第10話 タイムパラドックス
「裕くん?」
「ええ、カフェでずっと見ていたでしょ? それにレストランでは裕くんが私と一緒のときもいらっしゃったし……」
「あの方は裕さんと仰るんですか? 私はもしかすると健一郎さんかと思ってしまって……それで、カフェで見つけたとき、嬉しくて嬉しくて。
でも店長が出てきたので、急いで仕事に戻るためカウンターの奥に戻ったんです。
借りているアパートに帰るときに、また彼を見かけて後を付けてしまったんですけど、まさかそれがあなたのご主人様だと知らずに申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
「それじゃ、レストランで裕くんのことを連れだと言ったのも、裕くんと話したかったから?」
「はい。もう別の世界なのだと分かっているはずなのに、ついつい本当の健一郎さんのような気がしてしまって……」
ごめんなさい、と幸恵がまた深々と頭を下げた。
「そうだったのね。これで全て分かったわ。私、あなたのこと、幽霊かもしれないと思っていたわ。だってもう78年前に亡くなったって聞いたから」
「でも、元の世界には帰れないんです。あの子がどうしてるか心配でしたけど、あの店長さんが私のひ孫だというなら、きっと息子は生きて、親切な方々に引き取られ、ちゃんと育ててもらっていたということよね? ──ああ、よかったわ」
「でも、健一郎さんが今生きていらっしゃるかは分かってないんですよね?」
「ええ、こんなに遠い未来では、たとえ生きて帰ってきていたとしても、もう年齢的に会うことはできないかもしれませんね。すでに亡くなってるかもしれないですから」
「──実は私、夢を見たんです。まるで幸恵さんになった夢」
「私の夢?」
「健一郎さんを戦場に送り出す夢でした。ううん、きっと夢なんかじゃなく、あれは幸恵さんの記憶が一時的に私にリンクしたような気がします」
「私が健一郎さんを送り出す……あの時は本当に辛かったです。
特攻隊に志願させられることになるということも分かっていたのに、止めることも出来なくて……」
「──実は、昨日、図書館で調べたんですけど、特攻隊の帰還兵は何人かいらしたみたいです。もしかするとその中に健一郎さんもいらしたかもしれません」
「まだ希望はあるのですか? でも彼が生きて帰った証は見つからない……」
「はい……。幸恵さんは元の時代に戻りたいですか? お子さんがいらしてご心配だったんですよね? あの時のお子さんは今店長の小林さんのお祖父さんで、元気でいらっしゃることは分かってますけど……」
「きっと私に捨てられたと恨んで育ったでしょうね……」
「そんなことは……きっとないですよ。もしよかったら、店長のお祖父さまにお会いしてみてはいかがですか? 本当のことは言わずお話をされるだけでも」
「──そうしたいですけど、何だか怖いです。ひ孫の様な年の母親に何を話してくれるか」
美羽と幸恵は孤児院の鉄柵を挟んでしばらくの間話していた。太陽が真上に上がり、院長が美羽に昼の食事を告げに来て、二人は我に返った。
美羽は幸恵にもう一度会う約束をして孤児院へと戻って行ったのだった。
その夜、美羽は裕星に電話を入れた。
「裕くん、分かったの! あの女の人は幽霊じゃなかったよ!」
<幽霊? ストーカーじゃなかったっけ?>
「そのどちらでもなかったの。お地蔵様のタイムスリップのせいだったのよ!」
<タイムスリップ? 例の不思議な地蔵の祠のか?>
「そう。それに裕くんのお友達の小林さんは幸恵さんのひ孫だったわ!」
<はあ? それ本当か? でも、色々と疑問は残るけどな。俺に付きまとって幽霊みたいに消えたり現れたりしたのはどう説明するんだ? ストーカーなら納得いくけど>
「それが……裕くんは幸恵さんの婚約者にソックリだったからなの。カフェで見かけて、つい後を付けてしまったって言ってたわ。
それに、幸恵さんはあそこのカフェでアルバイトしてたらしく、外に出ずにカフェの奥に入ってしまったことが、入口ドアのベルが鳴らなかった理由なのよ」
<そうだったのか? でも、どうするんだ? その婚約者が生きてるかどうか知りたいんだろ? それとも地蔵を見つけて元の時代に帰すのか?>
「それはまだ……何の手掛かりもなくて」
<だろうと思ったよ。でも、俺の方もすごい情報がある>
「どんな情報?」
<その婚約者、田村健一郎って言ったよな?>
「うん、そうよ。何か分かったの?」
<俺のおばあ様の旧姓が田村だったそうだ>
「――えっ?」
<つまり、俺に田村という親族がいたんだよ!
それも、おばあ様の父親、ああ、ややこしいな。つまり、俺のひい爺さんが『田村健一郎』と言う名前だったらしい。
それに、今は特別養護老人ホームにいるそうだ。かなりの長生きで今年98歳だよ。
お前が探してる人と同一人物かまだ分からないが、その健一郎は若いころ特攻隊に所属していて、容姿が俺によく似ていたと言っていたから、もしかすると当人かもしれないぞ!>
「それ本当なの? こんなに身近に幸恵さんの探し人がいたなんて!
健一郎さんが生きていたうえに、幼馴染の小林さんと裕くんが親戚同士だったということよね?」
<まあ、そういうことになるな。幸恵と健一郎のひ孫同士ということだけど、こうなると複雑だ。
ひい爺さんの健一郎は生きて帰ってきたが、幸恵さんの元には帰らず、別の女性と結婚して俺のおばあ様が生まれたんだからな。これを幸恵さんにどう伝えたらいいものか……>
「伝えない方がいいかも。ううん、伝えたくないわ。まさか、裕くんが健一郎さんの子孫で、戦後生きて帰ってきてたのに、幸恵さんの知らないところで別の女性と結婚していただなんて……」
<どうする? もし、幸恵さんが元の世界に戻って、行き違いになったはずの健一郎を探し出して結婚したら……今度は俺が生まれなくなる……。
一度流れてしまった運命は元に戻すとあちこち不具合が生じることになるんだ>
「そんな……。いやよ! 裕くんがいなくなるなんて! それだけはダメ!」
<健一郎がどういう理由で幸恵さんのところに帰らなかったか、今夜、もっと詳しくおばあさまに訊いてみるよ。とりあえず、今わかった情報はこれだけだ>
「わかったわ。私、明日、裕くんのところに行くわ。その時詳しい話を聞かせてね」
そう言って電話を切ったが、美羽は複雑な思いに押しつぶされそうになっていた。
幸恵が過去に戻って、もし無事に生還した健一郎に逢って結婚したとしたら……。
時が一度流れてしまった以上、変えてはいけない歴史を絶対に守りたい。
たとえ幸恵さんが寂しい生き方をすることになっても、裕星の存在と引き換えには出来ない。
美羽は自分が幸恵の事情を知ってしまったことで、まるで罪人のような酷い人間になってしまう気がした。
幸恵のために今までは一生懸命に健一郎のことを調べてあげていたが、幸恵を健一郎に逢わせて幸せな生活に戻してあげれば、裕星の生きてきた今までの存在自体が消えてしまうのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます