第13話 命を救った千人針

「逢えなかった? でも、その人、あの頃カフェをやりながら、子供を産んでずっとじいちゃんのことを待ってたらしいぞ。そこには行かなかったのか?」




「わしは訳あって終戦後すぐに戻れなかったんじゃ。一年後、帰国したときにはもう彼女はいなかった。死んだと聞かされたよ」



「死んだって? 子供は?」



「生まれた子供は、当時の店の店主に引き取られていた」



「──でも、あのカフェは彼女の実家だったところだ。その後を継いだのはじいちゃんの子供だったらしいよ。カフェは一時期他人に渡ったけど、その後はじいちゃんの息子が継いだんだよ!」



「―—裕くん、おじいさんが帰還された時期って、終戦から一年後のこと? それって……もしかして、幸恵さんがタイムスリップしたころじゃないかしら? お子さんを抱いてお地蔵さまにお参りしていた話……確か終戦から一年経った時だったって。


 ほんの少しの時間差で逢えなかったのね……。せっかく戻ってこられたのに、行き違いになっていたんだわ!」

 美羽が裕星に言うのを聞いて、老人が美羽の方を見た。


「幸恵? 今そう言ったか?」


「はい。幸恵さんです! 実は幸恵さんはおじいさんをずっと探していたんですよ」


「――生きておったのか?」



「はい! 今も生きていらっしゃいます! そして、あの時からひ孫の翔太さんまで、ずっとあのカフェを守っていらっしゃいます」



「――そうか。そうだったか。わしの早合点だったか……幸にはすまないことをしたなあ……」

 老人を見ると、しわの深い瞼には涙が滲んでいた。



「幸恵さんとは行き違いになって、会えなかったのは仕方のないことだったんですよ。だからおじいさまのせいじゃありません」

 美羽が急いで言葉を挟んだ。



「行き違い……そうかもしれないなあ。もっと探せばよかったなあ。あの後、何年も探したのだが、とうとう逢えなかった。しかし――生きて元気にしているなら本当に良かった」



「会いたいですか? 幸恵さんに」




「―—会えるものかなあ? わしらはもう相当年寄りになってしまったからなあ。それになんと言って詫びていいか分からん」


 としわの寄った瞼から涙がこぼれ落ちた。





 すると、裕星は祥子の方を向いて「おばあさまには申し訳ない話になったけど、じいちゃんの昔の思い出を実現させてやりたいんだ。いいかな?」



「その幸恵さんをここに呼んでくるというの? でも、相当なお年でしょ? 私の方は構わないけれど、その方は大丈夫なのかしら?」



「ああ、大丈夫だ。まだ若いからね」と笑った。


 祥子は裕星の言葉を聞いて不思議そうにポカンとしていた。




 裕星が健一郎にまた来ることを告げて部屋を出ようとしたとき、美羽が何かを見つけて裕星のひじをつついた。


「裕くん、見て。あれ!」


 裕星が美羽の指さす方を見ると、そこにはハンガーにかけられた薄汚れたような色の手ぬぐいが下がっていた。


「ん? あれは?」



「――千人針よ。ほら、よく見て。小さい玉結びがたくさんあるでしょ。これは幸恵さんが縫って健一郎さんに渡したお守りの手ぬぐいなのよ」

 美羽はまるで実際に見たことがあるかのように言った。



 裕星が手ぬぐいに近づき、手に取ってよく見ると、何十本もの直線に、赤いいくつもの結び目が縫いつけられていた。


「じいちゃん、これはどうしたの?」

 裕星が健一郎に訊くと、老人はゆっくりと手ぬぐいの方を見ると、ふーと息を吐いた。


「これのお陰で生きて帰ってこられたんじゃ」とかすかに笑った。


「―—幸恵さんが持たせてくれたお守り、ですよね?」

 美羽が微笑んだ。


「ああ、そうだ。ありがたかったね。人はどんなことがあっても争いごとで命を落としてはいけないのだ。


 だけどあの時はまるで皆が自分自身を失くし、命の大切さなど麻痺したように感じられなくなっていたんじゃ。


 そんな時、この手ぬぐいを見ると、大切なことに気付かされた。何度もな。

 大切な人のために生き抜くこと、それが、わしの生きて帰る力になってくれた」


「じいちゃん、もう少し詳しく覚えてることがあるのか? よかったら聞かせてくれないかな」


 すると、健一郎老人は、もう一度目を大きく見開き、昨日のことのように当時のことをゆっくり話し始めたのだった。




「あれは、私が20歳になったばかりの夏じゃった――。



 翌日すぐに召集令状が届いて、向かった先は神風特攻を余儀なくされる部隊じゃった。

 もう少しで終戦になる一年ほど前から、日本は最後の武器として人間を兵器にすることを考えた。


 毎日何機もの戦友の戦闘機が海の中に散って行った。皆、涙を隠して飛んだ。

 特攻は『志願』だと言われているが、それは正しくない。


 あの究極の状況では、司令官の言葉は絶対だった。いっせいに並ばされ、「志願する者、一歩前へ!」と怒鳴られると、皆自分の意志など麻痺して前に出たものだ。

 あの状況で「行かない」選択など無かった。


 わしもその一人じゃった。皆、顔色が無く死人のような顔で出撃した。

 爆弾は飛行機から投下できないようになっていた。体当たりで爆撃するためだ。

 しかし、ある一人の隊長の命令で飛行機の爆弾が投下できるように整備しなおした。

「体当たりをするのが我々の目的ではない」と言ってくれてな。


 そしてある日わしは初めて出陣の水盃みずさかずきをあげた。

 あの日、5人の特攻隊員が飛ばされた。しかし、戻ってきたのはわしだけじゃったよ。

 それから何度も何度も飛ばされたが、わしは犬死することだけはしたくなかった。

 その度に階級を上げられ、『今日こそは死んで帰れ』とまで言われたが、わしの頭の中には、大切な人のことだけじゃった。


『なぜ死んで来ない。特攻隊の恥さらし』とまで言われたが、わしは最後の最後まで帰還することしか考えなかった。

 最後の特攻の日、とうとうわしの機体は敵国に攻撃され、海の上に墜落した。

 ――しかし、運良く海に着水できたわしはとことん泳ぎに泳いで島に流れ着いた。

 そこで重い病にかかり、一年もの間、ずっと生死を彷徨さまよい寝たきりの生活をしておった。


 やっと回復し、日本に帰れる日が来たときは、まるで今までのことが夢だったのではないかと思えた。

 しかし、日本の実状を見た時、あれは夢などではなく、まぎれもない現実だったんじゃ。


 

 日本に帰って、真っ直ぐに家に向かったが、わしは唖然としてしまった。出て行く前まで見ていた景色が一変していた。夢中で家を捜したが、とうとう見つからず、幸恵の家があったところは改築され店になっていた。


 それが、幸恵が親の遺産を全部継ぎこんで作ったカフェだと知ったが、肝心の幸恵にはとうとう会えることはなかった。

 子供を置き去りにして、どこかで死んでいるのだろうと言われたよ。

 その子はカフェを引き継いだ子供のいない若夫婦に引き取られたと聞いた。いずれ自分が引き取って育てられるまで、店長夫婦に育ててもらうことで合意したのだ。


 幸恵を探してとうとう何年も経ってしまった頃、疎開していた両親を養うためにと見合いをさせられ結婚したんじゃ。

 それからも預けた息子を何度も何度も見に行った。しかし、すくすくと元気に育って、育ての親を本当の親だと思っている子を引き取ることなどできなくなってしまったんだ。


 幸恵が元気にしていたのなら、本当によかった。子供が立派に育ってくれて本当によかった――」


 健一郎は何度もよかったよかったと繰り返しながら、涙を流していたのだった。

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