第6話 一難去ってまた一難

 その夜、美羽はまたあの夢の続きを見ていた。




「ケンさん、待ってます。ここでずっとあなたの帰りを待ってます」


『さち、帰ったら祝言しゅうげんを挙げよう。正式に夫婦になろう。だけど……俺が帰らなかったら……、その時は誰か他の人を見つけて必ず幸せになるんだよ』



 美羽は、意図せず口から出た青年の名前を何度も呼んで涙を流していた。


「ケンさん、どうかそんなこと言わないで! ケンさんは必ず帰れます! もし万が一……ううん、そんなことは絶対ないって信じてる!」



 青年は美羽を胸にぎゅっと抱きしめると、サッと離れて美羽に敬礼をした。


『田村健一郎、行ってまいります!』


 近所の人々が旗を振って見送りに来てくれた。小さな女の子が青年の近くに来て何かを手渡してくれている。よく見ると、それは赤い紙で折った鶴だった。


 美羽はハッと自分の持っているのは物に気付いた。

 いつ作ったのだろうか、美羽の手には千人針(*)と呼ばれる手ぬぐいがあった。



「これを……」

 美羽が健一郎に手渡すと、健一郎は手ぬぐいをぎゅっと抱きしめ、笑顔でコクリとうなづいた。



 美羽の笑顔を確かめると、健一郎はくるりと背を向け、一度も振り返ることなく駅の中へと消えて行ったのだった。




 美羽の目には涙が溢れ、真珠のような涙粒が止めどなくこぼれていった。

 最後には嗚咽に変わり、息が苦しくなるほどだった。





「美羽、美羽、大丈夫か! おい、どうした?」


 裕星の声で、美羽は我に返った。夢から覚めて体を起こすと、頬が涙でぐっしょりと濡れていた。



「私、本当に泣いていたのね? 」



「また夢か?」


「うん……怖かった……。夕方の夢の続きを見てたみたい」



「いくらなんでも影響受けすぎだろ。大丈夫か?」


「うん。裕くんが隣にいてくれるから大丈夫よ」ふふと肩をすくめた。



 すると、裕星はいきなり美羽をぐいと引き寄せて抱きしめた。

「ほら、こうして寝れば俺を感じられて怖くないだろ?」



 美羽は裕星の温かい胸の中に顔を埋め、ほのかに香る裕星の爽やかな香りで幸せに満たされていた。



 安心感に包まれ、そっと顔を上げると、裕星の美しい横顔が月の光に照らされて神々しく見えた。スーッと通った鼻筋とふっくらした唇、寝ていてもキリリと形の良い眉毛に、そして大きな瞳……?


「ん? 」

 美羽の声が聞こえたかのように裕星が瞼を開けた。



 裕星の寝顔を見つめていた美羽は裕星と目が合ってドキドキして目を離すことが出来ずにいた。



「美羽、眠れないのか? 」



「う、うん。ちょっと目が覚めちゃったみたい……」



 そうか、と裕星はくるりと体を美羽の方に向けると、そっと美羽の両頬を両手で包んで、顔を近づけキスをした。

 美羽は、裕星の温かい唇と息づかいを感じると、心の奥からの安堵感に包まれ瞳を閉じたのだった。




 次に美羽が目を覚ましたのは、6時の目覚ましの音だった。ふと横を見ると、裕星はもういなかった。

 今日からは地方の孤児院を回って行うミニライブがあると以前から言っていたことを思い出した。




「私ったら、あれからぐっすり眠っていたのね。裕くんを見送ることもできなかったわ」



 一人、リビングのソファーにぼんやりと座り込んでいた。

 今日は孤児院の仕事はない。このまま気分転換に街に出てみようか、そう思った時だった。



 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴って、モニターに人影が写った。

 モニターを確認しようと立ち上がった美羽は、驚いて一歩後ずさりしたのだった。


「あの人……幸恵さん?」



 恐る恐るモニターの応答ボタンを押して声を掛けた。

「幸恵さん? どうしたんですか?」



「美羽さん、先日は家の方に来てくださってありがとうございました。私、留守にしていてお会いできずすみませんでした」とモニターの向こう側で頭を下げている。



 ――でも、あそこは実家じゃなかったはず。

 美羽はなぜ幸恵が嘘をついたのか聞き出したかったが止めた。

 今度こそしっかり訳を聞こうと、ドアへと向かったのだった。




 玄関のドアをゆっくり開けると、目の前の幸恵はすまなさそうに頭を下げた。


「本当にすみません。失礼してしまいました」



「いいえ、でも、あそこの方に私お聞きしたけど、あなたのことは知りませんでした。

 詳しく教えてくれるかしら? いったいどういうことなのか。それに婚約者の方って、本当はどこにいらっしゃるんですか?」



 すると、女性は目を伏せたまま、すみませんを繰り返すばかりだった。


「あの……何かご事情があるのでしたら、出来るかぎりお力になりますけど、もし、私たちをからかっていらっしゃるのでしたら、それは止めてほしいんです」

 美羽はとうとう幸恵に気持ちのすべてを告げた。


「いえ、からかってなんていません! ただ、思うようにいかなくて、どうしても彼に会いたくて……」



「でも、いくら裕くんの熱心なファンだとしても、こんなことまでしたら、お互いに良くないと思うの。あまり度が過ぎると嫌われてしまうわ。それよりももう少し遠くで見守って……」


「ふぁん? どういう意味ですか? 私はただ本当に自分の許婚いいなずけに会いたい、それだけなんです!」



「もしかして、自分の裕くんのことを許婚だと思ってるのかしら?」


「ゆう、くん? ごめんなさい、知らない人です。私の許婚は田村健一郎という名です」



「幸恵さん、ここには健一郎さんはいないんですよ」



「でも、見たんです。確かにここに入って行く健一郎さんを見たんです」



 二人が玄関先で言い合っているちょうどその時、美羽のケータイに裕星からの着信があった。



 美羽は、急いでケータイに出ると、裕星が地方の会場に着いたことを知らせた後、例のストーカーの話を切り出した。


 美羽は目の前の幸恵をチラチラと見ながら裕星の電話に耳を傾けていると、裕星が

 <ニュースではもうやってると思うけど、捕まったんだよ! 光太たちを追いかけまわしていたストーカーが>



「え? どういうこと?」


 <今朝、新聞で読んだんだが、光太や陸たちのストーカーは同一人物だったらしい。新聞に写真が出てた。

 どうやら、そいつ男だったらしいな。茶髪ロングのカツラを被って、プライベートの陸たちを追い回していたらしい。

 ストーキングの理由が変わっていて、自分を振った彼女がラ・メールブルーの熱狂的ファンで、どうやら自分をほったらかして俺たちに入れ挙げてたらしくて、お金を注ぎ込んでコンサートやライブをすべて網羅したり、結局結婚資金にと二人で貯めていた貯金にも手を出したとかで別れることになって、俺たちに恨みをもっていたらしいんだ。


 それで、俺たちを脅すつもりで執拗にストーキングしてたらしい。それも女装して女のファンのフリでな>




「ええっ? そう、だったの? じゃあ、あの女の人は?」


 そう言って、美羽は幸恵の方をチラリと見た。






(※)千人針:第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法で出来上がったお守りのこと。武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る民間信仰だった。

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