第4話 古《いにしえ》からのメッセージ
翌朝、美羽が孤児院の裏庭の掃除をしていた時のことだった。鉄柵の向こうで誰かが呼ぶ声がした。
「あのぉ、すみません」
美羽が箒を止めて顔を上げると、鉄柵の向こうで誰かが手を振って声をかけている姿が見えた。
美羽は気になって鉄柵に近づいていくと、柵の向こうの人間が隙間から顔を覗かせた。
「あっ!」
ドキリとして美羽は足を留めた。昨日の女性だったからだ。
「あなた……昨日の? あの……昨日はどうしたんですか? やっぱり帰っていたのね?」
「はい。ごめんなさい。何も言わずに帰ってしまって。具合がよくなったので、ご迷惑を掛けないうちにすぐお
「でも……」――鍵はどうしたの?
美羽はそう訊き返したかったが言えなかった。女性があまりにもすまなさそうに頭を下げていたからだ。
「あの……まだお名前聞いてなかったわね。差し支えなければ教えてくれないかしら? あ、私は天音美羽といいます」
美羽が気持ちを落ち着かせながら訊ねると、「すみませんでした。私は小林幸恵と言います」と頭を下げた。
美羽は少しだけ鉄柵に近づいた。
「昨日話した婚約者さんのお名前も聞いておいていいかしら? 誰かに聞いて分かるかもしれないから」
「彼は、田村健一郎(たむらけんいちろう)といいます。幼馴染でした」
「田村さんという方ね。分かりました。何か分かったらお伝えするけど、連絡先を教えてくれるかしら?」
美羽はもしかするとストーカーかもしれない女性に恐る恐る訊いてみた。
「連絡先……住所は世田谷区……」住所を一生懸命に口伝えしている小林を見て、美羽は慌ててポケットからメモを出して書き留めた。
「あの、お電話は? ケータイは持ってらっしゃいますか?」
「けいたい? いいえ、何も携帯してはいません」
「―—え? そうなの。困ったわね。じゃあ、どうやって連絡すれば……」
「そこ、私の実家なんです。もしよかったら、そちらに来ていただければ、会えると思いますから」
そう言うと、女性は軽く会釈をすると踵を返して行ってしまった。
「この住所はここから近いところだわ。婚約者を探してるって、もしかして、その男性に捨てられて命を……。まさかそんなことないわよね?」
美羽は小林と名乗る女性がどうしてもストーカーには思えなかった。
孤児院の仕事を終えた美羽が向かったのは幸恵が告げた住所の場所だった。
そこに行って、女性がなぜ自分を頼ってくるのか詳しく聞き出そうと思った。
――ストーカーであるわけがない。あんな素直で純粋な瞳を持った子が人に危害を加える人間にはどうしても見えなかった。
しばらく行くと、二股に別れている道の中央にアンティークなカフェが見えてきた。
住所をもう一度確かめて、スマホの地図を開くと、やはりこのカフェがメモの場所で間違いなかった。
「こんにちは……」
恐る恐るカフェの木製のドアを開けると、カランカランとドアに付けた銅の鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
中から男性の声が聞こえた。
「あのぉ、すみません。こちらに幸恵さんという方はいらっしゃいますか?」
美羽が声をかけると、カウンターから出てきた男が美羽の姿を見て、あっと驚いている。
「―—あ、えっと、もしかして……美羽さん?」
「え?」
名前を呼ばれて驚いて顔を上げると、そこには以前見たことがある顔があった。
「あ、あなたは裕くんのお友達の……。じゃあここは」
「はい。幼馴染で友人の小林です。一度以前お会いしましたね」と頭を下げた。
「ここは小林さんのカフェ……。あのぉ、早速ですが、実はお聞きしたいことがあるんですけど、幸恵さんって方はいらっしゃいますでしょうか?」
「幸恵? うーん、そんな名前の人は家族にもいないけど。その人がどうしたんですか?」
「実は、その幸恵さんにここの住所を教えてもらったの。ここが実家で、ここに来れば会えるからって」
「そうですか? でもなあ、ここは確かに俺の家族が昔から経営してたとこですけど、ああ、昔と言っても戦後のことらしくて。それまでは普通の民家だったのを、終戦後には改装してこの商売を始めたらしいです」
「そうなんですか……。あ、ありがとうございました。ご存知ないとしたら、きっとお客様の誰かかもしれないですね。また来ますね」
そう言うと、美羽はカフェを後にしてマンションへ帰ることにしたのだった。
幸恵が告げた住所は実家などではなかった。同じ「小林」という苗字なのをいいことに、この場所を教えたのだろうか?
美羽はキツネにつままれたような、他人を理解のできない不可解な気持ちに陥っていた。
大通りから分かれ道に入ると、整然とした高級住宅街になっている。タワーマンションが立ち並んでいるが、近くに公園もあり静かな住宅環境だった。
その中の一際天に抜きん出た高層マンションの25階に美羽たちの部屋はあった。
エレベーターに乗り込むと、全く微動だにせず静かに最上階に到達した。
部屋に戻るなり、なぜか美羽は極度の疲れを感じてベッドに倒れ込むようにして眠りに落ちていった。
昨日のことといい、昼間のことといい、幸恵が現れる度に矛盾が生じ心が乱され続けた。
一気に疲れが出たのは、そんな精神状態からなのだろう。
少しだけと思っていたが、美羽はいつしか深く深く眠りの淵に落ちていったのだった。
『爆弾だ! 隠れろ! 急げ!
誰かが背後で叫んでいる。
美羽が当たりを見渡すと、みるみるうちにあちらこちらで火柱が立っている。
『ここはどこなの?』
バタバタバタと大勢の人たちが雪崩れるようにして群がって走っていく。
すると、後ろから走ってきた一人の老人が大声で美羽に怒鳴った。
『何やってんだ! ぼーっとするな! 死んじまうぞ!』
『死ぬ?』──どういうこと?
その時、ウ〜ウ〜とけたたましいサイレンが頭上で鳴り響いてきた。
『来たぞ! B29だ!』
逃げる人波にもまれて、美羽は足を取られその場に転んでしまった。
ブルルル……ものすごい爆音がして見上げると、すぐ真上に今にも手が届きそうなほど低空飛行で大きな飛行機が飛び去って行った。
『あれは何?』
すると、ほんの数百メートルしか離れていない前方を逃げ惑う人々の上に赤い光の玉が機関銃のように降ってきたかと思うと、バリバリと耳をつんざく音がした後、一瞬で辺りは静けさに包まれた。
爆風が倒れた美羽の頭の上を通り過ぎるのを待って顔を上げると、前方にはさっきまでいた人達、子供を抱いた母親や手を引かれながらよろよろと逃げ惑っていた老婆や、足を引きずっていた男性の姿は消えていた。
『一体なにがあったの……』
美羽がやっとのこと立ち上がると、前方どころか、辺り一面焼け焦げて、家々は崩れ、焼け野原になっていたのだ。
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