前に、もうすでに幸恵の姿があった。
美羽は、車がビュンビュン通り過ぎる大通りの向こう側に向かって大声で叫んだ。
「幸恵さーん! 幸恵さーん!」
すると、幸恵は美羽の声が届いたのか、こちらをチラリと見たようだったが、また祠に目を落としてじっとしている。
ハアハアと息を切らし、美羽が
「ハアハア……、幸恵さん、どうするつもりなの?」
「美羽さん、私、もうここにいる理由がないので帰ります。やっとこのお地蔵さまを見つけたんです。きっとどうにかすればまた同じように時間を戻って帰れるはずですよね?」
「――でも、ちょっと待ってください! もしかして、過去に戻って健一郎さんを見つけてやり直すつもりなの?」
美羽は一番訊きたくなかった問いを向けた。
幸恵は地蔵を見つめながら頷いた。
「そんな……」
美羽は言葉を掛けようとしたが、その間に幸恵は祠の前にしゃがみ込むと両手を合わせたのだった。
「待って! 待ってください、幸恵さん! もし幸恵さんが過去を変えてしまったら、取り返せない事が起きるの! 私の大切な人が消えるの! だから、待ってください!」
しかしその時、すでに幸恵の周りが歪み始めていたのだった。
「美羽さん? 私、帰れそうです。帰ったら、また家族を作って幸せになりたいの。今までありがとうございました。裕さんによろしくお伝えください」と頭を下げている。
「待って! お願い、待って! あなたが取り戻そうとしてる幸せは、私たちから幸せを奪うことなの! 私の大切な人の存在を消してしまうことになるの! だから待って! 変えないでほしい。お願いよ―!」
美羽は声の限り叫んだ。何度も何度もぼんやり霧の中に包まれて消えていく幸恵に向かって声の限り叫んだ。
しかし、幸恵には美羽の声は届かないのか、美羽を見て微笑んでいるばかりだった。
「幸恵さん!」
美羽が手を伸ばした時、スーっと霧が晴れて、幸恵の姿はもうなかった。
幸恵は過去に戻って行ったのだ。
今やっと到着した裕星が息を切らして美羽に近づいてきた。
「美羽―—遅かったか」
美羽は裕星の姿を見て勢いよく飛び出すと、両手で裕星をギュッとキツく抱きしめた。
「裕くん、もう終わっちゃったわ。幸恵さんが過去に戻って健一郎さんを見つけてやり直すって。もうすぐ裕くんのおばあ様もお父様の存在も、そして……裕くんも……いなくなってしまう。元々の存在がなくなってしまうのよ。私の記憶からも……」
美羽は周りも気にせず、ああぁ、と声を上げて裕星の胸の中で泣きじゃくっていた。
裕星は美羽の言葉を聞いて、もうすぐ自分の存在がなかったことになる現実を悟った。
しかし、たとえこの世に存在しなかったことになっても、美羽を愛した事実だけは自分の中に残っている。
たとえ運命に逆らっても、裕星という人間になれなくても、虫や動物にだっていいからまた生まれてきて美羽を守りたい。そう思ったのだった。
裕星はそっと美羽の涙を指で拭くと、美羽の肩を抱いて車に乗せた。
「―—どこに行くの?」
「俺の場所だよ」
「どこ?」
裕星は言葉を発せず微笑んでハンドルを切った。
やがてベンツは、外苑前のイチョウ並木の途中に止まった。まだ青々としているイチョウ並木が、紅葉の時の黄金色の道とはまた違った生き生きとした顔を見せている。涼しい風が、大きく開いた窓から通り過ぎた。
「美羽、もし、この俺が消えたら、この車も消えると思う。これは俺がデビュー曲がヒットした記念に自分へのご褒美に買ったものだったんだ。この車に似合う一流のアーティストになってやるといきがってな。
それと、この場所はいつも美羽と一緒に通った場所だったよな。ここを通ると、いつだって美羽のことを思い出してたよ」
「裕くん……マンションには戻らないの?」
「もしあの部屋にいたら、俺が消えたら誰かの部屋になってるだろ? 誰とも分からない部屋に美羽を置いておけないからな」
「裕くん……本当に消えてしまうの? ねえ、嘘よね? 」
美羽は抗えない運命を少しでも認めたくなかった。
「ああ、まだ記憶も消えないみたいだな。幸恵さんはまだ健一郎を見つけてないのかな? でも時間の問題だよ。じいちゃんは必ずあの場所に戻ることになってる。
それも幸恵さんがタイムスリップした直ぐ後に。
だから、もうすぐ俺は消えると思う。もうじいちゃんは俺のひいばあちゃんとは結婚する必要はないんだから。
美羽、安心しろ。俺が消えても、たぶん悲しむことはないよ。だって俺はもともといないことになるんだから、美羽とこうなることもなかったことだ。
その時、美羽は一人でここに立ってるだろうから、教会に歩いてちゃんと帰れるな。ここならだいぶ近くだからな」と悲しそうに笑って見せた。
「そんなこと言わないで。お願い、私は裕くんがいないと生きていけないよ。ねえ、いなくなるなんて言わないで!」
美羽は泣きじゃくりながら、運転席の裕星の胸に顔を埋めた。
裕星は美羽をギュッと抱きしめたままその時を待った。
一時間が経ち、二時間が経った。しかし、依然として何も起こらなかった。
辺りは暗くなり、人通りが少なくなった。窓を閉め切った車内で二人はじっと抱き合っていた。このまま時が止まってくれることを祈りながら。
辺りがすでに真っ暗になって、夜の9時を回ったころ、二人はいつしか車の中で眠ってしまっていたのか、コンコンと誰かがウィンドウをたたく音で目を覚ましたのだった。
裕星が慌てて顔を上げると、そこに……小林の顔があった。
裕星が窓を下した。
「小林、お前……どうした」
「どうしたって、こっちのセリフだよ。お前、こんなとこにいたのか? 随分探したよ。電話しても出ないし、どこに行ったかと心配していたんだぞ」
「なんでお前こそここに来たんだよ。俺を探してたって、なんで」
「ああ、連絡がつかないから、お前が事故かなにかで悲惨なことになってないかって心配だったよ。
ほら、これ、実は俺のひいばあちゃんだという人の遺言を今日弁護士が届けてくれたんだ。
ここに、2023年8月15日って書いてあるだろ? この日にこの遺言書を家族に見せてくれって書かれていたそうだ」
「お前の言ってる意味が分からないけど」
「だから、会ったこともないけど、幸恵という俺のひいばあちゃんが、数年前死ぬ直前に書き残していたらしいんだ。
ここに手紙があって、これを『この日付の日に、ひ孫の小林翔太の友人の海原裕星という人に渡してほしい』と書いてあるんだよ。何で俺の友達の名前まで?
ひいばあちゃんって預言者か何かだったのかな? とにかくばあちゃんのひ孫の友達、つまり俺の友達で『海原裕星』というのは、この世に一人だけだ。――お前だよな?」
そう言って茶色に古ぼけた手紙を一通差し出したのだった。
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