第12話 開けられた真実の扉

「母が生きていた時に一度だけ聞いたことがあるわ。あれは私がイギリスに留学する前だったかしら。


 母がポツリと言ったのよ。『お父さんは心のどこかに昔の女性の陰がまだあるのよ』って。

 どういうことかと訊いたら、特攻から生きて帰ってきたら結婚すると約束してした方だと。でも、それは本人の口からじゃなく、父方の親戚から聞いたことらしいわ。


 ただ、父は特攻からすんなり帰ってこられたわけじゃなかったの。父から、あの当時、乗っていた特攻機が攻撃されて墜落したと聞いたわ。

 海に落ちた機体から急いで逃げ出し、泳ぎに泳いで近くの島にやっとのこと泳ぎ着いたらしいのよ。そこは外国の島で、日本に戻るにも何の連絡手段もなかったらしく、島の人たちの中で生き延びて、やっと船で帰れるころには一年も経っていたって。


 だけど、帰ってみたら、東京は焼け野原だったでしょ? きっと彼女も亡くなったと思ったのかもしれないわね。


 その後、疎開していた親や兄弟とは再会できたそうよ。それから、何年かして新しい縁談が来たらしいの。

 当時、財閥をしていた社長の娘、それが私の母だった。

 最初は二人とも気乗りしなかったみたいね。父の家は貧しかったけれど由緒正しい家柄だったのよ。それでも、家同士の縁談には二人とも逆らっていたみたい。当時、母には特にお付き合いしていた方はいなかったけれど、やはり、親に勝手に結婚相手を決められたくはなかったみたいね。


 でも、そのうち、時が流れ、やがて二人の仲も段々深まって行ったらしいわ。

 母が先に父を気に入ったと言っていたわ。あの当時にしては、背が高くて、シャイな色白のハンサムな男性だったって。ああ、写真もあるわよ。


 そうそう、若いころの父はね、裕星、あなたに本当にソックリだったわよ」ホホホと笑った。





「―—そんな経緯があったんですね」美羽は祥子の話を聞いて、まるで映画のような映像が頭の中に流れていた。



「じゃあ、なんで、ひいばあさんはひいじいさんの結婚を約束した人のことを知ったんだ?」



「――お父さまの親族がつい洩らしたそうよ。あの時の女性はどうしてるだろうって」


 祥子が静かに答えた。

「母はショックを受けるより、前々から勘づいていたらしいの。どうしてその人と結婚しなかったのかと本人に訊いたそうよ」



「それで? なんて言ってたんだ?」



「何も……」



「じゃあ、理由は分からなかったのか」



「まあ、それは後で本人に訊いてみるといいわ。まだボケてないといいけど……。その前に、さあさクッキーを召し上がれ。お茶も入れなおしましょう。だいぶ冷めてしまったわね」と腰を上げた。




 裕星は祥子がキッチンに行くのを見届けて美羽に話した。


「なあ、美羽。もし、ひいじいちゃんが幸恵さんに会わなかった理由が分からなくても、幸恵さんにはひいじいちゃんと会わせてあげようと思ってる。

 もうヨボヨボのじいさんになった婚約者だけど、きっといい思い出を話し合えると思うからな」




「うん、私もそう思う。今回は幸恵さんの目的は健一郎さんに会うことだものね。

 これが悲しい現実だとしても、いつまでも会えずに健一郎さんのことを思い続けるのは可哀そうだもの。タイムスリップのことは理解されていて、幸恵さんにとっては未来に来たことも分かってるから、今の健一郎さんを見てもきっと本人だと分かると思うわ」





 三人は、執事の車で特別老人ホームへ向かっていた。


 車の中で三人は無言だった。当時の歴史の残酷さに触れ、目の前の現実を見ることで、三人の人生の重みを改めて感じたからだった。



 老人ホームの前に着くと、美羽は入り口の前で立ち止まってしまった。

 ――この中に幸恵さんがずっと捜していた健一郎さんがいる。それも、もう今では78年の月日を超えて老人となった健一郎の姿を、幸恵に見せられるだろうかと不安が押し寄せてきたのだった。



「美羽、行こう」


 裕星に背中を押され、美羽はゆっくり中に入って行った。


 立派な個室の扉の前に案内されると、祥子がコンコンと軽くノックして扉を引いた。


「お父さま、お元気? 今日はひ孫の裕星も一緒よ! ほら、覚えてる? お父さまの若い頃にソックリだって言われてるのよ」

 そう言いながら中に入って行く祥子の後を裕星が続いて入った。



「こんにちは。ご無沙汰しております。俺が小さいころ会ったきりでしたね」



 すると美羽も、恐る恐る扉の中に入ると、段々と見えてくる窓際の大きなベッドに誰かが横になっているのが見えてきた。


「あの……こんにちは。天音美羽といいます。初めまして……」

 小さな声でベッドの中の人物に声を掛けたが、老人はまったく声を発せず目を閉じたままだった。




 そこで裕星が枕元に近寄り、耳元で老人に声を掛けた。


「俺のこと分かるか? じいちゃん。裕星です。昔、よく庭で遊ばせてもらっていましたね。今日は俺の大切な人を連れてきたよ」


 すると、ほんの少し、瞼がぴくぴくと動いたかと思うとゆっくりと開いてきて、薄灰色の瞳が見えてきた。


「ゆうせい……か」

 しわしわの唇から声が漏れた。




「お父様のひ孫の裕星ですよ」

 祥子が声をかけた。


「祥子?」



「ええ、お父さま、久しぶり。お父さま、今日は顔色がいいですね。お喋りしてもいいかしら?」と祥子が老人に近づき話しかけた。



 すると、老人はゆっくりと顔を向け、祥子の顔を見つけた。


「お父さま、裕星が訊きたいことがあるらしいの。いいかしら?」



 すると老人は口元を歪ませて笑った。

「はあ、今夢を見ていたわい。随分と昔の夢じゃった。まだ飛行機に乗っておった」



「じいちゃん、そのころのことで訊きたいんだけど、いいかな?」


「ん? なんじゃ? まだボケてないうちに何でも訊いておいてくれ」と目を細めてフハハハと笑った。



「ああ、良かった、お元気そうで何よりです」

 美羽が裕星の隣で声を掛けた。



「おや、そのべっぴんさんは誰じゃ? お前の許婚かい?」

 老人は美羽を見て微笑んだ。


「うん、そうだよ。美羽というんだ。俺の大切な許婚だよ。ところで、じいちゃん、78年も昔のことで悪いんだけど、じいちゃんがばあちゃんと結婚する前に、他に許婚だった人っていた?」



 すると、老人は驚いたように裕星の顔をまじまじと見つめて言った。

「許婚がいた話を知っとるのかい」



「ああ、おばあさまに聞いたよ。昔、特攻に行ったこともね」


 老人がゆっくり布団の中から手を上げると、ドア付近にいた看護師の女性が急いでやって来て、リモコンでベッドをリクライニングさせ老人の上半身を起こした。



「ああ、そうか。特攻に入ったあの頃、わしは本当に毎日が地獄じゃった。毎日戦地へ飛ばされたが、毎回基地に帰ってきた。何がなんでも死ぬわけにはいかなかったからなあ」



「ところで、じいちゃんは生きて家に戻って来られたんでしょ? それなのに、どうしてその許婚と結婚しなかったか訊いてもいいかな。その後、ひいばあちゃんと見合い結婚したわけだろ?」



「……逢えなかったんじゃ」

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